ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『あなたがたの子供にも』 使徒言行録2:37〜47

日曜礼拝 2023年6月11日


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説 明

教会にお集まりの皆さん、おはようございます。オンラインで配信を見ている方も、おはようございます。まもなく、10:30から礼拝が始まります。礼拝の最中は、携帯をマナーモードにしていただき、後から来た人も座れるように、席の譲り合いをお願いします。

 

礼拝の中で、立ち上がって賛美歌を歌うところや、立ち上がって祈りを合わせるところもありますが、体が不自由な方や疲れている方は座ったままで大丈夫です。賛美歌、聖書、交読文は、備え付けの籠からお使いください。それでは、もうしばらくお待ちください。

 

案 内

華陽教会では、賛美中のマスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、日曜日の礼拝も配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、神の招きにあずかりましょう。

 

前 奏

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)

 

招 詞

子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。(ルカによる福音書18:16b)

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、旧讃美歌63番「いざやともよ」を歌います。諸事情でマスクを着用できない方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。差し支えない方は、お立ちください。

 

お祈り

ご着席ください。共に祈りを合わせましょう。

◆世界の造り主である、私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、日曜日の礼拝を始めることができ感謝いたします。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。今日は、子どもたちのために始まった、花の日こどもの日の礼拝です。全国の教会で、子どもたちの成長を祝いつつ、花を飾って、あなたに感謝をささげます。どうか今、この地に連なる全ての子どもに、あなたの恵みが豊かに注がれますように。

◆私たちの神様。幼稚園や学校に行けなくなった子どもたちや、勉強についていけなくなった子どもたち、人間関係で苦しんでいる子どもたちに、あなたの慈しみがありますように。どうか今、一人一人に必要な助けと仲間が与えられますように。

◆私たちの神様。いじめに気づいてもらえない子や、虐待に気づいてもらえない子、または無視されている子どもたちに、あなたの救いがありますように。どうか今、助けを必要とする子どもの声に、私たちが応えられますように。

◆全ての子どもを招かれる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。使徒言行録2:37〜47(新共同訳より抜粋)

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。交読詩編も同様に後からカットしています。

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交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編133:1〜3(新共同訳交読詩編より抜粋)

『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。ご着席のままで大丈夫です。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌21の60番「どんなにちいさいことりでも」を歌いましょう。差し支えない方は、お立ちください。

 

wal_172619によるPixabayからの画像

メッセージ

今日は、花の日こどもの日の礼拝です。花の日というのは、もともと150年くらい前に、アメリカのメソジスト教会で始まった、子ども向けの教会行事で、子どもたちのために、特別なプログラムを用意したり、「幼児祝福式」を行ったり、一人一人の誕生を、成長を、みんなで祝福するイベントです。

 

伝統的に、夏の花が咲き始める頃に行われ、各家庭から好きな花を持ち寄って、礼拝堂に飾り付け、花束を作って、その町でお世話になっている消防署や警察署、病院や高齢者施設、自宅で療養している人たちのところへ持っていきます。そうして、子どもたちに、感謝の気持ちや、神様の咲かせた恵みを、みんなで分かち合う機会を作ってきました。

 

残念ながら、医療施設への花の持ち込みが制限されたり、コロナ禍で訪問自体が難しくなったりして、多くの教会と幼稚園で、花の日に直接、花束を持っていくことはできなくなりました。それどころか、不景気や感染症の影響により、子どもたちの数も減り、この日に、幼児祝福式を希望する家庭も、ほとんどなくなってしまいました。

 

コロナ禍に入って数年間、教会学校のデイキャンプも、幼稚園の同窓会も、教会と幼稚園が一緒にしてきたバザーの集まりも、子どもたちを呼べないことが続きました。今年度は、岐阜地区のサマーキャンプと合流したり、夏祭りと同窓会を企画したり、再び子どもたちが集まれるように準備していますが、既に小学校を卒業していった子どももいます。

 

幼児と呼べる歳ではなくなり、祝福式のタイミングを逃した家庭もあるでしょう。せっかくだから、この日に孫を誘おうと、子どもたちを呼んでみようと、思われていた信徒の方も、一緒に来るきっかけを失ってしまったかもしれません。結局今日は、自分たちだけで教会へ来て、離れて過ごす子どもたちを思い出す人が、多いかもしれません。

 

実は、似たような状況の人が、聖書の中にも出てきます。それは、イエス様の弟子たちが、約束された聖霊を受け、天下のあらゆる国の言葉で、語り出すのを見た人たちです。その多くは、何世代か前に、捕虜として外国へ連れて行かれ、自分たちの代で、ようやく故郷へ帰ってこれた、外国出身のユダヤ人です。

 

五旬祭の日、彼らは数世代ぶりに故郷へ集まり、収穫の恵みに感謝して、神様へ礼拝をささげようとしていました。しかし、何代か続けて過ごした外国から、一族全員で帰ってきた家族は少なかったでしょう。家も財産も残っていない、仕事があるかも分からない、そんな故郷へ一緒に帰ると、決心できなかった親戚が、きっと数多くいたでしょう。

