ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『裁かない方法なんてある?』 ローマの信徒への手紙14:10〜23

平和聖日礼拝 2020年8月2日


『裁かない方法なんてある?』平和聖日礼拝 2020年8月2日

 

 

招 詞

主はあなたの城門のかんぬきを堅固にし、あなたの中に住む子らを祝福してくださる。あなたの国境に平和を置き、あなたを最良の麦に飽かせてくださる。(詩編147:13〜14)

 

讃美歌

讃美歌21の419番を歌いましょう。前後左右の人と十分に距離を取って、マスクをしたまま歌います。マスクをしておられない方は、受付で使い捨てマスクをお受け取りください。諸事情でマスクを外しておられる方は、飛沫感染を避けるため歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を味わいましょう。

 

お祈り

共に祈りを合わせましょう。

 

◆愛と力の源である私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて日曜日の礼拝に集まれたことを感謝致します。どうか今、この場に集まった人たちと、自宅で、職場で、施設で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様、戦後75年目の平和聖日を迎えました。どうか今、かつて犯した過ちと、これからできる償いと、未来に必要な選択を、みんなで見つめていくことができるように導いてください。

◆私たちの神様、香港で強引な国の採決に抗議している人たちが、次々と逮捕されています。トラブルや怪我人も出ています。どうか今、自由と人権のために声を挙げている人たちが守られ、その周囲も守られ、健全な体制ができますように。

◆私たちの神様、肌の色や出身によって、不当な扱いを受けてきたアフリカ系アメリカ人の人々が、本来の生きやすさを取り戻すことができますように。どうか今、一人一人が現実を知って、認識と行動を変えられるように導いてください。

◆私たちに現れたイエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。ローマの信徒への手紙14:10〜23(新共同訳より抜粋)

*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。

www.bible.or.jp

 

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Epyc WynnによるPixabayからの画像

メッセージ

裁いてしまう

今日は平和聖日です。名前のとおり、「平和について考える日」「平和のために行動する日」「平和のために祈り合う日」です。しかし、正直困っています。私が華陽教会に赴任してから、ちょうど3回目の平和聖日を迎えましたが、果たして自分に何が言えるか、毎年分からなくなります。

 

なぜか? それは、どれだけ綺麗に平和を語り、どれだけみんなで平和を祈り、どれだけ対立をなくそうと訴えても、自分自身に、対立をやめようという気がないからです。「もう互いに裁き合わないようにしよう」……聖書に出てきたパウロの呼びかけは、私たちにプレッシャーを与えます。

 

戦争をとめる、争いをやめる、対立をなくす第一歩として、誰もが思いつく言葉。「互いに裁き合わない」……お前は間違っている! あなたは正しくない! と言うのを止めにして、相互に理解し、立場を認め、配慮しながら生きていく……ぶっちゃけ、できませんよね?

 

私にはできません。「正しくない」と思っている相手に「裁かない」態度をとるなんて。自分の信念に反する相手、正しさを拒絶する相手に対し、「本当はこうすべきじゃないですか?」「あなたのやっていることは間違っていませんか?」という態度になるのは、自然なことだと思います。

 

否定する相手

ローマの信徒への手紙が書かれたとき、教会には、これまでの食物規定や特定の日を重んじる人と、それらの社会通念にこだわらず、新しい生き方をする人に分かれていました。現代的に分かりやすいたとえをするなら、酒やタバコに手を出さず、友引には葬儀を避ける人たちと、そういったことに、こだわらない人たちとで分かれていたわけです。

 

この手紙を書いたパウロなどは、どちらかと言うと後者でした。自分がこれまで持っていた古い生活信条から自由になって、生活スタイルの違う異邦人や外国人と、一緒に神様を礼拝する。かつての掟に縛られず、様々な立場の人を思いやる。そんな生き方を選んでいました。

 

一方、これまで大事にしてきた生活スタイルを変えたくない人もたくさんいました。そもそも、偶像に供えられた肉を口にしないよう気をつけたり、酒を飲まないようにしたりするのは、神様への信仰と礼拝における姿勢を大事にするためでした。日曜日、神様を礼拝する日に、自分がどのような態度で臨むか、いつも注意し、考えている人たちでした。

 

両者は度々ぶつかります。互いに譲りたくない信念があります。「異なる生活スタイルの人を排除するなんて愛がない!」と言う人もいれば、「神様を礼拝するのに姿勢や態度にこだわらないのか!」と言う人もいます。それぞれ、大事にしようとしていることは間違っていないのに、裁かずにはいられません。信念が否定されるからです。

