ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『奇跡が盛り上がらない』 使徒言行録20:1〜12

聖書研究祈祷会 2023年11月1日


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案 内

華陽教会では、賛美中のマスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、聖書研究祈祷会を配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌21の383番「 証し人の群れ」を歌います。諸事情でマスクの着用ができない方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

◆世界を創造し、愛される神様。今日もまた、あなたによって守られて聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝致します。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を求めている人を導いてください。

◆私たちの神様。先日の日曜日には、4年ぶりに教会研修会を開き、「カルトと教会」というテーマで、被害の防止やカルト化対策について、みんなで考える時を持てました。どうか今、健全で誠実な信仰継承と伝道を進めていくことができますように。

◆私たちの神様。昨日10月31日には、506回目の「宗教改革記念日」を迎えました。華陽教会でも、今年度「新しいことを始めよう」というテーマで、様々な試みを行っています。どうか今、一つ一つの挑戦に、あなたの気づきと支えがありますように。

◆私たちの神様。本日11月1日は、先に召された一人一人を思い起こす、「聖徒の日」「召天者記念日」です。今度の日曜日には、召天者記念礼拝が行われます。どうか今、久しぶりに遠方から来られるご遺族、ご友人の方々に、あなたの慈しみがありますように。

◆全ての者をとりなされる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。使徒言行録20:1〜12の新共同訳と聖書協会共同訳を朗読します。

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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メッセージ

キリスト教を伝えようとしてエフェソで暴動を起こされ、シリア州へ行こうとしてユダヤ人に命を狙われ、急遽、マケドニア州を経由してエルサレムへ帰ろうとしたパウロたちは、フィリピから船出して、トロアスに7日間滞在し、新たな事件を起こします。幸い、迫害や暴動などの事件ではなく「死者を生き返らせる事件」という奇跡の出来事です。
 
ところが、この出来事は、あまりにも静かに、淡々と進行し、もっと騒ぎになってもおかしくないのに、全然盛り上がらないまま、パウロたちは去ってしまいます。普通、死んでしまった若者が生き返ったら、一大ニュースとして一気に広まり、次々と人が集まってきます。メディアが押し寄せ、野次馬が並び、お祭り騒ぎのようになるでしょう。
 
パウロという宣教者が、転落死した若者を生き返らせた! 信じられない奇跡を起こした! 私たちもあそこへ行けば、大切な人を生き返らせてもらえるかもしれない! 自分が亡くなっても、甦らせてもらえるかもしれない! そうやって、どんどん人が集まってくれば、信者も一気に増やせたでしょう。
 
けれども、パウロをはじめ、同行していた者たちは、この奇跡を一切人集めに使いません。ソパトロも、アリスタルコも、セクンドも、ガイオも、テモテも、ティキコも、トロフィモも、パウロの話を信じたら、このように生き返らせてもらえると、人々に告げて回りません。
 
7人もパウロと同行していたのに、誰一人、奇跡を使って洗礼を勧めないんです。なんなら、この奇跡自体、もっとドラマティックな演出があっても良さそうなのに、びっくりするほど地味に、静かに、つつましく展開していきます。意地悪な言い方をすれば、奇跡のわりに、「つまらない」んです。
 
その日は日曜日、週の初めの日ですから、私たちと同様、みんなが礼拝のために集まっているときでした。パウロは、翌日出発する予定で、みんなと別れる前に、最後の説教、メッセージを語っていました。最後ですから、多少は長くなるかもしれませんが、なんとこの日は夜中まで、延々とメッセージが続きます。
 
たとえ、夕方の5時から礼拝が始まったとしても、4時間、5時間と話が続けば、誰だって眠くなるでしょう。部屋の中も混んでいたことが予想されます。パウロの話を聞けるのも最後だからと、集まってきた人々に席を譲り、自分は窓に腰かけていた青年が、不慮の事故に遭ってしまいます。
 
彼の名前はエウティコ、「運がいい」という意味の名前でしたが、本人は運悪く、長々と続くパウロの話に眠気を催し、窓から落ちて3階下の地面に激突してしまいます。窓に腰掛けた状態で落ちていますから、おそらく頭からいったでしょう。息をしてないとか、目を開かないとか、そんなレベルではありません。
 
首が折れたか、頭蓋が割れたか、見るからに死んだことが分かる状態でした。「起こしてみると、もう死んでいた」という言葉から、抱き起こした際、グラリと揺れる頭の様子を生々しく想像させられます。けれども、降りてきたパウロは彼の上にかがみ込み、自分も抱き抱えてこう言います。
 
「騒ぐな。まだ生きている」……いやいや、どう見ても死んでいるでしょう? たった今、みんなで確認したでしょう? 「まだ希望はある」というふうに言われても、正直、気持ちが追いつきません。これが、シリア州から追いかけてきた、ユダヤ人による陰謀だったら、まだ格好がついたかもしれません。
 
