ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『終末がやってくる?』イザヤ書2:1~5、マタイによる福音書24:36~44

日曜礼拝 2024年12月1日


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説 明

教会にお集まりの皆さん、おはようございます。オンラインで配信を見ている方も、おはようございます。まもなく、10:30から礼拝が始まります。礼拝の最中は、携帯をマナーモードにしていただき、後から来た人も座れるように、席の譲り合いをお願いします。

 

礼拝の中で、立ち上がって賛美歌を歌うところや、立ち上がって祈りを合わせるところもありますが、体が不自由な方やお疲れの方は、座ったままで大丈夫です。賛美歌、聖書、交読文は、備え付けの籠からお使いください。それでは、もうしばらくお待ちください。

 

案 内

華陽教会では、讃美歌委員会の著作物使用許諾を得て、日曜日の礼拝を、配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、神の招きにあずかりましょう。

 

前 奏

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)

 

招 詞

更に、あなたがたは今がどんな時であるかを知っています。あなたがたが眠りから覚めるべき時が既に来ています。今や、わたしたちが信仰に入ったころよりも、救いは近づいているからです。(ローマの信徒への手紙13:11)

 

讃美歌

旧讃美歌506番「たえなる愛かな」を歌いましょう。最後のアーメンはつけて歌います。(差し支えない方はお立ちください)

 

お祈り

ご着席ください。共に祈りを合わせましょう。

◆世界を創造し、完成される神様。今日もまた、あなたによって守られて、日曜日の礼拝に集まることができ、感謝致します。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。キリストの誕生を記念する、クリスマスの準備を進めつつ、キリストが再びこの世に来られるときを待ち望む、アドヴェントに入りました。どうか今、私たち一人一人があなたを迎え、神の国に迎えられるように、心と体と魂を整えさせてください。

◆私たちの神様。パレスチナとイスラエル、ウクライナとロシア、アフガニスタン、シリア、リビア、イエメン、ミャンマーなど、戦争や紛争、混乱が続く地域を助けてください。どうか今、これ以上の犠牲が増えないように、和解と平和をもたらしてください。

◆私たちの神様。病気や怪我、障害や衰え、家族や親族との関係、学校や職場での関係、様々な問題に悩み、苦しみ、潰れそうになっている人へ、あなたの慈しみがありますように。どうか今、必要なとき、必要なところへ、あなたの助けがありますように。

◆全てのものを新たにされる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。イザヤ書2:1~5、マタイによる福音書24:36~44(新共同訳より抜粋)

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編24:1~10(新共同訳交読詩編より抜粋)

『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(また、Aのところは牧師が、Bのところは会衆がお読みください。ご着席のままで大丈夫です。)

 

讃美歌

讃美歌21の236番「見張りの人よ」を歌いましょう。最後のアーメンはつけずに歌います。(差し支えない方はお立ちください)

 

EnriqueによるPixabayからの画像

メッセージ

 キリストの誕生を記念する、クリスマス前の4週間、アドヴェントに入りました。アドヴェントというラテン語は、もともと「到来」という意味の言葉で、この時期は、クリスマスの訪れを待ち望みつつ、天に昇ったイエス様が、再びこの世に到来する日を待ち望み祈りを合わせるときでもあります。

 神の子イエス・キリストが再びこの世にやって来る「再臨の日」「来臨の日」と呼ばれるときは、「主の日」や「終わりの日」とも呼ばれ、イザヤ書の中にも、同じ言葉が出てきます。「終わりの日に、主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち/どの峰よりも高くそびえる」……主の神殿の山とは、エルサレム神殿が建てられたシオンのことです。

 シオンという名前は、エルサレム全域と全住民のことを表す言葉にもなっており、イザヤ書2章には、終わりの日に、シオン(エルサレム)が世界の中心になることを、神様に約束される幻を見せられたことが書かれています。「国々はこぞって大河のようにそこに向かい、多くの民が来て言う。『主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。主はわたしたちに道を示される。わたしたちはその道を歩もう』と……」

