元旦礼拝 2022年1月1日
案 内
華陽教会では、感染症対策のため、礼拝の中で四度、立ち上がって讃美歌を歌う間、会堂の窓を開放し、換気の時間を作ります。どうぞ、教会員の方は、窓の開閉にご協力ください。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、神の招きにあずかりましょう。
前 奏
(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)
招 詞
初めからのことを思い出すな。昔のことを思いめぐらすな。見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている。(イザヤ書43:18〜19a)
讃美歌
(会堂の窓を開放しましょう)マスクをしたままで、旧讃美歌457「たのしきこえを」を歌います。諸事情でマスクを外している方は歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。(お立ちください)
お祈り
(ご着席ください)共に祈りを合わせましょう。
◆全てを新しくする、私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、新年最初の礼拝に集まれたことを感謝致します。どうか今、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人も祝福してください。
◆私たちの神様。去年一年間、最初から最後まで、私たちを守り、導いてくださったことを感謝致します。どうか今、去年のうちに解決できなかったこと、新しく出てきた課題に対し、真摯に取り組ませてください。
◆私たちの神様。あなたが与えてくださる新しい一年の始まりに感謝致します。どうか今、これまで導かれてきたように、この年もあなたに信頼し、喜びと希望を持って歩み続けることができるよう、送り出してください。
◆私たちの神様。暴力に、貧困に、病に、障害に、差別に苦しんでいる人たちを、あなたは見捨てられません。どうか今、孤独と無力と葛藤の中にいる人を励まし、助けと解放をもたらしてください。
◆私たちを支え、導き、送り出すイエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
聖 書
聖書の言葉を聞きましょう。創世記2:1〜3、ローマの信徒への手紙13:11〜14(新共同訳より抜粋)
*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。 |
交読文
詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編96:1〜13(新共同訳交読詩編より抜粋)
『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(ご着席のままで大丈夫です) |
讃美歌
(会堂の窓を開放しましょう)マスクをしたままで、讃美歌21の365番「古い年は行く」を歌います。(お立ちください)
メッセージ
皆さんは、今がどんな時であるかを知っているでしょうか? 2022年1月1日……新しい年が始まりました。当然、「どんな時か?」と聞かれれば、新年を迎えた一日目、この一年のスタートを切る、期待に満ち溢れた日です……いや、期待に満ち溢れているかは人によって違うかもしれません。
模試の結果に愕然となり、試験を目の前にして、期待が持てなくなった受験生。年内に面接を受けた全ての会社から、内定が出なかった就活生。入居要件を満たせず、特別養護老人ホームに入れなかった身内の家族。病気の治療が滞った人、怪我がなかなか癒えない人、障がいが悪化してきた人、仕事を失いそうな人……期待を持つのが難しい人たち。
新年の始まりだからと言って、誰もが、気持ちの良いスタートを切れるわけではありません。むしろ、全国的に新型コロナの変異ウイルスが再び拡大してきた今、私たちにあるのは「期待」というより「不安」です。また、去年のように病床が逼迫するかもしれない。また、店を閉めることになるかもしれない。また、集まれなくなるかもしれない。
今がどんな時か?……少なくとも、目の前に明るい未来が迫っているとは思えません。確実にコロナが収束するとも、望み通りの結果になるとも、今の苦しみから解放されるとも、簡単には思えません。もちろん、苦しみの中で、困難の中で、一緒に支え合って団結する仲間がいれば、解決を信じて、期待を持てるかもしれません。
しかし、同じ家族でも、直面した問題への向き合い方は、温度差があります。自分より先に不安から解放され、気持ちが離れる人もいます。こっちのしんどさを理解せず、無神経なアドバイスをする人もいます。かえって、仲間割れしたり、孤立したり、怒りに支配されることも、珍しくはありません。
そんなときに、空気を読まない聖書の言葉が私たちの耳に入ってきます。「あなたがたは今がどんな時であるかを知っています」「眠りから覚めるべき時が既に来ています」「救いは近づいている」……今年の初めに読むようにと定められた、聖書日課の言葉です。皮肉にも、私たちは、今がどんな時かを知りません。救いが近づいていると実感できません。
この文章を書いた「ローマの信徒への手紙」の著者は、いったい、どんな状況の人たちに、こんな言葉を送ったんでしょう? まだ、ユダヤ教徒からも、ローマ帝国からも、当分、収まることのない、迫害を受けていた初代教会の信徒たち……彼らは、宣教師パウロの手紙を受け取ったとき、期待に満ち溢れていたんでしょうか?
