ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『お話し中に眠ったら』 ルカによる福音書7:11〜17

日曜礼拝 2023年7月9日


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説 明

教会にお集まりの皆さん、おはようございます。オンラインで配信を見ている方も、おはようございます。まもなく、10:30から礼拝が始まります。礼拝の最中は、携帯をマナーモードにしていただき、後から来た人も座れるように、席の譲り合いをお願いします。

 

礼拝の中で、立ち上がって賛美歌を歌うところや、立ち上がって祈りを合わせるところもありますが、体が不自由な方や疲れている方は座ったままで大丈夫です。賛美歌、聖書、交読文は、備え付けの籠からお使いください。それでは、もうしばらくお待ちください。

 

案 内

華陽教会では、賛美中のマスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、日曜日の礼拝も配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、神の招きにあずかりましょう。

 

前 奏

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)

 

招 詞

ヤコブよ、あなたを創造された主は/イスラエルよ、あなたを造られた主は/今、こう言われる。恐れるな、わたしはあなたを贖う。あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ。(イザヤ書43:1)

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌Ⅱ編の154番「あめつち造りし」を歌います。諸事情でマスクを着用できない方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。差し支えない方は、お立ちください。

 

お祈り

ご着席ください。共に祈りを合わせましょう。

◆慰めと希望をもたらす私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、日曜日の礼拝を始めることができ感謝いたします。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。岐阜地区の山間部にある教会のために祈ります。毎週、礼拝に来られない人、足腰が弱ってきている人に、あなたの支えがありますように。どうか今、それぞれの会堂が守られて、新しく来る人との出会いが導かれますように。

◆私たちの神様。県外から来られている人のために祈ります。遠くから電車や車で時間をかけて、岐阜まで来られている人に、あなたの慈しみがありますように。家から教会までの行き来が良くなって、末長く健康が守られますように。

◆私たちの神様。配信を見ている人のために祈ります。直接、礼拝に参加できず、配信を通して祈りを合わせてくださる人たちに、あなたの励ましがありますように。必要な力と励ましが、あなたから与えられ、今週も新しく生きていくことができますように。

◆一人一人を支え起こす、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。ルカによる福音書7:11〜17、使徒言行録20:7〜12(新共同訳より抜粋)

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。交読詩編も同様に後からカットしています。

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交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編35:1〜10(新共同訳交読詩編より抜粋)

『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。ご着席のままで大丈夫です。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌21の149番「わがたまたたえよ」を歌いましょう。差し支えない方は、お立ちください。

 

Gábor AdonyiによるPixabayからの画像

メッセージ

週の初めの日、宣教者パウロの話を聞いていた青年が、ひどく眠気を催し、3階の窓から落ちて死んでしまった。笑い話のように聞こえますが、もちろん現実には笑えません。週の初めの日と言えば、日曜日です。日曜日に、パンを裂くために集まると言えば、キリストの十字架と復活を思い起こす聖餐式、礼拝に集まるということです。

 

つまり、まだ若い青年が、日曜日に礼拝へ来て、教会の窓から落ちて死んでしまった、若者が、牧師の話を聞いている間に亡くなった、という話です。華陽教会も2階の部屋、階上の部屋で聖書を開き、賛美を歌い、祈りを合わせて礼拝していますが、ここから誰か落ちて死んだとなれば、礼拝どころではありません。

 

原因は単純です。翌日出発する予定なのに、パウロが夜中まで、長々と話を続けたからです。何時に始まったのかは分かりませんが、深夜まで話が続いたら、誰だって眠くなるに決まっています。真面目に聞いてないとか、信仰が足りないとか、そんな次元じゃありません。誰もが眠くなって当然の状況で、青年は眠りこけ、窓から落ちてしまいました。

 

もちろん、窓に腰をかけていたのはよくなかったでしょう。しかし、パウロは翌日この街から出発し、居なくなる予定でした。大勢の人が、最後に話を聞こうと集まって、挨拶に来ていたでしょう。部屋の中はいっぱいだったはずです。一人でも多く人が入れるように、青年が窓に腰をかけ、席を譲ってあげたとしたら、そう簡単に責められません。

