ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『嘘つきは救われますか?』 イザヤ書59:12〜20

日曜礼拝 2020年12月6日


『嘘つきは救われますか?』日曜礼拝 2020年12月6日

 

案 内

おはようございます。礼拝前に感染症対策についてアナウンスがあります。寒くなってきたので、礼拝の中で3度、最初の讃美歌と、交読文と、メッセージ後の讃美歌の間、会堂の窓を開放し、換気の時間を作ります。後ろにいる方は窓の開閉にご協力ください。

 

また、室内の人数が16名を超えた場合は、体に無理のない方、目や耳が悪くない方に、ロビーや3階集会室、2階配信部屋への移動をお願いしています。ご協力どうぞよろしくお願いします。それでは前奏を聞いて、神様を礼拝する準備をしましょう。

 

招 詞

神は、わたしの福音すなわちイエス・キリストについての宣教によって、あなたがたを強めることがおできになります。この福音は、世々にわたって隠されていた、秘められた計画を啓示するものです。(ローマの信徒への手紙16:25)

 

讃美歌

会堂の窓を開放しましょう。マスクをしたままで、旧讃美歌521番「イェスよ 心に宿りて」の1、2節を歌います。諸事情でマスクを外しておられる方は、飛沫感染を避けるため歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を味わいましょう。(*起立のジェスチャー)

 

お祈り

(*着席のジェスチャー)共に祈りを合わせましょう。

 

◆人と人との間におられる私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて日曜日の礼拝に集まることができ、感謝致します。どうか今、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの友なる神様。アドヴェント第2週目を迎え、来週には子どもたちのクリスマス会が行われます。どうか今、幼稚園、学校、病院、自宅、あるいは外にいる子どもたちを温め、喜びと楽しみをもたらしてください。

◆私たちの母なる神様。怪我をした人、病気の人、衰えを感じている人に、あなたの癒しがありますように。どうか今、教会に集まれない人、顔を合わせられない人も、あなたの希望を一緒に受け取れるように整えてください。

◆私たちの父なる神様。感染症が再び増加する中で、心と体と魂を養う聖餐を、何とか再開しようとしています。どうか今、感染による痛みからも、抑制による辛さからも、一人一人が守られるように、バランスの取れた生活をさせてください。

◆私たちを癒し、守り、正されるイエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。イザヤ書59:12〜20(新共同訳より抜粋)

*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。

www.bible.or.jp

 

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445693によるPixabayからの画像

メッセージ

偽り背き裏切る自分

クリスマスが楽しみな子と、そうでない子がいるとしたら、その違いは何でしょう? パッと思い浮かぶのは、欲しかったプレゼントが貰えなくなってしまった。一緒に祝う家族や友達が集まらなくなってしまった。病気や怪我のせいで自分だけ家に帰れない……ようするに、その日、他の人には訪れる喜びが、自分には訪れないという違いです。

 

世の終わり、救い主の再臨を怖がっている信仰者も、他の人には訪れる救いが、自分には訪れないことを予想して恐れ、辛くなり、期待できないでいるかもしれません。私は救われず、取り残されるかもしれない。だって私は善人じゃない。謙虚じゃないし、優しくもない。神に好かれる人間じゃない。

 

クリスマスが近づくにつれ、良い子じゃない自分、素直になれない自分を顧みて、パーティーに呼ばれず、プレゼントが貰えない未来を想像し、その日が来るのを喜べない、小さな子どもに似ています。かつて、救い主の訪れを待ち望んでいた人々も、一方で、この日をひどく恐れていました。

 

「御前に、わたしたちの背きの罪は重く/わたしたち自身の罪が不利な証言をする。背きの罪はわたしたちと共にあり/わたしたちは自分の咎を知っている」……「君は良い子にしていたかな?」サンタさんの問いかけに対し、口籠ってしまう誰かのように、私たちも、救い主に来てもらえるか、プレゼントを受け取れるか、なかなか自信を持てません。

 

全てを知っている神の前で、嘘をつかない自分でいられたか? 神から与えられた良心に、背かないでいられたか? 心の中で、神に約束したことを、破らず守ってこられたか?……厳密なチェックを受けるなら、私はあっさりアウトです。

 

もし、イザヤ書の言葉どおり、神が人の業に従って報いるお方なら、刃向かう者に憤りを示すお方なら、私たちに訪れるのは、救い主がもたらす永遠の命ではなく、救い主から見放され、取り残される未来です。クリスマス当日、パーティーに呼んでもらえず、プレゼントを貰えない「悪い子」とされた人間です。

 

正義が行われない

そりゃ、メシアが来るのを喜べません。来たら、私たちは締め出されて終わりですから……いやいや、そこまで悲観的にならなくてもいいじゃないか? 別にあなたは、そんなに悪い人間じゃない。犯罪や不法は犯してないし、直接暴力も奮っていない。後ろめたいことはないじゃないか?

