ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『信じれば平和になるの?』 エレミヤ書8:8〜15

聖書研究祈祷会 2021年8月4日


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案 内

華陽教会では、感染症拡大を防ぐため、マスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、聖書研究祈祷会も配信しながら行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

マスクをしたままで、讃美歌21の372番「幾千万の母たちの」を歌いましょう。諸事情でマスクを外している方は歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

◆愛と平和の源である私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて水曜日の聖書研究祈祷会に集まれたことを感謝致します。どうか今、自宅で、施設で、職場で、屋外であなたの言葉を受けようとしている人も導いてください。

◆私たちの神様。76年前の8月に、広島と長崎に落とされた、2つの原爆によって亡くなった方、苦しんできた方を思います。どうか今、新たに原爆が使われることのないように、これ以上作られることのないように、この世界全体を導いてください。

◆私たちの神様。戦時中、国内でも国外でも被害を受けた、従軍慰安婦や強制労働者のことを思います。どうか今、過去の出来事について口を開いた人も、開かなかった人も、これ以上傷つけられないように、尊厳が回復されるように、みんなを導いてください。

◆私たちの神様。現在も誤った認識や偏見によって、差別を受けている人、不当な扱いを受けている人、迫害を受けている人を思います。どうか今、憎しみを煽ることから離れ、生きている人をちゃんと見つめ、和解と回復へ至るように、私たちを導いてください。

◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。エレミヤ書8:8〜15(新共同訳より抜粋)

*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。

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Free-PhotosによるPixabayからの画像

メッセージ

8月は、どこのキリスト教会も「平和」について語る機会が増えるでしょう。先ほどのお祈りにもあったとおり、この時期は、日本に原爆が投下され、多くの犠牲者を出した上で、ようやく敗戦を受け入れて、第二次世界大戦が終わった月でもあるからです。多くの人たちが、二度と戦争を繰り返さないよう、平和を求めて祈りを合わせているでしょう。

 

そして、戦時中に、どんな辛い思いをしたか、悲惨な出来事を経験したか、聞かされた人、語った人もいると思います。とにかく食べ物に困った話、空襲で防空壕へ逃げた話、家や学校が燃えた話、家族が犠牲になった話。さらに、敵国の宗教として目をつけられた教会が、憲兵の嫌がらせに遭い、迫害を受けてきた話。

 

たいていは、被害者、犠牲者の立場から、戦争について話を聞き、または語り、二度と繰り返してはならないと、祈りを合わせることが多いでしょう。被爆者のために千羽鶴を折り、毎年送っている教会や学校もあるでしょう。今も、紛争や戦争が続いている地域のために、いつか平和が訪れるように、私たちも祈ります。

 

しかし、ふと、こんな疑問が浮かびます。信じれば、本当に平和は来るんだろうか? 今までも、これまでも、ずっとずっと多くの人が祈ってきたはずなのに、未だ、各地で戦争が絶えないのはなぜだろう? 神様が、平和のために信仰者へ求めていることは、いったいどんな態度だろう? 何をすることなんだろう?

 

牧師である私も「平和」という言葉を何度も口にします。本当の平和は、神様から与えられた信仰によってもたらされる。そう信じているからです。でも、平和が来ると信じれば、平和を願い続けていれば、自動的に平和が実現するとは思いません。平和とは、単に争いがない状態ではなく、私たちが暴力に頼らない方法を選択し続けることだからです。

 

かつて、私たちの属する日本基督教団が、全国の教会から献金を集め、海軍に2機、陸軍に2機、戦闘機を送ったことはご存知でしょうか? 大東亜戦争のことを「聖戦」と呼んで、支持したことはご存知でしょうか? 国のために死ぬことは殉教に等しい、というような讃美歌を作っていたことはご存知でしょうか?

 

教団を守り維持するために、国家の迫害を避けるために、日本のキリスト教会も、暴力に頼る選択をしてきました。人を殺す道具のために献金し、命を奪う戦いを聖なるものと宣言とし、犠牲を生み出す命令を支持する賛美を歌うことで、信仰者の「安全」と「平和」を築こうと選択してきたんです。

 

戦争が終わり、これらの選択について、「私たちも暴力に加担してきた」「一緒になって罪を犯した」と過ちを認め、責任を告白する声もありました。しかし、それらは、教会の信頼を失わせ、教会の一致を妨げ、教会の宣教の障害になる……という理由から、語ることを避けられてきた歴史があります。

 

ちょうど、先ほど読んだエレミヤ書8章8節から15節の直前に、こんな言葉がありました。「どうして、この民エルサレムは背く者となり/いつまでも背いているのか。偽りに固執して/立ち帰ることを拒む。耳を傾けてみたが/正直に語ろうとしない。自分の悪を悔いる者もなく/わたしは何ということをしたのかと/言う者もない。」(5、6節より)