 こう聞くと、ヤコブ(イスラエルの民)が、世界中から支持されて、本当の神様を指し示す存在になることが、預言の成就に至るポイントのように感じられるかもしれません。他の預言書や「小黙示」と呼ばれる福音書の一部でも、終末におけるイスラエルの復興が預言されており、イスラエルの再建なくして、終末の平和は訪れないと考える人もいるでしょう。

 そして、イスラエルの建国を妨げ、イスラエルに支持しないことは、預言の成就を妨げることで、終わりの日に、神の国の到来を妨害した者として、裁かれる対象になってしまう……と恐れる人もいるでしょう。実は、パレスチナにユダヤ人の民族国家を樹立しようとする運動「シオニズム」を支持する人も、一部、この考え方が影響しています。

 また、マタイによる福音書24章36節以下には、「人の子は思いがけない時に来る」と語られており、イエス様が再びこの世へ訪れるとき、ある者は一緒に連れて行かれ、ある者は取り残されてしまう描写が残してありました。「そのとき、畑に二人の男がいれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。二人の女が臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される……」

 もし、預言の成就を妨げるようなことをすれば、終末の日に取り残され、「神の国」「天の国」へ連れて行ってもらえなくなるんじゃないか……そんな恐怖を、幼いときから刷り込まれ、夢にまで見てしまう人もいます。そのため、「敵を愛しなさい」「隣人を自分のように愛しなさい」という教えを大事にしているクリスチャンでも、イスラエルによる、多くの民間人を巻き込んだ占領政策や武力行使に、反対できない人も多いんです。

 一方で、イスラエルの建国と再建のためにもたらされる犠牲は、無視されてしまう現実があります。先週も少し話しましたが、パレスチナにユダヤ人の民族国家を樹立するため追い出された先住民は、多くが難民になっています。ガザとヨルダン川西岸には、パレスチナ自治区が設けられていますが、ガザの周囲はイスラエル軍に包囲され、人や物の出入りが厳しく制限され、人口の7割を占める難民に、十分な物資が届きません。

 また、ほぼ2年おきに受けている、イスラエル軍の激しい爆撃で、多くの市民が犠牲になっています。さらに、ヨルダン側西岸のパレスチナ自治区は、面積の6割以上がイスラエル軍の支配下にあり、入植地の近くでは、農地の破壊や土地の没収が頻繁に起こっています。巨大な隔離壁によって、学校・職場・病院に続く道路も閉ざされ、生活圏を分断されて、困っている人が大勢います。

 そして、パレスチナ自治区で暮らしている住民の過半数は子どもです。武器を持たない民間人が、イスラエル軍に石を投げて抵抗すると、銃弾によって、何百人も殺されます。この様子を見て、現在のイスラエルから、「神の道が示されている」と感じる人は少ないでしょう。むしろ、「終末の平和」が語られる前に告げられた「シオンの審判」に関する言葉が刺さってきます。

 「どうして、遊女になってしまったのか/忠実であった町が。そこには公平が満ち、正義が宿っていたのに/今では人殺しばかりだ」「支配者らは無慈悲で、盗人の仲間となり/皆、賄賂を喜び、贈り物を強要する。孤児の権利は守られず/やもめの訴えは取り上げられない」

 預言者イザヤは、紀元前8世紀後半に、南王国ユダの首都エルサレムで活動しました。彼は、紀元前734年から、2年に及んだシリア・エフライム戦争において、アハズ王に会見し、軽率な決断と行動を戒め、神への信頼を説いた人物です。その頃、アハズ王は、神様ではなく、外国の力に拠り頼み、親アッシリア政策を行っていました。その結果、イスラエルは、ほとんどアッシリアの属国と化し、破滅を招いてしまいます。

 現在、イスラエルの復興、建国、再建のために、外国の軍事支援を頼り、現地の子どもや女性たち、市民の声を無視し続けている政策は、イザヤが非難した、かつてのイスラエルの姿とそっくりです。ハマスによるテロ攻撃も、もちろん、非難して然るものですが、その報復として行われている攻撃は、自衛の域を超えています。

 そんなイスラエルの軍備に支援を続けている諸外国も、かつて、南王国ユダを支援し、偶像崇拝を導入させ、イスラエルの破滅をもたらした、アッシリアの姿と重なってきます。「預言の成就を妨げないため」と言って、このような姿をさらすことが、終末の平和を待ち望み、キリストの来臨を待ち望む、信仰者の姿と言えるのか、私は甚だ疑問です。

 むしろ、イスラエルの隣人として、クリスチャンがあるべき姿は、神様が望んでいない子どもの犠牲や住居の破壊を辞めさせることではないでしょうか? イスラエルを復興するために、戦うことを支援するより、「剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする」「国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」そんな道こそ、本来の目指すべき姿だと、声を上げることじゃないでしょうか?