青年が、キリスト教徒を標的にした凶弾に倒れ、駆け寄ったパウロに抱き抱えられて、「騒ぐな。まだ生きている!」と言われるなら、信仰によって甦らされる奇跡を、素直に期待できるでしょう。でも、この青年が死んだのは、メッセージの途中で居眠りしたからです。パウロのつまらないメッセージが長々と続いてしまったからです。
 
奇跡物語として語りつぐには、あまり格好がつきません。しかも、パウロは亡くなった青年を抱えてまた上に行き、何事もなかったかのように、パンを裂いて食べ、再び話を再開し、夜明けまで語り続けます。正気とは思えない行動です。ついさっき、亡くなった青年を抱き起こした手でパンを裂き、口に入れて、話を続ける。
 
青年は夜明けまで放置され、語り終わったパウロはそのまま出発し、立ち去ってしまいます。ところが、最後の文章で、いつの間にか青年が生き返っていたことが明かされ、人々は大いに慰められた……という言葉が続きます。いやいや、いつ生き返ったんですか?  パウロは何をして青年を甦らせたんですか?
 
死者の復活という大きな出来事にもかかわらず、誰も、その奇跡がいつ起きたのか、どうやって行われたのか分かりません。パウロが青年のために祈るシーンさえ描かれません。彼が宣言したのはただ一言「騒ぐな。まだ生きている」……それ以上、復活の奇跡に関する詳細は伏せられています。
 
「こう祈ったから復活した」「これをささげたから甦った」……そんな話を一切挟まず、なぜ、どうして、どうやって、生き返ったかは分からないけど、確かに青年は甦り、人々のもとへ帰ってきたことが記されます。パウロに対する称賛ではなく、大いなる慰めが残されます。
 
思い返せば、聖書に記された復活の奇跡は、いずれもそんなに盛り上がらず、静かに、淡々と起こされました。イエス様が、やもめの息子を生き返らせたときも、マルタとマリアの兄弟ラザロを甦らせたときも、派手な演出は一切なく、客寄せのようなアピールもなく、ただ、悲しむ人々に慰めと喜びをもたらすために、神様の業が行われました。
 
教会で、私たちが奇跡を求めるのは、何か目立ったことを起こして、人を集めるためではなく、傷ついた人たちが癒されるため、絶望の底にいる人たちが慰められるためです。癒された人、回復した人をみんなに晒して、信者を増やすためではなく、帰れなかったところへ、帰れるようにするためです。
 
ときに、私たちは伝道のため、誰かの身に起きた奇跡を集め、不特定多数の人に晒して利用しようとしてしまいますが、本来、そんなことしなくても、イエス様の教えと業は伝えていけるんです。しるしを求める人たちへ、イエス様は分かりやすい奇跡ではなく、神の国の教えを語りました。
 
弟子たちも、人集めのためではなく、癒しと回復のために奇跡を行い、自分たちが称賛され力を持つ前に、そこを去っていきました。改めて、私たちも、自らの姿勢を振り返りつつ、神様がもたらす慰めと希望を胸に、良い知らせを、福音を、伝えていきたいと思います。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(青森県南津軽郡の大鰐伝道所)のために、子どもたちのために、若者のために、高齢者のために、祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆青森県南津軽郡の大鰐伝道所のために祈ります。丘の上に立つこの伝道所が、あなたの祝福で、これからも照らされますように。少子高齢化が進む町に、あなたの恵みが豊かにもたらされ、地域の人たちへ良い知らせが届きますように。

◆子どもたちのために祈ります。全国にいる子どもたちの成長が、あなたによって豊かに導かれますように。戦争や紛争、貧困や災害、暴力や孤独に苦しんでいる子どもたちに、一刻も早く助けと平和がもたらされますように。

◆若者のために祈ります。進路、就職、人間関係、病気、介護、子育てに悩む一人一人にあなたの支えがありますように。誰を頼ればいいか、誰に相談すればいいか分からない人たちに、あなたから隣人が遣わされますように。

◆高齢者のために祈ります。家族や友人に先立たれ、寂しさを覚える人たちに、あなたの慰めがありますように。自分自身の死や将来に恐怖を感じる人たちに、あなたの恵みと平安がもたらされますように。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、オンライン賛美歌4番「わたしの主がとり去られた」(©️柳本和良)を歌います。

 

 

主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の4頁にも掲載しています。主の祈り……

 

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して、聖書研究祈祷会にご参加くださり、感謝致します。先週の聖書研究祈祷会は、教会に集まった5名、同時に視聴された2名、計7名が参加されました。後から動画や原稿を見て祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

配信終了後、時間のある方は14:30まで、聖研の質問や感想、キリスト教について気になっていることなど自由に聞ける第二部「分かち合い」の時を開きます。人前でお祈りするのを遠慮したい方は、飛ばしてもらうこともできます。よかったらぜひご参加ください。

 

それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。