在宅聖研祈祷会 2020年6月10日
讃美歌
ただいまより、在宅聖研祈祷会を始めます。最初に、オンライン賛美歌「閉じこもるわたしたちに」(©️柳本和良)を歌いましょう。こちらの賛美歌は、著作者の許可を得て使用・配信しています。
お祈り
ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。
◆愛と力の源である私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて祈りと学びの時を与えてくださり、感謝致します。どうか今、見えないもの、見ていないものに気づかせる、あなたの言葉を与えてください。
◆私たちの神様、ペンテコステ、三位一体主日に続いて、来週は花の日・子どもの日を迎えます。どうか今、幼稚園、学校、自宅で過ごす子どもたちの困難が、一つ一つ解消されるよう、あなたの助けを与えてください。
◆私たちの神様、6月に入って、感染症だけでなく、熱中症や日射病の心配も出てくるようになりました。どうか今、自由に行き来ができない人、室内に籠る人の健康が守られるよう、あなたの支えがありますように。
◆私たちの神様、国内でも海外でも、権力の濫用や事実の隠蔽、差別への加担や誹謗中傷が溢れています。どうか今、自分自身の内なる偏見と支配欲、誰かを犠牲にした恩恵と向き合えるよう、あなたの知識を与えてください。
◆私たちと共におられるイエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
聖書朗読
聖書の言葉を聞きましょう。マルコによる福音書10:1〜12
*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。 |
メッセージ
離婚禁止令?
キリスト教は「離婚が禁止されている宗教だ」と思う人が、今も一定数いるでしょう。結婚したら、夫婦は死ぬまで添い遂げなければならない。結婚は神様が引き合わせてくださったものだから、周りが引き離したり別れさせたりしてはいけない。むしろ、別れそうになったら思い止まらせるのがクリスチャンだ!
そう言いつつも、ノンクリスチャンのパートナーは「上手くいかない」と引き離し、クリスチャン同士で結婚させようとする……これが典型的なキリスト教会の「負」のイメージかもしれません。実際、今も教会内での結婚を推奨したり、ノンクリスチャンの恋人と別れさせたり、離婚は罪だと教えられたりすることがあります。
その根拠に挙げられるのが、ファリサイ派の人々にイエス様が語った言葉、「神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない」「妻を離縁して他の女を妻にする者は、妻に対して姦通の罪を犯すことになる」「夫を離縁して他の男を夫にする者も、姦通の罪を犯すことになる」というところです。
現代の私たちからすると、イエス様の言ったことはたいへん保守的に聞こえます。DVや虐待から逃れるために離婚せざるを得ない人、もはや誠実な関係が築けなくなった2人、別れた後で再婚の機会が訪れた人に配慮がないように思えます。むしろ「離縁状を書いて離縁することなら許される」と言ったファリサイ派の方が、よっぽど配慮に満ちている。
そう思うかもしれません。実際、パートナーの理不尽な扱いに苦しんできた人たちは、しばしばこの箇所を引用され、「相手のために祈っていますか?」「あなたに問題はありませんか?」と我慢すること、辛抱することを求められてきました。中にはそのまま暴力に晒されて死んだ人、自ら命を断った人だって存在します。
そんな中、イエス様の言葉は非常に冷たく響きます。「モーセは、離縁状を書いて離縁することを許しました」と答える人々に、「あなたたちの心が頑固なので、このような掟をモーセは書いたのだ」と返してくる。まるで、離婚する人は忍耐がない、情けないと言われているような気分です。モーセは仕方なく、弱いあなたたちに忖度したと聞こえてくる。
現代的忖度?
