日曜礼拝 2022年1月2日
案 内
華陽教会では、感染症対策のため、礼拝の中で四度、立ち上がって讃美歌を歌う間、会堂の窓を開放し、換気の時間を作ります。どうぞ、教会員の方は、窓の開閉にご協力ください。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、神の招きにあずかりましょう。
前 奏
(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)
招 詞
主はこう言われる。わたしは再びシオンに来て/エルサレムの真ん中に住まう。エルサレムは信頼に値する都と呼ばれ/万軍の主の山は聖なる山と呼ばれる。(ゼカリヤ書8:3)
讃美歌
(会堂の窓を開放しましょう)マスクをしたままで、旧讃美歌457番「たのしきこえを」を歌います。諸事情でマスクを外している方は歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。(お立ちください)
お祈り
(ご着席ください)共に祈りを合わせましょう。
◆全ての関係を新たにされる、私たちの神様。新年最初の日曜日をみんなで迎えることができ、感謝致します。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。
◆私たちの神様。クリスマスの喜びの中で、新しい年を迎えました。この一年、どんなことが待っているのか分かりませんが、あなたが一緒に居てくださいます。どうか今、私たちも、痛みや不安や悲しみを、恵みや希望や喜びを、互いに分かち合えますように。
◆私たちの神様。今この時、病に伏せ、怪我に呻き、障害に苦しんでいる人を、あなたが癒し、回復してください。頼れる者、支える者が広がって、痛みを和らげることができるように、助けてください。どうか今、必要なとき、必要な力をもたらしてください。
◆私たちの神様。この一年も、この場所で行われる礼拝を、それぞれの場所で祈る者を、あなたを思い起こす時を、導いてください。どうか今、視界を広げ、扉を開き、あなたと新しく出会えるように、私たちの道を切り開いてください。
◆私たちを支え、導き、送り出すイエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
聖 書
聖書の言葉を聞きましょう。ルカによる福音書2:41〜52(新共同訳より抜粋)
*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。 |
交読文
詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編89:2〜15(新共同訳交読詩編より抜粋)
『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(ご着席のままで大丈夫です) |
讃美歌
(会堂の窓を開放しましょう)マスクをしたままで、讃美歌21の280番「馬槽のなかに」を歌います。(お立ちください)
メッセージ
新年早々、親に怒られてしまった子ども、子どもを叱ってしまった親が、きっと、この礼拝に出ている方、配信を見ている方の中にも居られるでしょう。今年こそは失敗しないように、優しくいられるように、がんばろうと思っていたのに、さっそく、スタートの時点でつまずいてしまった……ちょっと憂鬱な気持ちになりますよね?
ああ、結局今年も、去年と同様、失敗続きの一年になるかもしれない。成長できない自分、変われない自分のままかもしれない。お節が並び、年明けの番組がテレビから流れる食卓で、心がソワソワしてしまう。新年最初の日曜礼拝に出る今日も「おめでとう」という気持ちより、「やってしまった……」という気持ちでいっぱいになる。
奇しくも、本日読むよう定められた聖書箇所には、そんな私たちと似たような「やってしまった」家族の姿が描かれていました。意外なことに、その家族とは、神の子である救い主、イエス・キリストの家族です。マリアとヨセフの間に生まれたイエス様は、ヘロデに命を狙われながらも、無事に逃げ延びて、少年に成長していました。
毎年、多くの人々が初詣へ行くように、イスラエルの人々も、過越祭の時期になると、エルサレムの神殿を目指して旅をしました。かつて、奴隷にされていたイスラエル人が、神様に導かれ、エジプトから脱出したことを記念するお祝いの祭りです。正月に、家族や友人が集まって、お寺や神社へ行くように、エルサレムへ行く人々の群れも賑わいます。
帰り道、懐かしい友人に会ったり、しばらく顔を見てなかった親戚と会ったり、道連れになった人と話が盛り上がることも珍しくなかったでしょう。男の子は13歳になると、神殿へ参拝することが当然の社会だったので、イエス様と歳の近い子どもたちも集まってきたかもしれません。