 

悲劇としか言いようのない事件でした。青年が窓から落ちたのを見ると、パウロはすぐに1階へ降り、彼のもとへ駆け寄ります。しかし、起こしてみると、もう死んでいました。あっさり書いてありますが、はっきり死んでいたことが告げられます。エウティコという青年の名は「運がいい」という意味でしたが、ここでは運がなかったようです。

 

次に期待されるのは、パウロが青年に何か呟き、彼を起こして生き返らせることです。パウロが信じて従うようになったイエス様も、ナインの町で亡くなった青年に「若者よ、あなたに言う。起きなさい」と言って、生き返らせました。パウロと同じく、イエス様の弟子であるペトロも「タビタ、起きなさい」と言って死んでいた女性を生き返らせました。

 

けれども、パウロはいっこうに青年を起こす気配がありません。彼に向かって、「起きなさい」と呼びかけません。ただ、周りの人に向かって、「騒ぐな。まだ生きている」と言うだけです。そして、何事もなかったかのように、また上へ行って、パンを裂き、夜明けまで話し続け、そのまま出発してしまいました。

 

青年はどうなったのか、気になる私たちに、聖書は淡々と伝えます。「人々は生き返った青年を連れて帰り、大いに慰められた」……いつの間にか、生き返っています。まるで、ただ気を失っていた人間が、朝になって目が覚めたかのように、あっさり、青年は帰ってきます。しかし、確かに彼は、昨晩起こしたときには死んでいました。

 

不思議な話です。いつ生き返ったのか、どうやって復活させたのか、何も分からないまま、気がつくと青年は起き上がっていました。パウロも出発していました。死者が甦る奇跡なのに、その奇跡がいつ、どうやって起こされたのか、何一つ描かれません。むしろ、パウロは最初から、青年が死んではいないかのように行動します。

 

「騒ぐな。まだ生きている」……自分が最初に抱き抱え、死んでいるのを確認したにもかかわらず、周りから見ても死んでいるようにしか思えないのに、パウロは青年が「生きている」と言いました。「死んでいない」と言いました。そういえば、かつてイエス様も、ヤイロの娘が亡くなったとき、言いました。

 

「泣くな。死んだのではない。眠っているのだ」……そのとき人々は、娘が死んだことを知っていたので、イエス様を嘲笑いました。けれども、イエス様が「娘よ、起きなさい」と呼びかけると、彼女は目を覚まして起き上がりました。いずれも、死によって、イエス様との関係が、信じているものとの関係が、否定されそうなときでした。

 

信じていたのに死んでしまった、聞いていたのに眠ってしまった、起きなきゃいけないのに起きれなかった……そんなとき、私たちは度々耳にします。信仰が足りなかったんだ、祈りが足りなかったんだ、心が離れてしまったんだ……けれども、神の子であるイエス様は、その断絶を否定します。死んだのではない、この人と私との関係は続いているのだ。

 

もう一つ、「眠り込んだ者」と「死」の話で、連想される出来事があります。それは、イエス様が十字架にかかって殺される前夜、ペトロとヤコブとヨハネの3人だけ連れて、オリーブ山で祈ったときの話です。イエス様は、自分が十字架にかかって死ぬ日を前に、汗を血の滴るように落としながら、苦しみもだえて、切に祈っていました。

 

しかし、そのとき離れたところで、一緒に祈っているよう頼まれた弟子たちは、「誘惑に陥らぬよう祈りなさい」と言われていたにもかかわらず、眠り込んでしまいました。福音書によっては、一度ばかりでなく、三度にわたって、弟子たちが眠りこけてしまったことが書かれています。

 

まさに、イエス様との関係が、信じているものとの関係が、死んでしまう、失われてしまうことを象徴するような出来事でした。しかし、イエス様は眠りこけた彼らを起こし、最後まで自分と一緒についてくるよう呼びかけます。彼らが裏切って、見捨てて逃げてしまった後にも、復活して、再び現れ、もう一度「わたしに従いなさい」と呼びかけます。

 