 イエス様は、終末がやってくる日のことを「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存じである」と言い、その時期を予測することは求められていないことを示しました。十字架につけられた自分が復活し、帰ってくる日を予想できなかった弟子たちに、「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」と促し、誰一人、取り残そうとしませんでした。

 目を覚ましていない者には、目を覚まさせて、連れて行くのがこの方です。悪戯に、恐怖をあおるため、終末の預言が語られたのではありません。むしろ、戦場で、被災地で、困窮している地域で、「悪が力を振るっている」「神の支配が遠のいている」と思わされている人に、「救いの完成は遠のいているわけじゃない」「神の国の到来は近づいている」と励ましをもたらす目的で、終末預言は語られました。

 キリストの誕生を記念するクリスマスまで、あと4週間……救いが潰える恐怖ではなく、救いの完成への信頼によって、神の国の教えが伝えられるように、私たちも祈りを合わせていきましょう。主が、国々の争いを裁き、多くの民を戒められ、剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする日が来ますように。平和が、あなたがた一同と共にあるように。

 

讃美歌

オンライン賛美歌42番「はじめに言があった」(©️柳本和良)を歌います。(差し支えない方はお立ちください)

使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の2頁をご覧ください。

紹 介

本日も、初めて礼拝に来られた方、初めて配信を見られた方、久しぶりに参加された方と一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。

 

とりなし

共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろの方の1頁をご覧ください。

主の祈り

イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。オンライン讃美歌の後ろの方の4頁をご覧ください。差し支えない方は、お立ちください。

聖 餐[1]

御着席ください。ただいまより、聖餐式を始めます。パンとグラスを取る際は、必ず自分の手で触れたものだけを手に取って、他の人の分は触らないようにお願い致します。

 

讃美歌

最初に、讃美歌21の81番「主の食卓を囲み」1節を歌いましょう。(ご着席いただいたままで大丈夫です)

 

主の食卓への招き

兄弟姉妹、今から神の民の祝宴が開かれます。主は言われました。「やがて人々は東から西から、北から南から来て、神の国で共に食卓に着く」

 

また、福音書は伝えています。主は十字架につけられる夜、残される人々のために杯を取り、彼らと共に飲んで教えました。神の国で、あなたがたと共に、新たに飲むその日が来ると。この食事は、やがて来たる神の国で招かれる、主の食卓の先取りです。

 

主は、救いを信じて待ち望む者に、ご自分が用意された祝宴にあずからせてくださいます。この方を信じ、その信仰を公に告白した方は、進んでこの食事にあずかりましょう。また、信仰を告白していない方、共に集った兄弟姉妹も、キリストのとりなしと祝福を受けましょう。

 

感謝と聖別の祈り

世界の創造者、また統治者である神よ、あなたはご自分にかたどって私たちを造り、あなたを愛し、あなたに仕え、全被造物と平和のうちに生きるために、この世界に住まわせられました。私たちがあなたに逆らい、信頼と服従を拒んだ時にも、あなたは私たちをお見捨てにならず、ご自分のものと呼んでくださいました。あなたは私たちを、ご自分の道に立ち返らせるため、御子イエス・キリストを世に遣わしてくださいました。

 

主イエスは、罪人と共に食事をし、その生き方を新たにし、信じない者を信じる者に、滅ぶべき者が永遠の命にあずかるために、十字架にかかってくださいました。そして、死という絶対的な隔たりを超えて、ご自分を見捨てた者たちに現れ、「あなたがたに平和があるように」と宣言してくださいました。

 

