日曜礼拝 2023年4月9日
案 内
華陽教会では、賛美中のマスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、日曜日の礼拝も配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、神の招きにあずかりましょう。
前 奏
(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)
招 詞
このように、あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考えなさい。(ローマの信徒への手紙6:11)
讃美歌
マスクをお付けいただき、旧讃美歌52番「主のさかえに」を歌います。諸事情でマスクを着用できない方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。差し支えない方は、お立ちください。
お祈り
ご着席ください。共に祈りを合わせましょう。
◆復活と希望をもたらす私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて日曜日の礼拝を始めることができ、感謝いたします。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。
◆私たちの神様。十字架につけられたイエス様が、三日目に復活したことを記念する、イースターを迎えました。コロナ禍に入ってから、4年ぶりに、人数を制限しないでこの日をお祝いしています。どうか今、ここに連なる全ての人と喜びを分かち合わせてください。
◆私たちの神様。今日は礼拝の中で、新たな仲間が信仰を告白し、キリスト者になるための式「洗礼式」を行います。また、その後、キリスト者であり続けるための式「聖餐式」を行います。どうか今、これらの式を豊かに導き、あなたの恵みを分けさせてください。
◆私たちの神様。今日ここに直接来られなかった人、リアルタイムで配信を見られない人にも、あなたの慈しみがありますように。どうか今、時を越え、場所を越え、死を越えて救いをもたらす、あなたの御手が、全ての人を包みますように。
◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
聖 書
聖書の言葉を聞きましょう。ルカによる福音書24:1〜12(新共同訳より抜粋)
*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。交読詩編も同様に後からカットしています。 |
交読文
詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編30:1〜13(新共同訳交読詩編より抜粋)
『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。ご着席のままで大丈夫です。 |
讃美歌
マスクをお付けいただき、オンライン賛美歌6番「戻らない世界で」を歌いましょう。差し支えない方は、お立ちください。
メッセージ
亡くなった人の遺体が消えていた。墓の入り口を閉ざしていた石は転がされ、穴の中には何もなく、遺体を包んでいた布だけが残されていた。イエス様の墓参りにきた女性たちと同じ現場に遭遇したら、皆さんは何が起きたと考えるでしょうか? おそらく、最初に頭をよぎるのは墓荒らしが行われた可能性でしょう。
当時のユダヤ社会では土葬が一般的でした。死者と一緒に埋葬された貴重品があるかもしれない。故人に着せられた衣服や指輪が手に入るかもしれない。そんな不埒なことを考えた盗人が、墓を暴いてしまった可能性は十分考えられたでしょう。けれども、女性たちが墓の中を確認すると、盗人が持ち去るはずのない、遺体そのものも無くなっています。
次に思い浮かぶのは、故人を憎んでいた人が、遺体を荒らしにきた可能性です。救い主として遣わされたイエス様は、あちこちで病人を癒し、教えを語り、ついてくる人が多くなるにつれ、祭司長や律法学者から妬まれるようになっていました。彼らのようにイエス様と対立していた人が、墓を暴いて危害を加えようとしたのかもしれません。
けれども、それなら遺体が傷付けられることはあっても、持ち去られることはありません。また、死体に触れた者は、律法で、祭儀に出ることをしばらく禁じられたため、律法学者や祭司長が、わざわざ処刑されたイエス様の遺体を持ち去ることは、余計に考えにくいことでした。
