日曜礼拝 2025年9月21日
説 明
教会にお集まりの皆さん、おはようございます。オンラインで配信を見ている方も、おはようございます。まもなく、10:30から礼拝が始まります。礼拝の最中は、携帯をマナーモードにしていただき、後から来た人も座れるように、席の譲り合いをお願いします。
礼拝の中で、立ち上がって賛美歌を歌うところや、立ち上がって祈りを合わせるところもありますが、体が不自由な方やお疲れの方は、座ったままで大丈夫です。賛美歌、聖書、交読文は、備え付けの籠からお使いください。それでは、もうしばらくお待ちください。
案 内
華陽教会では、讃美歌委員会と日本聖書協会の著作物使用許諾を得て、日曜日の礼拝を配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、神の招きにあずかりましょう。
前 奏
(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)
招 詞
彼らに語りなさい。主なる神はこう言われる。わたしはエフライムの手の中にあるヨセフの木、およびそれと結ばれたイスラエルの諸部族を取り、それをユダの木につないで一本の木とする。それらはわたしの手の中で一つとなる。(エゼキエル書37:19)
讃美歌
旧讃美歌503番「はるのあした」を歌いましょう。最後のアーメンはつけずに歌います。(差し支えない方はお立ちください)
お祈り
ご着席ください。共に祈りを合わせましょう。
◆憐れみ深い神様。今日もまた、あなたによって守られて、日曜日の礼拝に集まることができ、感謝致します。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。
◆私たちの神様。この一週間も、私たちを癒し、守り、支えてくださったことを感謝致します。どうか今、引き続き、助けを必要としているところに、あなたの力を注いでください。特に、心がくじけている人に、あなたの励ましがありますように。
◆私たちの神様。この一週間も、私たちを教え、諭し、新たにしてくださったことを感謝致します。どうか今、引き続き、変わるべきところが変えられて、変えてはならないところが守れるように、あなたの知恵をもたらしてください。
◆私たちの神様。この一週間も、私たちを繋ぎ、出会わせ、とりなしてくださったことを感謝致します。どうか今、引き続き、離れている人、なかなか会えない人と心を合わせることができるように、あなたの希望を与えてください。
◆愛と平和の源である、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
聖 書
聖書の言葉を聞きましょう。コリントの信徒への手紙一1:10〜17の新共同訳を朗読します。会衆席にある新約聖書299頁です。
同じく、コリントの信徒への手紙一1:10〜17の聖書協会共同訳を朗読します。新しい翻訳の新約聖書294頁です。お持ちでない方は新共同訳と読み比べながらお聞きください。
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*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。 |
交読文
詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編147:1〜7、新共同訳交読詩編の164頁です。
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『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(また、Aのところは牧師が、Bのところは会衆がお読みください。ご着席のままで大丈夫です。) |
讃美歌
讃美歌21の161番「見よ、主の家族が」を歌いましょう。最後のアーメンはつけずに歌います。(差し支えない方はお立ちください)

