ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『あなたも離れて行きたいか?』 ヨシュア記24:14〜24、ヨハネによる福音書6:60〜71

日曜礼拝 2024年3月3日


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説 明

教会にお集まりの皆さん、おはようございます。オンラインで配信を見ている方も、おはようございます。まもなく、10:30から礼拝が始まります。礼拝の最中は、携帯をマナーモードにしていただき、後から来た人も座れるように、席の譲り合いをお願いします。

 

礼拝の中で、立ち上がって賛美歌を歌うところや、立ち上がって祈りを合わせるところもありますが、体が不自由な方やお疲れの方は、座ったままで大丈夫です。賛美歌、聖書、交読文は、備え付けの籠からお使いください。それでは、もうしばらくお待ちください。

 

消 灯

本日は、受難節第3週目の礼拝なので、光や命の象徴として立てられた蝋燭を3本倒し、キリストが受けられた苦しみと、十字架の死を思い起こします。共に今、あなたの労苦と痛みに寄り添う、イエス様の歩みを覚えましょう。

 

案 内

華陽教会では、賛美中のマスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、日曜日の礼拝も配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、神の招きにあずかりましょう。

 

前 奏

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)

 

招 詞

キリストは、わたしたちのために呪いとなって、わたしたちを律法の呪いから贖い出してくださいました。(ガラテヤの信徒への手紙3:13a)

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌二編の130番「ひつじをまもる」を歌います。諸事情でマスクを着用できない方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。差し支えない方は、お立ちください。

 

お祈り

ご着席ください。共に祈りを合わせましょう。

◆赦しと憐れみの神様。今日もまた、あなたによって守られて日曜日の礼拝に集まることができ、感謝致します。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。キリストの受けられた苦しみと十字架の死を思い起こす受難節第3週目を迎えました。どうか今、悪意によって、偏見によって、嫉妬によって、誤解によって、不当な苦しみを受ける人に、あなたの慰めと回復がもたらされますように。

◆私たちの神様。キリストの復活を記念するイースターまで、残り4週間となりました。どうか今、希望が、愛が、優しさが、見えなくなっているところに、あなたの光と発見が豊かにもたらされますように。

◆私たちの神様。今年度も、残り一ヶ月で終わろうとしています。今日まで、あなたが私たちを導いてくださったことを感謝致します。どうか今、残された課題と向き合い、来年度の準備を行い、私たちが新しく歩き出せるよう、あなたの力を注いでください。

◆私たちに助けをもたらす、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。ヨシュア記24:14〜24、ヨハネによる福音書6:60〜71(新共同訳より抜粋)

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編90:1〜12(新共同訳交読詩編より抜粋)

『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(また、Aのところは牧師が、Bのところは会衆がお読みください。ご着席のままで大丈夫です。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌21の295番「見よ、十字架を」を歌いましょう。最後の「アーメン」はつけずに歌います。(差し支えない方はお立ちください)

 

メッセージ

「わたしの肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる」(ヨハネ6:54)……こんな台詞を聞いたら、誰だってびっくりするでしょう。自分の肉を食べさせ、血を飲ませようとするなんて、どっかのカルトみたいです。
 
「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか」……そう言って、イエス様から、多くの弟子が離れていったように、現代の私たちも、人の血肉を食べさせようとする人に、ついて行こうとは思いません。至極当然の反応です。一方で、イエス様が文字通り、自分の血肉を、誰かに食べさせようとしたかと言えば、そんなことはありません。
 
「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者」という表現は「イエス様が、私たちを救うために、十字架にかかって肉を裂かれ、血を流され、命をささげられたと信じる者」という意味で、本当に、イエス様が自分の血を飲ませ、自分の肉を、誰かに食べさせようとしたことはありません。
 
それは、イエス様と一緒に居たら分かるはずのことでした。イエス様がこのように話したのは、群衆が、荒れ野でマンナ(天からのパン)を与えられた祖先のように、自分たちも、イエス様に天からのパンを与えてほしいと願ったからでした。ようするに、「神の子なら、目の前でパンを出してほしい」と頼んだわけです。
 
