ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『目標が立てられない』 イザヤ書61:1〜11

元旦礼拝 2021年1月1日


元旦礼拝 2021年1月1日

 

案 内

あけましておめでとうございます。礼拝前に感染症対策についてアナウンスがあります。寒くなってきたので、礼拝の中で3度、最初の讃美歌と、交読文と、メッセージ後の讃美歌からとりなしの祈りまで、会堂の窓を開放し、換気の時間を作ります。

 

後ろにいる方は窓の開閉にご協力ください。寒い方は、コート、帽子、マフラーをつけたままで大丈夫です。受付で膝掛けもお貸しています。借りられた方は、返却口へお返しください。

 

また、室内の人数が16名を超えた場合は、体に無理のない方、目や耳が悪くない方に、ロビーや3階集会室、2階配信部屋への移動をお願いしています。ご協力どうぞよろしくお願いします。それでは前奏を聞いて、神様を礼拝する準備をしましょう。

 

招 詞

新しい歌を主に向かって歌え。全地よ、主に向かって歌え。主に向かって歌い、御名をたたえよ。日から日へ、御救いの良い知らせを告げよ。(詩編96:1〜2)

 

讃美歌

会堂の窓を開放しましょう。マスクをしたままで、旧讃美歌300番「みそらのかなたに」を歌います。諸事情でマスクを外しておられる方は、飛沫感染を避けるため歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を味わいましょう。(*起立のジェスチャー)

 

お祈り

(*着席のジェスチャー)共に祈りを合わせましょう。

 

◆この世界を新たにされる、私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、今年最初の礼拝に集まることができ、感謝致します。どうか今、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの母なる神様。去年も最初から最後まで、あなたがいつも共にいて、私たちを守り、支え、導いてくださったことを感謝致します。どうか今、打たれ、崩され、放置されている人のもとへ、私たちを送り出してください。

◆私たちの父なる神様。新しく始まった年も、あなたは常に働きかけ、私たちを新たにしてくださいます。どうか今、目標も、希望も、期待も持てなくなった人たちに、新しい発見と使命を与え、立ち上がる力をもたらしてください。

◆私たちの友なる神様。今日、家族と一緒に過ごせない人、友達と一緒に集まれない人、建物の中に入れない人を、癒し、励まし、力づけてください。どうか今、あなたがもたらす新しいつながりに、私たちみんなを加えてください。

◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。イザヤ書61:1〜11(新共同訳より抜粋)

*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。

www.bible.or.jp

 

交読文

会堂の窓を開放して、詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編65:10〜14

(*起立のジェスチャー)

(*新来者が来られたとき)讃美歌21の後ろの方をお開きください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、会衆の方は、一段下がったところと太字のところをお読みください。(新共同訳交読詩編より)

 

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USA-ReisebloggerによるPixabayからの画像

メッセージ

新年に入って最初に聞かれることと言えば「今年の抱負は?」という質問でしょう。この一年間、何を目指す? 何をやってみたい? どんな目標を立てているの?……毎年、どこかで聞かれるこの言葉、皆さんはなんと答えるでしょうか? おそらく多くの人は、達成可能な、実現可能な目標を設定しようと思うでしょう。

 

いきなり「大統領になる!」とか「3ヶ国語をマスターする!」とか、一年で達成できないことは避けるでしょう。できるかできないか、ちょっと難しいくらいのゴールを作り、実現に向けて努力する。去年はハードルを上げすぎたから、今年はこれくらいのゴールにしよう。今年こそは、目標へ到達できるようにしよう。

 

けれども去年、新型コロナウイルスが猛威を奮うようになってから、様々な目標が達成不可能、実現不可能になりました。私たちの教会も例外ではありません。2年間、礼拝についてみんなで考え、毎週教会へ来られない人にも、訪問礼拝や愛餐式を通して、一緒に礼拝を守れるように、2020年は、様々な場所へ出ていく計画を立てていました。

 

しかし、ご存知のとおり、感染症の拡大に伴い、移動の自粛や病院・施設への入場制限がかけられるようになって、これらはほとんど実行できませんでした。むしろ、教会から出ていくどころか、教会に人を集められない、礼拝に人を誘えないことが増えた一年間でした。まさに今日、1月1日から教会に集まることを再び休止したところもあります。

 

色んなお店や企業も同じでしょう。予定していたイベントは中止され、人を集めることができなくなり、営業時間や活動時間も短縮・制限されました。「今年は何人集めるぞ!」という目標は、最初の段階で白紙になりました。色んな大会への出場、出展を目指していた生徒や学生も、目標にしていたゴール自体が延期・中止になりました。

 

そんな一年を過ごした後、新年の抱負を聞かれて、「何を目指す?」「何をやりたい?」と言われても、目標なんて見つからない、何をやったらいいか分からない……という人が多くなっているかもしれません。コロナの収束は未だ見られず、おそらく今年も、移動や集会は制限なしで行えない。大会や公演も開催できるか分からない。

 