私たちの神よ、どうか、今ここにあるパンと杯を受け入れ、御言葉と聖霊によって、聖なるものとしてください。そして、これによって、御子イエス・キリストの尊い体と血にあずからせてください。これにあずかる者たちが、皆キリストの体と一つになり、永遠の命を受け継ぐことができますように。

 

陪 餐

ただいまより、パンとぶどう液を配ります。誰でも洗礼を受けて信仰を告白し、この食事にあずかることができます。洗礼式はキリスト者になるための式で、この聖餐式はキリスト者であり続けるための式です。ですから、この食事には洗礼を受け、信仰を告白してからあずかることをお勧めします。

 

まだ、洗礼を受けておらず、信仰を告白していない方は、恐れ入りますが、しばらくお待ちください。皆さんの信仰の自由と、その決断とを尊重させていただきます。なお、洗礼を受けて信仰を告白した方は、進んでこの聖餐にあずかり、パンと杯を受けない方へ、神様の祝福と平和を祈りましょう。(*配餐者は手指の消毒をしてパンと杯を配る)

 

オンライン賛美歌の後ろをめくった「陪餐」のところをご覧ください。パンと杯を共に受けつつ、この場にいる人のために、神の祝福を祈りましょう。

 

(パンを手に取る)

これは、あなたがたのために与えられた主イエス・キリストの体です。あなたのために主が命を捨てられたことを覚え、感謝をもってこれを受け、御子イエス・キリストとの交わりにあずかりましょう。

 

パンを手にしている方は、パンを受け取っていない方へ、神様の祝福を祈りましょう。

 「あなたの手が、キリストの愛と平和で満たされますように」

 「アーメン」

食べなさない。あなたがキリストから受けて、あなたから分けられるように。

 

(杯を手に取る)

これは、あなたがたのために流された主イエス・キリストの血潮です。あなたのために主が血を流されたことを覚え、感謝をもってこれを受け、御子イエス・キリストとの交わりにあずかりましょう。

 

杯を手にしている方は、杯を受け取っていない方へ、神様の祝福を祈りましょう。

 「あなたの手が、キリストの愛と祝福で満たされますように」

 「アーメン」

飲みなさい。あなたがキリストから受けて、あなたから溢れ出るように。

 

陪餐後の感謝

共に、感謝の祈りをささげましょう。

 

愛と憐れみの主である全能の神よ、今日この場に、若者も年長者も、信仰を告白した者も告白していない者も、共にあなたが招いてくださったことを感謝致します。あなたは今、御子イエス・キリストの尊い体と血によって、私たちを養い、この食事を見ている全ての者を結び合わせてくださいました。

 

あなたはこれによって、私たちに対する愛と恵みを示し、私たちが御子の体の手足であること、御国を受け継ぐ者であることを確かにしてくださいました。今、イエス・キリストを通して、自分の体を生きた聖なる供え物として献げます。どうか聖霊を注いで、私たちをこの世に遣わし、あなたが求めていることを行わせてください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

ご着席のまま、讃美歌81番の2節、3節を歌いましょう。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。献金に、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください。

 

献金の祈り(例)

私たちの神様。今日の御言葉を感謝します。私たちの生き方をささげるしるしとして献金をささげます。あなたの御用のために用いてください。イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

献金の讃美歌512番「主よ、献げます」3節を歌いましょう。

 

讃美歌

讃美歌21の29番「天のみ民も」を歌いましょう。差し支えない方はお立ちください。

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう。(イザヤ書2:5)

 

祝 福

父である神とわたしたちの主キリスト・イエスからの恵み、憐れみ、そして平和があるように。(テモテへの手紙二1:2より)

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった18名、同時に視聴された4名、計22名が参加されました。後から動画や原稿を通して祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

来週の日曜日は、アドヴェント第2週目の礼拝です。『背いてしまったら』と題して、イザヤ書59:12〜20とマタイによる福音書13:53~58のお話をします。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。

 

 

[1] 以下、「聖餐式」の式文は、日本基督教団信仰職制委員会 編『日本基督教団 式文(試用版Ⅰ)』日本キリスト教団出版局、2006、2010を参照し、大きく手を加えたものを載せています。