ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『このあと裏切る人に』 受難日礼拝

2023年4月7日 受難日礼拝


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Hands off my tags! Michael GaidaによるPixabayからの画像

案 内

本日は、イエス様が十字架にかけられた日を記念する聖金曜日、受難日礼拝を行います。イエス様がエルサレムに入ってから、十字架につけられるまでの一週間、その心と体に受けられた、痛みと苦しみを想起します。

 

第一日から第七日まで、順番に聖書朗読と、祈りを合わせる賛美をします。賛美歌はマスクをしたままで歌い、光と命の象徴である蝋燭の火を一本ずつ消していきます。間に短い沈黙を挟みながら、私たちが抱えている思いを神様に差し出します。

 

今、あなた自身が悩み、恐れ、迷っているとき、イエス様も共に痛み、苦しみ、とりなしてくださっていることを思い出しましょう。

 

前 奏

オンライン賛美歌13番「恐れ惑うこの身に」(©️柳本和良)

 

第一日目(日曜日)

ルカによる福音書19:28〜40

イエスはこのように話してから、先に立って進み、エルサレムに上って行かれた。そして、「オリーブ畑」と呼ばれる山のふもとにあるベトファゲとベタニアに近づいたとき、二人の弟子を使いに出そうとして、言われた。「向こうの村へ行きなさい。そこに入ると、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、引いて来なさい。もし、だれかが、『なぜほどくのか』と尋ねたら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。」使いに出された者たちが出かけて行くと、言われたとおりであった。ろばの子をほどいていると、その持ち主たちが、「なぜ、子ろばをほどくのか」と言った。二人は、「主がお入り用なのです」と言った。そして、子ろばをイエスのところに引いて来て、その上に自分の服をかけ、イエスをお乗せした。イエスが進んで行かれると、人々は自分の服を道に敷いた。イエスがオリーブ山の下り坂にさしかかられたとき、弟子の群れはこぞって、自分の見たあらゆる奇跡のことで喜び、声高らかに神を賛美し始めた。「主の名によって来られる方、王に、祝福があるように。天には平和、いと高きところには栄光。」すると、ファリサイ派のある人々が、群衆の中からイエスに向かって、「先生、お弟子たちを叱ってください」と言った。イエスはお答えになった。「言っておくが、もしこの人たちが黙れば、石が叫びだす。」

 

エルサレムに迎えられる

受難週の日曜日、イエス様は、新しい王として迎えられました。大国に支配された人々を武力で解放することが期待される一方、戦争で活躍することのない子ろばに乗って、武器を持てない市民に迎えられて、エルサレムに入りました。まもなく自分を「十字架につけろ」と叫び始める民衆を拒否することなく、彼らの歓迎を大事に受けとめました。

 

讃美歌

(短い沈黙)オンライン賛美歌13番「恐れ惑うこの身に」(2回繰り返して歌い、1本目の蝋燭を消す)

 

 

第二日目(月曜日)

ルカによる福音書19:45〜20:8

それから、イエスは神殿の境内に入り、そこで商売をしていた人々を追い出し始めて、彼らに言われた。「こう書いてある。『わたしの家は、祈りの家でなければならない。』ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にした。」毎日、イエスは境内で教えておられた。祭司長、律法学者、民の指導者たちは、イエスを殺そうと謀ったが、どうすることもできなかった。民衆が皆、夢中になってイエスの話に聞き入っていたからである。ある日、イエスが神殿の境内で民衆に教え、福音を告げ知らせておられると、祭司長や律法学者たちが、長老たちと一緒に近づいて来て、言った。「我々に言いなさい。何の権威でこのようなことをしているのか。その権威を与えたのはだれか。」イエスはお答えになった。「では、わたしも一つ尋ねるから、それに答えなさい。ヨハネの洗礼は、天からのものだったか、それとも、人からのものだったか。」彼らは相談した。「『天からのものだ』と言えば、『では、なぜヨハネを信じなかったのか』と言うだろう。『人からのものだ』と言えば、民衆はこぞって我々を石で殺すだろう。ヨハネを預言者だと信じ込んでいるのだから。」そこで彼らは、「どこからか、分からない」と答えた。すると、イエスは言われた。「それなら、何の権威でこのようなことをするのか、わたしも言うまい。」

 

神殿から商人を追い出す

受難週の月曜日、イエス様は神殿で憤る姿を見せました。みんなで祈りを合わせる場所のはずが、献げ物を買えない者、用意できない者が、弾かれる場所になっていました。権威やしきたりに邪魔されて、神の言葉を聞けなくされている人のために、自分が矢面に立って闘いました。理解しようとしない人たちにも、繰り返し語り続けました。

 

讃美歌

(短い沈黙)オンライン賛美歌13番「恐れ惑うこの身に」(2回繰り返して歌い、2本目の蝋燭を消す)

