聖書研究祈祷会 2020年10月28日
讃美歌
ただいまより、聖書研究祈祷会を始めます。最初に、讃美歌21の377番「神はわが砦」を歌いましょう。飛沫感染を避けるため、マスクをしたままで歌います。
お祈り
ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。
◆人と人との間におられる私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、水曜日の聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝致します。どうか今、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を必要としている人を祝福してください。
◆私たちの神様、今日は牧師が風邪気味のため、教会に集まらないで、配信を通して聖書研究祈祷会を行います。どうか今、それぞれの場所で聖書を開き、祈りを合わせようとしている人たちの健康を守り、新しい力を与えてください。
◆私たちの神様、土曜日には宗教改革記念日を迎えます。その次の日は聖徒の日、召天者記念日を迎えます。どうか今、一人一人が自らの信仰を見つめ直し、天においても地においても、共にあなたを礼拝できる恵みを分かち合わせてください。
◆私たちの神様、今度の召天者記念礼拝は、例年と違って大勢の人が集まることも、墓前礼拝もできませんが、天に召された一人一人を覚えつつ、みんなで祈りを合わせます。どうか今、この時を祝福し、それぞれに必要なメッセージを届けさせてください。
◆私たちの傍におられるイエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
聖書朗読
聖書の言葉を聞きましょう。創世記37:25〜36(新共同訳より抜粋)
*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。 |
メッセージ
半沢直樹流の物語
ちょっと前に、半沢直樹というドラマが非常に流行りました。私は7年前にチラッと目にしたキリだったんですが、「やられたらやり返す」「倍返しだ」という言葉は、今でも印象に残っています。こういう話、皆さんけっこう好きですよね? 誰かに陥れられ、窮地に立たされた人間が、成長し、出世して、自分にしたことを後悔させる反撃に出る。
創世記を締めくくる物語、いわゆるヨセフ物語も、そんな「半沢直樹流の物語」として目につく話かもしれません。兄弟の中で、一人だけ父親の寵愛を受けた末っ子ヨセフが、嫉妬した兄たちから穴へ落とされ、命を奪われかけてしまう。兄たちは命を取るのは思いとどまったものの、奴隷として外国に売り飛ばす相談を始める。
そんな中、ヨセフはたまたま通りかかったミディアン人の商人たちに引き上げられ、兄たちが知らないうちに、イシュマエル人へ売られていきます。みんなから死んだものと思われたヨセフは、エジプトへ渡り、ファラオの宮廷に雇われて、紆余曲折ありながらも、大臣の位にまで上り詰める。
そして、世界中が飢饉に襲われたとき、食糧を求めてやってきた自分の兄弟たちに再会する。目の前の大臣が、かつて陥れた弟だと気づかない兄たちへ、ヨセフは見事な反撃に出て、完全勝利を収めます。なかなか爽快な物語……でもこれって、同胞から追い出された人間が、同胞を救い出す者となる……っていうちょっと皮肉な話です。
モーセとの共通点
そういえば、似たような出来事が出エジプト記にもありました。ヨセフの死後、エジプトで奴隷となったイスラエルの民を、モーセという人間が救った話。この2人、よく見ると非常に似ています。ヨセフが兄弟たち、同胞から嫌われて殺されそうになったように、モーセも同じイスラエル人、同胞たちから何度も殺されそうになります。
ヨセフが兄たちに追放され、穴に落とされてしまった後、通りかかったミディアン人に引き上げられたように、モーセも同胞たちに密告され、エジプトの地から追い出された後、ミディアン人にお世話になります。2人とも幼いときに殺されそうになって、エジプトの宮廷に引き取られ、エジプトで生活して育っていきます。
エジプトって、イスラエルと敵対した、神と争った国というふうにイメージされやすいんですが、実は、殺されそうになったイスラエルの救い手を、度々救出した場所でもあるんです。同時に、イスラエルって自分たちの救い手となる人間を、度々追放した、殺しかけた国でもありました。
2人は最終的に自分を追い出し、自分の話を拒否した兄弟・同胞たちへ、危機から救う指導者として遣わされる……綺麗に重なっていますよね? そう、ヨセフ物語って、半沢直樹みたいに「不当に貶められた人間が見事な反撃をする物語」というよりも「自分を貶めた人間のために、なぜか自分が遣わされる」っていうモーセと似たような話なんです。
本当に2人はよく似ています。兄弟から穴に落とされ、殺されかけ、外国に売られそうだったヨセフは、まさかこんな兄たちと再び関係を取り戻せる日が来るなんて、思ってもいなかったことでしょう。そもそも兄たちと和解したい、関係を回復したいなんて、彼自身思えなかったはず。
モーセもまた、エジプト人に打たれている同胞たちを守ろうとして、その男を殺したら、自分が守った同胞たちに密告されてしまいます。助けた仲間に裏切られ、逃亡犯となったモーセは、まさかこんな同胞たちを自分が導く日が来るなんて、思ってもいなかったことでしょう。そもそも、再びイスラエルに戻りたいなんて、彼自身思えなかったはず。
2つの物語は、同胞から追い出された人間が、その同胞を救う者として、再び共同体に帰されて、関係を築く話です。半沢直樹と違うのは「やられたらやり返す」「やった相手と対立する」のではなく、「やられたら救い出す」「やった相手と和解する」という点です。納得するのが難しい、実は爽快感にかける話。
追放された救い主
