ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『そんな無茶な……』 出エジプト記6:2〜13

日曜礼拝2021年11月14日


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案 内

本日から、感染症対策のため、礼拝の中で四度、立ち上がって讃美歌を歌う間、会堂の窓を開放し、換気の時間を作ります。どうぞ、教会員の方は、窓の開閉にご協力ください。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、神の招きにあずかりましょう。

 

前 奏

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網掛け部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)

 

招 詞

また、私の名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。(マルコによる福音書13:13)

 

讃美歌

(会堂の窓を開放しましょう)マスクをしたままで、旧讃美歌508番「主よ、日に日に」を歌います。諸事情でマスクを外している方は歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。(お立ちください)

 

お祈り

(ご着席ください)共に祈りを合わせましょう。

 

◆命と希望をもたらす私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて日曜日の礼拝が始められたことを感謝致します。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。先週は召天者記念礼拝と希望者の納骨式を無事に行うことができ、感謝致します。どうか今、近隣から集まった人も、遠くから配信で参加した人も、死を超えて働きかける、あなたの希望を確かにすることができますように、導いてください。

◆私たちの神様。今週は、障がい者週間として、心や体に障害のある人を覚えます。どうか今、一人一人の生きにくさが、少しでも解消され、新しい喜びや楽しみを手に入れていくことができるよう、私たちみんなの理解と協力を促してください。

◆私たちの神様。今日は礼拝が終わった後、集まった一人一人に『葬儀の備え』を配ります。どうか今、これまでの人生を振り返り、自分の大切な人や隣人に向けて、神の愛を豊かに証しすることができるよう、この備えを用いてください。

◆私たちを支え、導き、送り出すイエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。出エジプト記6:2〜13(新共同訳より抜粋)

*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。

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交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編77:5〜16(新共同訳交読詩編より抜粋)

『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。

 

讃美歌

(会堂の窓を開放しましょう)マスクをしたままで、讃美歌21の312番「紅海を渡り」を歌います。(お立ちください)

 

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Simon BergerによるPixabayからの画像

メッセージ

華陽教会では、例年、11月の第二日曜日に「信徒立証礼拝」を行っています。今年度は奨励をお願いしている方が帰省するため、後日、話をしていただく予定ですが、これまでと同様、教会員一人一人に『葬儀の備え』を配布して、大切な人や隣人に、神様を信じたきっかけや、教会での思い出を通して、自らの証について向き合ってもらいます。

 

でも正直、証なんてしたくないと考える信徒がほとんどだと思います。人前で話すなんて嫌だ、自分が奨励をするなんてとんでもない! もっとちゃんと話せる人に、もっとまともな信仰を持つ人に、信仰の証を託してほしい! というか、自分の家族にさえ、信仰を共有することができないのに、みんなに信仰の話をするなんて、そんな無茶な……!

 

たぶん、こういう人が大半ですよね? 私も正直、自分自身の信仰について話すって、得意ではありません。牧師のくせに変ですが、大学で知り合った人や、新しくできた友人に、どうして神様を信じたのか、なぜ教会へ行っているのか、聖書からどんな励ましを受けてきたのか、自分から話すことは、なかなかできません。

 

もうちょっと上手く話せる人がいるはずだ、自分なんかの言葉じゃ伝わらない、引かれちゃったら心が折れる……それが正直な思いです。実際、信仰を共有したくて、一緒に神様を信じてほしくて、家族や友人にアプローチして、失敗した方々もいるでしょう。かえって、教会から遠ざけてしまった人もいるでしょう。私にもそんな経験があります。

 

ようするに、怖いんです。神様の話なんて、あんまりしたくないんです。自分が伝えようとしても、余計に神様を拒絶させてしまう……ほら、やっぱり自分じゃダメだった。悪い結果になってしまった。自分よりも話を聞いてもらえる誰かが、あの人のもとへ遣わされたらいい……何度、そう思ったことでしょう。

 

