ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『あなたではなかったか?』 イザヤ書51:4〜11、マルコによる福音書13:24〜33

日曜礼拝2021年11月28日


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案 内

華陽教会では、感染症対策のため、礼拝の中で四度、立ち上がって讃美歌を歌う間、会堂の窓を開放し、換気の時間を作ります。どうぞ、教会員の方は、窓の開閉にご協力ください。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、神の招きにあずかりましょう。

 

前 奏

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)

 

招 詞

神は、わたしたちを怒りに定められたのではなく、わたしたちの主イエス・キリストによる救いにあずからせるように定められたのです。(テサロニケの信徒への手紙一5:9)

 

讃美歌

(会堂の窓を開放しましょう)マスクをしたままで、旧讃美歌508番「主よ、日に日に」を歌います。諸事情でマスクを外している方は歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。(お立ちください)

 

お祈り

(ご着席ください)共に祈りを合わせましょう。

 

◆世界を創造され、完成される神様。今日もまた、あなたによって守られて新しい朝を迎えることができ、感謝致します。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。今日は、アドヴェント第一週目の礼拝です。かつて、この世に来られた救い主イエス・キリストの誕生を、みんなで記念するために、クリスマスに向けて準備をします。どうか今、一人一人の心を開き、整えさせてください。

◆私たちの神様。キリストが再びこの世に来られ、世界が完成される日を、私たちは日々待ち望みます。そのことを特に覚えながら、クリスマスまで、残り4週間を過ごします。どうか今、救い主をお迎えするために、私たちに必要な心をもたらしてください。

◆私たちの神様。様々な準備ができない私たちを憐れんでください。何かに囚われ、時間を作れず、余裕が吹き飛んでいる人に、あなたの言葉をかけてください。どうか今、あなたのもたらす力と助けと励ましに、私の顔を向けさせてください。

◆一人一人を新しくする、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。イザヤ書51:4〜11、マルコによる福音書13:24〜33(新共同訳聖書より抜粋)

*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。

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交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編82:1〜8(新共同訳交読詩編より抜粋)

『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(ご着席のままで大丈夫です)

 

讃美歌

(会堂の窓を開放しましょう)マスクをしたままで、讃美歌21の230番「『起きよ』と呼ぶ声」を歌います。(お立ちください)

 

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PexelsによるPixabayからの画像

メッセージ

今日から、キリストの誕生を記念する準備期間「アドヴェント」に入ります。かつて、救い主の誕生を待ち望んでいた人々のように、私たちも、キリストの誕生をお祝いする日を待ちながら、クリスマスの準備をしていきます。同時に、アドヴェントの4週間は、神の子イエス・キリストが、再びこの世にやって来る日を、とりわけ、祈り求める期間です。

 

イエス様がこの世に来られたことを記念する「クリスマス」を待ち望みつつ、イエス様が再びこの世に来られる「再臨の日」を待ち望む……それが「待降節」と呼ばれる、クリスマス前の4週間「アドヴェント」の意味になります。例年、この時期には、イエス様が生まれる前後の話を教会ですることが多いですが、再臨についてはどうでしょう?

 

正直、「再臨」って聞いただけで、拒否反応が出てくる人もいるでしょう。なぜなら、キリスト教から派生した多くの破壊的カルトが、再臨の日を、特に強調するからです。聖書には、十字架にかかって死んだ後、復活して天に昇ったイエス様が、世の終わり、終末のときに再び訪れ、地上に神の国を到来させる、この世界を完成させると書かれています。

 

古い世界が滅ぼされ、新しい世界に変えられる。理不尽な権力や暴力による支配ではなく、慈しみ深い神の支配、平和な世界が完成する。その日のために、信仰を保ち、神の国へ受け入れてもらえるように、イエス様を迎える準備をしていこう……つまり、イエス様の再臨を願い求めるということは、この世界が一変する日を待ち望むということでもある。

 

辛くて苦しい世の中が終わって、新しい世界が来ることを私たちは求め続けています。旧約聖書にも、不義や不正、抑圧や貧困、暴力や戦争に苦しむ民が、新しい平和な世界を求めて、神様に訴えていたことが書かれています。「神よ、いつまでこの世界を放っておくんですか?」「いつになったら、救いは訪れるんですか?」と。

