ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『食べる気になれない』 使徒言行録27:33〜44

日曜礼拝 2020年7月26日


『食べる気になれない』日曜礼拝 2020年7月26日

 

 

招 詞

水の中を通るときも、わたしはあなたと共にいる。大河の中を通っても、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。(イザヤ書43:2)

 

讃美歌

讃美歌21の419番を歌いましょう。前後左右の人と十分に距離を取って、マスクをしたまま歌います。マスクをしておられない方は、受付で使い捨てマスクをお受け取りください。諸事情でマスクを外しておられる方は、飛沫感染を避けるため歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を味わいましょう。

 

お祈り

共に祈りを合わせましょう。

 

◆愛と力の源である私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて日曜日の礼拝に集まれたことを感謝致します。どうか今、この場に集まった人たちと、自宅で、職場で、施設で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様、各地で局地的豪雨がもたらされ、新型コロナウイルスの感染も再び増加しています。どうか今、一人一人の心と体が支えられ、魂に平安がもたらされるよう、あなたの力を与えてください。

◆私たちの神様、悲しみに覆われた人、怒りに包まれた人、孤独に苛まれる人に、あなたの癒しと解放をもたらしてください。どうか今、死にたい気持ちと生きたい気持ちで揺らいでいる人たちに、必要な助けをもたらしてください。

◆私たちの神様、暴力を容認する者から、差別を擁護する者から、人権を蔑ろにする者から、独裁主義に走る者から、平和を実現するために、声を挙げ、抵抗し、踏ん張っている人たちに、心が折れた人たちに、あなたのお守りがありますように。

◆私たちに現れたイエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。使徒言行録27:33〜44(新共同訳より抜粋)

*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。

www.bible.or.jp

 

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Dimitris VetsikasによるPixabayからの画像

メッセージ

食べなくなる

食べる気になれない……挫折したとき、落ち込んだとき、絶望したとき、疲れたとき、私たちは「何かを食べよう」という気を無くします。特に、未来に希望が持てないとき、将来の望みが断たれたとき、人は「何かを口に入れる」という簡単なことさえできなくなります。

 

「食べる」って力のいることなんだな……神学部を卒業して教会で働くようになって、私はそう思う機会が増えていきました。食べる量が減っていく、食事ができなくなっていく、そんな人をたくさん見るようになったからです。

 

病気になった人や家族の介護をしている人は、その様子をすぐに思い浮かべることができるでしょう。あんなに食べることが好きだったのに、この前までバクバク食べていたのに、あるときからスプーンで一口食べることも難しくなった。「頑張って」食べるようになった。

 

若い人でも、大きなトラブルや極端な課題を抱えてしまうと、食事をする気も失せてきます。こんなこと、いつまで続けなきゃいけないんだろう? もう、どうにもできないんじゃないか? 問題を解決するために、困難から脱却するために、食べて力をつけなきゃいけないのに、それ自体できなくなってしまう。

 

そう、本当に食べなきゃならないタイミングで、私たちはしばしば食べられなくなります。それは、3度の食事に限ったことではありません。何人かから、正直に言われたことがあります。「聖書を読みたいと思えないんです」「礼拝が再開されたのに、行きたいと思うことができません」

 

御言葉こそ、私を養ってくれると信じているのに、その御言葉を味わえない。味わいたいと思えない。自分はなんて不信仰なんだ……そう思っている方に言いたいのは、あなたが経験していることは、変なことでもおかしなことでもなく、とても自然なことだということです。

 

食べ始める人

ついさっき読んだ聖書箇所にも、力をつけなきゃいけない場面で、何も食べられなくなった人たちが出てきました。それは、不当な訴えによって捕えられ、他の囚人と一緒に護送されていた、パウロの船に同乗していた人たちです。

 

彼らは、激しい風が吹き荒れる中、パウロの忠告を無視して出発したため、航路を外れて、何日も暴風の中を彷徨っていました。船はひたすら流されて、幾日も太陽や星の光が見えず、助かる望みは全く消え失せたように見えました。

 

船に乗っていた人たちは、暴風に襲われながら何日も絶食していました。食べ物がなかったわけではありません。船を軽くするために、後から穀物を投げ捨てる程度には余裕があったんです。にもかかわらず、2週間食事をとっていなかった。それくらいあれば10キロ近く体重も落ちてしまいます。

 

暴風を乗り切るためには、無事に上陸するためには、今こそ食事をとって力をつけなければならない。それなのに、恐怖と無力感で食事が喉を通らない。人が食べ物を摂らずに生きられるのはだいたい3週間と言われますから、ほっとけば死んでしまったでしょう。さらに、彼らはこの状況で祈る様子も見せません。

 

海の上で嵐に遭った出来事と言えば、旧約聖書のヨナ書が有名です。そこでも、転覆しそうな船の上で、異邦人である船員たちが、各々信じている神に向かって祈ったことが書かれています。けれども、パウロと同乗したローマの兵隊や囚人たち、そして船の乗組員は、何日も暴風に襲われて、祈ることさえできなくなっていたようです。

 

当然と言えば当然かもしれません。パウロを含め、多くの囚人たちが乗った船。その船が暴風に襲われ、波に揺られて転覆しようとしている。それこそ、罪を犯した者たちを神様が罰しようとしているのかもしれない。既に長いこと、神に祈る気持ちを失っていた人も多かったでしょう。

