ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『喜べない知らせ』 マタイによる福音書1:18〜25、2:1〜12、13〜23

クリスマス聖夜礼拝 2019年12月24日

 

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【ヨセフに対する知らせ】

 中学2年生くらいの女の子が、「最近どうも体が変だ」と思い、病院へ診察を受けに行きました。しばらくして、医師からこう告げられます。

 

 「おめでとうございます。あなたのお腹には赤ちゃんがいます。元気な男の子ですよ」……おめでとうと言われても、そう簡単に喜ぶことはできません。

 

 彼女には付き合っている彼氏がいました。でも、妊娠するようなことはしていません。何のことか分からず、少女は恐ろしくなってしまいます。

 

 ためらいつつも、恋人に妊娠したことを告げると、彼の方もびっくりします。当然です。自分にはそんな覚えがないんですから。誰かと浮気でもされない限り、子どもができるなんてありえません。

 

 まだ結婚もしていないのに、自分の子じゃない赤ちゃんができた。事を荒立てる前に、ひそかに別れた方が良さそうです。

 

 彼はモヤモヤした気持ちを抱えながらも、彼女へ別れを切り出そうと決心します。ところが、その日の夜に彼女を診察した医師が訪ねてきて、彼へこう告げるんです。

 

 「心配しなくて大丈夫。あの子は奇跡によって妊娠したんだ。恐れず彼女と結婚して、生まれてくる子を育てなさい」

 

 よく、医療関係者を「白衣の天使」なんて言いますが、こんなこと言われたら、悪魔に化かされた気分ですよね。正真正銘、主の天使から子どもの誕生を告げられた2人は、どんな気分だったんでしょう?

 

 たとえ、この妊娠が奇跡によるものだとしても、未婚の状態でそれが訪れたのは、社会的に相当都合の悪いことでした。

 

 「ヨセフという男は、結婚する前にあの子を妊娠させたらしい」「いやいや、マリアの方が他の男とできていたらしいぞ」……こういった噂が広がるのを完全に防ぐことはできなかったでしょう。

 

 実際、マタイによる福音書では、イエスの母マリアは繰り返し出て来ますが、途中から父ヨセフの名は明言されなくなっていきます。

 

 3章以降はほとんど見ることができなくなり、身を隠したように消えてしまいます。ヨセフは早死にしてしまったんだろうと言われますが、私はむしろ、表に出にくい彼の生きにくさを表しているように感じます。

 

 恋人に新しい命が宿る……喜ぶべき知らせなのは間違いありません。しかし同時に、これから自分に訪れる、試練や生きにくさを予感させる知らせでもありました。

 

 天使は、ヨセフが紛れもなく「恐れた」ことを感じ取っています。救い主は、自分の誕生を思わず恐れてしまう人のところへやってきました。

 

 親になる準備、覚悟のできている人にではなく、自分の成り行き、自分の将来が心配になる、ちょっと情けない人のところへ、赤ちゃんとして生まれてきた。小さく、弱い、無防備な姿で。

 

【町の人に対する知らせ】

 その後、しばらくしてイスラエルの首都エルサレムに、東から来た占星術の学者たちが到着しました。

 

 彼らは、救い主の誕生を知らせる星を見つけて、その方を一目見たいと、王のもとへ訪ねて来たんです。黄金・乳香・没薬という高価な献げ物を携えて……遠い国からここまで来るには、たくさんの着替えや食料も要ったでしょう。

 

 彼らには多くの付き人がついていたはずです。ちなみに、この時代の占星術は、単なる研究ではありません。

 

 星の動きを見ながら物事の成り行きを判断する、聖職者、祭司のような役割です。国としても彼らを失うわけにいかないので、その旅路には大勢の護衛がついていたでしょう。

 

 しかも、エルサレムから見て東の方とは、かつてイスラエルを滅ぼした国、アッシリアやバビロニアのあった地域です。

 

 そこで占星術をしている異教の祭司が、たくさんの付き人や護衛を連れてやってきた……となると、もはや軍隊です。エルサレムの市民は震え上がったと思います。

 

 これから何をされるのか? 他国との戦争が始まるのか? しかし、一行は争う素ぶりを見せず、むしろこの国に、天体さえ影響させる、新しい王が生まれたと知らせます。

 

 あなたたちの待ち望む救い主が生まれたと。たとえるなら、小さい頃、自分を苦しめてきたいじめっ子が、これからあの人が助けてくれると知らせてくれたような場面。

 

 これって簡単に受け入れられないですよね? どうしてあいつがそんなこと……と考えますよね?