 

確かに、たいていの人は悪を避け、罪を犯さないように生きています。個人として見た場合、自分はそこまで悪い奴じゃないかもしれません。でも神様は、個人の生き方だけでなく、共同体の生き方、社会のあり方を度々追及されました。

 

たとえ、あなたが悪を避けていても、クラスが、会社が、教会が、組織的・集団的な悪を犯してしまうことはよくあります。パワハラを、セクハラを、いじめを放置し、誰も正そうとはしない。

 

イスラエルの社会全体の悪を問われた神様は、私たちがこの国で、「自分は罪を犯していない」と言って、不当な扱いを受ける沖縄や、理由なき学術会議任命拒否や、公文書改ざんを正そうとしないなら、同じ告発を繰り返すでしょう。「まことは失われ、悪を避ける者も奪い去られ、正義は行われていない」

 

たぶん、皆さんの中で「今言われたことを自分が正さなきゃいけない」と思っている人は、ほとんどいないでしょう。そうでしょう? 確かに正さなきゃいけない問題だけど、私がやらなきゃとは思わないでしょう? 信仰は個人的なもの、社会や政治とは切り離すものと考えている……預言者が何度も告発してきたイスラエルの人々もそうでした。

 

みんな、自分が正さなきゃいけないなんて思いませんでした。間違いなく、この民の一員だけれど、私は私個人の罪を犯さなければ、それで良いと思っていました。たとえ、同胞が虐げられ傷ついていても。自分が誰かにされるように、抑圧され支配されていても、それに向き合うつもりはありませんでした。大半の人が。

 

執り成す者がいない

そんな民の様子を嘆かれる神の姿が記されます。「主は人ひとりいないのを見/執り成す人がいないのを驚かれた」……誰かを「執り成す」という言葉は、殊にキリスト教会でよく聞かれます。意味としては、誰かと誰かを仲裁する。自分に免じて、誰かがゆるしてもらえるように取りはからう。そんな内容です。

 

私たちも毎週、聖書の話を聞いた後、執り成しの祈りをささげます。最初にいつも祈るのは、世界の国民と政府のためです。ちょっと抵抗がある人もいるでしょう。ある国の人々は少数民族を激しく追い詰め、自国の政府は不義や不正を直そうとしない。彼らの罪が赦されるよう、どうして祈ることができようか? そんな簡単に赦せません。

 

そう、執り成しというのは決して、ある人々の問題を、そのまま受け入れることじゃないんです。問題を大目に見たり、なかったことにして、蓋をする行為じゃないんです。むしろ執り成しというのは、その人の過ちを一緒に精算することです。一緒に謝り、一緒に反省し、一緒に方向転換することです。

 

教会員の誰かが、別の教会員にセクハラされたとき、執り成すつもりで被害者に「ゆるしてあげて」「大目に見て」と言ってしまうかもしれません。加害者の問題を小さくし、取り繕ってあげることが「ゆるすこと」「執り成すこと」と思いがちかもしれません。だって過ちを犯した人に問題を気づかせ、認知を正し、反省させるなんて普通できません。

 

この人が過ちに気づくまで、反省するまで付き合うから、どうか私に免じてゆるしてください……どこにそんなお人好しがいるでしょう? 反抗する人に根気よく語り続ける、面倒見の良い人がいるでしょう? 執り成しって、人間が一人でできるものじゃありません。たいていは、迷い出た羊を諦めるように、切り捨てて締め出すものなんです。

 

でも、神様は執り成す者がいないところへ「贖う者」として現れます。嘘をつき、反抗し、裏切る人を救うため、見捨てられてなお、仲直りしに訪れる、究極のお人好しを送られます。それが神と人とを執り成す救い主イエス・キリストです。プレゼントを取り上げられ、パーティーから締め出された人を連れ帰るよう、この方は迎えに来るんです。たとえ、相手が素直に喜ばなくても。