「この迫害をみんなで乗り切ろう」「この苦しみはもうじき終わる」「救いは近づいているんだ」と、互いに励まし合いながら、希望を持てていたんでしょうか? 実は、そんなことありませんでした。ローマの教会に限らず、初代教会の多くは、内輪で度々揉めていました。救いを信じて待つものの、その態度には、かなりの違いが見られました。
ある人々は、世の終わりが近いからと、仕事も家庭も蔑ろにして、熱狂的に祈りと賛美をささげていました。ある人々は、自分たちの伝統に固執して、新しい仲間にも、同じ生活を強要していました。ある人々は、自分は信仰を告白したから、もう救われているんだと、好き勝手過ごすようになっていました。それらの違いから、度々争いになりました。
神様の約束した救い、イエス様が再び来られる日を、信じて待ち望みつつも、心を一つにして、一致団結して、待つことはできませんでした。むしろ、外からの迫害に苦しみながら、内輪でもギクシャクしている状況に、期待が持てなくなっていました。こんなに距離のある仲間と、こんなに生き方の違う人と、どうして救いを待つことができるだろう?
マスク一つ、ワクチン一つでも、争いになる私たちに、感染症の収束を期待することはできるだろうか? 誰もが、困難な状況からの解放を願って待っているのに、その待ち方はこれだけ違う。相容れない態度が無数に存在する。一緒に期待することは本当にできるだろうか? 本当に期待していいんだろうか?
実は、パウロはこれらの状況を無視して、空気を読まずに手紙を送ったわけではありません。彼の手紙には、日常を蔑ろにする人、伝統に固執する人、好き勝手過ごす人への注意や警告と共に、生き方の違う人たちが、仲間として、互いに道を模索しながら、救いを期待して待てるよう、様々なとりなしが出てきます。
「信仰の弱い人を受け入れなさい。その考えを否定してはなりません」「食べる人は、食べない人を軽蔑してはならないし、また、食べない人は、食べる人を裁いてはなりません」「ある日を他の日よりも尊ぶ人もいれば、すべての日を同じように考える人もいます。それは、各自が自分の心の確信に基づいて決めるべきことです……」
足並みを揃えて、何かを期待すること、何かを待つことは、本当に難しいことです。しかし、キリスト教会はその始まりから、一緒に期待することが難しい人たちと、救いを信じて待ってきました。いつ終わるか分からなかった迫害は徐々に収まり、キリスト教は、ローマから世界に広がっていきました。
今、礼拝に参加している私たちも、いつ終わるか分からない、困難な状況に、一人一人直面しています。救いを信じて一緒に待つことが難しい人たちと、この日、この時を過ごしています。しかし、神様は私たちを結び合わせ、私たちの希望を燃え上がらせ、闇から光へと、一緒に歩んでくださいます。共に、新しい一歩を踏み出しましょう。
讃美歌
(会堂の窓を開放しましょう)マスクをしたままで、オンライン賛美歌6番「戻らない世界で」(©️柳本和良)を歌います。(お立ちください)
使徒信条
教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。(オンライン讃美歌の裏面をご覧ください)
我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり、かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体のよみがへり、永遠の生命を信ず。アーメン。(*着席のジェスチャー)
紹 介
(ご着席ください)本日も初めて来た方、久しぶりに来た方と、礼拝にあずかれたことを感謝致します。配信に乗らないように、新来者カードでご了承いただけた方のみ、礼拝後に紹介します。今日初めて配信を見ている方にも、神様の祝福がありますように。
とりなし
神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろから2ページ目をご覧ください。
司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。
司会:世界の国民と政府のために祈ります。
会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。
司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。
会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。
司会:教会員のために祈ります。
会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。
司会:今日ここに出席できなかった人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、ここに見えない人たちを、あなたが癒し回復してください。
司会:身近な人のために祈ります。
会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。
司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。
会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。
司会:苦しんでいる人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。
司会:今も生きておられ、とりなしてくださる方、主イエス・キリストのお名前によって祈ります。
一同:アーメン。
主の祈り
(お立ちください)共に、イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。(オンライン讃美歌の裏面をご覧ください)
天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。
愛 餐