でも、神様って容赦ないんです。どう考えても「人選ミス」な私やあなたを、この方は遣わそうとするんです。かつて、エジプトのファラオのもとに遣わされたモーセとアロンも、神様の言うことを人々に話して、ほぼ全くと言っていいほど、受け入れてもらえませんでした。

 

2人は、エジプトの奴隷になっていたイスラエル人を解放するため、王と交渉するよう遣わされますが、その交渉は、かなりお粗末なものでした。王に向かって、真正面から、「神様が自分たちを去らせてほしいと言っているから、お願いします」と言うんです。「はい、そうですね」と返事が来るはずありません。当然、拒絶されてしまいます。

 

それどころか、2人はふざけていると思われて、ファラオの怒りを買い、かえって、イスラエル人の労働を重くさせてしまいます。民を助けるために遣わされたのに、民を苦しめてしまいました。大失敗です。今度は王だけでなく、重労働のため意欲を失った、イスラエルの人々からも拒絶され、話を聞いてもらえなくなります。

 

やっぱり、モーセとアロンには荷が重かったようです。この結果だけを見れば、他の人を遣わした方がマシだったかな? と思うでしょう。そもそも、モーセは自分を遣わすと言う神様に、最初からこう言っていました。「いやいや、私の言うことなんて、誰も聞きません」「口下手だし、誰か他の人を遣わしてください」「お願いですから、他の人を……」

 

でも、神様はそれを聞き入れず、「私があなたと一緒にいるから」と無理やり彼を送り出します。そりゃ、上手くいかないですよね。にもかかわらず、神様は再び、モーセを送り出そうとします。「エジプトの王ファラオのもとに行って、イスラエルの人々を国から去らせるように説得しなさい」

 

さすがに、モーセも言い返します。「御覧のとおり、イスラエルの人々でさえわたしに聞こうとしないのに、どうしてファラオが唇に割礼のないわたしの言うことを聞くでしょうか」……彼自身、自分の交渉が下手くそなことも、人々に信じられてないことも、身に沁みるほど分かっていました。こんな自分の言葉が誰に届くか、と。

 

ところが、神様はしつこく命令を繰り返します。「イスラエルの人々をエジプトの国から導き出せ」「王のもとに行って民を去らせるよう語りなさい」……状況を悪化させた者に、自分の民を苦しめた者に、こう言うんです。わたしの民が、あなたを信じていなくても、わたしは、あなたを信じている……神様は、自分が遣わす者にそう語られます。

 

この方は、自分のことを信じるよう私たちに促しますが、実は、私たちのことを誰よりも信じている方です。私が一緒にいれば、私の求めていることを、あなたは果たせる……あなたは私の命じたことをちゃんとできる……状況を悪化させ、取り返しのつかない事態になっても、この方は私たちを信じることをやめません。

 

最初に立てられた預言者モーセ、最初立てられた祭司アロン……2人は決して、上手く行っていた仲介者ではありません。むしろ、自分たちの行動が裏目に出た経験や、受け入れてもらえなかった、信じてもらえなかった経験の方が多い人です。何度も落ち込み、嫌になり、自分なんて捨ててくれ、殺してくれ、と嘆いたような人たちです。

 

でも、そんな無茶な……と思いながらも、神様の壮大な計画に遣わされたこの2人は、やがて、40年以上の月日をかけて、民を導き出すことに成功します。自分たちを拒絶したファラオの手から脱出し、自分たちの話を聞かなかった民を、神様の約束した地まで導き登ります。神様は、あなたに無理なことを、あなたに体験させてしまうんです。

 

かつて、家族へ自分の信仰を共有できなかった、一緒に神様を信じられなかった、私には信仰が継承できなかった……と思っていた人が、天へ召されました。その方の残した人生の証が葬儀で語られ、今まで教会から離れていた身内が、一度も一緒に来なかった人が、礼拝へ出てくるようになりました。

 

そして、数年後、数十年後に、洗礼を受けられた……そんな出来事を、多くの教会が、信仰の仲間たちが、体験しています。「私には信仰の話なんてできない」「私に神様は伝えられない」「もう神様も私を用いることはない」そう思っている方々に、私は言います。あなたはなお、神様に遣わされています。あなたの人生はなお、神様に用いられています。