 

神の国へ連れ帰る方

クリスマスは、救い主の訪れを喜べなかった人たちの出来事です。イエス様の母となるマリアも、父となるヨセフも、エルサレムの住民も、羊飼いたちも、みんな救い主の誕生を聞かされたとき、驚き、恐怖し、不安になりました。「これで自分も救われる」と素直に喜べた人はいませんでした。本当に、自分も救われるか不安な私たちと同じです。

 

けれども、イエス様は神の国の祝宴に、良い子が招かれるパーティーに、入れないはずの私たちを、自ら迎えに来られました。永遠の命というギフトを持って「わたしについてきなさい」と呼びかけ、神の国へ帰る道のりを進みます。何度も迷い、道を逸れてしまう私たちに、何度も羊飼いとして現れ、元の道へと連れ帰ります。

 

私を執り成すイエス様は、私が一人で執り成せない、私が一人で連れ帰れない人たちも一緒に執り成してくださいます。だから、自分一人じゃ変えられないと分かっている政府や国民や教会のために、私たちは執り成す祈りをささげます。嘘をついて偽る者も、神に背いて虐げる者も、悔い改めて救われるように、付き合い続ける方がいます。

 

クリスマスまで、残り2週間となりました。皆さんを神の国へ連れ帰り、永遠の命をもたらされるイエス様の再臨が近づいています。その日がいつ来るかは分かりませんが、あなたにも、あなたが執り成す者にも、この方の救いが近づいていることを喜びましょう。そして、この喜びが、さらに広がっていくように、あなたも準備し、出て行きなさい。

 

讃美歌

会堂の窓を開放しましょう。マスクをしたままで、(讃美歌21)444番「気づかせてください」の1、3節を歌います。諸事情でマスクを外しておられる方は、飛沫感染を避けるため歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を味わいましょう。(*起立のジェスチャー)

 

紹 介

本日、初めて来られた方で、ご了承いただいた方のみ、案内した方と一緒にお立ちください。ようこそいらっしゃいました、神様の平和が皆さんと共にありますように(拍手)。配信に乗らないように、お名前は後ほど紹介させていただきます。

 

とりなし

本日、ここに招かれた人たちで、とりなしの務めを果たしましょう。お手元にあるとりなしの祈りの用紙をご覧ください(持っていない方がおられたら、近くの方と一緒にご覧ください)。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

◆世界の国民と政府のために祈ります。主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

◆世界に広がる全ての教会のために祈ります。主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

◆教会員のために祈ります。主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

◆一緒に礼拝できなかった人のために祈ります。主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、一緒に礼拝できない人たちを、あなたが癒し回復してください。

◆身近な人のために祈ります。主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

◆幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

◆苦しんでいる人のために祈ります。主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

◆今も生きておられ、とりなしてくださる方、主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

主の祈り

共に、イエス様が教えられた最も基本的な祈り、『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです(*起立のジェスチャー)……主の祈り。

 

天にまします我らの父よ。

願わくは御名をあがめさせたまえ。

御国を来たらせたまえ。

みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を今日も与えたまえ。

我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。

我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。

国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。

アーメン。(*着席のジェスチャー)

 

聖 餐

ただいまより、聖餐式を始めます。本日は接触感染と飛沫感染を防ぐため、先にカップを配らせていただき、聖別後、ぶどう液を一人一人注がせていただきます。係の方は、アルコール消毒をして、カップの配布をお願いします。(*司式者、配餐者は手指の消毒をする)

 

主の食卓への招き

(*この間に配餐者はカップを配る)

兄弟姉妹、今から神の民の祝宴が開かれます。主は言われました。「やがて人々は東から西から、北から南から来て、神の国で共に食卓に着く」

 

また、主は十字架につけられる夜、残される弟子たちに、杯を交わして言われました。「神の国で、あなたがたと共に新たに飲むその日が来る」……この食事は、やがて来たる神の国で開かれる、主の食卓の先取りです。

 

主は、救いを待ち望む者に、ご自分が用意された祝宴にあずからせてくださいます。この方を信じ、その信仰を公に告白した方は、進んでパンと杯を受けましょう。また、信仰を告白していない方、共に集った兄弟姉妹も、キリストのとりなしと祝福を受けましょう。

 