本日は、元旦礼拝として、神の祝福を分かち合う愛餐式を行います。毎月、第一日曜日に行っている聖餐式は、信仰を告白した者が、信仰者であり続けるために行いますが、この愛餐式は、神の祝福を分かち合いたい誰もが受けられる食事です。
配信を見ながら礼拝をささげている方も、お家にあるパンと水を用意して、一緒にこの食事にあずかれます。用意するパンと水は特別なものではなく、普段の食卓に出てくるもので大丈夫です。共に今、神様が備えてくださった見えない食卓にあずかりましょう。
讃美歌
最初に、マスクをしたままで讃美歌21の81番「主の食卓を囲み」1節を歌いましょう。(ご着席いただいたままで大丈夫です)
食卓への招き
かつて、私たちの主イエス・キリストは、パンを求めて集まってきた群衆に言われました。「わたしは命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。わたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。(ヨハネ 6:35、57より)」
また、主は水を求めてやって来たサマリアの女性に言われました。「わたしが与える水を飲む者は、決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。(ヨハネ 4:14)」
主は、少年から受け取ったわずかなパンを祝福し、空腹だった5千人以上の人に分けられ、全ての者が食べて満腹になりました。この食卓は、キリストが神の国のしるしとしてなされた、あの「5千人の給食」のように、主の祝福による神の国のしるしです。
信仰を告白した人があずかる聖餐式ではありませんので、神の祝福を分かち合いたい方は誰でも、パンと水を手に取って、共に食事を味わいましょう。
感謝の祈り
感謝の祈りをささげます。
恵みと祝福の源なる私たちの神様、あなたは私たちに「命のパン」「命の水」をお与えになります。足りないものを満たし、欠けている力を養います。あなたは私たちを死の恐れから解放するため、御子イエス・キリストを遣わされ、貧しい者、嫌われ者、負い目のある者たちと、共に食事にあずかりました。
様々なやましさや後ろめたさがある人も、悩みや葛藤がある人も、疑い迷いがある人も、あなたは隔たりなく近づかれ、同じテーブルにつかれます。あなたが与えるパンと水は、信じない者を信じる者に、悲しむ者を喜ぶ者に、争う者をとりなす者に変えられます。どうか今、あなたから受けた恵みと祝福を、私たちも互いに分け合う者とならせてください。あなたの愛と平和が豊かに現されますように。アーメン。
分かち合い
共に、パンと水を分け合いましょう。普段、聖餐を受けられない人も、このパンと水は、信仰を「告白している」「していない」にかかわらず、一緒にいただくことができます。どうぞ、用意しているパンと水を手に取って、神の祝福にあずかりましょう。(*パンを配る)
主は言われます。「わたしの父が天からまことのパンをお与えになる。(ヨハネ6:32)」
私たちもいただいたパンを食べましょう。あなたの内側から、生きた力が溢れ出るように。
(*パンをいただく)
主は言われます。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。(ヨハネ7:37)」
私たちもいただいた水を飲みましょう。あなたの内側から、生きた水が流れ出るように。
(*水をいただく)
感謝の祈り
感謝の祈りをささげましょう。
愛と平和の源である私たちの神様、今ここで、あなたの祝福を分かち合う食事にあずかれたことを感謝致します。日々、あなたがもたらされる日用の糧も、心を養う御言葉の糧も、必要なとき、必要な仕方で備えられてきました。
足りない者には与える者が、失くした者には見つける者が、一人の者にはつながる者が与えられます。どうか今、私自身も、あなたからいただくつながり、発見、恵みの数々を、共に分け合う者として、送り出してください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
讃美歌
マスクをお付けいただき、讃美歌21の81番「主の食卓を囲み」2節、3節を歌いましょう。
献 金
感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた献金封筒をお使いください。
献金の祈り(例)
愛と慈しみに満ちた私たちの神様。感謝と喜びをもって、ここに集めた献金と、私たちの生き方をおささげします。どうか、私たちの日々の生活によって、恵みの主である、あなたがあがめられますように。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
讃美歌
(会堂の窓を開放しましょう)マスクをしたままで、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」の1節を歌いましょう。
讃美歌
オンライン賛美歌15番「わたしたちは旅人」を歌いましょう。
祝 福
共に、神様の祝福を受けましょう。
派 遣
平和のうちに、この世へと出て行きなさい。主なる神に仕え、隣人を愛し、主なる神を愛し、隣人に仕えなさい。(『讃美歌21』93-6 ⑥より)
祝 福
主がすべての災いを遠ざけて/あなたを見守り/あなたの魂を見守ってくださるように。あなたの出で立つのも帰るのも/主が見守ってくださるように。今も、そしてとこしえに。(詩編121:7〜8)
報 告
本日も教会に集まって、配信を通して、元旦礼拝にご参加くださり感謝致します。先週の日曜礼拝は、教会に集まった21名、同時に視聴された21名、計42名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝致します。
明日は、10時半から新年礼拝を行います。また、来週の聖書研究祈祷会は、牧師休暇のためお休みです。次回の聖書研究祈祷会は、1月12日水曜日の13時半から予定しています。新しい年も、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。