ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『自己犠牲は嫌いです』 イザヤ書53:7〜12

聖書研究祈祷会 2020年12月30日 


『自己犠牲は嫌いです』聖書研究祈祷会 2020年12月30日

 

案 内

現在、華陽教会の聖書研究祈祷会は、配信に載せる第一部と、配信後、時間のある人と質問や感想を分かち合う第二部に分けて行っています。牧師に相談やお話がある方は、配信後に、飛沫防止用パーテーションを設置した2階集会室へおいでください。

 

讃美歌

それでは、第一部「聖書研究会」を始めます。最初に、讃美歌21の275番「闇を行くものは」を歌いましょう。飛沫感染を避けるため、マスクをしたままで歌います。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

 

◆人と人との間におられる私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、今年最後の聖書研究祈祷会を初めることができ、感謝致します。どうか今、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を必要としている人を祝福してください。

◆希望の源である私たちの神様。2020年も、最初から最後まで、私たちを導いてくださり、感謝致します。どうか今、多くの期待を失ってしまった人たちに、新しい発見と新しい喜びを与えてください。

◆力の源である私たちの神様。医療、介護、教育の現場で、本当に多くの人たちが疲れ果て、元気に見える人たちも息切れしています。どうか今、力が湧いてこない一人一人に、頼れる人、理解する人、協力できる人を与えてください。

◆平和の源である私たちの神様。社会も政治も混乱する中、何が正しかを巡って、多くの争いが起きています。どうか今、相手の言葉を聞けなくなった私たちに、共通する目的と誠実な対話をもたらしてください。

◆私たちと共におられるイエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。イザヤ書53:7〜12(新共同訳より抜粋)

*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。

www.bible.or.jp

 

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Catherine StockingerによるPixabayからの画像

メッセージ

キリスト教と言えば「自己犠牲」というイメージを皆さん持っているかもしれません。確かに、神の子であるイエス様は、神に背いた全ての人が赦されるよう、自分の命を差し出して、誰一人滅びることがないように、十字架にかかっていきました。みんなのために自分自身を犠牲にする。自分が代わりに苦しみを負う……典型的な自己犠牲。

 

でも私は、今日のタイトルにつけたとおり、「自己犠牲」という言葉が嫌いです。牧師のくせに、自分を犠牲にすること、みんなのために苦しみを引き受けることが、なかなか勧められません。「キリストにならいなさい」「キリストのようになりなさい」と言うときも「イエス様のように自分を犠牲にして、誰かを助けなさい」と言えません。

 

なぜか? そういう言葉に従って、自分さえ我慢すれば、自分だけが苦しめば、みんな助かると思い込まされ、イエス様の望まない傷つき方をしてきた人が、これまで大勢いるからです。皆さんも覚えがないでしょうか? 私が我慢すれば、私が耐えていれば、誰も困らないから……そう言って、一人沈黙している誰かの姿。

 

一生懸命みんなのために働いて、何か起きれば責任を押し付けられ、不満不平を言うこともなく、どんな仕打ちにも耐えている。悪くないのに悪いと言われ、良いことをしても評価されず、抗議も抵抗もせず、黙っている……ときどき、そういう人を見かけます。たいていは、お人好しとして馬鹿にされるか、極端に美化して語られるかのどちらかです。

 

負担や責任を負いたくない、罪を隠したい側には都合がいいですよね。こっちがどれだけ不当に扱っても、「自分が我慢し、自分が苦しみを負うのが正しいんだ」と思ってくれる。こちらの責任は一切追及せず、代わりにしんどい思いをしてくれる。非常にありがたい救世主……こうして、私たちは何度も誰かに十字架を負わせます。自分に都合の良いように、お人好しの姿をコピーしろと言ってしまう。

 

そう言えば、後にイエス様の姿と重ねられた、預言者イザヤの言及する「苦難の僕」も、お人好しの姿を見せていました。「苦役を課せられて、かがみ込み/彼は口を開かなかった」「彼は不法を働かず/その口に偽りもなかったのに/その墓は神に逆らう者と共にされ/富める者と共に葬られた」

 

ようするに、最も抑圧されていた正しい者が、不祥事を起こした政治家や犯罪者と同じように裁かれるという話です。全く救いのない、希望のない姿。これが、人々を助ける救い主の姿として描かれる……ちょっと意味が分かりません。それって結局、悪い人にとって都合が良いだけじゃない? 罪人が罪人のまま、美味しい思いをするだけじゃん。

 

みんなのために十字架にかかったと言われるイエス様も、自分を十字架につけたユダヤ人や祭司長、律法学者に罰を与えることはしませんでした。彼らは裁かれなかったので、その後も、イエス様を信じる人たちに迫害を続けました。何が解決されたんでしょうか? イエス様の自己犠牲は、本当に正しい人も罪人も救う結果になったんでしょうか?