 

「世の終わり」「終末の日」を待ち望むと言ったら、ちょっとおどろおどろしいですが、皆さんも、「こんな世の中終わってほしい」「早く新しい世界になってほしい」と思ったことがあるでしょう。変わらない差別や抑圧、不正がまかり通る世界、あるいは、不況や貧困といった理不尽な世の中が終わりを迎え、思いやりに満ちた正しい世界が来てほしい。

 

私たちには、抜け出したい、解放されたい世界があります。「正しくない世界」が「正しい世界」になることを求めています。そして、自分自身が「正しい世界」に入れることを願います。ときに、そんな気持ちを利用して、仲間を集めたり、搾取したりする者も現れます。

 

「何年、何月、何日に、世界の終わりが訪れる」「選ばれた十数万の者だけが、新しい世界に迎えられる」……そう訴えて、献金させ、入会させ、奉仕をさせる団体や「終末のときは既に来ており、○○が再臨のキリストである」と主張して、信者をコントロールするところもあります。

 

繰り返し起こる地震や台風、終わらない紛争、戦争が始まりそうな緊張感、新型コロナウイルスをはじめとする世界的なパンデミック……こういった世の中を見ていると、確かに、聖書の中で、イエス様の言われている「終末」に訪れる苦難が、今起こっているかのように感じます。

 

「終末のしるし」「世の終わりが近い」……そんな主張も、あちこちで繰り返し為されてきました。極端なところは、「既にキリストは再臨している」「○○が再臨のキリストだ」と言い、「あと何日で世界は滅びる」「何日に全てが変わる」ということを主張しています。何世紀も前から、何度も語られては、混乱した被害者を生み出してきた主張です。

 

しかし、イエス様は、自分が再び訪れる日のことを「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである」と語っていました。神の子であるイエス様自身が、「神の子であるわたしも知らない」「父なる神以外、誰にも知らされてない」と念を押すように言っていました。

 

つまり、もしも今、「預言者」や「使徒」を名乗る者が現れて、終末の日を予告したとすれば、神の子自身が「誰も知らない」「誰も知らされてない」と言った日を、勝手に語ったことになります。たとえ、世の終わり、救い主が訪れる日を、誰かに予告されたとしても安易に信じ込まないでください。それは、神の言葉を無視した人間の主張です。

 

また、イエス様は、自分が訪れる前に、自分の偽物、「救い主」「メシア」を騙る者が、たくさん現れると警告していました。現在も、「再臨のキリスト」あるいは「キリストの生まれ変わり」を自称する人が世界中に存在します。ですが、イエス様が再び来られるときは、誰もがキリストの再臨と分かる形で、イエス様がやってきたと分かるように、来られます。みんなにキリストであることが分からなければ、それは、キリストを装う人間です。

 

にもかかわらず、多くの人が、偽のメシアや終末予言に騙されてきました。パターンを変え、何度も、何度も、「キリストが再臨した」「間もなく、世の終わりが来る」と訴えられてきました。それは、私たちの中に消えない問いがあるからです。「神よ、いつまでこの世界を放っておくんですか?」「いつになったら、救いは訪れるんですか?」

 

最初に読んだ、イザヤ書51章の言葉は、外国に母国を滅ぼされた人々が、長い間、捕囚の民として苦しんできた状況を反映しています。苦難の中にあっても、神はなかなか働いてくださらない。故郷へ帰ることが許されてからも、自分たちの住んでいた土地は荒れ果て、苦しい状況から抜け出せてはいませんでした。彼らも声をあげます。

 

「神よ、いつまでこの世界を放っておくんですか?」「いつになったら、救いは訪れるんですか?」……帰りたかった故郷は、なくなっているじゃないですか? 神殿は崩れ、家はなくなり、自分たちを迎えてくれる地元の人も姿を消した。もはや、私たちは何を待てばいいんですか? 何を待ち望んだらいいんですか?

