ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『非のうちどころをなくせない』 フィリピの信徒への手紙2:12〜18

在宅礼拝 2021年6月13日


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案 内

華陽教会では岐阜県の医療提供体制を受けて、会衆が集まる礼拝を休止し、配信等による在宅礼拝に切り替えています。共に今、自宅にいる人も、後から見る人も、聖書の言葉に耳を澄ませ、神の招きにあずかりましょう。(*前奏)

 

招 詞

あなたの民は皆、主に従う者となり/とこしえに地を継ぎ/わたしの植えた若木、わたしの手の業として/輝きに包まれる。(イザヤ書60:21)

 

讃美歌

旧讃美歌179番「よろこびあふるる」を歌います。54年版讃美歌をお持ちでない方は、そのままお聞きいただき、心で賛美を合わせましょう。(お立ちください)

 

お祈り

(ご着席ください)共に祈りを合わせましょう。

◆いつも一緒に居てくださる私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて在宅礼拝を始めることができ、感謝いたします。どうか今、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの母なる神様。今日は、花の日子どもの日の礼拝として、たくさんの花が飾られています。どうか今、直接集まることができない子どもたちも、あなたの愛と恵みをたくさん受けて、素敵な花を咲かせられるよう、導いてください。

◆私たちの父なる神様。全国で、居場所を失っている子どもたちに、あなたの助けがありますように。どうか今、睡眠と、食事と、遊びと、学びの機会が確保され、子どもたちの成長に必要なものが与えられるよう、私たち大人を用いてください。

◆私たちの友なる神様。子育てや教育のことで、相談する場所がない人に、あなたの慈しみがありますように。どうか今、夫婦や、家族や、地域のみんなで、一緒に子どもたちの課題を担うことができるよう、それぞれの共同体を支えてください。

◆子どもたちを招かれる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。フィリピの信徒への手紙2:12〜18(新共同訳より抜粋)

*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。

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Esi GrünhagenによるPixabayからの画像

メッセージ

今日は、花の日子どもの日の礼拝です。例年、多くの教会では、6月の第二日曜日に、子どものための合同礼拝を行います。お家から様々な花を持ってきてもらい、子どもたちと一緒に、教会堂を綺麗に飾る。そして、集まったお花をみんなで束ねて、礼拝後、消防署や警察署、病院や高齢者施設へプレゼントしに持っていく。

 

そうやって、子どもたちに感謝の気持ちと奉仕の精神を学ぶよう、毎年機会が作られてきました。つまり、今日は子どもたちの成長を喜ぶ日であり、子どもたちに「神の民」「キリスト者」の生き方を大人が伝える日でもあります。ただ、残念ながら現在は、新型コロナウイルスの流行のため、教会に集まることが困難になりました。

 

華陽教会のように、在宅礼拝へ切り替えているため、子どもたちが集まれない教会もあれば、教会に集まっても、礼拝後に、施設や病院へお花を持って行けないところもあります。華陽教会と同じ敷地の芽含幼稚園も、2年続けて、子どもたちとお花を持って行くことができなくなりました。

 

また、感染症の流行に関係なく、もともと子どもが少ないため、子ども中心のプログラムを、もう何年もやっていない……という教会もあります。実を言うと、華陽教会も10時半からの礼拝に、子どもたちが集まることは難しいため、ここしばらく、合同礼拝もできていません。

 

幼児祝福式や献児式で、頭に手を置いて祝福を受ける子どもたちも、3年以上見ていません。華陽教会にとって、花の日子どもの日は、子ども中心のプログラムや、子どもと大人の合同礼拝を行う日……というより、受洗から10年20年の人や、長寿の人をお祝いして、花束のプレゼントを行う日……という意識の方が強いでしょう。

 

最近は、そういう教会が増えてきたかもしれません。そんな中、今日語られた聖書の言葉は、ますます、教会に来る子どもたちを遠ざけてしまいそうです。なにせ、教会に集まる人々へ、従順であること、不平や理屈を言わずに従うこと、とがめられないように生きることを、推し進めている言葉だから。

 

「お母さん、お父さんがいないときも、真面目にしてなさい」「文句を言わずに、ちゃんと言うことを聞きなさい」「叱られるようなことをしないで、素直になりなさい」……パウロがフィリピの教会へ語ったことを、大人から子どもへ語る言葉に変換すると、これがいかに、うるさい話か分かります。

 

「とがめられるところのない清い者」「非のうちどころのない神の子」として、私の教えを守りなさい……うんうん、分かった。今の私は、とがめられることばかりで、非のうちどころ満載の悪い子だから、「ちゃんとして」って言いたいんだね。でも、そんなこと言われても、私にできると思います? そんなすぐ、真面目に、立派になれると思います?