 

 さらに、当時イスラエルを治めていたヘロデ王は、自分の地位を守るため、家族や身内さえ殺してしまった暴君です。新しい王が生まれたと聞けば、何をしでかすか分かりません。エルサレムの市民も巻き込まれるのはまっぴらです。

 

 長年待ち望んでいた救い主が誕生する、神様の約束していた新しい王が現れる……喜ぶべき知らせなのは間違いありません。

 

 しかし同時に、今このタイミングでなくたって……という都合の悪い知らせでもありました。救いの訪れは、約束の成就を喜ぶ人のところではなく、目先の恐怖に心が奪われる、臆病な人たちに告げられました。

 

【子の親に対する知らせ】

 さらにそれからしばらくして、学者たちはマリアとヨセフのもとを訪ね、無事に赤ちゃんの顔を拝むことができました。

 

 しかし、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、彼らは別の道を通って自分たちの国へ帰っていきます。ちょうどその頃、ヘロデは学者たちから赤ん坊の場所を聞き出して、自分の地位を脅かす前に殺してしまおうとしていました。

 

 けれども、何ヶ月経っても彼らが戻ってこないため、ヘロデはだまされたことに気づきます。怒ったヘロデは人を送り、救い主が生まれると言われていた、ベツレヘムとその周辺一帯にいた2歳以下の男の子を、一人残らず殺させました。

 

 一方、ヨセフは再び天使からお告げを受けて、ヘロデが赤ん坊を狙っていると知らされます。彼は、子どもと母親のマリアを連れて、エジプトで身を隠すよう命じられました。

 

 しかし、ヨセフはしがない大工の男です。いきなり「エジプトへ行け」と言われても、外国の言葉なんて分かりません。

 

 「ヘロデが死ぬまでそこに居ろ」と言われても、いったいいつまで居ることになるのか分かりません。とても即決できることではありませんでした。

 

 さらに、逃亡先のエジプトは、かつて自分たちイスラエル人を奴隷にしていた大国です。何世紀も前に、先祖が苦しめられ、囚われていた土地に戻りなさいと言われるわけですから、不安は尽きません。

 

 今回も、自分たちは助かるからホッとできる……という話じゃありませんでした。しかし、ヨセフは以前と違い、ほとんど恐れも迷いも見せずに、天使の言葉に従います。

 

 親になる準備も、覚悟もできていなかった男が、子どもの誕生をすぐに喜べなかった父親が、今度は迅速に、家族を守るため行動しました。

 

 自分のもとに生まれてきた神の子と一緒にいる中で、彼に変化が訪れていました。恐怖をもたらす知らせから、勇気と決断が起こされました。

 

 「喜べない知らせ」であったものから、違う何かを受け取りました。それは、情けない自分、臆病な自分とも、神様は共に居てくださるという信頼です。

 

 もちろん、ヨセフの恐怖は無くなったわけじゃありません。やがてヘロデが死に、天使からイスラエルへ戻るよう命じられたときも、ヨセフはヘロデの息子がユダヤを支配していると聞いて、また狙われるのではないかと心配してしまいます。

 

 しかし、再び恐怖に固まった彼へ、神様は「ガリラヤのナザレに住みなさい」と告げました。確信を持って動けない、すぐに揺らいでしまう人を、神様はいつも心に留めています。

 

 何を恐れ、何を怖がっているのか全て理解し、必要な道を整えます。自分なんかが生きていていいのか、疑問を感じている人も同じです。

 

 先ほど私たちは、一人の命を奪うために、大勢の赤ん坊が殺された事件を聞かされました。同じとき、ベツレヘムに生まれた男の子で生き残ったのは、エジプトへ逃げたイエス様ただ一人でした。

 

 自分の命を狙う者に、他のみんなが殺された。みんなが命を奪われたとき、自分だけが生き残った……戦争で逃げ回って、友達をみんな失った人、災害や事故に遭って、一人だけ取り残された人。そんな経験を持つ者の痛みを、イエス様は知っています。

 

 イエス様自身もそうだから……わたし一人、わたし一人……と罪悪感に苛まれている人のもとへ、イエス様はそっと訪れます。「わたしがあなたと共にいる」と告げられます。

 

 今このときも、私たちの周りには「喜べない知らせ」が溢れています。しかし、神様は闇をそのままにはしておかれません。私たちに光と希望と喜びを見出させます。

 

 もう一度、この知らせを噛み締めながら、あなたのもとにやってきた救い主を褒め称えましょう。