聖書研究祈祷会 2020年12月23日
『イスラエルの自虐史観?』聖書研究祈祷会 2020年12月20日
案 内
現在、華陽教会の聖書研究祈祷会は、配信に載せる第一部と、配信後、時間のある人と質問や感想を分かち合う第二部に分けて行っています。牧師に相談やお話がある方は、ぜひ、配信後も2階集会室へおいでください。
讃美歌
それでは、第一部「聖書研究会」を始めます。最初に、讃美歌21の255番「生けるものすべて」を歌いましょう。飛沫感染を避けるため、マスクをしたままで歌います。
お祈り
ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。
◆人と人との間におられる私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて水曜日の聖書研究祈祷会を初めることができ、感謝致します。どうか今、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を必要としている人を祝福してください。
◆私たちの神様。日曜日にはアドヴェント第4週目のクリスマス礼拝を無事行うことができ、感謝致します。どうか今、日曜日来られなかった人、いつものようにゆっくりできなかった人にも、より大きな恵みがありますように。
◆私たちの神様。明日のクリスマス・イブは、例年のキャンドルサービスに代わって、有志の人たちと演奏をささげてお祝いするクリスマスお楽しみ会が開かれます。どうか今、思いっきり歌えない夜も、豊かに恵みを分かち合えるよう導いてください。
◆私たちの神様。クリスマスを前にして、健康、家庭、仕事、学校、進路、友人、恋愛のことで、思い悩んでいる人に、あなたの導きをお与えください。どうか今、それぞれに必要な知らせをもたらし、あなたの希望で満たしてください。
◆私たちと共におられるイエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
聖書朗読
聖書の言葉を聞きましょう。イザヤ書59:1〜15(新共同訳より抜粋)
*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。 |
メッセージ
まさか、アドヴェントに入ってから2回もこんな記事を読むとは思いませんでした。12月9日の礼拝に参加した人は、覚えているでしょうか? ちょうど、今読んだ聖書箇所の最後の辺り、『嘘つきは救われますか?』というタイトルで、私が話したところです。「御前に、わたしたちの背きの罪は重く/わたしたち自身の罪が不利な証言をする」
なかなか重たい言葉ですよね? 実は、イザヤ書59章は1節から読んでいくと、もっと重たい話でした。読者に対し、「お前はダメだ」というメッセージを、これでもかと言うほど突きつける。苦しい状況で呻いている人に対し、「神がお前を救えないのではなく、お前が神の救いを妨げている」と返される。
なんて容赦ない言葉でしょう? 外国で捕まっていたイスラエル人が、帰還を許された後も、荒廃した故郷を目の当たりにし、復興がままならない中、「悪いのはお前たちだ」と言われるわけです。戦後、疲弊しきった国民に対し、戦前戦中にどんな罪を犯したか、一つ一つ思い出させる。
手は血で、指は悪によって汚れ、唇は偽りを語り、舌は悪事を呟く。みんな自分のことに必死で、正しい訴えをする者はなく、真実をもって弁護する人もいない。誰も自らの責任を取ろうとはせず、平和の道を知らず、正義は退いている……事実だとしても、終わった後で、帰って来た後で、「そこまで言います?」ってなるかもしれません。
しかも、ご存知の通り、戦後、預言者が告げたこの言葉は、人々が忘れてはならない歴史として、ずっと語り継がれてきました。預言者による告発と、それを認める民の証言。「背きの罪はわたしたちと共にあり/わたしたちは自分の咎を知っている」……教科書どころか、聖なる書、信仰の書として、全ての国民に語り継がれてきた。
ちょっと前に、「自虐史観」という言葉が盛んに繰り返されていました。ちょうど、戦後70年を迎えた2015年前後、キリスト教会でもちょくちょく議論になった言葉です。自虐史観……自国における負の歴史をことさら強調して、自分の国を貶めているという批判。若い世代の自信を奪い、自己嫌悪をもたらしているという主張。今でも時々耳にします。
確かに私を含め、戦争を知らない世代にとって、戦前戦中にどれだけひどいことをしてきたか、どんなに愚かなことをしたか、繰り返し語られている時間は、気持ちの良いものではありません。自分の国、自分の先祖が犯した罪を、忘れないように語られる。繰り返さないように教えられる。
何でそんなこと言うの?……って感じることもあるでしょう。もう終わったことじゃん? ずっと昔の話じゃん? それより、若い世代に自信と希望を持たせてよ。良い国だって思わせてよ。クリスマスに、こんな話を蒸し返さないでくださいな……まあ、すごく自然な反応です。