 

大人でも、自分に言われたらきつい言葉……もっと真面目に、もっと優しく、もっと丁寧に生きなさい……はいはい、分かってますよ。今日も私はできてません。言われたところで、明日も明後日もできないでしょう。「ちゃんとしなさい」って言いつつ、あなたも期待してないでしょう? 明日も私に「同じこと言わなきゃ」って思ってるでしょう?

 

そう、母親から、父親から、叱られない日が滅多に来ないあの子のように、私たち大人も、神様から叱られない、怒られない生き方なんて、そうそう簡単にできません。とがめられない、非のうちどころがない者なんて、字を見ただけで「あり得ない」と思います。今まで怒ってきたから知ってるでしょ? 叱ってきたから分かってるでしょ?

 

私から「とがめられるところ」「非のうちどころ」はなくせない、と……子どもたちが、大人に対して感じるように、大人たちも、自分を見ている神に対して「期待どおりになるなんて思ってないでしょ?」と感じています。実を言うと、今回「子ども祝福式」をするために、教団の式文を使おうとして、私も困ってしまいました。

 

神様へ感謝する祈りに、こんな言葉が出てくるからです。「(子どもたち)一人一人が、家族に愛され、周りの人たちに愛され、何よりも神さまに愛されてきたことを感謝いたします……*1」「神さまの子どもとして、日々の祈りと主の日の礼拝にはげみ、神さまの愛を多くの人に伝える者にしてください……*2

 

この祈りをそのまま使うことは、ちょっと難しい時代になりました。家族に愛されず、周りに助けられず、様々な問題を抱えて育った人たちが、私の知り合いにも存在します。子どもたちに、日々の祈りと主の日の礼拝にはげむよう求めながら、大人の集まる礼拝さえ、満足に開けていない現状があります。

 

これを見たとき、大人である自分たちこそ、非のうちどころがなくせない現実を思い出し、子どもたちへ、奉仕の精神・感謝の気持ちを教えられない……と思ってしまったんです。「神の民」「キリスト者」としての生き方を伝えられないと思ってしまった……子どもたちどころか、大人さえ、自分が神に受け入れられるか自信がない。

 

ところが、パウロがみんなに呼びかける言葉は、「ちゃんとしなさい」で終わりません。「これができるように」「あれができるように」という、うるさい小言で終わりません。彼は今、従順であること、素直であること、非のうちどころがないことを求めた相手に、「あなたも喜びなさい。わたしと一緒に喜びなさい」と訴えます。

 

フィリピの教会は、パウロがいない間、パウロに反対する人の教えに傾いて、彼の言うことをだんだんきかなくなった教会です。つまり、パウロから「喜びなさい」と言われるような、「一緒に喜ぼう」と言われるような、健全な有様じゃなかったんです。「反省するまでご飯なし」「ちゃんとするまで外出禁止」そうやって、釘を刺される方が自然でした。

 

とてもじゃないけど、そう簡単に非のうちどころをなくせるような教会じゃなかったんです。それなのに、パウロは「もう大丈夫」と言うかのように、非のうちどころが消えるかのように、「喜びなさい」「わたしと一緒に喜びなさい」と語ります。思い返せば、イエス様もそうでした。

 

自分の言うことを聞かない、理解しない、信じられない弟子たちに、「もう大丈夫」「あなたたちは私の望んだとおりになれる」と言うかのように、彼らを「世の光」「光の子」と呼びました。自分のもとへ連れてこられた、まだ何も知らない子どもたちを「神の国を受け入れた」「神の国に入る者」と呼びました。

 

そう、今日は子どもと大人が一緒になって、神様に祝福されたことを記念する日です。イエス様に招かれ、導かれ、まさに今、とがめられるところのない者に、非のうちどころのない神の子に、変えられていくことを、信じて受け入れる日です。

 

神様は、あなたが期待できなくなったこと、誰も信じてないことを、どこまでも期待して、実現させてしまいます。信じなかった弟子たちが信じる者となったように、ちゃんとできなかった教会が素直な群れになったように……だから、皆さんも、自分と関わりのある子どもたちに、神様の祝福を告げましょう。