 

そう、この状況で食べられないことも、祈れないことも自然でした。自分なんて神に捨てられて当然だ。ここで死ぬのは免れない。出発前に、パウロの言葉に従わなかった時点で手遅れだった。この期に及んで、助かるために力をつけようとするなんて、とてもできることではありません。

 

むしろ、断食して悔い改める姿勢を見せた方が、自分を罰している方が、よっぽどマシな気がします。こんな状況で呑気に食事をする者はいませんでした。誰も自分から食べ物に手をつけようとはしませんでした。

 

一緒に食べる

そんな中、パウロはみんなに語りかけます。「今日で十四日もの間、皆さんは不安のうちに全く何も食べずに、過ごしてきました。だから、どうぞ何か食べてください。生き延びるために必要だからです。あなたがたの頭から髪の毛一本もなくなることはありません」

 

こう言ったからって、そう簡単に食べる気にはなれないでしょう。けれどもこの後、パウロは誰も手を伸ばさなかったパンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、一口、また一口と食べ始めます。みんなに無理やり食べさせることはありません。ただ、誰も口にしなかったパンを自分が食べ始めただけなんです。

 

すると、他の船員たちも一人、また一人とパンに手を伸ばしていきました。罪を犯した囚人たちも、彼らを護送する兵士たちも、等しくパンを取りました。本来なら「一緒に食べよう」と思えない人たちと、元気づいて食事をします。276人の人間が2週間経って、ようやく十分な食べ物を摂りました。

 

実はパウロ自身も、かつて復活したイエス様の幻と会い、目を見えなくされたとき、何日も食べることができませんでした。今こそ神の声に従って、キリストに従って行動しなければならないのに、何一つできなくなった彼。他人に手を引かれなければ歩くこともできず、自分から食事もとれなくなった。

 

当然です。神の敵だと思っていたキリスト者が正しくて、自分の方が、大きな過ちを犯していたと知ったんですから。これから生きていく気力も、やり直す勇気も持てません。新たに力をつける気なんて起きません。

 

けれども、パウロは自分が迫害していたキリスト者、アナニアと引き合わされ、自分のために祈ってくれる者と出会います。ずっと攻撃してきたにもかかわらず、共に食卓についてくれる仲間ができます。

 

復活したイエス様と再会した弟子たちも、自分たちが見捨てて、見殺しにしてしまった相手が目の前で食事を初めて気づきます。「ああ、この人は私と一緒に食べるために帰って来たんだ」「私たちも食べていいんだ」……そして裂かれたパンを、分けられた食事を、手にとっていく。

 

今、食べる気になれない人も、聖書を読む気になれない人も、礼拝に出たいと思えない人も、どうか安心してください。あなたはおかしな人でも間違った人でもありません。これからキリストに出会うための船に乗った人間です。その船が無事に上陸するとは思えないときこそ、あなたを満たすパンが差し出される。

 

私たちは、それを信じて礼拝に出ます。私がパンを受けるとき、聖書の言葉を味わうとき、今は、食べる気になれないあの人も、聖書を読めないあの人も、必ず神様に助けられる。「だれ一人として命を失う者はない」と聖書が語っているからです。信頼しましょう。すべての人が、この方の裂かれたパンを受け取ると。

 

紹 介

本日、初めて教会に来られた方、久しぶりに来られた方で、紹介をご了承いただいた方のみ、受付の方と一緒にお立ちください。今日は( )名の方が来てくださいました。配信に乗らないようにお名前は後ほど紹介させていただきます。神様の平和が皆さんと共にありますように。

 

とりなし

共に、礼拝につながった者として、とりなしの務めを果たしましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

◆世界の国民と政府のために祈ります。主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

◆世界に広がる全ての教会のために祈ります。主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

◆教会員のために祈ります。主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

◆一緒に礼拝できなかった人のために祈ります。主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、一緒に礼拝できない人たちを、あなたが癒し回復してください。

◆身近な人のために祈ります。主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

◆幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

◆苦しんでいる人のために祈ります。主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

◆今も生きておられ、とりなしてくださる方、主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

主の祈り

共に、イエス・キリストが私たちに教えられた、最も基本的な祈りを祈りましょう。

主の祈り。

 

天にまします我らの父よ。

願わくは御名をあがめさせたまえ。

御国を来たらせたまえ。

みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を今日も与えたまえ。

我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。

我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。

国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。

アーメン。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。礼拝のライブ配信に参加されている方は、また後日、教会に来られたときにおささげください。

 

(*新来者が来られたとき)献金は神様の恵みに対する感謝の応答です。教会の維持や運営、地区や教区の働き、福祉や慈善活動への寄付に使われます。金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、受付で配られた袋をそのままお入れください。

 

讃美歌

オンライン讃美歌『わたしたちは旅人』(©柳本和良)を歌いましょう。先ほどと同じく、前後左右の人と十分に距離を取って、マスクをしたまま歌います。諸事情でマスクを外しておられる方は、飛沫感染を避けるため歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を味わいましょう。

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

神がわたしたちを憐れみ、祝福し、御顔の輝きをわたしたちに向けてくださいますように。

あなたの道をこの地が知り、御救いをすべての民が知るために。アーメン。(詩篇67:2-3)