三位一体主日礼拝 Aグループ 2020年6月7日
招 詞
わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。(ヨハネによる福音書14:16)
讃美歌
オンライン讃美歌『あなたの内なる人を』(©柳本和良)を賛美しましょう。(会衆が7名を超えているので、奏楽に合わせて歌詞を朗読させていただきます)
お祈り
共に祈りを合わせましょう。
◆愛と力の源である私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて日曜日の礼拝を始めることができ、感謝致します。どうか今、教会で、自宅で、施設で、職場で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。
◆私たちの神様、多くの教会が今日から会衆の集まる礼拝を再開します。この日、久々に顔を合わせる人たちに、あなたの祝福がありますように。また、引き続き自宅待機をされる人たちに、あなたの恵みがありますように。
◆私たちの神様、今日は三位一体主日です。見えない神、見える神、感じる神として、父・子・聖霊なるあなたが、私たちに現れてくださることを感謝します。どうか今、理解を超えるあなたから、一人一人に新たな気づきをもたらしてください。
◆私たちの神様、人種、性別、出身、病気、障害などによって、差別と偏見に晒されている人の現実を、私たちが見つめることができますように。無意識に凝り固まった私自身の心を砕き、必要な変化を与えてください。
◆私たちに現れたイエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
聖 書
聖書の言葉を聞きましょう。テモテへの手紙一6:11〜16。
*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。 |
メッセージ
頑張りなさい?
テモテへの手紙全体から感じるのは「頑張りなさい」というメッセージです。たくさんの誘惑、たくさんの困難、たくさんの試練があるけれど、悪を避け、善を突き詰め、イエス様の教えを守って突き進みなさい。そうすれば、永遠の命がもらえます。苦しくても、大変でも、やがてあなたは報われます。だから頑張って、頑張って、頑張り続けなさい。
もう既に、ついていくのがしんどくなったかもしれません。この手紙は聖書に収められた書簡の中でも、特に、私たちが「どうするべきか」「どう生きるべきか」を事細かく具体的に記した文書です。こうやって感謝しなさい、こうやって祈りなさい、教師はこうありなさい、奉仕はこう行いなさい、間違った者にはこうしなさい。
会社の研修なら一日で逃げ出したくなるような、指示や掟のオンパレードです。おそらくこの手紙が書かれた頃、教会では指導者の言うことを聞かなかったり、いい加減な奉仕が行われたり、途中で信仰を捨ててしまう人がそれなりの数居たんでしょう。頑張らないと、頑張ってもらわないと共同体が崩れてしまう。みんなが信仰を失ってしまう。
そんな危機感を感じさせます。意外と私たちが持っている危機感と、そう遠くないかもしれません。信仰の継承がうまくいかない。奉仕の担い手が減っている。教会に行くモチベーションが目に見えて下がってきたようだ。目を覚まして頑張らないと、みんなに頑張ってもらわないと、このままじゃ、うちの教会は潰えてしまう。
そう、テモテへの手紙は読み手の危機感に応えた文書でもありました。ああ、また教会から人が離れていく。また評判が下がってしまった。先生、このままじゃまずい気がします。手を打たないとやばいです。どうやって信仰を守り、どうやって教会を運営していくか、世間にどうアピールするか、生活の指針、指導の内容を示してください。
大規模な震災や感染症が満映したとき、同じように私たちは求めました。この危機をどうやって乗り越え、どうやって盛り返していくか? 今必要な指示や教えは何なのか? そして、力強い指導をする人へ関心が集中していきます。具体的に誰でも分かる、インパクトの強い発言をする人へ。
それは無茶です
「頑張ろう」「元気になろう」「乗り越えよう」……実際のところ、そこまで具体的でも革新的でもない、精神論に頼った言葉が飛び交い、気がつくとだいぶ疲れている。そんな過去を繰り返している私たちが、今この文書を読み返すと、何だか皮肉に思えます。
手紙を受け取った人たちは、これで本当に頑張れたのか? テモテと一緒に手紙を読んで、しんどくならなかったのか? 何せ、この箇所も、その直前も、無理難題としか思えない要求が、次から次へと出て来ます。
「奴隷の身分の人は皆、自分の主人を十分尊敬すべきものと考えなければなりません」「食べる物と着る物があれば、わたしたちはそれで満足すべきです」「おちどなく、非難されないように、この掟を守りなさい」……今、何らかの指導者という立場の人がこんな発言を残したら、瞬く間に炎上するでしょう。
市民に対する理解がない、現実を受けとめ切れてない、あまりに勝手すぎる発言だ。週刊誌やSNSでそんなふうに叩かれるところが目に浮かびます。実際、現代の私たちからすると問題と言わざる得ない箇所が、この手紙には多数あります。信仰を捨てる人たちを貶め、教会にいる人を優位に立たせ、それ以上の離反者を何とか防ごうとする表現。
信仰を持ち続ければ報われる、永遠の命がいただける、そうでなければ滅ぼされる、離れた者は報われない! 聞く人の恐怖を煽り、不安を掻き立て、指導者の言葉に従わせる、とまで言ったら怒られるかもしれませんが、でも実際、そういう要素がある手紙です。人によっては文字どおり、「頑張らないと報われない」メッセージを受け取るでしょう。