彼らとの関係を「死んだまま」「眠ったまま」にはされませんでした……パウロも知っていました。自分がイエス様の教えと業を語っているときに眠りこけ、死んでしまったこの青年は、イエス様との関係が切れたわけでも、失われたわけでもないことを。自分に現れてくれたイエス様が、この青年にも現れて、手を取って起こしてくださることを。

 

だから、彼は再び上へ上がって、夜明けまでイエス様について語ります。かつて、イエス様から離れていた自分が、イエス様に呼びかけられて、この道へ帰ってきたことを伝えます。この青年も、イエス様から見放されたわけではなく、今まさに、イエス様から「起きなさい」と呼びかけられ、自分と同じように、新しく起こされることを語ります。

 

「お話し中に眠ったら」……もしかしたら、メッセージのタイトルを聞いて、ドキッとした方もいるかもしれません。自分も度々、礼拝の途中で、メッセージの途中で眠ってしまう。起きてられなくなってしまう。そのことを怒られるんだろうか? 信仰が足りないと、熱心さがないと、責められるんだろうか?

 

安心してください。イエス様は、信じているのに眠ってしまう、体が倒れてしまう人とも、自分との関係は続いていると言われます。私とあなたとの関係は切れていない、死んでいない、失われていない、と語ります。あなたが眠っていても呼びかけられ、「起きなさい」と手を取って、新しく生きるための力をもたらします。

 

たとえ今、私の話を聞いている間に寝てしまうことがあっても、目を開けていることができなくなっても、あなたとイエス様との関係は死にません。パウロが話している間に、青年がイエス様によって生き返ったように、私の話が聞こえなくなっても、イエス様の声は、あなたを内側から起こし、新たに立たせてくださいます……さあ、起きなさい。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、オンライン賛美歌21番「心騒ぎ不安になる夜に」(©︎柳本和良)を歌います。差し支えない方は、お立ちください。

 

 

使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の2頁をご覧ください。

紹 介

本日も、初めて礼拝に来られた方、初めて配信を見られた方、久しぶりに参加された方と一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。

 

とりなし

共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろの方の1頁をご覧ください。

 

司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

司会:世界の国民と政府のために祈ります。
会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。
会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

司会:教会員のために祈ります。
会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

司会:今日ここに出席できなかった人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、ここに見えない人たちを、あなたが癒し回復してください。

司会:身近な人のために祈ります。
会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。
会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

司会:苦しんでいる人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

司会:今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。
一同:アーメン。

 

主の祈り

イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。オンライン讃美歌の後ろの方の4頁をご覧ください。差し支えない方は、お立ちください。

 

 

聖句と主題

御着席ください。今年度の年間聖句を心に留めて、今週も新しく遣わされましょう。

 

年間聖句

イザヤ書43:18〜19a「初めからのことを思い出すな。昔のことを思いめぐらすな。見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている」

 

年間主題

華陽教会では、今年度「新しいことを行おう」というテーマで、イザヤ書43:18〜19aを年間聖句にしています。

 

今週は、岐阜地区の教会、保育園、幼稚園、学校、それぞれのために祈りつつ、交換講壇や、数年ぶりに再開する地区サマーキャンプに向けて、準備を進めていきましょう。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。献金に、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください。

 

献金の祈り(例)

神様、私たちが持っている物は皆、あなたからいただいたものです。今、私自身の生き方をあなたの御用のためにおささげします。どうか、ここに献げた献金も、あなたの求めていることに用いてください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」の2節を歌いましょう。

 

讃美歌

オンライン賛美歌10番「祝福」を歌いましょう。差し支えない方はお立ちください。

 

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。(使徒言行録1:8)

 

祝 福

見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守る。わたしは決して見捨てない。(『讃美歌21』93-7-6 創世記28:15より)

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった 名、同時に視聴された 名、計 名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝いたします。

 

来週の日曜日も、三密を避けた会衆礼拝を配信と並行して行います。教会に来られる方は賛美中のマスク、消毒、換気、加湿、三密回避の座席調整にご協力いただけるよう、お願いします。それではまた日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。