感謝と聖別の祈り

世界の創造者、また統治者である神よ、あなたはご自分にかたどって私たちを造り、あなたを愛し、あなたに仕え、全被造物と平和のうちに生きるために、この世界に住まわせられました。私たちがあなたに逆らい、信頼と服従を拒んだ時にも、あなたは私たちをお見捨てにならず、ご自分のものと呼んでくださいました。あなたは私たちを、ご自分の道に立ち返らせるため、御子イエス・キリストを世に遣わしてくださいました。

 

主イエスは、罪人と共に食事をし、その生き方を新たにし、信じない者を信じる者に、滅ぶべき者が永遠の命にあずかるために、十字架にかかってくださいました。そして、死という絶対的な隔たりを超えて、ご自分を見捨てた者たちに現れ、「あなたがたに平和があるように」と宣言してくださいました。

 

私たちの神よ、どうか、今ここにあるパンと杯を受け入れ、御言葉と聖霊によって、聖なるものとしてください。そして、これによって、御子イエス・キリストの尊い体と血にあずからせてください。これにあずかる者たちが、皆キリストの体と一つになり、永遠の命を受け継ぐことができますように。

 

陪 餐

ただいまより、パンとぶどう液を配ります。誰でも洗礼を受けて信仰を告白し、この食事にあずかることができます。洗礼式はキリスト者になるための式で、この聖餐式はキリスト者であり続けるための式です。ですから、この食事には洗礼を受け、信仰を告白してからあずかることをお勧めします。

 

まだ、洗礼を受けておらず、信仰を告白していない方は、恐れ入りますが、しばらくお待ちください。皆さんの信仰の自由と、その決断とを尊重させていただきます。なお、洗礼を受けて信仰を告白した方は、進んでこの聖餐にあずかり、パンと杯を受けない方へ、神様の祝福と平和を祈りましょう。

 

(パンを配るとき)

これは、あなたがたのために与えられた主イエス・キリストの体です。あなたのために主が命を捨てられたことを覚え、感謝をもってこれを受け、御子イエス・キリストとの交わりにあずかりましょう。

 

(パンを配り終わったら)

パンを手にしている方は、パンを受け取っていない方へ、神様の祝福を祈りましょう。

 あなたの手が、キリストの愛と平和で満たされますように。

アーメン。

食べなさない。あなたがキリストから受けて、あなたから分けられるように。

 

(杯を注ぐとき)

これは、あなたがたのために流された主イエス・キリストの血潮です。あなたのために主が血を流されたことを覚え、感謝をもってこれを受け、御子イエス・キリストとの交わりにあずかりましょう。

 

(杯を注ぎ終わったら)

杯を手にしている方は、杯を受け取っていない方へ、神様の祝福を祈りましょう。

 あなたの手が、キリストの愛と祝福で満たされますように。

アーメン。

飲みなさい。あなたがキリストから受けて、あなたから溢れ出るように。

 

陪餐後の感謝

共に、感謝の祈りをささげましょう。

 

愛と憐れみの主である全能の神よ、今日この場に、若者も年長者も、信仰を告白した者も告白していない者も、共にあなたが招いてくださったことを感謝致します。あなたは今、御子イエス・キリストの尊い体と血によって、私たちを養い、この食事を見ている全ての者を結び合わせてくださいました。

 

あなたはこれによって、私たちに対する愛と恵みを示し、私たちが御子の体の手足であること、御国を受け継ぐ者であることを確かにしてくださいました。今、イエス・キリストを通して、自分の体を生きた聖なる供え物として献げます。どうか聖霊を注いで、私たちをこの世に遣わし、あなたが求めていることを行わせてください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

会堂の窓を開放しましょう。マスクをしたままで、オンライン賛美歌「すべてを売り払い」を歌います。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。礼拝のライブ配信に参加されている方は、また後日、教会に来られたときにおささげください。

(*新来者が来られたとき)献金は神様の恵みに対する感謝の応答です。教会の維持や運営、地区や教区の働き、福祉や慈善活動への寄付に使われます。金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、受付で配られた袋をそのままお入れください。

 

讃美歌

もう一度、オンライン讃美歌『すべてを売り払い』(©柳本和良)を歌います。

(*起立のジェスチャー)

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。(マタイによる福音書7:7、8)

 

祝 福

父である神とわたしたちの主キリスト・イエスからの恵み、憐れみ、そして平和があるように。(テモテへの手紙二1:2)