何せ、神の意志を貫いて自分の命を差し出したイエス様まで持ち出して、有無を言わせぬ言い方で命じられる。「ポンティオ・ピラトの面前で立派な宣言によって証しをなさったキリスト・イエスの御前で、あなたに命じます。わたしたちの主イエス・キリストが再び来られるときまで、おちどなく、非難されないように、この掟を守りなさい」
キリスト者の完全
無茶だけど、そう言われたら頑張る姿勢を見せなきゃいけない。あの方も無理難題をこなしたから、せめて私も自分の体に鞭打って、従う姿勢を見せなければ……もし、読者にそう思わせて終わるなら、この手紙の役割は、あまり褒められたものじゃないでしょう。しかし、ここにイエス様が持ち出されたのは、脅しや強制のためではありません。
イエス様が十字架にかかったのは、自分の命を差し出したのは、落ち度なく、非難されない完璧な相手のためだったか? そうではないことを、聖書を読む度、私たちは思い出します。この方は自分を裏切り、自分を見捨て、自分を呪う人のため、自らの命を差し出した。最後まで頑張れなかった人たちを、自分の弟子と呼び続けた。
私が学生の頃、指導教授の先生は、華陽教会と同じルーツの「メソジスト」を自称していました。メソジストと言えば、日課を区切った規則正しい生活方法(メソッド)を推奨したことから、生真面目な印象を持たれる人たちです。まさに、テモテへの手紙に出てくるような規律を意識した教会。
なぜ、そんなメソジストを自称するようになったのか、その先生が言っていた言葉を思い出します。「メソジストは『神様が私に命じたことは神様が実行可能にしてくださる』という信頼に基づいて、キリストを模範とした完全を目指している。だから私も、同じ信頼に立つ者としてメソジストを自称する」
思い返せば、聖書の中で神に従い、神と共に歩んだと記されるのは、落ち度なく、非難されるところのない人間とは、言い難かった人たちです。言われたことに、「私じゃ無理です」「もう駄目です」と抵抗してきたモーセや預言者、弟子たちに、命じたことを実行するまで付き合い続けた神様が、私自身にも働かれる。私にも変化をもたらされる。
つまずくところの多いテモテへの手紙も、そういう信頼のもとに読み返すと、しんどさだけでなく希望が湧いてきます。イエス様の弟子たちは、その無理解や不信仰を非難されることもありましたが、見捨てられることはありませんでした。むしろ、非難されなくなるように、イエス様が天に昇ったあとも、聖霊を送られて成長していきます。
この手紙自体、著者の落ち度が見つかったり、非難されたりするところのある不完全な文章ですが、キリストを模範とする完全な生き方に向かわせるよう、人々を導く重要な手紙として用いられてきました。2000年という歴史の中で、数多の問題に直面しつつ、この手紙は切り捨てられることなく、完全な聖典の一部として読まれ続けてきました。
あなたもまた、不完全でありながら、完全な者として神に選ばれ、キリストの弟子にされた聖書の読者の一人です。イエス様は、目の前にある無理難題に対して、ただあなたを頑張らせるような方ではありません。あなたのそばで、あなたと一緒に悩み、考え、痛み、成長させるお方です。この方の命を受けましょう。
紹 介
本日、初めて教会に来られた方、久しぶりに来られた方は、よろしければ受付の方と一緒にお立ちください。配信に乗らないように、お名前は後ほど紹介させていただきます。神様の平和が皆さんと共にありますように。
とりなし
共に、礼拝につながった者として、とりなしの務めを果たしましょう。
◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。
◆世界の国民と政府のために祈ります。主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。
◆世界に広がる全ての教会のために祈ります。主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。
◆教会員のために祈ります。主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。
◆一緒に礼拝できなかった人のために祈ります。主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、一緒に礼拝できない人たちを、あなたが癒し回復してください。
◆身近な人のために祈ります。主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。
◆幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。
◆苦しんでいる人のために祈ります。主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。
◆今も生きておられ、とりなしてくださる方、主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
主の祈り
共に、主イエス・キリストが私たちに教えられた、最も基本的な祈りを祈りましょう。
天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。
献 金
感謝の献げ物として献金をします。礼拝のライブ配信に参加されている方は、また後日、教会に来られたときにおささげください。
讃美歌
讃美歌21の432番を歌いましょう。(著作権に配慮して動画のアーカイブではカットします)
祝 福
共に、神様の祝福を受けましょう。
どうか、平和の神御自身が、あなたがたを全く聖なる者としてくださいますように。また、あなたがたの霊も魂も体も何一つ欠けたところのないものとして守り、わたしたちの主イエス・キリストの来られるとき、非のうちどころのないものとしてくださいますように。アーメン。(テサロニケの信徒への手紙一5:23)