ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『しばらく助けない』 使徒言行録16:16〜24

聖書研究祈祷会 2023年7月19日


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案 内

華陽教会では、賛美中のマスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、聖書研究祈祷会を配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌21の454番「愛する神にのみ」を歌います。諸事情でマスクの着用ができない方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

◆全ての者をとりなされる、私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝いたします。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を求めている人を導いてください。

◆私たちの神様。今度の土曜日には、芽含幼稚園の同窓会を3年ぶりに再開し、夏祭りと合わせて、華陽教会と共同で企画しています。どうか今、久しぶりに会う子どもたちに、あなたの恵みが豊かにあって、大きな喜びを分かち合うことができますように。

◆私たちの神様。8月9日、10日には、岐阜地区のサマーキャンプも3年ぶりに再開します。晴れの日には蘇原教会で川遊びをし、雨の日には各務原教会で楽しくゲームをする予定です。どうか今、この企画も、今度こそ無事に行えますように。

◆私たちの神様。8月2日から12日には、関西学院大学神学部から、夏期派遣実習生を迎えます。聖研や日曜礼拝、地区サマーキャンプを通して、教会の働きを学びます。どうか今、神学生の健康と体調を守り、豊かな経験をもたらしてください。

◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。使徒言行録16:16〜24の新共同訳と聖書協会共同訳を朗読します。

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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nvodickaによるPixabayからの画像

メッセージ

キリスト教初のヨーロッパ宣教を開始したパウロたちは、フィリピで洗礼を受けて仲間になった、リディアという女性の家で数日間滞在し、彼女たちが集まる「祈りの場所」に通っていました。ところが、毎日そこへ行く途中、占いの霊に取り憑かれている女奴隷がつきまとうようになります。
 
彼女の名前は記されませんが、パウロたちと出会って以降、後ろからついてきて、「この人たちは、いと高き神の僕で、皆さんに救いの道を宣べ伝えているのです」と叫んでいました。こんなことを幾日も繰り返されたら、確かに、たまったものじゃありません。目立って仕方ありませんし、うるさくて敵わないでしょう。
 
でも、言っていることは嘘や出鱈目ではなく、パウロたち一行を表す正しい紹介です。「この人たちは、いと高き神の僕で、皆さんに救いの道を宣べ伝えているのです」……そのとおりですよね? パウロたちは復活したキリストに出会い、聖霊を送られ、お告げを受けて、マケドニアの人々へ伝道しにやって来ました。間違った紹介ではありません。
 
むしろ、町で多くの人を占っていた女性から、このように宣伝してもらえたら、外国からやって来た無名のパウロたちは、かえって多くの人間に、自分たちが何者で、何のためにやって来たか、何をみんなに伝えたいか、教える機会が広がります。勝手に宣伝してくれるようなものです。
 
「この女は、占いをして主人たちに多くの利益を得させていた」とあるので、まあまあ当たると評判だったのでしょう。余計にみんな気になります。あの女性が「神の僕」と言う人間、あの占い師が「救いの道を宣べ伝えている」と言う人は、いったいどんな人なんだろう? どんな話をしているんだろう?
 
パウロたちが彼女に叫ばれながら、祈りの場所へ行くのを見て、後からついて来た人もまあまあいたんじゃないかと思います。一緒に彼らの話を聞いて、イエス様を信じるようになった人、洗礼を受けて仲間になった人も、きっと幾らかいたでしょう。占いの霊に取り憑かれていた女性自身、こう叫びながら、彼らに助けを求めていたのかもしれません。
 
主人たちの金儲けに利用され、占いの霊に取り憑かれ、自由を奪われているこの女性は幾日もパウロたちを追いかけて、彼らの正体を叫び続け、自分へ振り向いてくれるように訴えました。かつて、悪霊に取り憑かれた男たちが、イエス様に向かって「神の聖者だ」「神の子だ」と叫び続け、汚れた霊を追い出されたことが思い出されます。
 
ところが、パウロたちは幾日も女性のことを放っておきます。すぐには彼女に振り向かず、占いの霊を追い出さず、叫ぶまま、ついてくるまま放置します。よく考えたら可哀想です。すぐ助けてあげればいいものを、取り憑いているものから解放してあげればいいものを、彼らはガン無視するんです。
 
女性は、毎日彼らを探し続け、見つけては後を追い続け、後ろから叫び続けた末に、ようやく、この一言を言ってもらえました。「イエス・キリストの名によって命じる。この女から出て行け」……求め続け、探し続け、叩き続けることを繰り返し、ついに自分を救ってくれるイエス・キリストの名前を聞けたんです。
 
彼女は、旧約聖書で禁じられた「占い」を行っていた女性、宣教師につきまとってうるさく叫び続けた異邦人、パウロたちが捕らえられ投獄されるきっかけを作ってしまった女奴隷……そういった要素から、「迷惑をかけたにもかかわらず、パウロたちに救ってもらった人」というイメージを持たれがちな存在です。
 
しかし、実は彼女の行動は、イエス様を探し求め、後ろから追い続け、大声で叫び続けた末に、「あなたの信仰は立派だ」「あなたの願いどおりになるように」と宣言された、カナンの女性と同様に、イエス様自身が「信仰を認めた姿」の一つでした。パウロたちも、幾日か、彼女が叫び続ける中で、気がついたのかもしれません。
 
最初は彼女につきまとわれ、迷惑だと思っていたけれど、うるさいと思っていたけれど、彼女こそ、イエス様がその信仰を認め、「あなたの願いどおりになるように」と言って、私たちを驚かせた、異邦人の一人じゃないか? イエス様が、ご自分と出会えるよう、私たちを遣わした、相手の一人ではないか?
 
