日曜礼拝 2023年7月2日
説 明
教会にお集まりの皆さん、おはようございます。オンラインで配信を見ている方も、おはようございます。まもなく、10:30から礼拝が始まります。礼拝の最中は、携帯をマナーモードにしていただき、後から来た人も座れるように、席の譲り合いをお願いします。
礼拝の中で、立ち上がって賛美歌を歌うところや、立ち上がって祈りを合わせるところもありますが、体が不自由な方や疲れている方は座ったままで大丈夫です。賛美歌、聖書、交読文は、備え付けの籠からお使いください。それでは、もうしばらくお待ちください。
案 内
華陽教会では、賛美中のマスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、日曜日の礼拝も配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、神の招きにあずかりましょう。
前 奏
(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)
招 詞
それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」(ルカによる福音書17:19)
讃美歌
マスクをお付けいただき、讃美歌Ⅱ編の154番「あめつち造りし」を歌います。諸事情でマスクを着用できない方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。差し支えない方は、お立ちください。
お祈り
ご着席ください。共に祈りを合わせましょう。
◆信仰と希望をもたらす私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、日曜日の礼拝を始めることができ感謝いたします。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。
◆私たちの神様。7月に入って「岐阜地区を覚える月間」を迎えました。田瀬、付知、坂下、蘇原、中濃、飛騨高山、各務原の教会と、華陽教会の歩みを導き、地域の人々と広く深く結びつけてください。どうか今、互いに助け合う関係を豊かにしてください。
◆私たちの神様。済美高校や中部学院大学、光の子保育園や芽含幼稚園など、岐阜にあるキリスト教主義の保育、教育機関に、あなたの慈しみがありますように。どうか今、各保育園、幼稚園、高校、大学の歩みと運営が守られますように。
◆私たちの神様。今日は、信仰者が信仰者であり続けるための式「聖餐式」を行います。どうか今、キリストの十字架と復活を思い起こし、励ましと慰めを豊かに受けて、新しくあなたの証し人となれるように、私たちにパンと杯を手渡してください。
◆一人一人を押し出される、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
聖 書
聖書の言葉を聞きましょう。使徒言行録11:1〜18(新共同訳より抜粋)
*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。交読詩編も同様に後からカットしています。 |
交読文
詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編22:25〜32(新共同訳交読詩編より抜粋)
『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。ご着席のままで大丈夫です。 |
讃美歌
マスクをお付けいただき、讃美歌21の544番「イェスさまが教会を」を歌いましょう。差し支えない方は、お立ちください。
メッセージ
「あなたは割礼を受けていない者たちのところへ行き、一緒に食事をした」そう言ってペトロを非難する人々の態度は、あからさまな人種差別や民族差別に思えます。割礼とは男性の包皮の一部を切り取る儀式で、ユダヤ人なら生まれて間もなく、親から施されるものでした。
つまり、割礼を受けているかどうかは“ユダヤ人かどうか”を意味することになり、「割礼を受けていない者」というのは、非ユダヤ人である異邦人のことを指しています。ようするに、ペトロはユダヤ人以外の者と、一緒に食事をしたことが責められたわけです。外国人の家で、一緒に食事をするなんて、あり得ない!……というふうに。
それは「割礼を受けている者」たちからの非難でした。エルサレムにいる信徒のほとんどは、割礼を受けています。非難したのが誰であったか、具体的に書かれてはいませんがおそらく、エルサレムでペトロを迎えた使徒たちと、ユダヤにいる兄弟たち、イエス様が天に昇って居なくなる前から、共に行動してきた弟子たちも含まれていると思います。
あなたは異邦人のところへ行って一緒に食事をしたのか? 外国人の家へ入って、同じ食卓についたのか? そのように非難した者の中に、イエス様から聖霊を受けた、他の使徒たちや弟子たちも混じっていたと考えるのは、抵抗があるかもしれません。そんな民族主義的発言を、差別的な言動を、イエス様の選んだ人たちがするなんて……と。
