日曜礼拝 2020年9月27日
『エジプトがイスラエルになる』日曜礼拝 2020年9月27日
招 詞
主の慈しみは世々とこしえに、主を畏れる人の上にあり、恵みの御業は子らの子に、主の契約を守る人、命令を心に留めて行う人に及ぶ。(詩編103:17、18)
讃美歌
マスクをしたままで讃美歌21の3番を歌いましょう。諸事情でマスクを外しておられる方は、飛沫感染を避けるため歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を味わいましょう。
お祈り
共に祈りを合わせましょう。
◆愛と力の源である私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、日曜日の礼拝に集まれたことを感謝致します。どうか今、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。
◆私たちを諭し続ける母なる神様。この一週間も、思いと言葉と行いによって、あなたを悲しませてしまったことをお赦しください。どうか今、自分の行いを振り返り、見つめ直す勇気を与えてください。
◆私たちを支え続ける父なる神様。この一週間も、怒りや悪意をぶつけられ、痛みや苦しみを覚えてきました。どうか今、私たちの受けた傷、私たちのもたらした痛みを癒し、回復させてください。
◆私たちを正し続ける友なる神様。この一週間も、様々なことに迷いつつ、あなたがいつも傍にいてくれたことを感謝致します。どうか今、語るべきこと、行うべきこと、選択すべきこと、一つ一つ揺れ動く私たちに指し示してください。
◆私たちの傍におられるイエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
聖 書
聖書の言葉を聞きましょう。歴代誌下7:11〜16(新共同訳より抜粋)
ソロモンは主の神殿と王宮を完成し、この神殿と王宮について、行おうと考えていたすべての事を成し遂げた。その夜、主はソロモンに現れ、こう仰せになった。「わたしはあなたの祈りを聞き届け、この所を選び、いけにえのささげられるわたしの神殿とした。わたしが天を閉じ、雨が降らなくなるとき、あるいはわたしがいなごに大地を食い荒らすよう命じるとき、あるいはわたしの民に疫病を送り込むとき、もしわたしの名をもって呼ばれているわたしの民が、ひざまずいて祈り、わたしの顔を求め、悪の道を捨てて立ち帰るなら、わたしは天から耳を傾け、罪を赦し、彼らの大地をいやす。今後この所でささげられる祈りに、わたしの目を向け、耳を傾ける。今後、わたしはこの神殿を選んで聖別し、そこにわたしの名をいつまでもとどめる。わたしは絶えずこれに目を向け、心を寄せる。」
もう一箇所、エフェソの信徒への手紙3:14〜21(新共同訳より抜粋)
こういうわけで、わたしは御父の前にひざまずいて祈ります。御父から、天と地にあるすべての家族がその名を与えられています。どうか、御父が、その豊かな栄光に従い、その霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強めて、信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように。また、あなたがたがすべての聖なる者たちと共に、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように。わたしたちの内に働く御力によって、わたしたちが求めたり、思ったりすることすべてを、はるかに超えてかなえることのおできになる方に、教会により、また、キリスト・イエスによって、栄光が世々限りなくありますように、アーメン。
メッセージ
エジプト関係ないじゃん
「エジプトがイスラエルになる」……今日のメッセージに、何でこんなタイトルをつけたのか気になっている人も多いでしょう。見てのとおり、皆さんと読んだ聖書箇所には、どこにも「エジプト」なんて出てきません。旧約にも新約にも、エジプトの「エ」の字も出てこない。
むしろ、神に背いてイスラエル人を奴隷にしていたエジプト人より、神の民として選ばれたイスラエル人、信仰者について語られています。歴代誌には、完成したイスラエルの神殿に、神様が自分の名を留めると約束したことが書かれていました。エフェソの信徒への手紙には、信仰者の心の内に神様がキリストを住まわせてくださると書かれています。
そう、もともと今日のテーマは「神の住まい」「キリストの住まい」である神殿についてです。「神は私と共におられる」「キリストは今も傍におられる」そんな希望と喜びを与えるために、神様が語りかけた言葉。神様は私から離れていかないか? 私を見なくならないか? そんな不安や不信から救い出そうとする言葉。
はっきり言って、神様と敵対し、十の災いを下された、あのエジプト人の話なんて、ここで聞きたくないですよね? もともとはイスラエルの祖先と親しくし、繁栄してきたエジプトから、神様が自分の民を連れ出した話。神様が「あなたのもとに留まろう」と言っているところで、神様がある国民から離れた出来事を持ち出すというナンセンス。
けれども、イスラエルに語られた神様の言葉には、その出来事を思い出させる表現がありました。「わたしが天を閉じ、雨が降らなくなるとき、あるいはわたしがいなごに大地を食い荒らすよう命じるとき、あるいはわたしの民に疫病を送り込むとき」……これって明らかに、エジプトに下された数々の災いですよね? 思い出さないわけがありません。
エジプトと変わらない
小さい頃から教会に通っている人、またはミッション系の幼稚園や学校で育ってきた人は、繰り返しエジプト人とイスラエル人の話を聞いてきたでしょう。神様に従ったイスラエル人は救われて、神様に背いたエジプト人は災いをもたらされた。エジプト人のようにならないように、神様の言葉に従いましょう。素直で良い子になりましょう。
子どもの頃は「ああ、そうか……」と思っていましたが、だんだん大人になってくると、正しいことを言われても、それを素直に受け入れられない、言われたとおりに従えないことがほとんどだと分かってきます。何度、過ちを繰り返しても、また同じことで怒られてしまう。良心に従うことなく生きてしまう。
実は、自分もあのエジプト人とほとんど変わらない。懲りずに失敗を繰り返す人間だと分かってくる。何か悪いことが起こる度、震災や台風や感染症が流行る度に、神様が私から離れて災いをもたらしたんじゃないか? と考えてしまう。自分は神の怒りに触れて、神に捨てられたんじゃないか? と不安になる。