彼女に振り向くことが、私が神様に立ち帰る、イエス様に立ち帰る、救いの道の始まりじゃないか? 事実、パウロが彼女に振り向いて、イエス・キリストの名を口にしてから、彼は捕らえられ、引き渡され、衣服を剥ぎ取られ、裁判にもかけられないまま鞭打たれ、と、イエス様がたどってきた道のりを、そのまま経験していきます。
 
ああ、祈りの場所はここにあったのか。ここに、私の来るべき場所があったのか……もともと、いつもの「祈りの場所」へ行くはずだった彼らは、投獄された部屋が「祈りの場所」「キリストの体なる教会」になったことを知り、賛美を歌い、祈りをささげ、他の囚人たちを聞き入らせます。
 
彼らの予定は狂い、計画は崩れ、この後どうすればいいかも分かりません。にもかかわらず、確信が与えられています。私はここに遣わされ、ここから出発するように、今日まで導かれてきた。リディアの家に引き止められ、占いの霊に憑かれた女性に追いかけられ、囚人たちと同じ部屋に入れられた。
 
それは、神の計画から外れていく道ではなく、イエス・キリストに立ち帰る、新たな道に他ならない。キリストの霊が、私をここまで導いた。この後も、この先も、神様は必要なとき、必要なところへ、私たちを遣わしてくださる。私たちに必要な場所、必要な人を出会わせてくださる。賛美の声が、部屋中に響き渡り、牢の土台が揺れ動きます。
 
パウロたちに、しばらく助けてもらえなかった女奴隷は、パウロたちが歩むべき救いの道をもたらしました。彼女が彼らを追い続け、叫び続けたその姿は、単なる「迷惑な人」ではなく、イエス様が「信仰を認めた人」を思い起こす姿になりました。彼女に振り向いたパウロたちは、イエス様の身に起きたことを振り返らされ、ますます力付けられます。
 
「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる(ルカ11:9)」この日、イエス様の教えと業を思い出させ、弟子たちをキリストに立ち帰らせ、彼らを新たな「祈りの場所」へと案内したのは誰でしょう?
 
皆さんはもう分かるはずです。私たちが、誰かを無視して、教会へ、礼拝へ、行こうとしているとき、実はそこに、新たな祈りの場所の案内人がいるかもしれません。私たちが邪魔に思い、煩わしく感じる人たちこそ、「あなたの願いどおりになるように」とイエス様がおっしゃられた、「信仰の人」かもしれません。
 
もしも今、厄介ごとに巻き込まれ、誰かに引き渡され、これから責められるように感じているなら、今こそイエス様が歩んだ道のりを思い起こすときかもしれません。あなたがいるところは、神から離れた場所ではなく、教会から遠いところではなく、新たな祈りの場所として、定めれらた場所かもしれません。
 
教会の宣教は、こうして始まりました。予定していなかった、行きたくないところへ行かされ、会いたくなかった、会う気のなかった人たちに出会わされ、思いもよらぬ家ができ、思いもよらぬ仲間ができて、新しい共同体が築かれていきました。そこは喜びを分かち合う場所になり、驚きを楽しむ場所になり、神を賛美する場所になりました。
 
奇跡はこれからも続いていきます。たとえ足枷がはめられようと、牢に閉じ込められようと、祈りの場所へ行くことは邪魔されません。神様は、あなたのいるところ、あなたのたどり着いた場所を、新たな祈りの場所とするために、あなたを遣わしてきたからです。さあ、顔を上げ、祈りを合わせ、賛美を歌って、喜びと感謝を分かち合いましょう。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(山形県酒田市の酒田暁星教会)のために、各務原教会のために、在日大韓基督教会岐阜教会のために、大垣教会のために、祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆山形県酒田市の酒田暁星教会のために祈ります。東北にあるこの教会に、あなたの慈しみがありますように。子どもたちの声が響く会堂に、たくさんの友達や親戚が招かれて、互いに愛し合う関係が、深く、強く、広がっていきますように。

◆各務原教会のために祈ります。大きくなった子どもたちや、土曜日に集まっていた子どもたちに、あなたの祝福がありますように。再開されたうどんの会や祈祷会など、少しずつ豊かに集会が持てますように。

◆在日大韓基督教会岐阜教会のために祈ります。健康を崩しておられた高誠先生の上に、あなたの支えがありますように。教会員一人一人が守られて、子どもから高齢者まで、豊かな信仰生活を送ることができますように。

◆在日大韓基督教会大垣教会のために祈ります。岐阜教会と共に、在日大韓基督教会同士のつながりが豊かにされ、日本基督教団や近隣の教会と交流が広がっていきますように。牧師と会衆の地域とのつながりが、ますます豊かに導かれますように。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、オンライン賛美歌21番「心騒ぎ不安になる夜に」(©️柳本和良)を歌います。

 

 

主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の4頁にも掲載しています。主の祈り……

 

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して、聖書研究祈祷会にご参加くださり、感謝致します。先週の聖書研究祈祷会は、教会に集まった 名、同時に視聴された 名、計 名が参加されました。後から動画や原稿を見て祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

配信終了後、時間のある方は14:30まで、聖研の質問や感想、キリスト教について気になっていることなど自由に聞ける第二部「分かち合い」の時を開きます。人前でお祈りするのを遠慮したい方は、飛ばしてもらうこともできます。よかったらぜひご参加ください。

 

それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。