子どもたちは子どもたちで固まって、一緒について来ていると思い、つい、大人たちで話に花を咲かせていたら、自分の子どもだけいなくなっていた……という、ありがちですが、悪夢のような出来事が起こってしまいます。しかも、数分から数時間探したところではぐれたイエス様は見つかりません。
なんと、イエス様は帰り道のスタート地点、エルサレムの神殿に、まだ残っていたからです。少年と両親の間には、歩いて一日分の距離ができていました。そんなに離れるまで気づかないなんて、ちょっと異様に感じます。親として、どうなんだろう?……と感じられるかもしれませんが、イエス様自身も、中学生かその手前くらいの年齢です。
親から離れすぎたらいけないこと、追いつかなければいけないことは、十分理解できますし、「迷子になって当然」という歳でもありませんでした。もう、物事の良し悪しを判断し、自分で行動できる少年です。実際、神殿の境内で学者たちと話をしていたイエス様は、その賢い受け答えで、聞いている人たちを驚かせていました。
一日分の道のりを先に行ってしまった両親もやらかしましたが、一人勝手に神殿へ残った少年イエスもやらかしました。どちらも、責任を問われる事態です。心配したマリアとヨセフは、半分、自分たちを責めながらも、イエス様を叱ります。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです」
当然ですよね? イエス様を探している間、2人の頭によぎったのは、自分たちの子どもの「死」です。生まれて間もなく、ヘロデ王に命を狙われ、エジプトまで避難して何とか助かることができたのに、自分たちが見てない間に、少年イエスは消えてしまった。誰かに襲われたのかもしれない、攫われたかもしれない、既に死んでしまったかもしれない。
どこにいるのか分からない、どんなに捜しても見つからない……これほど不安なことはありません。2人が息子を見つけるのは、いなくなったことに気づいてから3日目です。その間、頭の中は「死」という文字でいっぱいだったでしょう。息子はもうこの世にいないんじゃないか? どこにもいないんじゃないか? 戻ってこないんじゃないか?
心配した両親に対して、イエス様の答えた返事は、何とも腹の立つものです。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」……知るわけがないですよね? 捜さないわけがありません。神殿にいるなら、最初からそう伝えといてほしい。
予想外の返答に、イエス様を叱った両親も、意味が分からず、とりあえず3人で家へ帰ります。わけわからない屁理屈で、2人に反抗したのかと思えば、そうでもないみたいです。イエス様はこの後、「両親に仕えてお暮らしになった」と書かれています。少年時代の突拍子もない行動は、この出来事しか出てきません。
母マリアは、意味の分からなかったこの出来事を全て心に納めていました。普通なら、この出来事は単なる悪夢に過ぎません。ヒヤッとした、二度と経験したくない思い出に過ぎません。ところが、これら全ての出来事を心に納めた母マリアに、イエス様は大切なことを伝えようとしていました。それは、両親が再び、自分を見失ったときのためです。
イエス様が留まったエルサレムという町は、後に、イエス様が捕われて、裁判にかけられ、処刑される場所でもありました。過越祭という時期も、後に、イエス様が殺されるのと同じ時期でした。両親がイエス様を見失ってから3日後にようやく見つけたように、十数年後、イエス様は死んでから3日目に甦り、人々の前に姿を見せます。
イエス様が十字架にかかって死んだとき、マリアをはじめ、人々の頭の中は「死」でいっぱいでした。イエス様の遺体が墓の中から消えたときも、色んな人が遺体を捜し回りますが、どこにいるのか分かりませんでした。ただ、空っぽになった墓の中で、突如現れた天の使いに、こう言われるだけです。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか」
そう、少年イエスが両親の前から姿を消し、捜し回っても見つけられず、3日目に再会したことは、後に、亡くなったイエス様の遺体を捜し、見つけられずにいた人々が、3日目に、復活したイエス様と再会する出来事を暗示しています。「やらかした」「やってしまった」家族の出来事は、つまずいて終わりの出来事ではありませんでした。
見つからないときも、イエス様はそばにいる。死者の中ではなく、私たちの間で生きている。私たちが項垂れるとき、終わりではなく、始まりがもたらされている……そのことを繰り返し思い起こすための出来事となりました。今、皆さんの間でも、つまずく出来事が、既に起きているとしたら、「やってしまった」一年が始まったなら、イエス様との歩みも始まっています。今、あなたに芽生えている恵みが、豊かに実りますように。
讃美歌
(会堂の窓を開放しましょう)マスクをしたままで、オンライン賛美歌6番「戻らないせかいで」(©︎柳本和良)を歌います。(お立ちください)
使徒信条