 

神様は、私を祝福し、私を変えていくように、あなたのことも祝福し、あなたのことを成長させる。キリストが、私を信じて導くように、私も、あなたを信じて伝えます。神の国に入る者、神の子として歩みなさい。あなたは「闇に留まる子」「悪い子」なんかじゃありません。「光の子」として喜びなさい。私と一緒に喜びなさい。

 

讃美歌

讃美歌21の106番「み前に集まり」を歌います。讃美歌21をお持ちでない方は、そのままお聞きいただき、心で賛美を合わせましょう。(お立ちください)

 

とりなし

神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。

司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。
司会:世界の国民と政府のために祈ります。
会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。
司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。
会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。
司会:教会員のために祈ります。
会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

司会:一緒に礼拝できなかった人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、一緒に礼拝できない人たちを、あなたが癒し回復してください。
司会:身近な人のために祈ります。
会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。
司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。
会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。
司会:苦しんでいる人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。
司会:今も生きておられ、とりなしてくださる方、主イエス・キリストのお名前によって祈ります。
一同:アーメン。

 

主の祈り

共に、イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。

天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。

 

子ども祝福式

本日は、花の日こどもの日の礼拝ですが、感染症の流行により、教会に集まることができないため、牧師から、子どもたち一人一人に手をおいて、祝福を行うことができません。そこで、配信をご覧になっている各家庭の大人から、ご自分と関わりのある子どもたちに向けて、神様の祝福を一緒に告げていただければと思います。

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。マルコによる福音書10:13〜16(新共同訳より抜粋)

イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。

祈 祷

共に祈りを合わせましょう。

 

私たちに命を与えてくださる神様。今日まで、子どもたち一人一人の成長を導いてくださり、感謝致します。家族から、周りから、たくさんの愛を受けてきた子どもたちも、十分な愛を受けられなかった子どもたちも、あなたの祝福を待っています。

 

自分に自信が持てない子も、家族と上手くいかない子も、友達がなかなかできない子も、あなたは必要とされています。どうか今、悩んでいる子、苦しんでいる子に、あなたの助けがもたらされ、安心して眠り、十分に食べ、必要な教育を受けて、この世へと出ていけるよう、周りの大人を用いてください。

 

そして、子どもたちに、上手く接することができない人、思うように、愛を伝えられない人も、あなたの助けによって、新しい関係を築くことができますように。子どもたちに、新しい発見、新しい出会い、新しい変化がもたらされ、幸せな人生が送れますように。

 

一人一人を招かれる、主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

祝 福

どうぞ、配信を見ている方は、ご自分と関わりのある子どものために、神の祝福を宣言しましょう。ご家族や差し支えない相手であれば、頭や肩に手を置いて、祝福の言葉を告げましょう。

 

「神さまの祝福が豊かにありますように。父と子と聖霊の御名によって。アーメン*3

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。配信を見ておられる教会員の方は、郵送する献金袋に入れて、また後日来られたときにおささげください。

 

讃美歌

マスクをしたままで、オンライン賛美歌「あなたが共にいること」(©️柳本和良)を歌いましょう。(お立ちください)

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祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

派 遣

同様に、あなたがたも喜びなさい。わたしと一緒に喜びなさい。(フィリピの信徒への手紙2:18より)

祝 福

願わくは主があなた(がた)を祝福し、あなた(がた)を守られるように。願わくは主がみ顔をもって/あなた(がた)を照らし、あなた(がた)を恵まれるように。願わくは主がみ顔をあなたに向け、あなたに平安を賜るように。(民数記6:24〜26より)

 

報 告

本日も配信を通して、日曜礼拝にご参加くださり感謝致します。先週の在宅礼拝は、ライブ配信の奉仕者5名、同時に視聴された27名、計32名が参加されました。後から配信や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝いたします。

 

来週まで、配信等による在宅礼拝を行います。教会に集まる礼拝の再開は本日検討し、決定次第、教会員への連絡網とFacebook、ホームページ等でお知らせします。また日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。

*1:日本キリスト教団出版局『日本基督教団 式文(試用版II)』2009、2015年、188頁1〜2行より引用。

*2:日本キリスト教団出版局『日本基督教団 式文(試用版II)』2009、2015年、188頁5〜6行より引用。

*3:日本キリスト教団出版局『日本基督教団 式文(試用版II)』2009、2015年、189頁2〜3行より引用。