ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『汚されないため?』テトスへの手紙2:1~10

聖書研究祈祷会 2024年12月4日


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案 内

華陽教会では、讃美歌委員会の著作物使用許諾を得て、聖書研究祈祷会を配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

讃美歌21の228番「造りなしなる主」を歌いしょう。最後の「アーメン」はつけて歌います。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

◆世界を創造し、完成される神様。今日もまた、あなたによって守られて聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝致します。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を求めている人を導いてください。

◆私たちの神様。キリストの誕生を記念するクリスマスの準備をしつつ、キリストが再び来られるときを待ち望むアドヴェント第1週目を迎えました。どうか今、私たちの心を整え、体を癒し、あなたをお迎えする準備ができるよう、一人一人を導いてください。

◆私たちの神様。心身を壊している人、難病にかかっている人、検査や治療を受けている人に、あなたの励ましがありますように。どうか今、痛みが和らぎ、治療法が見つかり、希望が積み重なるように、私たちを互いに用いてください。

◆私たちの神様。家族やペットが病に侵され、不安を覚えている人に、あなたの慈しみがありますように。どうか今、家族が離れているときも、あなたの癒しの御手が差し伸べられ、一緒に見ていてくれることを思い出すことができますように。

◆私たちの間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。テトスへの手紙2:1~10の新共同訳と聖書協会共同訳を朗読します。

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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Roberto GomezによるPixabayからの画像

メッセージ

 新共同訳聖書や、聖書協会共同訳の聖書には、どの記事が、どこにあるのか分かりやすいように、原典にはない「見出し」がそれぞれつけられています。テトスへの手紙2章の場合は「健全な教え」という見出しがつけられていました。「健全な教え」という言葉は、牧会書簡に度々登場し、2章では「その教えに適う生き方」が少し具体的に語られます。

 年老いた男性には、節制し、品位を保ち、分別を持って、信仰と愛と忍耐の点で健全であるように。年老いた女性には、聖なる務めを果たす者にふさわしくふるまい、中傷せず、大酒のとりこにならず、善いことを教える者となるように。若い女性には、夫を愛し、子どもを愛し、分別を持ち、貞潔で、家事にいそしみ、善良で、夫に従うように。

 何だか若い女性だけ、注文が多い気もします。一方、若い男性には、思慮深くふるまうように……とだけ勧められます。ちょっと不公平に感じますよね? 若い男性、年老いた男性、年老いた女性、若い女性の順に、注文が多くなっていきます。そこには男性中心主義の家父長制に縛られた、当時の価値観の反映が、色濃く現れていると言えるでしょう。

 若い女性に対し、夫や子どもを愛するように勧めながら、若い男性には、妻や子どもを愛することが勧められない。また、若い女性には、貞潔であることを求めるのに、若い男性には、貞潔であるよう求める言葉が出てこない……この部分だけ切り取れば、明らかにバランスの悪い教えです。

 しかも、若い女性に対し、「家事にいそしみ」「夫に従うように」と言い、年老いた女性には、そのような教えに従うよう、若い女性たちを指導することが求められます。現代であれば、固定的なジェンダーロール(性別役割)を押し付ける、炎上しそうな言動です。そして、これらを勧めている理由は「神の言葉が汚されないため」と説明されます。

 かなり強力な言葉です。つまり、若い女性が家事にいそしまなければ、夫に従わなければ、神の言葉を汚すことになる……この教えに異を唱えれば、反論すれば、神様の顔に泥を塗ることになる……そんなふうに言われたら、疑問を口にすることもできません。実際これらの言葉は、キリスト教徒の家庭における、DVやデートDVで、度々使われてきたものでした。

 聖書には、妻は夫に従うように書いてある。子どもを愛し、家事にいそしむのは、女性の役割だと書いてある。それに従わないことは、神の言葉を汚すことだと言われている。だから、私に従いなさい……長年、夫に人格を否定され、暴力を振るわれ、苦しんできた女性の信徒も、このように圧をかけられると、なかなか助けを求められません。

 思い切って、教会の牧師に相談しても、「あなたは夫のために祈っていますか?」「夫への愛が欠けているんじゃないですか?」と自分に非があるように言われてしまい、二度と相談できなくなった人もいます。自分が耐えなければ、自分が変わらなければ……そうやって耐え続け、壊れてしまった方や、暴力に耐えきれず、亡くなった方もおられます。

 果たしてこれが、「健全な教え」に適っていると言えるのか、疑問を持たずにはいられません。むしろ、聖書の言葉が、夫による妻への支配の正当化や、暴力や虐待の容認に利用されてしまう状況こそ、「神の言葉が汚されている」と言えないか、問い直す必要があるでしょう。