じゃあ、いったい何を目指したらいいんだろう? 教会も「伝道」と言ったって、人が集まれないのなら、人を誘えないのなら、目標を立てようがない。色んな土台が崩れている。色んな基盤が壊れている。「新しく始める」「新しく出発する」にも、ゴールが、目標が、立てられません。

 

この状況って、捕囚後のイスラエルと非常に似ている気がします。かつて、神の民として選ばれたイスラエル人は、大国に攻められ、滅ぼされ、自分の国を失いました。そして、長年捕虜として、外国の地で暮らした後、ついに解放され、故郷へ帰ることが許されますが、戻って来て目に入ったのは、荒廃した大地と無くなったままの神殿でした。

 

彼らが外国に囚われている間、目標にしていたのは、いつか故郷に帰って再び礼拝できる日を取り戻すことでした。神殿へ献げ物を持って集まり、祭司たちがそれを焼き、みんなで神の祝福を聞くことでした。ところが帰ってくると、礼拝できる場所はありません。自分たちが囚われている間、残された人たちによる復興は進まず、住む場所も荒れ果てたままでした。まさに、礼拝へ集まれない、献げ物をしに行けない状況でした。

 

しかも、彼らは貧しかった。生活を取り戻すのに必死で、神殿を建て直す余裕なんてありませんでした。長年、外国に囚われていた自分たちが帰って来てもこの仕打ち……礼拝は再開できず、神様から呪われている、罪を赦されないでいる……という恐怖が自分たちを支配する。最悪のスタートですよね?

 

おそらく、故郷に帰って来て、新たに目標を立てられる人なんて、ほとんどいなかったと思います。目の前には、生活していくだけで一杯一杯の状態が広がっている。住む場所も、食べる物も、何も整っていない状況で、神殿を建て直す人、みんなで集まる礼拝を再開しようとする人なんて、きっといなかった。

 

いえ、いたんです……神殿もないのに、「神を礼拝しよう」「賛美しよう」という人間が。荒廃した大地で、神の祝福を宣言し、人々に慰めを語る人間が……それが、新年最初の聖書箇所として選ばれた預言者イザヤの言葉でした。彼は、故郷に帰っても、集まる場所のない人たちに、外から、道から、語ります。

 

あなたが主の祭司となる、あなたは主の祝福を受けた一族となる……それは、故郷に帰っても礼拝できずにいる人々にとって、ショッキングな言葉でした。まともに礼拝できていない自分が祭司? 生活で一杯一杯の私が廃墟を建て直す者? 目標も、希望も、期待もできない人たちに、神様は新しい使命を与えます。そして、彼らは動き出したんです。

 

彼らが再建する神殿は、その後、決して大きなものとはなりませんでした。むしろ、かつての神殿に比べて小さく、みすぼらしいものでした。けれども、神様は見えている以上の神殿を彼らの間にもたらします。それは、建物がないときも、祭司が目の前にいないときも、同じ神、同じ祈りによって結ばれた、人と人との間にできた神殿です。

 

その後も神殿は破壊されたり、再建されたりを繰り返しますが、神様がもたらした見えない神殿は立ち続けます。どれだけ困難な状況になっても、新しく人々が集まり、祈り、支え合う、神につながる場所を作り出します。それは今、教会という場所として、世界中に広がっています。

 

さらに、教会もまた、家でも、施設でも、離れたところからも、つながることができるように、新しい場所を作っています。そう、今年は新しい神殿、新しい教会を建てる一年です。私たちにはお金もないし、力もないし、自分の生活で一杯一杯ですが、神様は今までも、集まれない人に場所を作り、閉じこもる人に出発する力を与えてきました。

 

それは去年、教会で集まること、オンライン礼拝に参加することが、ろくにできなかった人たちも同じです。緊急事態宣言が解除され、自粛が緩和され、感染症対策が進んでも、集まることができなかった、礼拝に参加できなかった人たちに、「主が恵みをお与えになる年」がやって来ました。さあ、皆さん。良い知らせを伝えに行きましょう。

 

讃美歌

会堂の窓を開放しましょう。マスクをしたままで、(讃美歌21)367番「偉大なみ神の」1、2節を歌います。諸事情でマスクを外しておられる方は、飛沫感染を避けるため歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を味わいましょう。(*起立のジェスチャー)

 

使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。使徒信条(讃美歌21の93-4Aです)。

 

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり、かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体のよみがへり、永遠の生命を信ず。アーメン。(*着席のジェスチャー)

 

紹 介

本日、初めて来られた方で、ご了承いただいた方のみ、案内した方と一緒にお立ちください。ようこそいらっしゃいました、配信に乗らないように、お名前は後ほど紹介させていただきます。神様の平和が皆さんと共にありますように(拍手)。

 

とりなし

本日、ここに招かれた人たちで、とりなしの務めを果たしましょう。お手元にあるとりなしの祈りの用紙をご覧ください(持っていない方がおられたら、近くの方と一緒にご覧ください)。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

◆世界の国民と政府のために祈ります。主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

◆世界に広がる全ての教会のために祈ります。主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

◆教会員のために祈ります。主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

◆一緒に礼拝できなかった人のために祈ります。主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、一緒に礼拝できない人たちを、あなたが癒し回復してください。