教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。(オンライン讃美歌の裏面をご覧ください)
我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり、かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体のよみがへり、永遠の生命を信ず。アーメン。(*着席のジェスチャー)
紹 介
(ご着席ください)本日も初めて来た方、久しぶりに来た方と、礼拝にあずかれたことを感謝致します。配信に乗らないように、新来者カードでご了承いただけた方のみ、礼拝後に紹介します。今日初めて配信を見ている方にも、神様の祝福がありますように。
とりなし
神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろから2ページ目をご覧ください。
司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。
司会:世界の国民と政府のために祈ります。
会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。
司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。
会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。
司会:教会員のために祈ります。
会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。
司会:今日ここに出席できなかった人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、ここに見えない人たちを、あなたが癒し回復してください。
司会:身近な人のために祈ります。
会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。
司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。
会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。
司会:苦しんでいる人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。
司会:今も生きておられ、とりなしてくださる方、主イエス・キリストのお名前によって祈ります。
一同:アーメン。
主の祈り
(お立ちください)共に、イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。(オンライン讃美歌の裏面をご覧ください)
天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。
聖 餐[1]
ただいまより、聖餐式を始めます。本日は、感染リスクを避けるため、一人一人ケースに入れたパンとぶどう液を一緒に配らせていただきます。
讃美歌
最初に、マスクをしたままで讃美歌21の81番「主の食卓を囲み」1節を歌いましょう。(*ご着席いただいたままで大丈夫です)
主の食卓への招き
兄弟姉妹、今から神の民の祝宴が開かれます。主は言われました。「やがて人々は東から西から、北から南から来て、神の国で共に食卓に着く。」
また、主は閉じこもっている者にも言われました。「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。」
主は、貧しい者、嫌われ者、負い目のある者をも招かれて、ご自分が用意された祝宴にあずからせてくださいます。この方を信じ、その信仰を公に告白した方は、進んでこの食事にあずかりましょう。また、信仰を告白していない者、共に集った兄弟姉妹も、キリストのとりなしと祝福を受けましょう。
感謝と聖別の祈り
世界の創造者、また統治者である神よ、あなたはご自分にかたどって私たちを造り、あなたを愛し、あなたに仕え、全被造物と平和のうちに生きるために、この世界に住まわせられました。私たちがあなたに逆らい、信頼と服従を拒んだ時にも、あなたは私たちをお見捨てにならず、ご自分のものと呼んでくださいました。あなたは私たちを、ご自分の道に立ち返らせるため、御子イエス・キリストを世に遣わしてくださいました。
主イエスは、罪人と共に食事をし、その生き方を新たにし、信じない者を信じる者に、滅ぶべき者が永遠の命にあずかるために、十字架にかかってくださいました。そして、死という絶対的な隔たりを超えて、ご自分を見捨てた者たちに現れ、「あなたがたに平和があるように」と宣言してくださいました。
私たちの神よ、どうか、今ここにあるパンと杯を受け入れ、御言葉と聖霊によって、聖なるものとしてください。そして、これによって、御子イエス・キリストの尊い体と血にあずからせてください。これにあずかる者たちが、皆キリストの体と一つになり、永遠の命を受け継ぐことができますように。
