ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『このままじゃ救われない?』 使徒言行録16:25〜34

聖書研究祈祷会 2023年7月26日

 

 

案 内

華陽教会では、賛美中のマスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、聖書研究祈祷会を配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌21の454番「愛する神にのみ」を歌います。諸事情でマスクの着用ができない方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

◆全ての者を笑顔にされる、私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝いたします。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を求めている人を導いてください。

◆私たちの神様。日曜日には、岐阜地区を覚える月間の交換講壇を行い、各教会で信徒・牧師の交流ができたことを感謝致します。どうか今、このつながりが豊かにされ、互いの重荷を一緒に担って、岐阜地区の伝道を進めていくことができますように。

◆私たちの神様。土曜日には、芽含幼稚園の同窓会&夏祭りも教会と協力してできたことを感謝致します。どうか今、訪れた子どもたちにあなたの祝福が豊かにあって、これからも遊びに来たり、相談に来たり、良い関係が築けますように。

◆私たちの神様。11月には、在園生を対象に、教会と幼稚園で、ハロウィン・宗教改革記念日にちなんだ、お楽しみ会を企画しています。どうか今、この試みもあなたによって導かれ、保護者と先生と信徒と子どもたち、みんなが喜ぶ一日となりますように。

◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。使徒言行録16:25〜34の新共同訳と聖書協会共同訳を朗読します。

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

www.bible.or.jp

FalkenpostによるPixabayからの画像

メッセージ

イエス・キリストの教えと業を広めようとした者が、捕まって、鞭打たれ、足枷をつけられ投獄される……誰の目から見ても宣教者に対する典型的な迫害として映るでしょう。実際、ヨーロッパで初めて宣教活動を開始した、パウロとシラスが捕まったのは、犯罪を犯したからではありませんでした。

 

自分たちに付きまとう占いの霊に取り憑かれた女奴隷から、彼女を叫ばせる霊を追い出したことがきっかけです。彼女の主人たちは、奴隷から占いの霊が追い出されたことで、金儲けの望みがなくなってしまい、すぐにパウロとシラスを捕らえます。しかし、「占いの霊を追い出す罪」なんて、もちろん、この時代の彼らの町にもありません。

 

腹を立てた女奴隷の主人たちは、非常に曖昧な罪で2人のことを訴えます。「この者たちはユダヤ人で、わたしたちの町を混乱させております。ローマ帝国の市民であるわたしたちが受け入れることも、実行することも許されない風習を宣伝しております」……しかし、よく考えたら、「風習の宣伝」で、ここまで重い処置が取られるってあり得ません。

 

彼らは「受け入れることも、実行することも許されない風習」と言っていますが、ローマ帝国の支配地では、ローマ神話、ギリシャ神話、ミトラ教、ユダヤ教など、様々な宗教が信仰されており、征服された国、地域、民族で信仰されていた土着の宗教は、わりとそのまま残っていました。

 

そのローマ帝国で許されない風習って、それこそ、「墓荒らし」や「公然わいせつ」に当たるような、公共の福祉に反する行為と思われます。しかし、パウロとシラスは、ただ、キリストの教えと業を伝えていただけです。フィリピに来てから、割礼も行っていませんし、聖餐式の前身であった「主の晩餐」も、目立つところではしていません。

 

他の神々を認めない一神教の宗教は、ローマの植民都市では、宣伝することが許されなかった……とも言われますが、パウロとシラスは、毎日、門の外にある「祈りの場所」に通いながら教えていました。たいていは、町から出たところで、集まってきた人たちに、キリスト教を教えていたんです。

 

むしろ、2人のことを宣伝して目立たせたのは、主人たちの女奴隷でした。まるで、偽証人を立てられ、無理やり罪を背負わされ、十字架刑に処せられた、キリストの姿を見ているみたいです。パウロとシラスも、このままイエス様のように殺されてしまうのか、と心配になる中、真夜中ごろ、2人は賛美の歌を歌い始め、神様に祈りをささげます。