 

私が「自己犠牲」という言葉を好きになれないのは、自分を犠牲にした人と、代わりに助けられた人たちが、健全な関係に、和解に至らないことが多いからです。自分を捨てて、自分の十字架を背負って生きるよう勧められた人たちが、自分を犠牲にしたまま終わる。回復されないで終わる……それが、あまりにも多い。

 

でも、ここで思い出したいのは、イエス様の十字架は、単なる自己犠牲で終わらなかったことです。一人の死、一人の犠牲で終わらなかった……そう、イエス様はみんなから掌返され、裏切られ、見捨てられた後、その人たちと関係をやり直しに来られました。神様に甦らされ、自分を犠牲にした人たちへ、再び会いに来たんです。

 

もう償うことができない人、取り返しがつかない人たちに、もう一度ついてくる機会を与えます。「わたしに従いなさい」「わたしについてきなさい」……彼らがそれに応えられるよう、「平和があるように」と声をかけて……そう、罪を犯した者の救いって、自分が「やり直せた」と思うときです。

 

誰かを傷つけた人が救われるのは、傷つけた相手から赦されて、やり直せたとき。誰かを裏切った人が救われるのは、裏切った相手と和解して、やり直せたとき……日常的に、私たちは、それがほとんど不可能なことを知っています。たいていは、やり直せずに、誰かが我慢して終わるからです。誰かに我慢させて終わるからです。

 

でも、神様は不可能なことを実現しました。二度とついていけないはずの、二度と和解できないはずの、やり直せない人たちに、もう一度「ついてきなさい」と言ってくれる方に出会わせてしまった。とりつかえしのつかない罪人が、罪人で終わらない道を作ってしまった。

 

それが、イエス様の十字架と復活の出来事です。私はこれを、イエス様の自己犠牲で片付けていいとは思えません。むしろ、犠牲で終わらなかったからこそ、人々の救いがあるからです。そんなイエス様に引っ張られ、イエス様についていく人たちも、自分の十字架を背負って歩むとき、自分を犠牲にして終わる生き方はできません。私が我慢すれば、私が苦しめば、それでいいと言えません。

 

なぜなら、イエス様は誰かが我慢し続ける関係を壊しに来たからです。苦しみ続ける人を救いに来たからです。自分の救いを期待できずに、他人を救おうとする人へ、「わたしはあなたを救いにやって来た」と言われます。自分自身が、やり直せない人たちとやり直した出来事を思い出させて。

 

もう、2020年も終わろうとしています。今年、誰かのために我慢し続け、苦しみ続けた人たちに、新しい年がやって来ます。その日、その時、イエス様は、あなたに希望をもたらすでしょう。あなたの苦しみを解放し、あなたが安心できる場所、あなたが回復できる場所を与えるでしょう。私たちが集まるこの場所も、その一つになりますように。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(兵庫県川西市の能勢口教会)のために、全国の病院・施設のために、学校・幼稚園・保育園のために、電気・水道・輸送に携わる人のために、祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆兵庫県川西市の能勢口教会のために祈ります。この教会で仕えている宣教師の先生と、その宣教団体の上に、あなたの恵みがありますように。これからも教会の礼拝が守られ、一人一人の信仰が導かれますように。

◆全国の病院・施設のために祈ります。日々の感染症対策に加えて、普段の専門分野を超えた治療に携わっている方々に、あなたのお支えがありますように。周りの理解、適切な協力、十分な休息が与えられますように。

◆学校・幼稚園・保育園のために祈ります。感染が確認された施設で、適切な配慮がなされますように。子どもたちや保護者、先生がたが、過度な追及で追い詰められないよう、あなたのお守りがありますように。

◆電気・水道・輸送に携わる人のために祈ります。人々の生活を支えるため、見えないところで頑張っている人たちに、あなたの祝福がありますように。一人一人が事故や事件から守られて、適切な対価と評価を得られますように。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

オンライン賛美歌「すべてを売り払い」を歌いましょう。こちらも、飛沫感染を避けるため、マスクをしたままで歌います。

 

主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。主の祈り。

 

天にまします我らの父よ。

願わくは御名をあがめさせたまえ。御国を来たらせたまえ。

みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を今日も与えたまえ。

我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、 我らの罪をも赦したまえ。

我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。

国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。アーメン。

 

以上で第一部「聖書研究会」を終わります。配信後、時間のある方は飛沫防止用のパーテーションをつけた2階集会室で、2時半まで質問や感想などを分かち合う第二部「分かち合い」のときを持とうと思います。(第二部の参加者が10名を超えた場合は、人数制限のため休止するか、2階礼拝堂で行います)

 

また日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。