最後に思い浮かぶのは、一番考えたくないことでしょう。強い恨みや後悔から、死者が幽霊となって、墓から出てきた可能性です。イエス様は、弟子たちに裏切られ、見捨てられ、無実の罪で殺されたため、幽霊になってもおかしくないと思われる理由が十分過ぎるほどありました。また、亡くなった後の扱いも、死者が恨みを抱きそうな現状でした。
イエス様が十字架につけられて亡くなったのは、安息日が始まる直前の午後3時くらいです。3時間後には「仕事をしてはならない日」と定められた土曜日を迎え、葬儀や埋葬をすることもできなくなります。そのため、イエス様の遺体は、ほとんど手付かずのまま、穴の中に納められてしまいました。そして、三日間放置されます。
イエス様は十字架につけられる前、困っている人や苦しんでいる人のため、度々、安息日の掟を破っていました。「安息日は人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない(マルコ2:27)」と言って、病人を癒し、空腹の人を食べさせていました。けれども、そんなイエス様のために、安息日の掟を破って弔いをする者はいませんでした。
他の弟子たちが、イエス様を見捨てて逃げる中、マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母をはじめとする女性たちは、イエス様が墓に納められるまで見届けましたが、誰も安息日の掟を破って、遺体を整えには来ませんでした。遺体を放置すれば、どんどん傷んでいくのは分かっていましたが、三日間、誰も墓へ行きませんでした。
ようやく、週の初めの日、明け方早くに墓へやってきた女性たちは、転がされた墓石と空っぽになった墓穴を見て、途方に暮れました。一刻も早く、遺体を整えて、まともな埋葬をしてあげたいのに、どこにもイエス様の体が見当たりません。どうやら、何かが間に合わなかったみたいです。掟に縛られてすぐ墓へ来なかったことが悔やまれます。
遺体が荒らされたにせよ、盗まれたにせよ、幽霊となって出ていったにせよ、もう取り返しがつきません。イエス様が処刑されるのに、何もできなかった。せめて、香料と香油を塗ってあげようと思っていたのに、それさえできなかった。生きているときも、死んだあとも、この人のためにちゃんとできなかった。もう何かしてあげることはできない。
そう、彼女たちにとって、イエス様が「ここにいない」ということは、決定的な断絶に見えました。コロナ禍で入院した家族と、ろくに会えないまま見送った人が、葬儀と埋葬も思っていたようにはできず、途方に暮れてしまった日々があったように、イエス様を見送った女性たちも、途方に暮れていました。最悪だ、もう何もできない……と。
けれども、そのとき輝く衣を着た二人の人がそばに現れて言いました。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい」……それは、イエス様が三日目に復活すると言っていたことを思い出させる言葉でした。
イエス様が「ここにいない」ということは、あなたとこの方の関係が、終わったことを意味しない。この方が、あなたから離れたことを意味しない。この方は、あなたの家へ帰ってくる。もう何もできないのではなく、これから迎えることができる。あなたが家で迎えることができるように、この方は墓から出ていった。
彼女たちは、すぐに墓から帰って、イエス様の弟子たちとほかの人皆に一部始終を知らせました。弟子たちは、たわ言だと思って信じませんでしたが、ペトロは立ち上がって墓へ走り、確かに遺体がなくなっていることを、ここにいないことを認めました。驚きながら、帰っていった人たちの家は、復活したイエス様を迎える場所になりました。
今日は、墓を見に行った人たちが「ここにいない」イエス様を迎える家へ、帰っていった日です。教会には、救いを求めて色んな人たちがやってきます。ここへ来たら、神様のことが分かるんじゃないか? ここで、救い主と出会えるんじゃないか? そう思って、礼拝へ参加し、聖書を開き、祈りを合わせる人たちが集まってきます。
しかし、多くの人は、ここでイエス様を見つけられません。ここで神様を見ることはできません。試しに礼拝へ来てみても、聖書の言葉を聞いてみても、自分には神様が分からない……そばにいるイエス様が分からない……聖霊を感じることができない……と思って帰っていきます。ここにいないということは、どこにいるんだろう……と思いながら。