 

平和を求めて祈る時期に、私はこの言葉を読んでドキッとするんです。かつてのイスラエルに向けられた言葉は、戦後の教会の歩みと重なります。「どうしてお前たちは言えようか。『我々は賢者といわれる者で/主の律法を持っている』と」(8節より)……自分たちの愚かな過去を隠し、恥を覆い、「平和の民」と名乗ってしまう。

 

私たちは、平和をもたらす神の教えを受けていると考えながら、正直に語ることも、悪を悔いることも、何をしたのか振り返ることも避けてしまう。ただ、困難を経験してきた犠牲者として、迫害を乗り越えた話に終始し、「平和、平和」と口にすることで、安易に正しさを手に入れようとしてしまう。

 

でも、そんな中で、エレミヤの言葉が届いたように、閉じていた口を開き始める人もいます。学生の頃、私の実家にある岡崎教会へ帰省した際、よく知っている教会の方から、戦争体験について話を聞きました。それは、今まで聞いてきた「食べ物がなくて辛かった」「憲兵が怖くて大変だった」という話とは、全然違うものでした。

 

防空壕へ入るとき、友達を押しのけて入った。その子は入れずに亡くなった。もう、思い出したくないし、話したくなかった……とてもシンプルな話でした。その方は少し前に亡くなりましたが、私の中で、彼の告白がいつもぐるぐるしています。武器を持った誰かではなく、友達や家族を犠牲にしてしまう。それが容易に起きてしまう。

 

聖書の中にも、たくさんの告白が出てきます。敵に攻められて辛かった、苦しかったという告白から、自分の民も不正を犯し、誰かを犠牲にした現実がある……という告白まで隠すことなく書かれています。それは、信仰者が語った自分の姿です。どうして選択を誤り、どうして神から離れ、臆病な生き方をしてしまったか。私にどんな責任があり、その私を、神はどうやってとりなされたか。

 

信仰者が、平和のために祈ることは、罪の告白とつながっています。それは、罪を犯してきた私たちが、神様によってとりなしを受け、赦しを受け、和解に至ることへの信頼に基づいています。神様に赦され、生き方を変えられてきた、私自身の告白によって、聞く者も神様と出会い、生き方を変えられ、平和を実現する者として立てられる。

 

教会が、かつての過ちを告白することも「平和を信じる」態度に他なりません。神様によって、一つにされることを信頼するなら、私たちが、どこから、どうやって変えられてきたか、自ずと語ることができるでしょう。信じたら、何ができるかを考えれば、平和の実現も、決して遠い出来事ではないと思います。

 

私たちは今日、平和の使者として立てられています。先人たちが、古い生き方から新しい生き方へ至るとき、正直に、偽らず、告白してきた勇気と信頼を与えられています。「和解」と「平和」をテーマにしている今月も、聞くべきこと、語るべきこと、行うべきことが何かを、聖書から一緒に探していきましょう。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(和歌山県和歌山市の丸の内教会)のために、貧困に苦しむ人たちのために、災害に苦しむ人たちのために、戦争に苦しむ人たちのために、祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆和歌山県和歌山市の丸の内教会のために祈ります。日曜日、礼拝に集まる人たちの健康が守られ、教会へ行けない人も必要な癒しと回復が与えられますように。信徒相互の祈りと交わりが豊かにされ、あなたの平和をみんなで証しできますように。

◆貧困に苦しむ人たちのために祈ります。様々な不況や障害によって、貧しい生活から抜け出せない人、健康で文化的な生活を奪われた人に、あなたの慈しみがありますように。経済が回復し、福祉が充実し、自立の道が整えられていきますように。

◆災害に苦しむ人たちのために祈ります。台風や地震や疫病によって、命の危険にさらされている人たちに、あなたの憐れみがありますように。安心して寝られる場所、食べられるもの、頼れる人が与えられ、少しずつ復興が進みますように。

◆戦争に苦しむ人たちのために祈ります。少数民族の弾圧や植民地的な支配、長年の軋轢による対話不可能な状況によって、戦争や紛争に巻き込まれている人たちに、あなたのお守りがありますように。内からも外からも、平和的な解決がもたらされますように。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをしたままで、オンライン賛美歌8番「何も変わらないと(B)」(©️柳本和良)を歌いましょう。オンライン讃美歌の楽譜は、著作者の許可を得て掲載しています。

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主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。主の祈り。

天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。

 

報 告

本日も、聖書研究祈祷会にご参加くださり、ありがとうございます。先週の聖書研究祈祷会は、教会に集まった4名、同時に視聴された1名、計5名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

配信は、ここで一旦終了しますが、時間のある方は、飛沫防止パーテーションのついた2階集会室で、少しの間、質問や感想、祈ってほしいことを共有できる時間を持ちたいと思います。また日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。