そういえば、ヨセフとモーセの他にも、同胞から殺されそうになり、幼少期をエジプトで過ごし、言うことを聞かない同胞たちのために遣わされた存在が、新約聖書にも出てきました。もう気づいた方もいるでしょう。そう、神の子であるイエス様です。
イエス様も赤ん坊の頃、同胞のイスラエル人(ヘロデ王)から殺されそうになって、エジプトへ逃れた一人です。ヨセフは樹脂と乳香、没薬を積んだイシュマエル人の隊商とエジプトの地へ下りますが、イエス様も自分に献げられた黄金、没薬、乳香を積んでエジプトの地へ避難します。
そう、イスラエルの救い手として遣わされ、神に用いられた存在の多くは、同胞から排除され、非難され、追放された人たちでした。評判の良い、信頼の厚い、仲の良い人たちではありません。普通なら、みんなの指導者、みんなのリーダーとして選ばれるとは考えにくい状況の人が、神様から送り出されていきました。
私たちにとって、「同胞から追い出される」「自分の話を拒否される」「仲間の誰かに貶められる」という出来事は、自分に価値を見出せなくなる、自信と尊厳が失われる、最も大きな要因の一つです。誰かと一緒にやっていこう、誰かと関係を築いていこうという気持ちそのものが失われる、絶望的な状況です。
家から追い出されたら、サークルから追い出されたら、学校から追い出されたら、職場から追い出されたら、教会から追い出されたら……私は終わり、もう価値はない。みんなに嫌われて、みんなに捨てられて、もう関係は築けない……けれども神様は、追いやられた者を通して、みんなを危機から救い出し、新たな出発をもたらします。
2000年という時を超えて、聖書は語り続けています。今いる所から追い出され、辱められ、必死に逃れてきたあなたこそ、救い主と同じ所に立っている。神が選ばれた者たちと重なる道を歩いている……自信も尊厳も失われ、ボロボロになったあなたに向かって、神様はとんでもない計画を語ります。
「私はあなたを選んでみんなのもとに遣わそう。みんなを回復し、みんなを新しく出発させる者として、今からあなたを遣わそう」……500年前の宗教改革が、まさにその一つでした。ウィクリフ、ヤン・フス、マルティン・ルター……教会から破門され、共同体から追い出された人たちが、新しくキリスト教会を再出発させる導き手として遣わされた。
宗教改革記念日
今度の土曜日10月31日に、その記念日を迎えます。そう、危機に陥った共同体を新しく変えていったのは、その共同体から追い出され、殺されかけ、話を聞かれなかった人たちです。カトリックからプロテスタントが分かれてしまったこの歴史も、単なる対立の物語ではなく、新たな関係を築いていく物語として、紡いでいく責任があるでしょう。
様々な分断、対立、敵対が見られるこの世の中で、神様は追い出した者と追い出された者との間に、不思議なつながりを作ります。普通、この人とあの人は近づけないだろう……そんな解決の仕方は無理だろう……そう思われることを、この方は平気で実現させてしまう。
コロナ禍において、教会の中で追いやられ、非難された人たち、一緒にやっていくことはもう無理だと、お互い諦めた人たち……もしかしたら、その間にも、神様はありえない計画を既にもたらしているかもしれません。自信と尊厳が失われ、自分が教会に回復されることを望みもしない人間が、新たな導き手として遣わされるかもしれません。
もう一度、私たちが聞こうとしてこなかった声、語ろうとしてこなかった言葉を、共に聞き、共に語り、共に出発していきましょう。誰かを追い出してしまったこと、自分が追い出されてしまったことは、信仰者にとって、終わりを意味するものではありません。あらゆることを実現される神様が、そこから始まりをもたらすからです。
とりなし
共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(山口県下関市の下関彦島教会)のために、芽含幼稚園のために、岐阜済美高校のために、中部学院大学のために、祈りを合わせましょう。
◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。
◆山口県下関市の下関彦島教会のために祈ります。この教会の一人一人と、関西学院の同胞の先生を支え、お互いに思っていることを少しずつ確認しながら、新たな出発ができるように導いてください。
◆芽含幼稚園のために祈ります。運動会を終え、新たな成長を見せた子どもたち一人一人に、ますます豊かな恵みと発見が与えられますように。そして、風邪や感染症から守られて、健やかな生活ができるように導いてください。
◆岐阜済美高校のために祈ります。授業においても、課外活動においても、様々な制限がある中で、工夫しながら毎日を過ごしている生徒、職員、保護者の上に、あなたの祝福がありますように。聖書科の先生や宗教主事の先生の心身も支えてください。
◆中部学院大学のために祈ります。新学期から半分ずつ対面授業を再開し、チャペルやサークルの一部も少しずつ活動を始めています。それぞれの対策と工夫のために奔走している学生やスタッフ、先生がたを支え、豊かな喜びをもたらしてください。
◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
讃美歌
オンライン賛美歌「枯れた谷に鹿が」(©️柳本和良)を歌いましょう。こちらも、飛沫感染を避けるため、マスクをしたままで歌います。
主の祈り
共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。主の祈り。
天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、 我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。アーメン。
以上で聖書研究祈祷会を終わります。また日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。