ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『貧しくなれ?』 申命記26:5〜11、コリントの信徒への手紙二8:1〜7

在宅礼拝 2021年6月20日


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案 内

華陽教会では岐阜県の医療提供体制を受けて、6月末まで、会衆が集まる礼拝を休止し、配信等による在宅礼拝に切り替えています。共に今、自宅にいる人も、後から見る人も、聖書の言葉に耳を澄ませ、神の招きにあずかりましょう。(*前奏)

 

招 詞

こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。(ローマの信徒への手紙12:1)

 

讃美歌

旧讃美歌179番「よろこびあふるる」を歌います。54年版讃美歌をお持ちでない方は、そのままお聞きいただき、心で賛美を合わせましょう。(お立ちください)

 

お祈り

(ご着席ください)共に祈りを合わせましょう。

◆神様、あなたは今日、離れたところにいる一人一人を集められ、見えない教会で一つにします。どうか今、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆神様、あなたは今日、苦しむ人、不安を抱える人の傍にいます。痛みや恐怖に怯える人へ、癒しと回復をもたらします。どうか今、倒れた人、傷ついた人をその手で支え、新しい力をもたらしてください。

◆神様、あなたは今日、疲れた者、重荷を負う者の傍にいます。挫けた者、立ち止まった人へ、慰めと希望をもたらします。どうか今、疲労やストレスで潰されそうな人たちに、あなたの恵みを与えてください。

◆神様、あなたは今日、赦しと和解をもたらします。訴えが無視される人を守り、正当な裁きをもたらします。どうか今、対立する人に適切な距離、誠実な対話、新しい関係がもたらされ、平和と正義を実現させてください。

◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。申命記26:5〜11、コリントの信徒への手紙二8:1〜7(新共同訳より抜粋)

*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。

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交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編14:1〜7(新共同訳交読詩編より抜粋)

交読詩編付きの『讃美歌21』をお持ちの方は、後ろの方に載っています。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(お立ちください)

 

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Steve BuissinneによるPixabayからの画像

メッセージ

新型コロナウイルスが流行して、教会に集まる礼拝をしばしば休止することになり、配信等による在宅礼拝、人数を制限した小規模礼拝を続ける中、各々の信仰生活に加えて、教会会計にも現実的な問題が出てきました。それは、礼拝献金が減るという生々しい問題です。

 

去年から今年にかけて、心配してくださった教会員から、何度か問い合わせがありました。「会計は苦しくないですか?」「献金のお願いはありますか?」……正直、心配でないと言えば嘘になります。幸い去年は、本当に一生懸命、皆さんが献げてくださったので、地区や教区の配慮もあり、無事にやりくりすることができました。

 

でも、この状況が続けば、当然、今年度も礼拝献金はガクンと減ります。去年のように特別献金でカバーできるか分かりません。とはいえ、苦しいのは、会衆が集まれない教会だけでなく、献金を献げる皆さんの生活も同じです。イベントや展示やレッスンに人を呼べなくなり、収入が一気に減った人。飲食店で経営が苦しくなった人。例年よりも医療費などの経済的負担が増えた人。

 

「苦しいので献金をお願いします」と言いづらいのは、どこの教会も同じだと思います。むしろ、苦しいけれど、精一杯献げてくれる。今までと同じようにはいかないけれど、できる限り献げてくれる。そんな人たちの様子を見ていると、やっぱりお金が絡む話って、なかなか教会でし辛いです。

 

そんな中、「慈善の業と奉仕」について語られている聖書の言葉は、「苦しいけれど、一生懸命献げようね」という話に持っていける、ある意味、都合の良い箇所かもしれません。かつて、マケドニア州の教会は、みんな貧しくて苦しかったけど、進んでエルサレムの信徒のために献金を集め、助けてくれたという話。

 

自分たちがしんどい状況にもかかわらず、人に施すことを惜しまなかった……この美しい姿にならって、私たちもがんばって献げましょう!……ここまで、あからさまとは言いませんが、そういう方向へ持っていきたいという誘惑が、私の中にもありました。でも、残念ながら、そうストレートにはいきません。

 

なぜなら、マケドニア州の人たちが集めた献金は、文字通り、自分の教会のためではなく、エルサレムの貧しい信徒のために献げられたからです。もし、彼らの姿勢を現代に当てはめるなら、コロナ禍で苦しい信徒たちが、自分たちの教会もしんどいのに、他の教会へ献金を送るという行為です。しかも、信徒の方々が、進んでそう願い出た。

 

自分の教会を維持するために、会計を回復させるために、信徒の皆さんへ「献金をお願いします」と言いたい牧師にとって、これはなかなか刺さります。この聖書箇所から語るとしたら、「私たちの教会のために、がんばって献金しましょう」ではなく、「苦しんでいる他の教会のために献金しましょう」となるからです。ますます、自分の教会に「貧しくなれ」と言っているみたいですよね?