メッセージ
初期のキリスト教会には、イエス様の行った業を直接見て、イエス様の語った言葉を直接聞いて、神様を信じた人々が、まだ大勢残っていました。イエス様が天に昇って、姿が見えなくなった後も、聖霊を受けた弟子たちが、イエス様の教えと業を語り、多くの人に洗礼を授け、仲間を増やしていきました。
そうして、最初の教会がエルサレムに建てられ、集まった人たちは、心も思いも一つにし、財産をささげて持ち物を共有しながら、信仰生活を送った様子が、使徒言行録に書かれています。しかし、エルサレムの教会は、まもなく激しい迫害に遭い、壊滅的な被害を受けていきました。エルサレムの信者はほとんどいなくなり、皆外国へ逃げていきます。
けれども、散り散りになった信者たちは、逃げ延びた先で礼拝を続け、そこにいた外国の人々も、一緒に神様を信じるようになりました。エルサレムに留まって、教会を建て直そうとしていた弟子たちも、外国で、新たに信仰の群れが起こされたと聞き、各地に仲間を遣わして、応援するようになりました。
最初にコリントへ遣わされ、教会の基礎を築いていったのは、復活したイエス様の幻と出会い、弟子たちの仲間として送り出されたパウロでした。その後、パウロの同労者であるアポロが遣わされ、さらにその後、「ケファ」と呼ばれるペトロから、推薦を受けた弟子たちも、コリントへ遣わされていったようです。
ところが、パウロがエフェソへ宣教するため、コリントを去ってしばらくした頃、自分が建てた教会で、争いが起きていることを耳にします。それは、エフェソで貿易を営んでいた、クロエという女性に聞いた話で、コリントの信徒たちが、「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケファに」「わたしはキリストに」というように、派閥を作って争っている……という知らせでした。
ほんの数年前、エルサレムで教会ができたばかりの頃は、心も思いも一つにし、互いに持ち物を共有しながら、信仰生活を送っていたのに、気がつくと、教会の中にも派閥ができて、分裂の危機を迎えていました。パウロも、アポロも、ケファと呼ばれていたペトロも、同労者として協力していた仲間なのに、なぜ、コリントの信徒たちは、彼らの名前で派閥を作って、分裂しかけていたんでしょう?
最初に、名前の出てくるパウロは、皆さんもご存知のとおり、もともと、キリスト教徒を迫害していた、熱心なユダヤ教徒でした。しかし、あるとき、復活したイエス様の幻と出会い、自分が間違っていたことに気づき、悔い改めて回心し、異邦人への宣教に遣わされていった人物です。
しかし、パウロは他の弟子たちと違い、十字架につけられる前のキリストに仕えたことはありません。イエス様を知ったのは、イエス様が殺され、3日目に復活し、天に昇って地上から見えなくなった後で、ペトロやヤコブやヨハネのように、長い間イエス様と行動を共にしていたわけではありませんでした。
加えて、ユダヤ人が長い間守ってきた、神様の掟に出てくる食物規定や暦のルールを、異邦人の信徒へ強制することに反対したため、ユダヤ人の信徒とよく論争になっていました。パウロのことを「キリストのことをちゃんと知らない」「伝統や掟を蔑ろにしている」と言う者が、コリントにも現れていたのかもしれません。
また、パウロの同労者であるアポロという人物は、見るからにギリシア人っぽい名前です。彼もユダヤ人ではありましたが、アレクサンドリアという異邦人の町の出身でした。使徒言行録には「聖書に詳しい雄弁家」としてアポロの名前が出てきますが、いつ、どこで、誰から、イエス様の教えと業を学んだのかは、明らかではありません。
おそらく、エルサレムの迫害から逃げ延びた信者から、エフェソで教えを受けて、イエス様を信じるようになったと思われますが、イエス様本人や、イエス様に仕えた使徒たちから、直接教えを受けたわけではなさそうでした。そのためか、彼はエフェソで活動していたときは、「イエスの名による洗礼」を知らず、「ヨハネの洗礼」しか知らなかったと言われています。
通常、キリスト教会で行われる洗礼は、「キリストの十字架と復活によって、私にも、罪の赦しと救いが与えられている」と信じて告白する「イエスの名によるバプテスマ」ですが、洗礼者ヨハネが行っていた洗礼は、救い主が訪れたとき、自分も受け入れてもらえるように、悔い改めて身を清める「悔い改めのバプテスマ」でした。
「イエスの名によるバプテスマ」が、救い主によって完成した洗礼だとすれば、ヨハネが授けた「悔い改めのバプテスマ」は、救い主によって完成する前の洗礼でした。また、使徒言行録によると、アポロから洗礼を受け、教えを聞いたエフェソの人々は「聖霊があるかどうか聞いたこともない」と言っていました。
パウロと出会う前のアポロは、イエス様の教えと業を伝える教師としては、知識や経験が不十分だったのかもしれません。もしかしたら、そのことを知っていた人たちが、コリントで、アポロから洗礼を受けた人たちに、「彼の洗礼は不十分だ」と主張したり、「彼から洗礼を受けた人は、本当の信者とは認められない」と否定していたのかもしれません。
そのような中で、「あなたがたはパウロの名によって洗礼を受けたのですか」「わたしの名によって洗礼を受けたなどと、誰も言えないはずです」とパウロが指摘したのだとしたら、それは、コリントの教会では、アポロであろうと、自分であろうと、皆「キリストの名によって」洗礼を授けている仲間であることを思い出させたかったのかもしれません。
パウロの残した手紙を見ると、彼がアポロのために、様々なサポートをしてきたことが見てとれます。アポロも他の信徒と同様、エルサレムから派遣された使徒やパウロの助けを受けて、足りなかった知識を補いながら、訓練を受けていったのでしょう。けれども、アポロのことを、他の弟子たちと見比べて、いつまでも、「霊的に未熟だ」「教会の指導者にふさわしくない」と主張する者が、コリントにも現れていたのかもしれません。
さらに、ケファと呼ばれていたペトロは、皆さんもよくご存知、イエス様に従っていた弟子たちの中心的な人物です。ペンテコステに、天から聖霊を贈られたときは、力強く、イエス様の教えと業を語り、自分たちの身に起きたことを伝え、多くの人を洗礼へと導いていきました。
一方で、彼はイエス様が十字架につけられたとき、見捨てて逃げたばかりでなく、イエス様の仲間であることを3度も否定して、呪いの言葉まで吐いた人でした。神様が、異邦人へ宣教するよう促すために、幻を見せられたときも、3度拒絶しようとした人でした。また、パウロと協力して、異邦人への宣教に取り組んだとき、他のユダヤ人の顔色を気にして、異邦人の信徒と食事をするのを避けてしまったこともありました。
パウロもそのことで、一時的にペトロと分かれて、宣教活動をしたことがありました。そのため、異邦人の信徒の中には、彼のことを信頼し切れない人たちが、一定数いたのかもしれません。ペトロを指して、「神の教えよりも、ユダヤ人の伝統に縛られている」「分け隔てする人間だ」と言う人が、コリントにも現れていたのかもしれません。
このように、誰の指導を良いとするのか、誰の言葉に従うことが、一番正しいとするのかで、言い争いが起きていました。また、最後に出てくる「わたしはキリストにつく」という主張は、パウロの言葉も、アポロの言葉も、ペトロの言葉も信用しないで、「私は直接キリストの霊から教えを受けた」と乱暴に言い張る人の声だったのかもしれません。
けれどもパウロは、自分を支持する派閥も含め、「わたしは〇〇につく」と主張している全ての者たちに向かって、「キリストは幾つにも分けられてしまったのですか!?」と目を覚ますように訴えます。パウロ自身も、他の弟子たちと分かれて別々に宣教することはありましたが、信者が誰を一番にするか、誰に従おうとするかで、仲違いさせることは望みませんでした。
お互いに考えが違うことはあるけれど、立場が異なることもあるけれど、共にキリストの名によって遣わされた仲間であること、それぞれの役割を持って、送り出されている同労者であることを忘れないように訴えました。皆が信じているイエス様も、誰が一番偉いかで、弟子たちが言い争ったとき、一人の子どもの手を取って、次のように言いました。
「わたしの名のためにこの子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである」……自分の方が偉いと思うとき、相手を子どものように見下しているとき、その相手をも受け入れて、手を取って歩む姿勢こそ、「キリストにつく」姿勢なのかもしれません。誰が一番偉いのか、ふさわしいのか、正しいのか、言い争っている間は、「キリストに従っている」と胸を張って言えません。
パウロは、「自分こそ一番偉い」とか、「自分につく者が正しい」とか、派閥争いに勝つことを目指さず、むしろ、自分を支持する人たちにまで「仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい」と言いました。強引な統合ではなく、柔軟な一致を薦めました。
現代のキリスト教会でも、聖餐式のやり方や、教師の捉え方について、どこが一番正しいかで、終始する議論になりがちですが、今こそ、仲たがいせず、心を一つにし、思いを一つにして、固く結び合う道を模索したいと思います。私たちが遣わされたのは、何よりも、キリストによって救いがもたらされたという、良い知らせを伝えるためだからです。
讃美歌
オンライン賛美歌5番「離れているけれど」(©️柳本和良)を歌います。(差し支えない方はお立ちください)