 

 

第三日目(火曜日)

ルカによる福音書21:37〜22:6

それからイエスは、日中は神殿の境内で教え、夜は出て行って「オリーブ畑」と呼ばれる山で過ごされた。民衆は皆、話を聞こうとして、神殿の境内にいるイエスのもとに朝早くから集まって来た。さて、過越祭と言われている除酵祭が近づいていた。祭司長たちや律法学者たちは、イエスを殺すにはどうしたらよいかと考えていた。彼らは民衆を恐れていたのである。しかし、十二人の中の一人で、イスカリオテと呼ばれるユダの中に、サタンが入った。ユダは祭司長たちや神殿守衛長たちのもとに行き、どのようにしてイエスを引き渡そうかと相談をもちかけた。彼らは喜び、ユダに金を与えることに決めた。ユダは承諾して、群衆のいないときにイエスを引き渡そうと、良い機会をねらっていた。

 

イエスを殺す計画

受難週の火曜日、イエス様は自分と対立する祭司長、律法学者、長老たちのいる神殿へ、その後も通い続けました。彼らの扇動を受けて、自分がみんなに殺されることを分かっていてなお、人々に語り続けることを止めませんでした。愛する弟子の一人が裏切りを計画しているときでさえ、追い出そうとはしませんでした。

 

讃美歌

(短い沈黙)オンライン賛美歌13番「恐れ惑うこの身に」(2回繰り返して歌い、3本目の蝋燭を消す)

 

 

第四日目(水曜日)

マタイによる福音書26:6〜13

さて、イエスがベタニアで重い皮膚病の人シモンの家におられたとき、一人の女が、極めて高価な香油の入った石膏の壺を持って近寄り、食事の席に着いておられるイエスの頭に香油を注ぎかけた。弟子たちはこれを見て、憤慨して言った。「なぜ、こんな無駄遣いをするのか。高く売って、貧しい人々に施すことができたのに。」イエスはこれを知って言われた。「なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。この人はわたしの体に香油を注いで、わたしを葬る準備をしてくれた。はっきり言っておく。世界中どこでも、この福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。」

 

ベタニアで香油を注がれる

受難週の水曜日、イエス様は「無駄遣いをした」と責められる女性を指して「わたしに良いことをしてくれた」と言いました。やがて一緒に居られなくなることを悟った女性が、イエス様の死を阻止することのできない女性が、「良いことをしてくれた」と宣言しました。共についていくことができない人を「自分にとって必要だ」と語られました。

 

讃美歌

(短い沈黙)オンライン賛美歌13番「恐れ惑うこの身に」(2回繰り返して歌い、4本目の蝋燭を消す)

 

 

第五日目(木曜日)

ルカによる福音書22:7〜23

過越の小羊を屠るべき除酵祭の日が来た。イエスはペトロとヨハネとを使いに出そうとして、「行って過越の食事ができるように準備しなさい」と言われた。二人が、「どこに用意いたしましょうか」と言うと、イエスは言われた。「都に入ると、水がめを運んでいる男に出会う。その人が入る家までついて行き、家の主人にはこう言いなさい。『先生が、「弟子たちと一緒に過越の食事をする部屋はどこか」とあなたに言っています。』すると、席の整った二階の広間を見せてくれるから、そこに準備をしておきなさい。」二人が行ってみると、イエスが言われたとおりだったので、過越の食事を準備した。時刻になったので、イエスは食事の席に着かれたが、使徒たちも一緒だった。イエスは言われた。「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた。言っておくが、神の国で過越が成し遂げられるまで、わたしは決してこの過越の食事をとることはない。」そして、イエスは杯を取り上げ、感謝の祈りを唱えてから言われた。「これを取り、互いに回して飲みなさい。言っておくが、神の国が来るまで、わたしは今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。」それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。しかし、見よ、わたしを裏切る者が、わたしと一緒に手を食卓に置いている。人の子は、定められたとおり去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。」そこで使徒たちは、自分たちのうち、いったいだれが、そんなことをしようとしているのかと互いに議論をし始めた。

 

過越の食事をする

受難週の木曜日、イエス様は最後の食卓で、仲間の中に裏切る者がいると告げました。そこには、イエス様を引き渡そうとしているユダと、最後まで従うことを約束しながら結局見捨ててしまうペトロたちがいました。しかし、「神の国でまた飲もう」と言われた食卓から、裏切る者も、見捨てる者も、誰一人、追い出すことはありませんでした。

 

讃美歌

(短い沈黙)オンライン賛美歌13番「恐れ惑うこの身に」(2回繰り返して歌い、5本目の蝋燭を消す)

 

 

第六日目(金曜日)