 

地区や教区の負担金も半分近く減らしてもらい、それでも心配な状況で、華陽教会のためにではなく、苦しんでいる他の教会のために、みんなで献金を集めませんか? そんな提案、今できるかと言われたら、やっぱり、ためらってしまいます。このタイミングで会堂建築や修繕をしなければならない、様々な教会から献金の趣意書が届きますが、去年からほとんど送れていません。私もなかなか、皆さんに提案できません。

 

でも、マケドニア教会の人たちは、激しい試練を受けていたのに、極度の貧困にあったのに、他の教会の貧しい信徒たちのため、自分たちから献金を集めたんです。しかも、衝撃的なことに、彼らが献金を送ったエルサレム教会は、非ユダヤ人キリスト者にとって、あまり仲の良い相手じゃありませんでした。

 

イスラエルの首都であるエルサレムには、当然、多くのユダヤ人が集まっています。このユダヤ人の中には、マケドニアやコリント出身の異邦人への宣教を、よく思わない人もいました。貧しい人たちへの施しも、ユダヤ人は優遇され、異邦人は後回しにされることがありました。中には、ユダヤ人に追い出されて、教会を出て行った人たちもいました。

 

つまり、異邦人の多いマケドニアやコリント教会の信徒にとって、ユダヤ人の多いエルサレム教会へ献金を送るというのは、かつて自分たちを冷遇し、今も友好的とは言えないグループを援助する……というなかなかの展開でした。この配信を見ている人の中には、かつて、自分と一悶着あった教会が、コロナ禍で苦しんでいることを耳にしつつ、そこへ献金を送ろうなんて、考えられない人もいるでしょう。

 

華陽教会の人たちも、がんばって献げるなら、やっぱり自分の教会をまず支えたいと願うでしょう。私だってそうです。他の教会よりも、まずうちからって思っちゃいます。今は余裕ないし、それどころじゃないし……ところが、激しい試練を受けている教会に、宣教者パウロが紹介するのは、人に惜しまず施した、あのマケドニアの教会です。

 

実は、私たちの教会も、他の教会の人たちから惜しまず送られた献金で支えられています。なかなか、直接集まることができないので、皆さんにお伝えする機会も限られますが、この教会の礼拝配信を見た他の教会の信徒からも、「華陽教会のことも覚えています」と振込や書留で献金が届いています。

 

私を介して献金を送ってくれた方や、教会員ではないけれど、「礼拝献金に」と言って、渡してくださる方もいます。既に、私たちは、他者の慈善の業と奉仕によって、生かされ、支えられ、豊かにされているんです。もしも今日、私たちが、自分自身を神の御心に沿って献げるなら、「助けてください」と趣意書を送ってきた他の教会にも、喜んで献げることができるんじゃないかと思います。

 

私自身の弱さを告白すると、今までそうした趣意書を、役員会の議案に出すこともなかなかできずにいました。でも、今日のパウロの言葉を読んで、私も変わらなきゃいけないと思います。去年のクリスマスに設置した、外部献金の募金箱のように、これからは色んな教会のためにも募金箱を設置して、少しずつでも献金を集められたらと思っています。

 

7月から、私たちは再び、会衆が半分ずつ集まる礼拝を再開します。在宅礼拝の間、献金袋に仕舞っていた献金を持ってきてくださる方もいるでしょう。どうかそのとき、ご自分の生活を蔑ろにしない範囲で、助けが必要な他の教会のためにも、一緒に献げてくださると嬉しいです。キリストの体であるこの教会が、神に喜ばれる聖なるいけにえとして献げられるとき、私たちの「なすべき礼拝」が完成するでしょう。

 

讃美歌

讃美歌21の512番「主よ、献げます」を歌います。讃美歌21をお持ちでない方は、そのままお聞きいただき、心で賛美を合わせましょう。(お立ちください)

 

使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。使徒信条(讃美歌21の93-4Aです)。

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり、かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体のよみがへり、永遠の生命を信ず。アーメン。(*着席のジェスチャー)

 

とりなし

神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。

 

司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

司会:世界の国民と政府のために祈ります。

会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。

会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

司会:教会員のために祈ります。

会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

 

司会:一緒に礼拝できなかった人のために祈ります。

会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、一緒に礼拝できない人たちを、あなたが癒し回復してください。

司会:身近な人のために祈ります。

会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。

会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

司会:苦しんでいる人のために祈ります。

会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

司会:今も生きておられ、とりなしてくださる方、主イエス・キリストのお名前によって祈ります。

一同:アーメン。

 

主の祈り

共に、イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。

天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。配信を見ておられる教会員の方は、郵送する献金袋に入れて、また後日来られたときにおささげください。

 

讃美歌

マスクをしたままで、オンライン賛美歌「わたしたちは旅人」(©️柳本和良)を歌いましょう。(お立ちください)

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祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

派 遣

平和のうちに、この世へと出て行きなさい。主なる神に仕え、隣人を愛し、主なる神を愛し、隣人に仕えなさい。(日本基督教団出版局『讃美歌21』1997、2001年、149頁)

祝 福

神がわたしたちを憐れみ、祝福し/御顔の輝きをわたしたちに向けてくださいますように。あなたの道をこの地が知り、御救いをすべての民が知るために。(詩編67:2〜3)

 

報 告

本日も配信を通して、日曜礼拝にご参加くださり感謝致します。先週の在宅礼拝は、ライブ配信の奉仕者7名、同時に視聴された14名、計21名が参加されました。後から配信や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝いたします。

 

来週まで、配信等による在宅礼拝を行います。小規模礼拝の再開は、7月2日から第一・三日曜日のAグループと第二・四日曜日のBグループに分かれて行います。初めて教会に来る方は、人数調整のため、お問い合わせの上お越しください。