 

エルサレムへ帰ってきた、信心深いユダヤ人の中には、自分の息子や娘たちは、外国に残ることを選択した人、祖父母や従兄弟は、向こうで暮らすことを選んだ人が、当然ながら存在しました。この日、彼らは数世代ぶりに故郷の祭りへ参加しながら、離れたところにいる子どもたち、孫たち、従兄弟や親戚を思い浮かべずにはいられなかったでしょう。

 

そんな彼らへ、特別な出来事が起きました。自分たちが置いてきた、遠く離れた外国に住む、孫や、子どもや、親戚と、同じ国の言葉で話し出す者が現れました。その人たちはここにいる自分たち、エルサレムの住民だけでなく、イスラエルの外にいる、離れたところにいる全ての人に約束された、神の救いを告げ知らせます。

 

神の子イエス・キリストは、エルサレムの神殿に集まって、礼拝しに来た人だけでなく全ての人を、神の国へと招いている。今日、一緒に集まれなかった人たちにも、礼拝に呼べなかった人たちにも、罪を赦され、新しくされ、永遠の命が与えられるよう、聖霊を送って導いてくださる。ペトロは、弟子たちを代表して、はっきり告げます。

 

「この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです」……あなたたちの子供にも、遠くにいるすべての人にも……それは、ここにいない子供たちや、家族や友達を思い浮かべる人たちに、今も希望を与えています。

 

聖書にはその日、ペトロの言葉を聞いて、3千人ほどが洗礼を受け、仲間に加わったことが書かれています。彼らは、弟子たちの教えを聞き、相互の交わりを大切にし、パンを裂くこと、祈ることに熱心な共同体になりました。「パンを裂く」と言えば、キリスト教の「聖餐式」、信仰者が信仰者であり続けるための式が思い出されます。

 

イエス様を信じて洗礼を受けた人が、自分たちのために、十字架にかかって命をささげ、3日目に復活してくださったイエス・キリストを思い起こし、信仰を更新する、新たにしていく食事です。だから、信徒の一人一人は、自分が信仰的に弱っている、信仰者としてふさわしくないと思うときこそ、このパンと杯を受け、キリストの恵みにあずかります。

 

一方、まだ洗礼を受けていない信徒の家族や信仰告白をしていない子どもたちは、聖餐式でパンとぶどう液が配られるとき、受け取らないで、待ってもらっています。これは、資格がないから、ふさわしくないから、配らないのではなく、「神様を信じた人が、信じ続けるための式」であることを、本人が納得して、受けとってもらうようにするためです。

 

もし、信仰を告白してない人が、誤って受け取ってしまっても、知らずにいただいてしまっても、罰を受けたり、神様に責められることはありません。教会員も、間違えてパンと杯をいただいた人を、責めたり怒ったりしてはいけません。何のために、どんな意味で行われているのか、伝わらない聖餐式をしてしまった、私たちの落ち度だからです。

 

礼拝のメッセージが「神の言葉の見えないしるし」であるならば、聖餐式は「神の言葉の見えるしるし」と呼ばれます。信仰者が、キリストの死と復活を思い起こしてする食事は、居合わせた人々に、自分もこの民に招かれている、この食卓へ加えられたいと、信じる気持ちを芽生えさせる、力と働きを持っています。

 

私たちは「信じない者」と「信じる者」を区別するために、パンと杯をいただくのではありません。そこに集まった人たちが「信じない者」から「信じる者」となるように、パンと杯を受けて証しするんです。もしその場に、パンと杯を受け取らない人がいるのならその人もパンと杯を一緒にいただく日が訪れるよう、私たちは祈りを合わせるんです。

 

さて、今日はこの後、聖餐式ではなく、愛餐式を予定しています。愛餐とは、イエス様が、飢えている人たちにパンを与え、避けられていた人たちと、共に食事にあずかった、数々の出来事を記念して、パン菓子や水をみんなでいただき、神の祝福を分かち合う食事です。

 

愛餐式は、新来者が多く集まる教会行事で行われる他、洗礼を受ける前の子どもたちが神の恵みを一緒に分かち合う「喜び」と「学び」にあずかるため、私たちが準備し、整えることを期待されている食事です。今日は、イエス様が招かれた子どもたちや信徒の家族、初めて教会に来た人たち、学校から来た生徒たちと、共に恵みを分け合いましょう。

 

そして、まだ信仰がよく分からない人、祈る気持ちになれない人、どうしたらいいか分からなくなって、うずくまっている人たちにも、救いが約束されていることを伝えながら、必要な気づき、必要な力、必要な助けが与えられるように、聖霊を求めて、賛美の歌をささげましょう。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、オンライン賛美歌17番「祈れないときに」(©︎柳本和良)を歌います。差し支えない方は、お立ちください。

 

 

使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の2頁をご覧ください。

紹 介

本日も、初めて礼拝に来られた方、初めて配信を見られた方、久しぶりに参加された方と一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。

 

とりなし

共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろの方の1頁をご覧ください。

 