ルカによる福音書23:32〜49

ほかにも、二人の犯罪人が、イエスと一緒に死刑にされるために、引かれて行った。「されこうべ」と呼ばれている所に来ると、そこで人々はイエスを十字架につけた。犯罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけた。〔そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」〕人々はくじを引いて、イエスの服を分け合った。民衆は立って見つめていた。議員たちも、あざ笑って言った。「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい。」兵士たちもイエスに近寄り、酸いぶどう酒を突きつけながら侮辱して、言った。「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ。」イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王」と書いた札も掲げてあった。十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」すると、もう一人の方がたしなめた。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。既に昼の十二時ごろであった。全地は暗くなり、それが三時まで続いた。太陽は光を失っていた。神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた。イエスは大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」こう言って息を引き取られた。百人隊長はこの出来事を見て、「本当に、この人は正しい人だった」と言って、神を賛美した。見物に集まっていた群衆も皆、これらの出来事を見て、胸を打ちながら帰って行った。イエスを知っていたすべての人たちと、ガリラヤから従って来た婦人たちとは遠くに立って、これらのことを見ていた。

 

十字架につけられる

受難週の金曜日、イエス様は犯罪人と一緒に十字架を背負わされ、磔にされました。目の前で自分を嘲笑い、侮辱している人たちのために「彼らをお赦しください」と祈りました。自分が息を引き取った後も、過ちを告白せず、悔い改める姿を見せない群衆のために、最後までとりなしを続けました。

 

讃美歌

(短い沈黙)オンライン賛美歌13番「恐れ惑うこの身に」(2回繰り返して歌い、6本目の蝋燭を消す)

 

 

第七日目(土曜日) 

ルカによる福音書23:50〜56

さて、ヨセフという議員がいたが、善良な正しい人で、同僚の決議や行動には同意しなかった。ユダヤ人の町アリマタヤの出身で、神の国を待ち望んでいたのである。この人がピラトのところに行き、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出て、遺体を十字架から降ろして亜麻布で包み、まだだれも葬られたことのない、岩に掘った墓の中に納めた。その日は準備の日であり、安息日が始まろうとしていた。イエスと一緒にガリラヤから来た婦人たちは、ヨセフの後について行き、墓と、イエスの遺体が納められている有様とを見届け、家に帰って、香料と香油を準備した。

 

墓に葬られる

受難週の土曜日、イエス様はヨセフという議員に引き取られ、墓へ埋葬されました。安息日には仕事をしてはならないため、ろくな葬儀も行われずに、暗い穴へと葬られました。後からついてきた女性たちも、掟を破ることはできず、三日目の朝まで遺体を放置してしまいました。

 

讃美歌

(短い沈黙)オンライン賛美歌13番「恐れ惑うこの身に」(2回繰り返して歌い、全ての蝋燭を倒す)

 

 

沈 黙

このあと自分を裏切る人に、イエス様は神の国の食卓を先取りしたパンを渡します。このあと自分を見捨てる人に、イエス様は信仰が無くならないように祈ります。このあと過ちを告白できない人に、イエス様は罪のとりなしを行います。このあと自分を放置する人に、イエス様は最初に姿を現します。

 

今日はイエス様を信じていても、明日は疑っているかもしれない。今日は正しく生きようとしていても、明日は間違ったことをしているかもしれない。今日は自分の罪を思い出せても、明日は忘れているかもしれない。そんな私たちのそばから、イエス様は一週間離れることなく、最後まで共にいて、新しく出会いに来られます。

 

このあと裏切る人に、イエス様は新しい命を与えようとやって来ます。あなたがそのまま滅びないように、あなたがそのまま離れないように、あなたを失わないように、時を越え、場所を越え、死を越えて、私たちへ出会われます。この方は、あなたのために十字架へかけられ、あなたのために三日目に復活することを告げられました。

 

しばらくの間、沈黙の時を持ちましょう。それぞれ、まとまらない思い、言葉にならない願い、名前がつけられない感情を、ゆっくり神様に差し出しましょう。あなたから溢れていくもの、流れ出ていくものを整える、聖霊に委ねて祈りなさい。(約5分間)

 

讃美歌

沈黙の間、溢れてきた思いを賛美に乗せて、共に祈りを合わせましょう。オンライン賛美歌13番「恐れ惑うこの身に」(3回繰り返して歌い、照明をつける)

 

 

主の祈り

共に、イエス様が教えられた主の祈りを祈りましょう。

 

 

報 告

以上で、聖金曜日の受難日礼拝を終わります。今度の日曜日は、いよいよイースターです。子ども向けの教会学校イースター礼拝は9時15分から、一般向けのイースター礼拝は10時半から行っています。

 

教会学校こども礼拝では、礼拝後に、子どもたちとエッグハント(卵探しゲーム)も予定しています。どなたでも参加できるので、初めての方も、久しぶりの方も、ぜひお待ちしています。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。