けれども、ここでイエス様を見ることができなかったあなたの家へ、イエス様はやって来ます。復活を信じられなかった、約束を思い出せなかった弟子たちのもとへ、イエス様は姿を現しにきます。これまで、洗礼を受けた人たちも、ここにいないイエス様と、思ってもみないとき、思ってもみない場所で出会い、信じる経験をしてきました。
今日、また新たに、イエス様と出会った人が信仰を告白し、洗礼を受けます。期待した時、期待した場所で、イエス様を見ることができず、途方に暮れた者の一人が、あの日、あの時、どこにいるのか分からなかったイエス様と、出会えたことを告白します。ここにいないと思っていたイエス様は、私の家へ来るために、ここを発っていたんだと。
ここでイエス様を見つけられなかった人たち。自分はもう、神様との距離が開きすぎて何もできないんだと思った人たち。空っぽの墓を覗いたような、途方に暮れる気分になった者……あなたがここで、イエス様を見つけられなかったのは、あなたが帰っていった家で、イエス様を迎えるためです。あなたは救いから離れたのではありません。
「あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい」……その証人となる者が、新たな証し人となる者が、今日、私たちの群れに迎えられます。共に、この人の告白を受けとめ、私たちも自らの信仰を証しして、喜びを分かち合いましょう。
讃美歌
ただ今より、洗礼式を行います。最初に、マスクをお付けいただき、讃美歌21の67番「貴きイェスよ」を歌いましょう。差し支えない方は、お立ちください。
洗礼式[1]
ご着席ください。共に、洗礼の意味を確認しましょう。
序 詞
主イエス・キリストは、その全生涯、とりわけ死と復活によって人類の救いを成就され、この救いに、信じるすべての人をあずからせるために洗礼を制定されました。洗礼によって、神はわたしたちに聖霊の証印を押して、ご自分の民としてくださいます。また、死んでよみがえられたイエス・キリストに結び合わせ、罪と死から解放してくださいます。さらに、水と霊とによって新たに生まれ変わらせ、キリストのからだである教会の一員としてくださいます。こうして、わたしたちはキリストの宣教のみわざを受け継ぐ者とされるのです。洗礼を受ける者は、神と教会の前に信仰を告白し、教会の一員として誠実に生きることを約束します。また、先に洗礼を受けた者も、信仰の告白を新たにしましょう。
制定語
主イエス・キリストの制定の言葉を聞きましょう。
主は復活の後に弟子たちに命じて言われました。
「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ28:18〜20)
また、聖書で次のように言われています。
「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです。」(使徒言行録2:38〜39)
教会は、今、この御言葉にしたがい、神の招きを受けたかたに洗礼を施します。役員の代表の方は、洗礼志願者の紹介をお願いします。
志願者の紹介
(*役員代表が受洗志願者を紹介する)
教会の役員会は、洗礼を願い出られたこのかたについて、そのこころざしを確かめ、このかたに洗礼を授けることに何の妨げもないと判断いたしました。
誓 約
ただ今より、洗礼を執り行います。受洗志願者の方は、こちらへお進みください。
(*洗礼盤の前へ洗礼志願者を案内する)
受洗志願者の方は、あなたが洗礼を受けるに当たり、次の問いに答えてください。
<新生の約束>
司式者:あなたは、これまでの罪の道から離れ、洗礼を通して、この世を支配する悪の力を退けることを望みますか?
志願者:望みます。
司式者:あなたは、イエス・キリストを自分の主また救い主として受け入れ、その恵みと愛に依り頼むことを約束しますか?
志願者:約束します。
司式者:あなたは、キリストの忠実な弟子となって、その御言葉にしたがい、生涯キリストの愛の証人になることをこころざしますか?
志願者:神の助けによってこころざします。
<信仰告白と教会員としての約束>
司式者:あなたは、日本基督教団信仰告白を告白しますか?
志願者:告白します。
司式者:あなたは、聖餐を重んじて誠実にこれにあずかり、日本基督教団の教憲・教規にしたがい、この教会の会員として忠実にその責務を果たすことを約束しますか?