 

食べ物のことで

奇しくも、現在のキリスト教会では、この箇所のように食べ物のことで、聖餐式のことで、争いが続いています。教会に初めてきた人、信仰を告白していない人も、キリストの十字架と復活を記念するパンとぶどう酒にあずかれるフリー聖餐、信仰を告白した人のみがあずかることを認めたクローズドの聖餐……話題にするだけで緊張します。

 

あらゆる人を排除せず、全ての人が神の恵みを受けられるようにと訴える人、聖餐は信仰者が信仰者であり続けるために制定されたから、信仰告白の意志確認を大事にしようと訴える人……どちらも目指していること、大事にしていることは、そんなに間違ってないと思います。けれども、現実には互いに裁き合い、政治的な争いに発展している。

 

私自身は、聖餐を受けることが信仰者であることを表す以上、受ける人の自己決定権を尊重するために、もっと議論が必要だと思いますが、これからの聖餐をどうしていくかより、どの聖餐が正しいかに終始している現実があります。かつてのローマ教会で、これからどう生きていくかより、どの生活信条が正しいかで、裁き合ってしまったように。

 

そんな中、これまでの社会通念や掟に縛られることを痛烈に批判してきたあのパウロが、意外なことを口にします。「すべては清いのですが、食べて人を罪に誘う者には悪い物となります」「肉も食べなければぶどう酒も飲まず、そのほか兄弟を罪に誘うようなことをしないのが望ましい」……だいぶ、掟にこだわる人たちに寄り添った態度です。

 

パウロは自分の信念と同様に、相手の確信も尊重します。「間違っているんじゃないか」と疑わせながら食べさせることは、結局罪に定められる。確信に基づかない行動をさせるなら、それらはすべて罪になる。だいぶ、ずっしりとした言葉ですよね? 私たちはだいたい多数決で、相手の確信を捨てさせてでも自分の信念を通しますから。

 

裁かない方法

けれど、平和を実現する態度って、まさにこういうことだと思うんです。私の正しさで相手の正しさを捨てさせない。むしろ、相手が本当に大事にしようとしていることを互いが見つけ、一緒に大事にする方法を探していく……それが「裁かない方法」なんじゃないかと思います。

 

経済の回復を大事にしようとする人も、市民の安全を優先しようとする人も、防衛を強化しようとする人も、社会福祉を充実させようとする人も、たった一つのキーワードで裁き合いが始まりますが、自由や、命や、仲間や、つながりを大事にするため、それぞれが持っている確信には、きっと認め合える部分が見つかるでしょう。

 

かつて、全ての人のために十字架にかかったイエス様は、対立するグループであった律法学者やファリサイ派に対し、「あなたは神の国から遠くない」「正しい答えだ」と返されることがありました。弟子たちも仰天したと思います。基本的には、ずっと批判している相手だったからです。

 

この方は、私たちが侮り、裁き、批判している人のためにも十字架にかかってくださいました。私たちが「兄弟」と言えない相手のことも、「友」と呼べない人のことも、見捨てず、諦めず、認めていきました。同じ食卓につきました。私たちも、自分が裁いてしまう相手と、同じテーブルへ着くために、新しい一歩を、今このとき踏み出しましょう。

 

紹 介

本日、初めて教会に来られた方、久しぶりに来られた方で、紹介をご了承いただいた方のみ、受付の方と一緒にお立ちください。今日は( )名の方が来てくださいました。配信に乗らないようにお名前は後ほど紹介させていただきます。神様の平和が皆さんと共にありますように。

 

とりなし

共に、礼拝につながった者として、とりなしの務めを果たしましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

◆世界の国民と政府のために祈ります。主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

◆世界に広がる全ての教会のために祈ります。主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

◆教会員のために祈ります。主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

◆一緒に礼拝できなかった人のために祈ります。主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、一緒に礼拝できない人たちを、あなたが癒し回復してください。

◆身近な人のために祈ります。主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

◆幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

◆苦しんでいる人のために祈ります。主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

◆今も生きておられ、とりなしてくださる方、主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

主の祈り

共に、イエス・キリストが私たちに教えられた、最も基本的な祈りを祈りましょう。

主の祈り。

 

天にまします我らの父よ。

願わくは御名をあがめさせたまえ。

御国を来たらせたまえ。

みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を今日も与えたまえ。

我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。

我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。

国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。

アーメン。

 