 

この方のしつこい呼びかけを聞いてください。あなたへの信頼を怖がらずに見てください。モーセのもとへアロンが一緒に派遣されたように、あなたのもとへ私たちも一緒に派遣されました。この不器用な共同体を、今なお、神様が慈しみ、愛し続け、用い続けておられることを思い出してください。キリストの証人として、行きなさい。

 

讃美歌

(会堂の窓を開放しましょう)マスクをしたままで、オンライン賛美歌18番「あの方が独り子を」(©️柳本和良)を歌います。(お立ちください)

 

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使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり、かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体のよみがへり、永遠の生命を信ず。アーメン。(*着席のジェスチャー)

 

紹 介

(ご着席ください)本日も初めて来た方、久しぶりに来た方と、礼拝にあずかれたことを感謝致します。配信に乗らないように、ご了承いただけた方のみ、礼拝後に紹介します。今日初めて配信を見ている方にも、神様の祝福がありますように。

 

とりなし

神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。クリアファイルに挟まれた、とりなしの祈りをご覧ください。

 

司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

司会:世界の国民と政府のために祈ります。

会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。

会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

司会:教会員のために祈ります。

会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

 

司会:今日ここに出席できなかった人のために祈ります。

会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、ここに見えない人たちを、あなたが癒し回復してください。

司会:身近な人のために祈ります。

会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。

会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

司会:苦しんでいる人のために祈ります。

会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

司会:今も生きておられ、とりなしてくださる方、主イエス・キリストのお名前によって祈ります。

一同:アーメン。

 

主の祈り

(お立ちください)共に、イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。

天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。

 

聖 餐[1]

ただいまより、聖餐式を始めます。本日は、感染リスクを避けるため、一人一人ケースに入れたパンとぶどう液を一緒に配らせていただきます。

 

讃美歌

最初に、マスクをしたままで讃美歌21の81番「主の食卓を囲み」1節を歌いましょう。(*ご着席いただいたままで大丈夫です)

 

主の食卓への招き

兄弟姉妹、今から神の民の祝宴が開かれます。主は言われました。「やがて人々は東から西から、北から南から来て、神の国で共に食卓に着く」

 

また、食事の席で、主は約束されました。「前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは間もなく聖霊によるバプテスマを授けられる」

 

主は、弱っている者を励まし、閉じこもっている者を力づけ、ご自分が用意された祝宴にあずからせてくださいます。この方を信じ、その信仰を公に告白した方は、進んでこの食事にあずかりましょう。また、信仰を告白していない者、共に集った兄弟姉妹も、キリストのとりなしと祝福を受けましょう。

 

感謝と聖別の祈り

世界の創造者、また統治者である神よ、あなたはご自分にかたどって私たちを造り、あなたを愛し、あなたに仕え、全被造物と平和のうちに生きるために、この世界に住まわせられました。私たちがあなたに逆らい、信頼と服従を拒んだ時にも、あなたは私たちをお見捨てにならず、ご自分のものと呼んでくださいました。あなたは私たちを、ご自分の道に立ち返らせるため、御子イエス・キリストを世に遣わしてくださいました。

 

主イエスは、罪人と共に食事をし、その生き方を新たにし、信じない者を信じる者に、滅ぶべき者が永遠の命にあずかるために、十字架にかかってくださいました。そして、死という絶対的な隔たりを超えて、ご自分を見捨てた者たちに現れ、「あなたがたに平和があるように」と宣言してくださいました。

 

私たちの神よ、どうか、今ここにあるパンと杯を受け入れ、御言葉と聖霊によって、聖なるものとしてください。そして、これによって、御子イエス・キリストの尊い体と血にあずからせてください。これにあずかる者たちが、皆キリストの体と一つになり、永遠の命を受け継ぐことができますように。

 