でも、クリスマスって、イスラエルにおける負の側面をさらしていく出来事でもありました。アッシリア、バビロニア、ペルシャに続き、ローマに支配された国で、身重の女性が、容赦なく住民登録へ行かされた。彼女のような人のために、誰も配慮を訴えられなかった。妊娠中の女性のために、部屋を譲ってくれる宿泊客さえいなかった。
救い主誕生の知らせを聞いて、外国の博士たちと一緒に行く人もいなかった。赤ん坊を殺そうとするヘロデ王に、抵抗する者もいなかった。ベツレヘム周辺の男の子を虐殺せよとの命令も、止める人たちはいなかった。「その手は血で、指は悪によって汚れ」「正しい訴えをする者はなく、真実をもって弁護する者もない」
疲弊した民に語られたイザヤの言葉は、この時代も受けとめられず、本来、民全体で祝うはずだった救い主の誕生は、一部の人だけ、宿屋に泊まれなかった家族と、野宿していた羊飼いと、外国から来た博士たちによって祝われました。キリスト者が、このように信仰共同体を振り返ることも、「自虐」と言われたら、そうなのかもしれません。
聖書を読んでいれば、信仰の書と呼ばれる本に、信仰の先輩方の黒歴史が、これでもかというほど載っていると思い知らされます。教会で何度、神の民として選ばれたイスラエルの不義、不正、背きの罪が語られたでしょう? 彼らは信仰共同体である私たちの、神の民とされた私たちの負の歴史を告白します。
「御前に、わたしたちの背きの罪は重く/わたしたち自身の罪が不利な証言をする」……にもかかわらず、神様は我々に介入し、期待し続け、救われるように、慰めも、警告も、希望も、忠告も与えてきた。この方を前に、私たちが自分の罪を告白するのは、決して「自虐」ではなく、むしろ「自愛」だと思うんです。
なぜなら、罪の告白は、罰を受けて終わるためではなく、これから新しい生き方をする出発のためになされるからです。クリスマスに、自分の弱さ、愚かさ、情けなさに打ちひしがれ、喜ぶ気持ちになれないでいる人は、幸いです。あなたは家から追い立てられ、宿屋に泊まれず、家畜小屋にしか身を置けなかったあの家族と、新しい出発をするからです。
ここに呼ばれた博士のように、ここに呼ばれた羊飼いのように、あなたも恐れず、出発しなさい。「平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え、救いを告げよ!」
とりなし
共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(鳥取県日野郡 日野教会)のために、泊まる所がない人のために、家に帰れない人のために、家から出られない人のために、祈りを合わせましょう。
◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。
◆鳥取県日野郡の日野教会のために祈ります。長年、信仰を守ってきた2人の信徒に、あなたの祝福がありますように。教会に新たな兄弟姉妹が招かれ、恵みを分かち合う相手と出会えますように。
◆泊まる所がない人のために祈ります。雨の日も、雪の日も、私が泊めるのを拒んでしまった、あのイエス様の家族の一人に、あなたの助けがありますように。どうぞ今度は、屋内に、家の中に、案内することができるよう、私を導いてください。
◆家に帰れない人のために祈ります。施設から、病院から、職場から、海外から、クリスマスに家へ帰れない人たちを憐れんでください。離れている人たちと、共に喜びを得られるように、つながりと結びつきを強めてください。
◆家から出られない人のために祈ります。病気のため、怪我のため、衰えのため、リスクのため、外へ出ることができない人に、あなたの慈しみがありますように。行きたい所へ行けない間も、出発の準備を整えられるように、あなたがそばにいてください。
◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
讃美歌
オンライン賛美歌「歌い、踊り、跳ね、笑い、叫べ」を歌いましょう。こちらも、飛沫感染を避けるため、マスクをしたままで歌います。
主の祈り
共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。主の祈り。
天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、 我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。アーメン。
以上で第一部「聖書研究会」を終わります。配信後、時間のある方は飛沫防止用のパーテーションをつけた2階集会室で、質問や感想などを分かち合う第二部「分かち合い」のときを持とうと思います。また日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。