使徒信条
教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の2頁をご覧ください。

紹 介
本日も、初めて礼拝に来られた方、初めて配信を見られた方、久しぶりに参加された方と一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。
とりなし
共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろの方の1頁をご覧ください。

主の祈り
イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。オンライン讃美歌の後ろの方の4頁をご覧ください。差し支えない方は、お立ちください。

聖句と主題
御着席ください。今年度の年間聖句を心に留めて、今週も新しく遣わされましょう。
年間聖句
「子どもたちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである」
年間主題
華陽教会では、「信仰継承を考える」というテーマで、マルコによる福音書10:14を今年度の年間聖句にしています。
今週は、病気や障害、家族の看護や介護などで、教会に来ることが困難な人のことを覚え、癒しと回復がもたらされるよう、祈りを合わせていきましょう。
献 金
感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。献金に、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください。
献金の祈り(例)
神様、この礼拝で受けた恵みが、ますます豊かに広がるよう、私たちがささげた献金をお使いください。人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
讃美歌
献金の讃美歌512番「主よ、献げます」3節を歌いましょう。
讃美歌
讃美歌21の24番「たたえよ、主の民」を歌いましょう。(差し支えない方は、お立ちください)
祝 福
共に、神様の祝福を受けましょう。
派 遣
さて、兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストの名によってあなたがたに勧告します。皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい。(コリントの信徒への手紙一1:10)
祝 福
わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。(コリントの信徒への手紙一1:3)
報 告
本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった20名、同時に視聴された9名、計29名が参加されました。後から動画や原稿を通して祈りを合わせてくださった方も感謝致します。
来週の日曜礼拝は『いずれは裁かれる?』と題して、ヤコブの手紙2:8〜13のお話をする予定です。水曜日の聖書研究祈祷会では『悪い性格、良い性格?』と題して、創世記4:1〜12のお話をします。
次回もぜひ、祈りを合わせてご参加ください。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。