けれども、群衆がこのように頼む前日に、イエス様はお腹を空かせた5千人以上の人々へ、5つのパンと2匹の魚を分け与え、残ったパンの屑で12の籠がいっぱいになる奇跡を起こしていました。足りないはずのパンを増やして、空腹だった人々に分けられた……それはまさに、天からのパンを与えられる、神の助けがもたらされる出来事でした。
 
ところが、その出来事を経験した人々は、次の日に「あなたを信じることができるように、神の奇跡でパンを与えてください」というふうに要求します。たぶん、ここで奇跡を起こしたら、イエス様から、大勢の人が離れていくことはなかったでしょう。それどころか、弟子になる人が一気に増えたことでしょう。
 
けれども、イエス様は、彼らがつまずくことを語ります。「わたしが命のパンである」「このパンを食べる者は永遠に生きる」……いやいや、あなたをパンのように食べるなんて無理ですよ。私たちに、あなたの肉を食べさせるんですか? そんなことしたら、あなたは死んでしまうし、私たちは人喰いになってしまいます!
 
でも、実際に、イエス様から、パンをもらった人たちは、この方が、人の血肉を食べさせようとする、酷い人ではないことが、分かってもいいはずでした。むしろ、人から何かを奪ったり、盗んだりさせないで、足りないものを満たそうとする、みんなを大事にされる方だと、気づいてもいいはずでした。
 
彼らが受け取ったパンは、何が入っているか分からない怪しいものではなく、その場にいる少年が差し出した、大麦のパンを分けたものでした。彼らはそれが、大勢の人に行き渡る、他の人にも分けられる、感謝に満ちた食事になるのを見ていました。にもかかわらず、次の日、イエス様が文字通りの要求に応じないと、すぐに離れていってしまいます。
 
「私たちの言うとおり、パンを出してくれないなら……自分をパンだとのたまうなら……これ以上、話を聞く気になれません」「シンプルに、耳触りの良いことを言ってくれないと、ついていくことはできません」……そんなふうに、イエス様から離れていってしまいます。
 
それは、彼らの祖先が、荒れ野でマンナ(天からのパン)を与えられた時代でも同じでした。人々は、自分たちのために、神様が、エジプトの軍勢を追い散らしても、火の柱や雲の柱によって導いても、岩から水を与えても、毎朝マナを与えても、うずらの肉を降らせても、繰り返し、神様の言うことを聞かなくなって、離れていきました。
 
何度、神様に助けられても、苦難に直面すると、神様に助けを求めるより、責める相手を探しました。多くの奇跡を起こされたにもかかわらず、自分たちの間に、神がおられるかどうか試してきました。思わず、モーセの後継に選ばれたヨシュアが「あなたたちは主に仕えることができないだろう」と言うほど、同じことを繰り返してきました。
 
そして、イエス様から「あなたがたも離れて行きたいか」と言われた弟子たちも、この後イエス様を裏切って、見捨てて離れてしまいます。「あなたは永遠の命の言葉を持っておられます」「あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています」と答えたペトロでさえ、イエス様を3度知らないと否定してしまいます。
 
「主を捨てて、ほかの神々に仕えることなど、するはずがありません」と答えた、イスラエルの祖先とそう変わりません。こう言いながら、結局は神様を、イエス様を捨てて、離れてしまう姿を晒しています。皆さんも、今日のメッセージのタイトルを聞いて、いくらかドキッとしたでしょう。
 
「あなたも離れて行きたいか?」……いいえ、離れたくありません! 神様、あなたを信じています! だけど、正直、離れてしまったことがあります……離れかけたことがあります……あなたがいるか信じられなくなり、あなたの救いを疑ったことがあります……だから、自分のような者が、あなたから離れないと言い切れるのか、自信がありません。
 
キリストの受けられた苦しみと、十字架の死を思い起こし、自らの罪を悔い改める、受難節のこの期間、自分がいかに、神様から離れた生活をしてきたか、振り返る人もいるでしょう。イエス様の言葉につまずいて、見捨てて離れた弟子たちに、自分を重ねる人もいるでしょう。
 
このまま離れた状態で、いつか神様に見切りをつけられるかもしれない……そう思って怯えている人もいるでしょう。でも、安心してください。「あなたも離れて行きたいか?」と問われる方は、あなたを離れたままにしておきません。あなたが答えられないまま、あなたが俯くままにしておきません。
 