どうもイエス様の方が、よっぽど古い価値観に囚われていると感じます。しかし、注意してこの箇所を読むと、イエス様の言葉を単なる離婚禁止令とは受け取れないことが分かってきます。最初にファリサイ派の人々がイエス様に問いかけたのは、夫が妻を離縁することの是非でした。
あくまで「夫の方から」離縁すること、妻の意志は関係ありません。「離縁状を書いて離縁することは許される」という彼らの立場も、申命記に記された次の言葉を根拠にしています。「人が妻をめとり、その夫となってから、妻に何か恥ずべきことを見いだし、気に入らなくなったときは、離縁状を書いて彼女の手に渡し、家を去らせる」
見てのとおり、夫の側に立って書かれた非常に都合の良い内容です。こんなこと認められたら、女性の方はたまらないですよね。もちろん、正当な理由なく離縁状を渡すことや熱が冷めたらすぐ放り出す、ということは当時も認められなかったでしょう。今以上に周りの目があったでしょうし、離縁した男性にも良くない噂の立つリスクがありました。
では、周りも認める妻の「恥ずべきこと」とは何だったんでしょうか? だいたい大きく2つが挙げられると思います。一つは、妻が浮気をした場合。もう一つは、妻が子どもを産めない場合です。現代でも、嫁が子どもを産めなければ、早く別の人を見つけなさいと、家族に促される夫がいます。
かつてのイスラエル社会も、子どもができない夫婦には非常に生きにくい世の中でした。家を継がせることができない、老後の面倒を見てもらえない、周りから神の祝福を受けていないと思われる、むしろ子どもができない呪われた家族と思われる。だから、妻には、嫁には別れてもらい、子どものできる相手を娶ろう。
そんな「お家の事情」に忖度したのが離縁状でした。放り出される女性のことや、別れさせられる2人の意志は、全く問われていませんでした。イエス様はそれに対し、一方的な事情ではなく、互いに思いやることを教えます。一方的な事情でパートナーを危険に晒す行為を「姦通」と変わらない罪だと教えます。
自身の呪縛?
最初にイエス様の言葉を聞いたとき、それは古い価値観、保守的な感覚のように思えました。ですが、実際には私たちが囚われている都合の良い感覚を暴き出す言葉でもありました。かつて、教会の中で満映していた「離婚は罪」という教え、2人の事情に関係なく別れを思い止まらせる姿勢は、まさに両者の事情に配慮しない一方的なものでした。
「離婚してもいい」なんて考えこそ、堪え性のない人たちに忖度している考えだ! と呟きながら、理不尽な扱いや暴力に晒される人の事情はほったらかしにされていました。それは、離縁状を書いて妻を離縁し、放り出すことを吉としたファリサイ派の態度と変わりません。イエス様は、それを吉としませんでした。
かつて、この方が批判した「律法主義」は、今も私たちのあらゆる意識に入りこんでいます。「こうするのが正しい」「ああするのは間違い」という意識に潜む、一方的な事情に根ざした考え方、互いの事情を思いやらない考え方を、イエス様は揺るがし、砕き、新しくします。
今日も、私に見えていないもの、私が見ていないことに目を向けさせる、神様の言葉を受け取って、新たな生き方に変えられましょう。
とりなし
共に主イエス・キリストが与えられた、とりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(鹿児島県大島郡の瀬戸内教会)のために、家族関係に悩んでいる人のために、友人関係に悩んでいる人のために、職場関係に悩んでいる人のために祈りを合わせます。
◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。
◆鹿児島県大島郡の瀬戸内教会のために祈ります。かな保育園の働きと地域のつながり、奄美地区の連帯がいよいよ豊かにされますように。
◆家族関係に悩んでいる人のために祈ります。家庭環境や親子の間、親戚との間に問題を抱えている人たちに、安心して休める場所と解決の糸口が与えられますように。
◆友人関係に悩んでいる人のために祈ります。理不尽な力関係、SNS上のトラブル、頼る相手を失っている人たちに、あなたの癒しと助け手が与えられますように。
◆職場関係に悩んでいる人のために祈ります。ハラスメントや労働環境、上司・同僚・部下との関係で苦しんでいる人たちに、あなたの気づきと勇気が与えられますように。
◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
讃美歌
オンライン賛美歌「神よ 諦めない心」(©️柳本和良)を2回繰り返して歌いましょう。この賛美歌も、著作者の許可を得て使用・配信しています。
主の祈り
共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。
天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、 我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。アーメン。
以上で聖書研究祈祷会を終わります。また日曜日まで、あなたに平和がありますように。