食卓を囲めない日の祈り

 

本日は、月の第一日曜日なので通常は聖餐式がありますが、感染症の流行に伴い、パンとぶどう液の配餐はしばらくの間休止しています。その代わり、「命のパン」「命の水」である神の言葉を受け取って、互いに神の祝福を宣言する「見えない食卓」にあずかりましょう。

 

賛美歌

ただいまより、「食卓を囲めない日の祈り」を始めます。最初に、オンライン賛美歌「神よ 諦めない心」(©️柳本和良)を歌いましょう。

 

招 き

かつて、私たちの主イエス・キリストは、パンを求めて集まってきた群衆に言われました。「わたしは命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。(ヨハネ6:35)」「わたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。(ヨハネ6:57)」

 

また、主は水を求めてやって来たサマリアの女性に言われました。「わたしが与える水を飲む者は、決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。(ヨハネ4:14)」

 

主は、荒れ野で悪魔の誘惑を受け、空腹の中「石がパンになるよう命じたらどうだ」と言われたとき、「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる(マタイ4:4)」と答えました。そうして悪魔は離れ去り、主はガリラヤに帰られて、人々に神の言葉を与えました。

 

今、様々な事情で食卓を囲めない私たちに、主は「命のパン」「命の水」である神の言葉を与えます。食事が喉を通らず水も飲めない人々に、みんなと一緒に食事を味わえない人々に、神様は新しい糧をもたらします。

 

共に、聖書を通して与えられた神の恵み、神の祝福を分かち合う、見えない食卓を囲みましょう。

 

感謝の祈り

恵みと祝福の源である私たちの神様、あなたは私たちの欠乏を満たす「命のパン」「命の水」をお与えになります。孤独に共感を、対立に連帯を、恐怖に信頼をもたらします。あなたは私たちを死の恐れから解放するため、御子イエス・キリストを遣わされ、共に渇き、共に飢え、共に痛みを負われました。

 

ご自分が渇いているときに、孤立した女性に水を求め、新しいつながりを与えました。ご自分が飢えているときに、神の言葉に信頼し、人々に希望を示しました。パンがなく、水がなく、共に食卓を囲めないとき、あなたの言葉一つ一つは、私たちに見えない糧をもたらします。

 

どうか今、あなたから受けた恵みと祝福を、私たちも互いに分け合う者とならせてください。あなたの愛と平和がこの世界を満たしますように。アーメン。

 

とりなし

共に、「命のパン」「命の水」である「神の言葉」を分け合いましょう。皆さんの隣に、前に、後ろにいる人、あるいはそばに居られない人、共に集まれない人のために、あなたが受け取った神の祝福を宣言しましょう。

 

司式者:主は言われます。

一 同:「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる(ルカ23:43)」

司式者:私たちも知らせましょう。

一 同:「主があなたと共におられます」

 

司式者:主は言われます。

一 同:「あなたがたに平和があるように(ヨハネ20:19)」

司式者:私たちも答えましょう。

一 同:「主のお言葉どおりになりますように」

 

応答の祈り

感謝の応答として、共に祈りをささげましょう。

 

信仰と希望と愛をもたらす私たちの神様、今ここで、食卓を囲めない日に、「命のパン」「命の水」であるあなたの言葉を分かち合えたことを感謝致します。日々、あなたがもたらされる日用の糧も、心を養う御言葉の糧も、必要なとき、必要な仕方で備えられてきました。

 

足りない者には与える者が、失くした者には見つける者が、一人の者にはつながる者がもたらされます。どうか今、私自身も、あなたからいただくつながり、発見、恵みの数々を、共に分け合う者として、送り出してください。

 

主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。礼拝のライブ配信に参加されている方は、また後日、教会に来られたときにおささげください。

 

(*新来者が来られたとき)献金は神様の恵みに対する感謝の応答です。教会の維持や運営、地区や教区の働き、福祉や慈善活動への寄付に使われます。金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、受付で配られた袋をそのままお入れください。

 

讃美歌

オンライン讃美歌『わたしたちは旅人』(©柳本和良)を歌いましょう。先ほどと同じく、前後左右の人と十分に距離を取って、マスクをしたまま歌います。諸事情でマスクを外しておられる方は、飛沫感染を避けるため歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を味わいましょう。

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

平和の源である神があなたがた一同と共におられるように、アーメン。(ローマの信徒への手紙15:33)