 

この状況で、賛美の歌を歌うってすごいですよね? 無実の罪で捕らえられ、裁判にもかけられないで、足枷までつけられた状態なのに、神様に賛美をささげている。他の囚人たちが聞き入っているところを見ると、その賛美は神に対する悲痛な叫びと言うよりも、美しい感謝の歌だったんでしょう。

 

いったい何を感謝したんでしょうか? それは、彼らがたどり着くべき「祈りの場所」に到着したことだと思います。「祈りの場所」はここにあった。町の中に会堂はなく、礼拝する場所は門の外にあり、女性しか集まっていなかった。毎日そこでしか、イエス様の教えと業を伝えられなかった。

 

しかし今、私たちはここで、語るべき場所と時間を与えられた。「マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください」と夢の中で自分に願ったマケドニア人は、ここにいた。私たちが、良い知らせ、福音を告げ知らせる相手のもとへ、神様は遣わしてくださった。パウロとシラスは、当初、思いもしなかった相手に福音を語り始めます。

 

牢に閉じ込められた囚人たち、私たちは、あなたたちのために遣わされた。あなたたちを救ってくださる、イエス・キリストの教えと業を伝えにきた。囚人2人と並んで十字架にかかり、「あなたは今日、わたしと一緒に楽園にいる」と宣言された神の御子……息を引き取る瞬間、大地が震え、神殿の天幕が真っ二つに裂けた、あの方の出来事を語ります。

 

すると、まさに彼らを閉じ込めていた牢の土台が揺れ動き、たちまち牢の戸が開いて、全ての囚人の鎖も外れてしまいました。パウロとシラスの話に聞き入っていた囚人たちはもう信じないではいられません。本当に、その方は自分たちを救いに来てくれた……囚人と神の子の隔たりを真っ二つに裂いて、会いに来てくださった……と。

 

鎖から解き放たれた囚人たちは、祈りの場所に集まっていた女性たちの次に、ヨーロッパで最初にできた教会の仲間になります。そういえば、華陽教会のルーツであるメソジスト教会も、ジョン・ウェスレーをはじめとする学生たちが、監獄にいる囚人たちを訪ねていって、字の読み書きを教えたり、雇用を助けたりした活動が根っこにありました。

 

さて、牢の土台が揺れ動くほどの物音に、看守も目を覚まします。彼は、牢の戸が開いているのを見て、囚人たちが逃げてしまったと思い込み、その場で命を断とうとしてしまいます。もはや、自分じゃ責任を取りきれない、自分じゃ清算できない失敗を前に、死ぬしか考えられなくなったんでしょう。実際、囚人を逃したことがバレたら処刑です。

 

しかし、思ってもみないことが起きました。逃げたと思い込んでいた囚人の一人、パウロの声が聞こえてきます。「自害してはいけない。わたしたちは皆ここにいる」……あり得ません。看守が見張っていたのは、牢に入れた上、足枷をつけているような、鎖に繋がれているような、最も酷い扱いをしていた囚人たちです。

 

看守と囚人の関係が、良かったものとは思えません。自分が責任を取らされて、処刑されることがないように、牢から出てきた囚人たちが、全員残って、大人しく、また部屋に入れられるのを待っているなんて、あり得ません。だって、自分と囚人たちは、そんな関係じゃなかったから……思いやる間柄ではなかったから。

 

ところが、本当に囚人たちは、逃げ出すことなく、大人しく牢の中で待っていました。看守がすぐさま、パウロとシラスにひれ伏して、「救われるためにはどうすべきでしょうか」と教えを乞うたのは、囚人たちの新しい姿を見たからです。彼らが、キリストの証し人となって、自分を思いやる姿、自分の死を思いとどまらせる姿を見たからです。

 