「わたしたちも主に仕えます」そう答えたにもかかわらず、繰り返し、神様に背いてしまった人たちにも、神様は再び、新しい約束を交わしてくださいました。「あなたこそ神の聖者です」そう答えたにもかかわらず、イエス様を見捨てて離れた弟子たちにも、キリストは再び出会い、「わたしに従いなさい」と呼びかけてくださいました。
 
「あなたも離れて行きたいか?」……そのように問われて「もう離れているのかもしれない」「この先離れてしまうかもしれない」「でも離れていきたいわけじゃない」と、苦しんでいる人たちに、改めて伝えます。神様は、あなたを離れたままにしておきません。「信じます」「従います」と答えた者に、「嘘つき」と見切りをつける方ではありません。
 
背いた者が従う者となったように、見捨てた者が導く者となったように、信じない者が信じる者となったように、たとえ、あなたが離れる者でも、神様は、あなたを近づく者へ変えられます。キリストの呼びかけに答えるとき、それは、あなたの自信によってではなく、あなたに変化と回復をもたらす、神への信頼によって答えます。
 
だから、キリストの与えるパンと杯を受けなさい。自分が「ふさわしくない者」と思うなら、あなたを「ふさわしい者」に変えられる、神様に信頼して飲みなさい。自分の信仰が薄いと思うなら、あなたの信仰を強めてくださる、キリストに信頼して食べなさい。あなたを食卓に招いた方が、あなたを自分の友と、弟子と、呼んでいます。アーメン。

 

讃美歌

(会堂の窓を開放しましょう)マスクをお付けいただき、オンライン賛美歌16番「苦難のはざまから」(©️柳本和良)を歌います。差し支えない方は、お立ちください。

 

 

使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の2頁をご覧ください。

 

 

紹 介

本日も、初めて礼拝に来られた方、初めて配信を見られた方、久しぶりに参加された方と一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。

 

とりなし

共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろの方の1頁をご覧ください。

 

 

主の祈り

イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。オンライン讃美歌の後ろの方の4頁をご覧ください。差し支えない方は、お立ちください。

 

 

聖 餐[1]

御着席ください。ただいまより、聖餐式を始めます。感染症のリスクを避けるため、パンとグラスを取る際は、必ず自分の手で触れたものだけを手に取って、他の人の分は触らないようにお願い致します。

 

讃美歌

最初に、マスクをしたままで讃美歌21の81番「主の食卓を囲み」1節を歌いましょう。(*ご着席いただいたままで大丈夫です)

 

主の食卓への招き

兄弟姉妹、今から神の民の祝宴が開かれます。主は言われました。「やがて人々は東から西から、北から南から来て、神の国で共に食卓に着く。」

 

また、福音書は伝えています。主は、十字架につけられる夜、ご自分を裏切り、見捨てる者たちのためにパンを取り、彼らに与えて言われました。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。」「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。」

 

主は、辱める者、傷つける者、信じない者を憐れまれ、一人一人の罪が赦されるよう、ご自分の命を献げられました。この方を信じ、その信仰を公に告白した方は、進んでこの食事にあずかりましょう。また、信仰を告白していない者、共に集った兄弟姉妹も、キリストのとりなしと祝福を受けましょう。

 

感謝と聖別の祈り

世界の創造者、また統治者である神よ、あなたはご自分にかたどって私たちを造り、あなたを愛し、あなたに仕え、全被造物と平和のうちに生きるために、この世界に住まわせられました。私たちがあなたに逆らい、信頼と服従を拒んだ時にも、あなたは私たちをお見捨てにならず、ご自分のものと呼んでくださいました。あなたは私たちを、ご自分の道に立ち返らせるため、御子イエス・キリストを世に遣わしてくださいました。

 

主イエスは、罪人と共に食事をし、その生き方を新たにし、信じない者を信じる者に、滅ぶべき者が永遠の命にあずかるために、十字架にかかってくださいました。そして、死という絶対的な隔たりを超えて、ご自分を見捨てた者たちに現れ、「あなたがたに平和があるように」と宣言してくださいました。

私たちの神よ、どうか、今ここにあるパンと杯を受け入れ、御言葉と聖霊によって、聖なるものとしてください。そして、これによって、御子イエス・キリストの尊い体と血にあずからせてください。これにあずかる者たちが、皆キリストの体と一つになり、永遠の命を受け継ぐことができますように。