けれども、ここで責められているペトロ自身、異邦人を家に迎えたり、彼らの家へ行くことを、ためらってきた人間でした。もともと、割礼を受けていない者と食事をするのは気の進まない人間でした。在日朝鮮人の人、被差別部落出身の人、セクシャルマイノリティーの人と、食事なんてしたくない……という人のように、ペトロも差別をしていました。
彼は、潔く正直に、神が清めた物を清くないと言い、3度も拒んでしまったことを告白します。もともと、ユダヤ人が異邦人との接触を嫌うのは、神でないものを神とする、異教の習慣が持ち込まれないよう、掟で定められていたからで、ペトロも「神様がそう教えているから、異邦人とは関わらない」「汚れを持ち込まないためだ」と思っていました。
しかし、神様から直接、「わたしが清めた」と言われても、「清くないなどと言ってはならない」と注意されても、なかなか受け入れられない自分がいたことを、ペトロは正直に白状しています。結局私は、神の教えかどうかではなく、神が命じたかどうかではなく、自分の偏見や嫌悪感に従って、異邦人の扱いを決めていたんだと明かします。
衝撃的な告白です。天から聖霊を受けた使徒の一人が、弟子たちの中心的存在であったあのペトロが、神から直接幻を見せられ、声をかけられたにもかかわらず、神が清めた物を「汚れている」と言い、3度も拒絶し、幻が消えるまで受け入れられなかったんです。イエス様を3度知らないと言ってしまった過去の失敗が、再び思い出されます。
けれども、神様はそんなペトロに、幻を見せ終わったあとも、カイサリアから異邦人を遣わし、彼らを迎え入れるよう、彼らと一緒に出かけていくよう命じます。「ためらわないで、一緒に行きなさい」……あなたが避けてきた彼らを受け入れることは、私を受け入れることだと、根気よく語り続けます。
神様から、そのように促されてきたペトロは、今まで拒んでいた異邦人の家に入り、一緒に食事をして、彼らと話し出した瞬間、不思議な光景を目にします。それは、自分たちがペンテコステの日に、約束された聖霊を受け、炎のような舌が一人一人の上に留まったときのように、彼ら異邦人の上にも、聖霊が降ってきたことです。
ユダヤ人である自分たちと同じように、異邦人である彼らも、イエス様の弟子として、良い知らせを伝える者として、神様に送り出され、受け入れられている。そのことを目の当たりにするんです。異邦人に関わることは、神の掟で禁じられ、汚れることとされている……もはや、そう言い続けることはできません。
「こうして、主イエス・キリストを信じるようになったわたしたちに与えてくださったのと同じ賜物を、神が彼らにもお与えになったのなら、わたしのような者が、神がそうなさるのをどうして妨げることができたでしょうか」……ペトロの言葉を聞いて、今まで非難していた人たちは静かになりました。
神様が、異邦人に信仰を与え、聖霊を送ってくださったと聞いても、なお、彼らを受け入れられないのは、結局自分たちも、神の教えではなく、自分の嫌悪感に従って、異邦人の扱いを決めていたからだと分かったためです。それは、とてもショックなことでした。ペトロを非難していたことが恥ずかしくなりました。どうしたらいいか分かりません。
けれども、誰かが思い切って口を開きます。「それでは、神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えてくださったのだ」……気まずい沈黙から、一人、二人と、その声に賛同し、神を賛美する声が重なっていきます。異邦人と関わることを非難していた自分から、異邦人を仲間に迎え、歓迎する自分へと、新しく変わろうとする、第一声がもたらされます。
もともとみんな、ためらっていました。教会であっても、信仰者であっても、聖霊を受けた使徒であっても、積み重ねられた差別や偏見から、常に自由でいたわけではありません。それらに囚われ、神様が仲間にした人たちを、受け入れられなかった経験が、正直に告白されています。
来週、7月の第二日曜日は、「部落解放祈りの日」として定められている聖日です。私たち日本の教会も、部落出身の人やハンセン病にかかった人へ、度々、差別的な扱いをしてきました。今でも、LGBTQの人や海外から来られた人に、偏見に満ちた、誤った言動をしてしまうことがあります。
けれども、教会は、そのような自分たちの姿を、聖霊によって気づかされ、正直に告白し、新しく変えられていく共同体です。拒んでしまった人と和解し、神の民として、一緒に歩み始める共同体です。今までも、これからも、私たちが、神様の思いから離れてしまうとき、その姿に気づかせ、悟らせ、立ち帰らせてくださる神の霊がついています。
だから、心騒ぎ、不安になる夜は、これから私たちに起きることを思い出しましょう。受け入れられなかったものを受け入れるまで、変われなかったものが変われるまで、神様は付き合い続けて来られました。罪人が罪人のまま、正しくない者が正しくないままにはされませんでした。
どんなに傷つき、悲しみ、憤ることがあっても、神様は私たちを見捨てませんでした。私たちが、新しく変わっていくことを信じて、それを実現してきました。たとえ今、自分が間違っているかどうか、どのように変わるべきか分からなくても、神様は、あなたの道を整え、新しく送り出してくださいます。