看守と、その家の人たち全部に、イエス様の教えと業が語られて、家族全員が、信じて洗礼を受けたのは、パウロとシラスの言葉を聞いて、共に賛美するようになった囚人たちがいたからでした。罰を受けているはずの囚人たちが、あるいはこれから処刑されるのを待っているはずの囚人たちが、救いにあずかっているように見えたからでした。

 

昨日までは、救われないのは、自分が見張っている囚人たちだと思っていた。しかし、今では自分の方が、このままじゃ救われないと感じている。囚人たちのように、自分もどうやったら変われるんだろうと思っている。看守の問いに対して、パウロとシラスは、とてもシンプルに答えます。

 

「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」……看守はその日、戸が開いたまま牢を放置し、外れたままの鎖を置いて、パウロとシラスの打ち傷を洗い、2人を自分の家へ案内しました。あり得ない信頼関係が、囚人たちと看守との間にできていました。

 

看守も、囚人たちを信じることができなければ、壊れたままの牢で、外れたままの鎖で、彼らを放置できません。しかし、奇跡は起きていました。看守は、それまでだったら絶対にできなかった態度を見せました。囚人たちがそのまま逃げたり、罪を犯したりしないと信じ、牢が壊れたまま、パウロとシラスを連れ帰って、食事を振る舞ったんです。

 

この日、この家に救いが訪れたことを、その場にいた誰もが感じていたでしょう。牢獄が祈りの家となり、囚人たちが導き手となり、看守が信仰を告白した、初めての体験に震えたでしょう。私たちも、改めて、祈りの場所がどこにあるのか問われています。それは教会に行こうとして、たどり着かなかった人たちの、今いるところかもしれません。

 

賛美と祈りをささげるにはふさわしくないと思った場所かもしれません。あなたが福音を、良い知らせを伝えるつもりのなかった人が、滞在している場所かもしれません。教会は至るところにあります。見えない教会が、私たちの間に立っています。私たちが遣わされる場所は、会堂にも、教会にも見えなくても、キリストの体になり得ます。

 

共に、自分の遣わされた場所が、閉じ込められている場所が、追いやられてきた場所が、見えない教会であることを思い出し、賛美と祈りをささげましょう。あなたがいるところ、あなたが行くところに訪れる、救い主、イエス・キリストの言葉を聞きましょう。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ28:20より)アーメン。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(山形県山形市の山形本町教会)のために、フィリピン合同教会のために、済美高校のために、中部学院大学のために祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆山形県山形市の山形本町教会のために祈ります。教会の歩みが、あなたによって一つとされますように。様々な課題を持つ方々に寄り添って、一緒に礼拝をささげていくことができますように。

◆フィリピン合同教会のために祈ります。中濃教会と各務原教会で、それぞれ分かれて午後から礼拝している人たちに、あなたの慈しみがありますように。互いの関係が豊かにされ、会堂の確保も良い形で導かれますように。

◆済美高校のために祈ります。西島麻里子先生をはじめ、済美高校に勤めておられる職員と生徒一人一人の健康が守られますように。進路や部活や人間関係において、悩んでいること、葛藤していることに、それぞれ解決がもたらされますように。

◆中部学院大学のために祈ります。今年度から就任された八木橋康弘先生をはじめ、教師と職員、学生たちに、あなたの恵みがありますように。就職、実習、留学など、多くの課題を前にしている関係者へ、それぞれ助けがもたらされますように。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、オンライン賛美歌16番「苦難のはざまから」(©️柳本和良)を歌います。

 

主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の4頁にも掲載しています。主の祈り……

 

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して、聖書研究祈祷会にご参加くださり、感謝致します。先週の聖書研究祈祷会は、教会に集まった 名、同時に視聴された 名、計 名が参加されました。後から動画や原稿を見て祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

配信終了後、時間のある方は14:30まで、聖研の質問や感想、キリスト教について気になっていることなど自由に聞ける第二部「分かち合い」の時を開きます。人前でお祈りするのを遠慮したい方は、飛ばしてもらうこともできます。よかったらぜひご参加ください。

 

それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。