 

陪 餐

ただいまより、パンとぶどう液を配ります。誰でも洗礼を受けて信仰を告白し、この食事にあずかることができます。洗礼式はキリスト者になるための式で、この聖餐式はキリスト者であり続けるための式です。ですから、この食事には洗礼を受け、信仰を告白してからあずかることをお勧めします。

 

まだ、洗礼を受けておらず、信仰を告白していない方は、恐れ入りますが、しばらくお待ちください。皆さんの信仰の自由と、その決断とを尊重させていただきます。なお、洗礼を受けて信仰を告白した方は、進んでこの聖餐にあずかり、パンと杯を受けない方へ、神様の祝福と平和を祈りましょう。(*配餐者は手指の消毒をしてパンと杯を配る)

 

オンライン賛美歌の後ろをめくった「陪餐」のところをご覧ください。パンと杯を共に受けつつ、この場にいる人のために、神の祝福を祈りましょう。

 

(パンを手に取る)

これは、あなたがたのために与えられた主イエス・キリストの体です。あなたのために主が命を捨てられたことを覚え、感謝をもってこれを受け、御子イエス・キリストとの交わりにあずかりましょう。

 

パンを手にしている方は、パンを受け取っていない方へ、神様の祝福を祈りましょう。

 「あなたの手が、キリストの愛と平和で満たされますように」

 「アーメン」

食べなさない。あなたがキリストから受けて、あなたから分けられるように。

 

(杯を手に取る)

これは、あなたがたのために流された主イエス・キリストの血潮です。あなたのために主が血を流されたことを覚え、感謝をもってこれを受け、御子イエス・キリストとの交わりにあずかりましょう。

 

杯を手にしている方は、杯を受け取っていない方へ、神様の祝福を祈りましょう。

 「あなたの手が、キリストの愛と祝福で満たされますように」

 「アーメン」

飲みなさい。あなたがキリストから受けて、あなたから溢れ出るように。

 

陪餐後の感謝

共に、感謝の祈りをささげましょう。

 

愛と憐れみの主である全能の神よ、今日この場に、若者も年長者も、信仰を告白した者も告白していない者も、共にあなたが招いてくださったことを感謝致します。あなたは今、御子イエス・キリストの尊い体と血によって、私たちを養い、この食事を見ている全ての者を結び合わせてくださいました。

 

あなたはこれによって、私たちに対する愛と恵みを示し、私たちが御子の体の手足であること、御国を受け継ぐ者であることを確かにしてくださいました。今、イエス・キリストを通して、自分の体を生きた聖なる供え物として献げます。どうか聖霊を注いで、私たちをこの世に遣わし、あなたが求めていることを行わせてください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

(会堂の窓を開放しましょう)マスクをお付けいただき、(着席のまま)讃美歌81番の2節、3節を歌いましょう。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。献金に、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください。

 

献金の祈り(例)

全ての祝福の源である神様、今、私たちがささげるものを受け入れてください。あなたの平和が実現し、あなたの御名があがめられ、神の国の栄光があらわされますように。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」2節を歌いましょう。

 

讃美歌

讃美歌21の28番「み栄えあれや」を歌いましょう。差し支えない方は、お立ちください。

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

あなたたちが主を選び、主に仕えるということの証人はあなたたち自身である。(ヨシュア記24:22b)

 

祝 福

永遠の契約の血による羊の大牧者、わたしたちの主イエスを、死者の中から引き上げられた平和の神が、御心に適うことをイエス・キリストによってわたしたちにしてくださり、御心を行うために、すべての良いものをあなたがたに備えてくださるように。栄光が世々限りなくキリストにありますように、アーメン。(ヘブライ人への手紙13:20〜21)

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった21名、同時に視聴された8名、計29名が参加されました。後から動画や原稿を通して祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

来週の日曜礼拝は『葬りの準備だったのか?』と題して、サムエル記9:27〜10:4とヨハネによる福音書12:1〜8のお話しします。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。

 

[1] 以下、「聖餐式」の式文は、日本基督教団信仰職制委員会 編『日本基督教団 式文(試用版Ⅰ)』日本キリスト教団出版局、2006、2010を参照し、大きく手を加えたものを載せています。