どこかでそう思ったとき、あるいは誰かにそう言われたとき、今日イスラエルに語られた言葉を思い出してほしいんです。「今後この所でささげられる祈りに、わたしの目を向け、耳を傾ける。今後、わたしはこの神殿を選んで聖別し、そこにわたしの名をいつまでもとどめる。わたしは絶えずこれに目を向け、心を寄せる」
これは、神様が雨を降らせず、いなごに大地を食い荒らさせ、民に疫病を送り込むような相手……ようするに、エジプトと同じように神の言葉に背いてしまう、神の言葉に従えずにいる、愚かでかたくなな態度を繰り返す民へ言われた言葉です。そう、神に選ばれたイスラエルだって、何度も同じ過ちを犯していました。神様に従えていませんでした。
何度も怒られ、何度も諭され、それでも再び間違える民に、神様は「やれやれ……」と語るんです。あなたが失敗して、また私を悲しませたときも、私はあなたのもとに留まっている。私はあなたと共にいる。もう一度私に祈り、私を求め、悪の道を捨てて立ち返りなさい。私はあなたの声を聞き、あなたの罪を赦し、あなたのいる場所を癒すからだ。
あなたの内に留まる神
歴代誌では、神様が「わたしの名をもって呼ばれているわたしの民」と言えば、イスラエルの民のことでした。しかし、エフェソの信徒への手紙には「天と地にあるすべての家族がその名を与えられています」と書かれています。直前の3章前半にも、異邦人のために宣教者が遣わされたと書かれていました。
かつて神様に背き、信仰者を奴隷にしていた外国の民エジプト人が、「神の民」と呼ばれることはありえないことでした。少なくとも、イスラエルの人々はそう思っていました。何度も大きな過ちを犯した彼らは、二度と神様に受け入れられないと……しかし、自分を裏切り、自分を見殺しにした弟子たちを赦し、愛された神の子イエス・キリストは、何度も過ちを繰り返してしまう全ての人に留まります。
神様を信じていなかった人も、信じることをやめた人も、信じる人を嫌っていた人も、イエス様はその人の内に留まり続け、彼らが祈り、自分を求め、悪の道を捨てて立ち帰るように「私はあなたの前にいる」と呼びかけます。いつでもそこが、賛美と祈りをささげる神殿となるように、私たちの中におられます。
もはやエジプトもイスラエルも関係ありません。キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さは尋常じゃありません。私たちの想定をはるかに超えておられます。かつて、イエス様が「自分の家に留まるなんてありえない」と思っていた徴税人ザアカイにも、イエス様はこうおっしゃいました。「今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」
私は神の民、イスラエルの仲間を裏切ったのに、神様を悲しませたのに、あなたは私の家に泊まりにくる……驚きと共に、心の内にイエス様を迎えたザアカイは、大きく変えられていきました。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します」
イエス様から名前を呼ばれ、悪の道を捨てて立ち帰ろうとした彼の声は、天から耳を傾けた神様に届き、罪を赦され、癒されます。エジプトがイスラエルに、徴税人が弟子に、信じない者が信じる者に変えられます。もはや、神は離れ去ったと思われる人の中にさえ、この方は留まっているんです。
そう、あなた自身がイエス様の留まる神の家、聖なる建物、見えない教会でもあるんです。あなたの内なる人を強めてくださるように、あなたの心の内にキリストがおられます。
紹 介
本日、初めて来られた方、久しぶりに来られた方で、紹介をご了承いただいた方のみ、受付の方と一緒にお立ちください。配信に乗らないようにお名前は後ほど紹介させていただきます。神様の平和が皆さんと共にありますように。
とりなし
共に、祈りを合わせる者として、とりなしの務めを果たしましょう。
◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。
◆世界の国民と政府のために祈ります。主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。
◆世界に広がる全ての教会のために祈ります。主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。
◆教会員のために祈ります。主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。
◆一緒に礼拝できなかった人のために祈ります。主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、一緒に礼拝できない人たちを、あなたが癒し回復してください。
◆身近な人のために祈ります。主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。
◆幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。
◆苦しんでいる人のために祈ります。主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。
◆今も生きておられ、とりなしてくださる方、主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
主の祈り
共に、イエス・キリストが私たちに教えられた、最も基本的な祈りを祈りましょう。
主の祈り。
天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。
献 金
感謝の献げ物として献金をします。礼拝のライブ配信に参加されている方は、また後日、教会に来られたときにおささげください。
(*新来者が来られたとき)献金は神様の恵みに対する感謝の応答です。教会の維持や運営、地区や教区の働き、福祉や慈善活動への寄付に使われます。金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、受付で配られた袋をそのままお入れください。 |
讃美歌
オンライン讃美歌『あなたの内なる人を』(©柳本和良)を歌いましょう。マスクを外しておられる方は、飛沫感染を避けるため歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を味わいましょう。
祝 福
共に、神様の祝福を受けましょう。
父がわたしを世にお遣わしになったように、わたしもあなたがたを世に遣わします。(ヨハネによる福音書17:18より)
キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように。(エフォソの信徒への手紙3:18)