陪 餐

ただいまより、パンとぶどう液を配ります。誰でも洗礼を受けて信仰を告白し、この食事にあずかることができます。洗礼式はキリスト者になるための式で、この聖餐式はキリスト者であり続けるための式です。ですから、この食事には洗礼を受け、信仰を告白してからあずかることをお勧めします。

 

まだ、洗礼を受けておらず、信仰を告白していない方は、恐れ入りますが、しばらくお待ちください。皆さんの信仰の自由と、その決断とを尊重させていただきます。なお、洗礼を受けて信仰を告白した方は、進んでこの聖餐にあずかり、パンと杯を受けない方へ、神様の祝福と平和を祈りましょう。(*配餐者は手指の消毒をしてパンと杯の入ったケースを配る)

 

(パンを手に取る)

これは、あなたがたのために与えられた主イエス・キリストの体です。あなたのために主が命を捨てられたことを覚え、感謝をもってこれを受け、御子イエス・キリストとの交わりにあずかりましょう。

 

パンを手にしている方は、パンを受け取っていない方へ、神様の祝福を祈りましょう。

 「あなたの手が、キリストの愛と平和で満たされますように」

 「アーメン」

食べなさない。あなたがキリストから受けて、あなたから分けられるように。

 

(杯を手に取る)

これは、あなたがたのために流された主イエス・キリストの血潮です。あなたのために主が血を流されたことを覚え、感謝をもってこれを受け、御子イエス・キリストとの交わりにあずかりましょう。

 

杯を手にしている方は、杯を受け取っていない方へ、神様の祝福を祈りましょう。

 「あなたの手が、キリストの愛と祝福で満たされますように」

 「アーメン」

飲みなさい。あなたがキリストから受けて、あなたから溢れ出るように。

 

陪餐後の感謝

共に、感謝の祈りをささげましょう。

 

愛と憐れみの主である全能の神よ、今日この場に、若者も年長者も、信仰を告白した者も告白していない者も、共にあなたが招いてくださったことを感謝致します。あなたは今、御子イエス・キリストの尊い体と血によって、私たちを養い、この食事を見ている全ての者を結び合わせてくださいました。

 

あなたはこれによって、私たちに対する愛と恵みを示し、私たちが御子の体の手足であること、御国を受け継ぐ者であることを確かにしてくださいました。今、イエス・キリストを通して、自分の体を生きた聖なる供え物として献げます。どうか聖霊を注いで、私たちをこの世に遣わし、あなたが求めていることを行わせてください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、(着席のまま)讃美歌81番の2節、3節を歌いましょう。

 

献 金

(ご着席ください)感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた献金封筒をお使いください。

 

献金の祈り(例)

愛と慈しみに満ちた私たちの神様。感謝と喜びをもって、ここに集めた献金と、私たちの生き方をおささげします。どうか、私たちの日々の生活によって、恵みの主である、あなたがあがめられますように。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

(会堂の窓を開放しましょう)マスクをしたままで、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」の2節を歌いましょう。

 

讃美歌

頌栄24番「たたえよ、主の民」を歌いましょう。

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

派 遣

今、行きなさい。わたしはあなたを遣わす。(『讃美歌21』93-6番①出エジプト記3:10より)

祝 福

神が私たちを憐れみ、祝福し/その顔を私たちに輝かせてくださいますように。地があなたの道を知り/すべての国があなたの救いを知るために。(詩編67:2〜3)

 

報 告

本日も教会に集まって、配信を通して、日曜礼拝にご参加くださり感謝致します。先週の日曜礼拝は、教会に集まった30名、同時に視聴された25名、計55名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

礼拝後、残ってお話される方は混雑を避けるため、ロビーではなく礼拝堂で、十分な間隔をとってお話しください。牧師も入り口ではなく礼拝堂にいるので、お話のある方はこちらでお願いします。また日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。

 

[1] 以下、「聖餐式」の式文は、日本基督教団信仰職制委員会 編『日本基督教団 式文(試用版Ⅰ)』日本キリスト教団出版局、2006、2010を参照し、大きく手を加えたものを載せています。