司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

司会:世界の国民と政府のために祈ります。
会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。
会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

司会:教会員のために祈ります。
会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

司会:今日ここに出席できなかった人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、ここに見えない人たちを、あなたが癒し回復してください。

司会:身近な人のために祈ります。
会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。
会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

司会:苦しんでいる人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

司会:今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。
一同:アーメン。

 

主の祈り

イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。オンライン讃美歌の後ろの方の4頁をご覧ください。差し支えない方は、お立ちください。

 

 

愛 餐

本日は、共に礼拝をささげる全ての人と神の祝福を分かち合う愛餐式を行います。配信を見ながら礼拝をささげている方も、お家にあるパンと水を用意して、一緒にこの食事にあずかれます。用意するパンと水は特別なものではなく、普段の食卓に出てくるもので大丈夫です。共に、神様が備えてくださった見えない食卓にあずかりましょう。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌21の81番「主の食卓を囲み」1、2節を歌いましょう。御着席いただいたままで大丈夫です。

 

食卓への招き

かつて、私たちの主イエス・キリストは、パンを求めて集まってきた群衆に言われました。「わたしは命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。わたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。(ヨハネ 6:35、57より)」

 

また、主は水を求めてやって来たサマリアの女性に言われました。「わたしが与える水を飲む者は、決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。(ヨハネ 4:14)」

 

主は、少年から受け取ったわずかなパンを祝福し、空腹だった5千人以上の人に分けられ、全ての者が食べて満腹になりました。この食卓は、キリストが神の国のしるしとしてなされた、あの「5千人の給食」のように、主の祝福による神の国のしるしです。

 

信仰を告白した人があずかる聖餐式ではありませんので、神の祝福を分かち合いたい方は誰でも、パンと水を手に取って、共に食事を味わいましょう。

 

感謝の祈り

感謝の祈りをささげます。

 

恵みと祝福の源なる私たちの神様、あなたは私たちに「命のパン」「命の水」をお与えになります。足りないものを満たし、欠けている力を養います。あなたは私たちを死の恐れから解放するため、御子イエス・キリストを遣わされ、貧しい者、嫌われ者、負い目のある者たちと、共に食事にあずかりました。

 

様々なやましさや後ろめたさがある人も、悩みや葛藤がある人も、疑い迷いがある人も、あなたは隔たりなく近づかれ、同じテーブルにつかれます。あなたが与えるパンと水は、信じない者を信じる者に、悲しむ者を喜ぶ者に、争う者をとりなす者に変えられます。どうか今、あなたから受けた恵みと祝福を、私たちも互いに分け合う者とならせてください。あなたの愛と平和が豊かに現されますように。アーメン。

 

配 餐

共に、パンと水を分け合いましょう。普段、聖餐を受けられない人も、初めて来た方も、このパンと水は信仰を「告白している」「していない」にかかわらず、一緒にいただくことができます。

 

本日、礼拝に来られているお子さんも、一緒に受け取っていただけます。どうぞ、用意しているパンと水を手に取って、神の祝福にあずかりましょう。係の方は、前へお越しください。(パンと水を配る)

 

分かち合い

ケースの蓋をお取りください。共に、神の恵みを味わいましょう。

 

主は言われます。「わたしの父が天からまことのパンをお与えになる。(ヨハネ6:32)」私たちもいただいたパンを食べましょう。あなたの内側から、生きた力が溢れ出るように。

 

主は言われます。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。(ヨハネ7:37)」私たちもいただいた水を飲みましょう。あなたの内側から、生きた水が流れ出るように。

 

感謝の祈り

感謝の祈りをささげましょう。

 

愛と平和の源である私たちの神様、今ここで、あなたの祝福を分かち合う食事にあずかれたことを感謝致します。日々、あなたがもたらされる日用の糧も、心を養う御言葉の糧も、必要なとき、必要な仕方で備えられてきました。

 

足りない者には与える者が、失くした者には見つける者が、一人の者にはつながる者が与えられます。どうか今、私自身も、あなたからいただくつながり、発見、恵みの数々を、共に分け合う者として、送り出してください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌21の81番「主の食卓を囲み」3節を歌いましょう。御着席いただいたままで大丈夫です。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。献金に、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください。

 

献金の祈り(例)

神様、私たちが持っている物は皆、あなたからいただいたものです。今、私自身の生き方をあなたの御用のためにおささげします。どうか、ここに献げた献金も、あなたの求めていることに用いてください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」の2節を歌いましょう。

 

讃美歌

頌栄の讃美歌88番「心に愛を」を歌いましょう。差し支えない方は、お立ちください。

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです。(使徒言行録2:39)

 

祝 福

主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように。(コリントの信徒への手紙二13:13)

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった19名、同時に視聴された16名、計35名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝いたします。

 

来週の日曜日も、三密を避けた会衆礼拝を配信と並行して行います。教会に来られる方は賛美中のマスク、消毒、換気、加湿、三密回避の座席調整にご協力いただけるよう、お願いします。それではまた日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。