 

もはや手遅れで、何を願っても意味がないように感じる人たちへ神様はこう答えます。「天が煙のように消え、地が衣のように朽ち/地に住む者もまた、ぶよのように死に果てても/わたしの救いはとこしえに続き/わたしの恵みの業が絶えることはない」……おそらく、これを聞いたとき、人々は意味が分からなかったでしょう。

 

もう故郷は死んだ。私たちの帰りたい、迎えられたい場所はなくなった。何年、何月、何日に、誰によって故郷へ入ることができるのか、長い間気になっていたのに、分からないまま、私たちの行く場所はなくなった……ところが、神様がこう語ったあと、故郷への帰還を許された人々は、再び帰って来た国で、新しいイスラエルを再建します。

 

崩れた神殿を建て直し、家を作り、途絶えていた礼拝を再開します。彼らがなくなったと思っていた故郷は、古い世界は、新しくなって、彼らを迎える国となります。もはや、訪れることはない、到来することはない、と思っていた救いは、確かに、彼らのもとへ訪れたんです。

 

苦しい状況から抜け出せない、望んでいる世界がやって来ない中、人々は神様に訴えてきました。混沌の世界に秩序をもたらし、この世界を造ったのは、あなたではなかったか? 奴隷だった私たちの先祖を、エジプトから解放されたのは、あなたではなかったか? 私たちに救いをもたらすと約束し、そのときが訪れる日を知っている唯一の存在は、あなたではなかったか?

 

私たちはいつ、この世界が新しくなるか、神の国が完成するかを知りません。イエス様が再び来られて、完成した神の国に迎えられる日を知りません。ですが、来ないと思っていた、訪れないと思っていた、期待しても意味がないと思っていた日は、確かにやって来るんです。信仰の先人たちも、その経験を告白しています。私たちの問いかけに、訴えに、神様は必ず答えてくださいます。共に、その日を待ち望みましょう。

 

讃美歌

(会堂の窓を開放しましょう)マスクをしたままで、オンライン賛美歌18番「あの方が独り子を」(©️柳本和良)を歌います。(お立ちください)

 

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使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり、かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体のよみがへり、永遠の生命を信ず。アーメン。(*着席のジェスチャー)

 

紹 介

(ご着席ください)本日も初めて来た方、久しぶりに来た方と、礼拝にあずかれたことを感謝致します。配信に乗らないように、ご了承いただけた方のみ、礼拝後に紹介します。今日初めて配信を見ている方にも、神様の祝福がありますように。

 

とりなし

神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。クリアファイルに挟まれた、とりなしの祈りをご覧ください。

 

司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

司会:世界の国民と政府のために祈ります。

会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。

会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

司会:教会員のために祈ります。

会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

司会:今日ここに出席できなかった人のために祈ります。

会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、ここに見えない人たちを、あなたが癒し回復してください。

司会:身近な人のために祈ります。

会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。

会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

司会:苦しんでいる人のために祈ります。

会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

司会:今も生きておられ、とりなしてくださる方、主イエス・キリストのお名前によって祈ります。

一同:アーメン。

 

主の祈り

(お立ちください)共に、イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。

天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。

 

献 金

(ご着席ください)感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた献金封筒をお使いください。

 

献金の祈り(例)

愛と慈しみに満ちた私たちの神様。感謝と喜びをもって、ここに集めた献金と、私たちの生き方をおささげします。どうか、私たちの日々の生活によって、恵みの主である、あなたがあがめられますように。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

(会堂の窓を開放しましょう)マスクをしたままで、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」の1節を歌いましょう。

 

讃美歌

頌栄24番「たたえよ、主の民」を歌いましょう。

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

ラハブを切り裂き、竜を貫いたのは/あなたではなかったか。海を、大いなる淵の水を、干上がらせ/深い海の底に道を開いて/贖われた人々を通らせたのは/あなたではなかったか。(イザヤ書51:9〜10より)

祝 福

見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守る。わたしは決して見捨てない。(『讃美歌21』93-7番⑥創世記28:15より)

 

報 告

本日も教会に集まって、配信を通して、日曜礼拝にご参加くださり感謝致します。先週の収穫感謝礼拝は、教会に集まった21名、同時に視聴された15名、計36名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

礼拝後、残ってお話される方は混雑を避けるため、ロビーではなく礼拝堂で、十分な間隔をとってお話しください。牧師も入り口ではなく礼拝堂にいるので、お話のある方はこちらでお願いします。また日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。