ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

岐阜市の華陽教会にいる牧師個人のブログ

『引き止められない』 ルカによる福音書4:31〜44

聖書研究祈祷会 2020年7月29日


『引き止められない』聖書研究祈祷会 2020年7月29日

 

 

讃美歌

それではただいまより、聖書研究祈祷会を始めます。最初に、オンライン賛美歌「離れているけれど」(©️柳本和良)を歌いましょう。飛沫感染を避けるため、マスクをしたままで歌いします。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

 

◆愛と力の源である私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、この時間に集まれたことを感謝致します。どうか今、離れている人、ここにいない人も、必要な力を受けることができるように導いてください。

◆私たちの神様、岐阜県商業高校に続いて、中部学院大学でも新型コロナの感染が確認されました。どうか今、治療中の人、感染拡大を防いでいる人、その友人や家族を支え、回復へと導いてください。

◆私たちの神様、国内のキリスト教会でも、クラスター感染が起きています。私たちの教会もいつ同じことが起きるか分かりません。どうか今、感染症の予防と、感染が起きた場合の対処に必要な対応を導いてください。

◆私たちの神様、この期間、十分に配慮できてない方々や、置いてけぼりにしてしまった方、長らくコンタクトの取れていない人がおられます。どうかこの後、一人一人とつながって、互いに支え合うことができるように導いてください。

◆私たちと共におられるイエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。ルカによる福音書4:31〜44(新共同訳より抜粋)

 

イエスはガリラヤの町カファルナウムに下って、安息日には人々を教えておられた。人々はその教えに非常に驚いた。その言葉には権威があったからである。ところが会堂に、汚れた悪霊に取りつかれた男がいて、大声で叫んだ。「ああ、ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」イエスが、「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになると、悪霊はその男を人々の中に投げ倒し、何の傷も負わせずに出て行った。人々は皆驚いて、互いに言った。「この言葉はいったい何だろう。権威と力とをもって汚れた霊に命じると、出て行くとは。」こうして、イエスのうわさは、辺り一帯に広まった。イエスは会堂を立ち去り、シモンの家にお入りになった。シモンのしゅうとめが高い熱に苦しんでいたので、人々は彼女のことをイエスに頼んだ。イエスが枕もとに立って熱を叱りつけられると、熱は去り、彼女はすぐに起き上がって一同をもてなした。日が暮れると、いろいろな病気で苦しむ者を抱えている人が皆、病人たちをイエスのもとに連れて来た。イエスはその一人一人に手を置いていやされた。悪霊もわめき立て、「お前は神の子だ」と言いながら、多くの人々から出て行った。イエスは悪霊を戒めて、ものを言うことをお許しにならなかった。悪霊は、イエスをメシアだと知っていたからである。朝になると、イエスは人里離れた所へ出て行かれた。群衆はイエスを捜し回ってそのそばまで来ると、自分たちから離れて行かないようにと、しきりに引き止めた。しかし、イエスは言われた。「ほかの町にも神の国の福音を告げ知らせなければならない。わたしはそのために遣わされたのだ。」そして、ユダヤの諸会堂に行って宣教された。

 

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Steve BuissinneによるPixabayからの画像

メッセージ

悪霊が引き止める

教会の中で多くの人は、イエス様のことを優しい方、穏やかな方、謙虚な方だと思っています。傷ついている人がいたらソッと近寄り、嫌われ者にも声をかけ、一人一人に暖かく接してくれる人格者……ところが、実際に聖書を読んでいると、イエス様って、わりとズカズカ他人の領域に踏み込んでくる。

 

ルカによる福音書4章には、まだ活動を始めたばかりのイエス様が、ユダヤの会堂で大胆に教えを語ったことが記されています。けっこういきなり……つい最近、ガリラヤで宣教を始めたばかりなのに、突然みんなの「先生」として壇上に立つなんて、どれだけ図々しいんでしょう?

 

しかも、直前に別の会堂で話をして会衆の怒りを買い、町の外へ追い出されたばかりです。下手すれば、崖から突き落とされるところだったのに、また同じように会堂へ来て、安息日に教え始める。けっこう面の皮が厚い人ですよね? 人々もイエス様が語るのを聞いて驚きます。

 

ポッと出なのに、なんて言葉に力があるんだろう? そう言えば、この前ナザレで追い出された人じゃない? もしかして、うちでも騒ぎを起こすんじゃないか?……実際、不安の種になることがありました。それはこの日、汚れた霊に取り憑かれた男が、会堂の中にいたことです。

 

イエス様が接触すれば、間違いなく騒ぎが起きる……私がここの会衆だったら、イエス様とこの男を引き合わせなくはないでしょう。案の定、悪霊に取り憑かれた男はイエス様を見て大声で叫びます。「ああ、ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか」

 

かまわないでくれ、ほっといてくれ……まさに、ここにいた誰もが抱いていた感情。どうかこの場をかき乱さず、そっと帰ってくださいな! ここには解決してない問題があるけれど、これ以上大事にしたくないんです。変に首を突っ込まないで、大きな事件を起こさないで、静かにしていてもらえます?