◆身近な人のために祈ります。主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

◆幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

◆苦しんでいる人のために祈ります。主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

◆今も生きておられ、とりなしてくださる方、主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

主の祈り

共に、イエス様が教えられた最も基本的な祈り、『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです(*起立のジェスチャー)……主の祈り。

 

天にまします我らの父よ。

願わくは御名をあがめさせたまえ。

御国を来たらせたまえ。

みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を今日も与えたまえ。

我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。

我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。

国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。

アーメン。(*着席のジェスチャー)

 

愛 餐

本日は、信仰を告白した人があずかる聖餐式に代わって、共に礼拝をささげる全ての人と神の祝福を分かち合う愛餐式を行います。配信を見ながら礼拝をささげている方も、お家にあるパンと水を用意して、一緒にこの食事にあずかれます。用意するパンと水は特別なものではなく、普段の食卓に出てくるもので大丈夫です。

 

なお、本日は接触感染と飛沫感染を防ぐため、先にカップを配らせていただき、感謝の祈りをささげた後、一人一人に水を注がせていただきます。係の方は、アルコール消毒をして、カップの配布をお願いします。(*司式者、配餐者は手指の消毒をする)

 

食卓への招き

(*この間に配餐者はカップを配る)

かつて、私たちの主イエス・キリストは、パンを求めて集まってきた群衆に言われました。「わたしは命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。わたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。(ヨハネ 6:35、57より)」

 

また、主は水を求めてやって来たサマリアの女性に言われました。「わたしが与える水を飲む者は、決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。(ヨハネ 4:14)」

 

主は、少年から受け取ったわずかなパンを祝福し、空腹だった5千人以上の人に分けられ、全ての者が食べて満腹になりました。この食卓は、キリストが神の国のしるしとしてなされた、あの「5千人の給食」のように、主の祝福による神の国のしるしです。

 

信仰を告白した人があずかる聖餐式ではありませんので、神の祝福を分かち合いたい方は誰でも、パンと水を受け取って、共に食事を味わいましょう。

 

感謝の祈り

感謝の祈りをささげます。

 

恵みと祝福の源なる私たちの神様、あなたは私たちに「命のパン」「命の水」をお与えになります。足りないものを満たし、欠けている力を養います。あなたは私たちを死の恐れから解放するため、御子イエス・キリストを遣わされ、貧しい者、嫌われ者、負い目のある者たちと、共に食事にあずかりました。

 

様々なやましさや後ろめたさがある人も、悩みや葛藤がある人も、疑い迷いがある人も、あなたは隔たりなく近づかれ、同じテーブルにつかれます。あなたが与えるパンと水は、信じない者を信じる者に、悲しむ者を喜ぶ者に、争う者をとりなす者に変えられます。どうか今、あなたから受けた恵みと祝福を、私たちも互いに分け合う者とならせてください。あなたの愛と平和が豊かに現されますように。アーメン。

 

分かち合い

共に、パンと水を分け合いましょう。普段、聖餐を受けられない人も、このパンと水は、信仰を「告白している」「していない」にかかわらず、一緒にいただくことができます。どうぞ、用意されたパンと水を受け取って、神の祝福にあずかりましょう。

 

(*配餐者はパンを配る)

主は言われます。「わたしの父が天からまことのパンをお与えになる。(ヨハネ6:32)」私たちもいただいたパンを食べましょう。あなたの内側から、生きた力が溢れ出るように。

 

(*配餐者はカップに水を注ぐ)

主は言われます。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。(ヨハネ7:37)」私たちもいただいた水を飲みましょう。あなたの内側から、生きた水が流れ出るように。

 

感謝の祈り

感謝の祈りをささげましょう。

 

愛と平和の源である私たちの神様、今ここで、あなたの祝福を分かち合う食事にあずかれたことを感謝致します。日々、あなたがもたらされる日用の糧も、心を養う御言葉の糧も、必要なとき、必要な仕方で備えられてきました。

 

足りない者には与える者が、失くした者には見つける者が、一人の者にはつながる者が与えられます。どうか今、私自身も、あなたからいただくつながり、発見、恵みの数々を、共に分け合う者として、送り出してください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをしたままで、(讃美歌21)367番「偉大なみ神の」3、4、5歌いましょう。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。礼拝のライブ配信に参加されている方は、また後日、教会に来られたときにおささげください。

(*新来者が来られたとき)献金は神様の恵みに対する感謝の応答です。教会の維持や運営、地区や教区の働き、福祉や慈善活動への寄付に使われます。金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、受付で配られた袋をそのままお入れください。

 

讃美歌

オンライン讃美歌「わたしたちは旅人」(©️柳本和良)を歌います。(*起立のジェスチャー)

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

いかに美しいことか、山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え、救いを告げよ。(イザヤ書52:7より)

 

神がわたしたちを憐れみ、祝福し、御顔の輝きをわたしたちに向けてくださいますように。あなたの道をこの地が知り、御救いをすべての民が知るために。アーメン。(詩編67:2〜3)