 もちろん、テトスへの手紙が書かれた頃は、こういった価値観が、「正統な」「清廉潔白な」あり方と見なされ、健全な教えに適う態度だと思われていたんでしょう。実際、2章8節では、これらの勧めに従えば、「敵対者は、わたしたちについて何の悪口も言うことができず、恥じ入るでしょう」と書かれています。

 つまり、キリスト教徒の敵対者が言う悪口は、「自分たちの思う健全なあり方から外れていることを追求する」ことだったんでしょう。イエスを信じている人の中には、ろくでもない奴がいる。叩けば埃の出てくる者がいる。世間に対して、彼らがそんな問題を持っている連中だとアピールしよう……そんな流れがあったのかもしれません。

 おそらく、「神の言葉が汚されないため」というのは、「イエス様の語った教え、パウロの語った教えに反対している敵対者から、悪口の隙を与えないため」という意味であったと思われます。逆に言えば、ここで言及されている、キリスト教徒に敵対していた人々もこのような価値観、男性中心主義の家父長制に支配されていたんでしょう。

 年老いた男性は節制し、品位を保ち、分別を持っていなければならない。年老いた女性は中傷せず、大酒のとりこにならず、若い女性たちへ家事にいそしみ、夫に従うよう指導しなければならない。若い女性は彼ら、彼女らの言うことに従わなければならない。それに従わない人々は、健全でない、おかしな人たちだと責めることができるんだ……と。

 テモテへの手紙やテトスへの手紙に、重箱の隅を突つくように、「こうしなさい」「ああしなさい」「これはしてはならない」と出てくるのは、まさに、そういうやり方で、キリスト教徒が攻撃を受け、非難され、貶められていたからでしょう。それらの攻撃を乗り越えるため、敵対者の価値観に基づいて、非難されないような行動が求められたんです。

 改めて、そのことを振り返るなら、キリスト教に敵対していた人々や当時の社会の価値観に基づく「非難されない」生き方は、今日、問い直される必要があるでしょう。私たちが「健全な教えに適う」生き方をするために、ただ、そこに書いてあることを守ればいいと思考を停めてしまうなら、結局、形骸的な態度に陥った律法主義と変わりありません。

 イエス様は、「神に授けられた教えだから」という理由で、旧約の律法を書いてあるとおり実行すればいい……という態度に異を唱え、罪人と食事をし、汚れた病人に触れ、安息日に人々を癒していきました。それは、かつてのイスラエル社会で、当たり前に受けとめられていた「正しさ」を壊すものでした。多くの人々がつまずき、反感を持ち、イエス様と敵対しました。

 もしかしたら、私たちが、自分の持つ伝統的な価値観から、外れた生き方を見せる人に反感を持ってしまうのも、イエス様と敵対した人たちの行動を繰り返しているのかもしれません。「聖書に書いてあるから」「このあり方が正しいんだ」と言うだけでは、神の言葉に対して、誠実ではいられません。

 「神の言葉が汚されないために」私たちが、聖書の言葉をどのように捉え直し、どのように実践し、どのように伝えていくべきか、引き続き、一緒に考えていきましょう。わたしたちの救い主である神の教えを、あらゆる点で輝かすことができるように、あなたがたも行って、問いかけ、伝えなさい。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている山口県宇部市の小野田教会のために、差別を受けている人のために、暴力を受けている人のために、事件に遭っている人のために祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆山口県宇部市の小野田教会のために祈ります。今年から再建を開始した、この教会の働きに、あなたの導きが豊かにありますように。この教会を通して、山陽小野田市の人々にあなたの恵みと慈しみが広がっていきますように。

◆差別を受けている人のために祈ります。人種や性別、出身や職業、性自認や性的指向を理由に、不合理な区別を押し付けられている人へ、あなたの助けがありますように。不義や不合理が取り払われ、生きやすい世の中になりますように。

◆暴力を受けている人のために祈ります。DVや虐待、いじめやハラスメント、戦争や紛争などによる暴力を受けている人へ、あなたの憐れみがありますように。抑圧から解放され、安心して過ごせる世界になりますように。

◆事件に遭っている人のために祈ります。事故や事件、悪意や過失によって、苦しめられている人へ、あなたの慈しみがありますように。速やかな解決と信頼できる仲間がもたらされ、新しく生きていく力が得られますように。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

オンライン賛美歌3番「閉じこもる私たちに」(©️柳本和良)を歌います。

主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の4頁にも掲載しています。主の祈り……

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して、聖書研究祈祷会にご参加くださり、感謝致します。配信終了後、時間のある方は午後2時半まで、聖研の質問や感想、キリスト教について気になっていることなど自由に聞ける第二部「分かち合い」の時を開きます。

 

よかったらぜひ、ご参加ください。来週の水曜日は、『善い行いは何のため?』と題して、テトスへの手紙2:11~3:7のお話しをします。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。