陪 餐
ただいまより、パンとぶどう液を配ります。誰でも洗礼を受けて信仰を告白し、この食事にあずかることができます。洗礼式はキリスト者になるための式で、この聖餐式はキリスト者であり続けるための式です。ですから、この食事には洗礼を受け、信仰を告白してからあずかることをお勧めします。
まだ、洗礼を受けておらず、信仰を告白していない方は、恐れ入りますが、しばらくお待ちください。皆さんの信仰の自由と、その決断とを尊重させていただきます。なお、洗礼を受けて信仰を告白した方は、進んでこの聖餐にあずかり、パンと杯を受けない方へ、神様の祝福と平和を祈りましょう。(*配餐者は手指の消毒をしてパンと杯の入ったケースを配る)
お手元のオンライン賛美歌の裏面をご覧ください。パンと杯を共に受けつつ、この場にいる人のために、神の祝福を祈りましょう。
(パンを手に取る)
これは、あなたがたのために与えられた主イエス・キリストの体です。あなたのために主が命を捨てられたことを覚え、感謝をもってこれを受け、御子イエス・キリストとの交わりにあずかりましょう。
パンを手にしている方は、パンを受け取っていない方へ、神様の祝福を祈りましょう。
「あなたの手が、キリストの愛と平和で満たされますように」
「アーメン」
食べなさない。あなたがキリストから受けて、あなたから分けられるように。
(杯を手に取る)
これは、あなたがたのために流された主イエス・キリストの血潮です。あなたのために主が血を流されたことを覚え、感謝をもってこれを受け、御子イエス・キリストとの交わりにあずかりましょう。
杯を手にしている方は、杯を受け取っていない方へ、神様の祝福を祈りましょう。
「あなたの手が、キリストの愛と祝福で満たされますように」
「アーメン」
飲みなさい。あなたがキリストから受けて、あなたから溢れ出るように。
陪餐後の感謝
共に、感謝の祈りをささげましょう。
愛と憐れみの主である全能の神よ、今日この場に、若者も年長者も、信仰を告白した者も告白していない者も、共にあなたが招いてくださったことを感謝致します。あなたは今、御子イエス・キリストの尊い体と血によって、私たちを養い、この食事を見ている全ての者を結び合わせてくださいました。
あなたはこれによって、私たちに対する愛と恵みを示し、私たちが御子の体の手足であること、御国を受け継ぐ者であることを確かにしてくださいました。今、イエス・キリストを通して、自分の体を生きた聖なる供え物として献げます。どうか聖霊を注いで、私たちをこの世に遣わし、あなたが求めていることを行わせてください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
讃美歌
マスクをお付けいただき、(着席のまま)讃美歌81番の2節、3節を歌いましょう。
献 金
感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた献金封筒をお使いください。
献金の祈り(例)
変化と回復をもたらす私たちの神様、あなたから受ける言葉によって、私たちは新しく生かされます。今から後、私自身の生き方が変えられていくしるしとして、ここにささげた供え物を受け入れてください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
讃美歌
(会堂の窓を開放しましょう)マスクをしたままで、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」の2節を歌いましょう。
讃美歌
頌栄29番「天のみ民も」を歌いましょう。
祝 福
共に、神様の祝福を受けましょう。
派 遣
平和のうちに、この世へと出て行きなさい。主なる神に仕え、隣人を愛し、主なる神を愛し、隣人に仕えなさい。(『讃美歌21』93-6 ⑥より)
祝 福
主がすべての災いを遠ざけて/あなたを見守り/あなたの魂を見守ってくださるように。あなたの出で立つのも帰るのも/主が見守ってくださるように。今も、そしてとこしえに。(詩編121:7〜8)
報 告
本日も教会に集まって、配信を通して、日曜礼拝にご参加くださり感謝致します。昨日の元旦礼拝は、教会に集まった11名、同時に視聴された16名、計27名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝致します。
今週の聖書研究祈祷会は、牧師休暇のためお休みです。次回の聖書研究祈祷会は、1月12日水曜日の13時半から予定しています。また日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。
[1] 以下、「聖餐式」の式文は、日本基督教団信仰職制委員会 編『日本基督教団 式文(試用版Ⅰ)』日本キリスト教団出版局、2006、2010を参照し、大きく手を加えたものを載せています。