志願者:約束します。
<日本基督教団信仰告白>
一同で『日本基督教団信仰告白』を告白しましょう。差し支えない方は、お立ちください。
<使徒信条>
感謝聖別祷
ご着席ください。共に祈りを合わせましょう。
天地の造り主、全能の神よ。創造の初めに、あなたの霊は水のおもてを覆い、混沌の中から命と秩序を生み出してくださいました。ノアの時には、あなたは水によって悪を滅ぼし、水を経て救われた人々に、新しい始まりをもたらしてくださいました。イスラエルを奴隷の地から解放された時も、あなたはイスラエルを水の中を通して、約束の地へ導き出してくださいました。これらの出来事は洗礼の恵みをあらわすしるしでした。あなたの力ある働きを賛美いたします。
また、主イエスはヨルダン川の水で、ヨハネから洗礼を受け、あなたの霊の注ぎをお受けになりました。さらに主はご自身の死と復活という洗礼によって、罪と死からわたしたちを解き放ち、永遠の命の道を開いてくださいました。
神よ、今ここに洗礼の水を備えてくださったことを感謝いたします。この水の中で、洗礼を受ける者がキリストと共に死に、キリストと共に葬られ、この水の中から起き上がって、キリストと共によみがえりますように。
この洗礼の水の上にあなたの霊を送ってください。聖霊の力によって、この水が受洗者の救いと再生のみなもととなりますように。この水によって清められるすべての者に、罪の赦しを与えてください。そして、新しい命によみがえらせ、キリストのからだに結び合わせてください。ただひとりの神、父と子と聖霊に、賛美と誉れと栄光が今もとこしえまでもありますように。
一 同:アーメン。
洗 礼
受洗志願者の方は、ここへひざまずいてください。
わたしは、
父と(水を注ぐ)
子と(水を注ぐ)
聖霊の(水を注ぐ)御名によって、あなたに洗礼を授けます。
按 手
(受洗者の頭に手を置く)
主よ、この(姉妹)に聖霊を満たし、知恵と識別、思慮と勇気、神を知り、畏れ敬う心をお与えください。今もとこしえまでも。(イザヤ11:2〜3)
会衆の参与
司式者:教会員の皆さんは、お立ちください。会衆の皆さんにも「約束しますか?」と尋ねるので、「約束します」と答えてください。
司式者:今、この(姉妹)は、洗礼を受けて、わたしたちの群れに加えられました。あなたがたはこの(姉妹)を、祈りによって支え、愛をもってその信仰の成長を助けることを約束しますか?
教会員:約束します。
司式者:あなたがたも、自分自身の洗礼の恵みを思い起こし、このとき言い表した信仰とこころざしを新たにしてください。キリストにおいて、あなたがたが共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなりますように。(エフェソ2:22)
一 同:アーメン。
紹 介
どうぞ、会衆の方をお向きください。新しく、華陽教会に迎えられた方です。これから共に信仰生活を支え合う仲間として歓迎致します。この方の信仰生活が、これからも神に支えられ、導かれるよう、会衆一同で祈りを合わせ、共に聖餐にあずかりましょう。どうぞ、席へお戻りください。
主の祈り
神の国の実現を願い、陪餐に備えて『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。オンライン讃美歌の後ろの方の4頁にも掲載しています。
聖 餐[2]
御着席ください。ただいまより、聖餐式を始めます。本日は、感染リスクを避けるため、一人一人ケースに入れたパンとぶどう液を一緒に配らせていただきます。
讃美歌
最初に、マスクをしたままで讃美歌21の81番「主の食卓を囲み」1節を歌いましょう。(*ご着席いただいたままで大丈夫です)
主の食卓への招き
兄弟姉妹、今から神の民の祝宴が開かれます。主は言われました。「やがて人々は東から西から、北から南から来て、神の国で共に食卓に着く。」
また、福音書は伝えています。主は、十字架につけられる夜、ご自分を裏切り、見捨てる者たちのためにパンを取り、彼らに与えて言われました。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。」「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。」
主は、辱める者、傷つける者、信じない者を憐れまれ、一人一人の罪が赦されるよう、ご自分の命を献げられました。この方を信じ、その信仰を公に告白した方は、進んでこの食事にあずかりましょう。また、信仰を告白していない者、共に集った兄弟姉妹も、キリストのとりなしと祝福を受けましょう。
感謝と聖別の祈り