そのしるしとして、私たちは今日も、主の食卓を囲み、聖餐式を行います。どうか今、私たちの間に、この世界の間に、神様とイエス様から送られてくる聖霊が、豊かに注がれ、変化と回復をもたらしてくださいますように。全ての者を悔い改めさせ、和解をもたらし、命を与えてくださる神に、世々限りなく、栄光がありますように。アーメン。
讃美歌
マスクをお付けいただき、オンライン賛美歌21番「心騒ぎ不安になる夜に」(©︎柳本和良)を歌います。差し支えない方は、お立ちください。
使徒信条
教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の2頁をご覧ください。
紹 介
本日も、初めて礼拝に来られた方、初めて配信を見られた方、久しぶりに参加された方と一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。
とりなし
共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろの方の1頁をご覧ください。
司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。
司会:世界の国民と政府のために祈ります。
会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。
司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。
会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。
司会:教会員のために祈ります。
会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。
司会:今日ここに出席できなかった人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、ここに見えない人たちを、あなたが癒し回復してください。
司会:身近な人のために祈ります。
会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。
司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。
会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。
司会:苦しんでいる人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。
司会:今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。
一同:アーメン。
主の祈り
イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。オンライン讃美歌の後ろの方の4頁をご覧ください。差し支えない方は、お立ちください。
聖 餐[1]
御着席ください。ただいまより、聖餐式を始めます。本日は、感染リスクを避けるため、一人一人ケースに入れたパンとぶどう液を一緒に配らせていただきます。
讃美歌
最初に、マスクをしたままで讃美歌21の81番「主の食卓を囲み」1節を歌いましょう。(*ご着席いただいたままで大丈夫です)
主の食卓への招き
兄弟姉妹、今から神の民の祝宴が開かれます。主は言われました。「やがて人々は東から西から、北から南から来て、神の国で共に食卓に着く」
また、食事の席で、主は約束されました。「前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは間もなく聖霊によるバプテスマを授けられる」
主は、弱っている者を励まし、閉じこもっている者を力づけ、ご自分が用意された祝宴にあずからせてくださいます。この方を信じ、その信仰を公に告白した方は、進んでこの食事にあずかりましょう。また、信仰を告白していない者、共に集った兄弟姉妹も、キリストのとりなしと祝福を受けましょう。
感謝と聖別の祈り
世界の創造者、また統治者である神よ、あなたはご自分にかたどって私たちを造り、あなたを愛し、あなたに仕え、全被造物と平和のうちに生きるために、この世界に住まわせられました。私たちがあなたに逆らい、信頼と服従を拒んだ時にも、あなたは私たちをお見捨てにならず、ご自分のものと呼んでくださいました。あなたは私たちを、ご自分の道に立ち返らせるため、御子イエス・キリストを世に遣わしてくださいました。
主イエスは、罪人と共に食事をし、その生き方を新たにし、信じない者を信じる者に、滅ぶべき者が永遠の命にあずかるために、十字架にかかってくださいました。そして、死という絶対的な隔たりを超えて、ご自分を見捨てた者たちに現れ、「あなたがたに平和があるように」と宣言してくださいました。
私たちの神よ、どうか、今ここにあるパンと杯を受け入れ、御言葉と聖霊によって、聖なるものとしてください。そして、これによって、御子イエス・キリストの尊い体と血にあずからせてください。これにあずかる者たちが、皆キリストの体と一つになり、永遠の命を受け継ぐことができますように。