 

「かまわないで」と引き止める悪霊の声に対し、イエス様は容赦なく踏み込んで答えます。「黙れ。この人から出ていけ」……すると、悪霊は取り憑いていた男を投げ倒し、その人から出て行きました。誰一人として「ここへ来てほしい」「悪霊を追い出してほしい」と求めなかったにもかかわらず、イエス様はやって来て、この人を救い出しました。

 

身内が引き止める

次にイエス様は会堂を立ち去り、シモンの家へ行きました。後からイエス様の弟子になるシモン・ペトロの自宅です。ちょうど、彼の姑が高い熱を出して寝込んでいるときでした。当時の高熱は、生死を左右する事態です。正直、突然の来客をもてなす余裕はありません。シモンにとって「今来るのは勘弁して」「今はソッとしといて」というタイミング。

 

既にこの時、ガリラヤの会堂で汚れた霊を追い出したイエス様の噂は、辺り一帯に広まっていました。シモンの耳にも、おそらく入っていたでしょう。ところが彼は、自分からイエス様に「姑を癒してくれ」と頼む気配がありません。むしろ、周りにいた人々の方が「彼女を助けてくれ」と頼みます。

 

たぶん彼は、イエス様が姑を救えるなんて、そこまで信じていなかったんだと思います。周りがイエス様に頼まなければ、彼は姑を引き合わせることはなかったでしょう。高熱は悪霊によってもたらされると信じられ、身内が汚れた状態である今、大勢の人が家に押しかけるのは好ましくない状態だったに違いありません。

 

けれども、「そっとしといて」「かまわないで」と彼らが思うタイミングで、イエス様は容赦なく家へ入り、姑の熱を叱りつけて、彼女を癒してしまいます。「うちへ来てほしい」「姑を癒してほしい」と身内が求めなかったにもかかわらず、イエス様はやって来て、彼女を救い出しました。

 

群衆が引き止める

朝になると、イエス様は家を出て、人里離れた所へ出て行きました。昨日の時点で、シモンの姑が癒されるのを見て、多くの人が様々な病気で苦しむ人を連れて来ていました。きっと、まだまだたくさんの人が病気を癒してもらいたいと、イエス様のもとへやって来るはずだったに違いありません。

 

けれども、大勢の人に求められるタイミングで、イエス様は人里離れた所へ行きました。みんなが探し回らなければならない所へ行きました。「どうかこの村にいてください」「私たちの近くにいてください」「まだ癒してほしい人がいるんです」……自分を引き止める人たちに、イエス様はこう言います。

 

「ほかの町にも神の国の福音を告げ知らせなければならない。わたしはそのために遣わされたのだ」……そして、再びユダヤの諸会堂へ出発する。きっと意味が分からなかったと思います。ユダヤの会堂は、かつてイエス様が追い出されたところです。ここはイエス様を引き止めているところです。なぜ、追い出されると分かっている所へ行くんでしょう?

 

イエス様に限らず、イエス様を信じる弟子たちも、会堂から何度も追い出されました。途中で反発されたり、話を聞いてもらえなくなりました。話を聞いてくれる所もあったのに、自分たちを求めてくれる所もあったのに、イエス様は自分を求めることもできない人のもとへ、ずっと出かけていきました。

 

誰も引き止められませんでした。「先生、絶対こっちの方が居心地いいでしょう?」「見てください。みんなあなたを求めています。私たちにはあなたが必要です」……けれど、みんな忘れているんです。自分たちも最初は、イエス様を求めてさえいなかったこと、来てほしいと、助けてほしいと思ってさえいなかったことを。

 

イエス様は、自分に助けを求めていない、救いを期待していない、むしろ、自分が来るのは都合が悪いと思っている人の所へ、ズカズカと踏み込んでくる方でした。そして、「この人に救いを求めればいい」「この方に助けてって言えばいい」と人々が気づくと、まだ「助けて」と言えない人のもとへ向かいます。

 

自分をよく知りもしない、自分に期待していない、自分に失礼を働く人たちに、この方は躊躇なく訪れて、新しい出会いをもたらします。「来てほしくない」と思っても、「行って欲しくない」と思っても、誰も引き止められません。かつて、私のもとへ来るのをためらわなかったように、この方は思わず敬遠する所へ、何度も出かけていくんです。

 

今日も、意図せずイエス様と出会った人たちに、驚きと、ショックと、神様の豊かな恵みがありますように。

 

分かち合い

配信はここまでにしたいと思います。もし、動画を見ている方で、分かち合いたいことや質問がある場合は、動画のコメント欄をご利用ください。あなたの手が、キリストの愛と平和で満たされますように。

 

それでは、今日参加された方々と感想や質問を分かち合いたいと思います。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(愛媛県八幡浜市の日土教会)のために、体が不自由な人のために、心が沈んでいる人のために、祈っている人自身のために祈りを合わせます。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆愛媛県八幡浜市の日土教会のために祈ります。この教会と共にある幼稚園との働きが、これからも豊かに支えられ、イエス様の愛を伝えていくことができるように、一人一人を助けてください。

◆体が不自由な人のために祈ります。怪我や痛みや障がいによって、自由に動くことが困難な人に、あなたの恵みがありますように。それぞれの人生に喜びや楽しみをもたらしてください。

◆心が沈んでいる人のために祈ります。自分で自分の感情をコントロールできないとき、望まない行動や発言をしてしまうとき、自虐と後悔を繰り返すとき、必要な変化と癒しを与えてください。

◆私自身のために祈ります。自分が間違えたときに気づく勇気と、謝る誠実さと、行動を正す力をもたらしてください。また、曲げてはならないもの、貫きとおさなければならないものを見極めさせてください。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

オンライン賛美歌「離れているけれど」(©️柳本和良)をもう一度歌いましょう。

 

主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。主の祈り。

 

天にまします我らの父よ。

願わくは御名をあがめさせたまえ。御国を来たらせたまえ。

みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を今日も与えたまえ。

我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、 我らの罪をも赦したまえ。

我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。

国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。アーメン。

 

以上で聖書研究祈祷会を終わります。また日曜日まで、あなたに平和がありますように。