陪 餐
ただいまより、パンとぶどう液を配ります。誰でも洗礼を受けて信仰を告白し、この食事にあずかることができます。洗礼式はキリスト者になるための式で、この聖餐式はキリスト者であり続けるための式です。ですから、この食事には洗礼を受け、信仰を告白してからあずかることをお勧めします。
まだ、洗礼を受けておらず、信仰を告白していない方は、恐れ入りますが、しばらくお待ちください。皆さんの信仰の自由と、その決断とを尊重させていただきます。なお、洗礼を受けて信仰を告白した方は、進んでこの聖餐にあずかり、パンと杯を受けない方へ、神様の祝福と平和を祈りましょう。(*配餐者は手指の消毒をしてパンと杯の入ったケースを配る)
オンライン賛美歌の後ろをめくった「陪餐」のところをご覧ください。パンと杯を共に受けつつ、この場にいる人のために、神の祝福を祈りましょう。
(パンを手に取る)
これは、あなたがたのために与えられた主イエス・キリストの体です。あなたのために主が命を捨てられたことを覚え、感謝をもってこれを受け、御子イエス・キリストとの交わりにあずかりましょう。
パンを手にしている方は、パンを受け取っていない方へ、神様の祝福を祈りましょう。
「あなたの手が、キリストの愛と平和で満たされますように」
「アーメン」
食べなさない。あなたがキリストから受けて、あなたから分けられるように。
(杯を手に取る)
これは、あなたがたのために流された主イエス・キリストの血潮です。あなたのために主が血を流されたことを覚え、感謝をもってこれを受け、御子イエス・キリストとの交わりにあずかりましょう。
杯を手にしている方は、杯を受け取っていない方へ、神様の祝福を祈りましょう。
「あなたの手が、キリストの愛と祝福で満たされますように」
「アーメン」
飲みなさい。あなたがキリストから受けて、あなたから溢れ出るように。
陪餐後の感謝
共に、感謝の祈りをささげましょう。
愛と憐れみの主である全能の神よ、今日この場に、若者も年長者も、信仰を告白した者も告白していない者も、共にあなたが招いてくださったことを感謝致します。あなたは今、御子イエス・キリストの尊い体と血によって、私たちを養い、この食事を見ている全ての者を結び合わせてくださいました。
あなたはこれによって、私たちに対する愛と恵みを示し、私たちが御子の体の手足であること、御国を受け継ぐ者であることを確かにしてくださいました。今、イエス・キリストを通して、自分の体を生きた聖なる供え物として献げます。どうか聖霊を注いで、私たちをこの世に遣わし、あなたが求めていることを行わせてください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
讃美歌
マスクをお付けいただき、(着席のまま)讃美歌81番の2節、3節を歌いましょう。
献 金
感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。献金に、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください。
献金の祈り(例)
神様、私たちが持っている物は皆、あなたからいただいたものです。今、私自身の生き方をあなたの御用のためにおささげします。どうか、ここに献げた献金も、あなたの求めていることに用いてください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
讃美歌
マスクをお付けいただき、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」の2節を歌いましょう。
讃美歌
オンライン賛美歌10番「祝福」を歌いましょう。差し支えない方はお立ちください。
祝 福
共に、神様の祝福を受けましょう。
派 遣
そのとき、わたしは、『ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは聖霊によって洗礼を受ける』と言っておられた主の言葉を思い出しました。(使徒言行録11:16)
祝 福
主がすべての災いを遠ざけて/あなたを見守り/あなたの魂を見守ってくださるように。あなたの出で立つのも帰るのも/主が見守ってくださるように。今も、そしてとこしえに。(詩編121:7〜8)
報 告
本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった 名、同時に視聴された 名、計 名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝いたします。
来週の日曜日も、三密を避けた会衆礼拝を配信と並行して行います。教会に来られる方は賛美中のマスク、消毒、換気、加湿、三密回避の座席調整にご協力いただけるよう、お願いします。それではまた日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。
[1] 以下、「聖餐式」の式文は、日本基督教団信仰職制委員会 編『日本基督教団 式文(試用版Ⅰ)』日本キリスト教団出版局、2006、2010を参照し、大きく手を加えたものを載せています。