世界の創造者、また統治者である神よ、あなたはご自分にかたどって私たちを造り、あなたを愛し、あなたに仕え、全被造物と平和のうちに生きるために、この世界に住まわせられました。私たちがあなたに逆らい、信頼と服従を拒んだ時にも、あなたは私たちをお見捨てにならず、ご自分のものと呼んでくださいました。あなたは私たちを、ご自分の道に立ち返らせるため、御子イエス・キリストを世に遣わしてくださいました。
主イエスは、罪人と共に食事をし、その生き方を新たにし、信じない者を信じる者に、滅ぶべき者が永遠の命にあずかるために、十字架にかかってくださいました。そして、死という絶対的な隔たりを超えて、ご自分を見捨てた者たちに現れ、「あなたがたに平和があるように」と宣言してくださいました。
私たちの神よ、どうか、今ここにあるパンと杯を受け入れ、御言葉と聖霊によって、聖なるものとしてください。そして、これによって、御子イエス・キリストの尊い体と血にあずからせてください。これにあずかる者たちが、皆キリストの体と一つになり、永遠の命を受け継ぐことができますように。
陪 餐
ただいまより、パンとぶどう液を配ります。誰でも洗礼を受けて信仰を告白し、この食事にあずかることができます。洗礼式はキリスト者になるための式で、この聖餐式はキリスト者であり続けるための式です。ですから、この食事には洗礼を受け、信仰を告白してからあずかることをお勧めします。
まだ、洗礼を受けておらず、信仰を告白していない方は、恐れ入りますが、しばらくお待ちください。皆さんの信仰の自由と、その決断とを尊重させていただきます。なお、洗礼を受けて信仰を告白した方は、進んでこの聖餐にあずかり、パンと杯を受けない方へ、神様の祝福と平和を祈りましょう。(*配餐者は手指の消毒をしてパンと杯の入ったケースを配る)
オンライン賛美歌の後ろをめくった「陪餐」のところをご覧ください。パンと杯を共に受けつつ、この場にいる人のために、神の祝福を祈りましょう。
(パンを手に取る)
これは、あなたがたのために与えられた主イエス・キリストの体です。あなたのために主が命を捨てられたことを覚え、感謝をもってこれを受け、御子イエス・キリストとの交わりにあずかりましょう。
パンを手にしている方は、パンを受け取っていない方へ、神様の祝福を祈りましょう。
「あなたの手が、キリストの愛と平和で満たされますように」
「アーメン」
食べなさない。あなたがキリストから受けて、あなたから分けられるように。
(杯を手に取る)
これは、あなたがたのために流された主イエス・キリストの血潮です。あなたのために主が血を流されたことを覚え、感謝をもってこれを受け、御子イエス・キリストとの交わりにあずかりましょう。
杯を手にしている方は、杯を受け取っていない方へ、神様の祝福を祈りましょう。
「あなたの手が、キリストの愛と祝福で満たされますように」
「アーメン」
飲みなさい。あなたがキリストから受けて、あなたから溢れ出るように。
陪餐後の感謝
共に、感謝の祈りをささげましょう。
愛と憐れみの主である全能の神よ、今日この場に、若者も年長者も、信仰を告白した者も告白していない者も、共にあなたが招いてくださったことを感謝致します。あなたは今、御子イエス・キリストの尊い体と血によって、私たちを養い、この食事を見ている全ての者を結び合わせてくださいました。
あなたはこれによって、私たちに対する愛と恵みを示し、私たちが御子の体の手足であること、御国を受け継ぐ者であることを確かにしてくださいました。今、イエス・キリストを通して、自分の体を生きた聖なる供え物として献げます。どうか聖霊を注いで、私たちをこの世に遣わし、あなたが求めていることを行わせてください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
讃美歌
マスクをお付けいただき、(着席のまま)讃美歌81番の2節、3節を歌いましょう。
献 金
感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。初めての方は、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください。
献金の祈り(例)
変化と回復をもたらす私たちの神様、あなたから受ける言葉によって、私たちは新しく生かされます。今から後、私自身の生き方が変えられていくしるしとして、ここにささげた供え物を受け入れてください。 主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
讃美歌
マスクをお付けいただき、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」の1節を歌いましょう。
讃美歌
頌栄の讃美歌26番「グロリア、グロリア、グロリア」を歌いましょう。差し支えない方は、お立ちください。
祝 福
共に、神様の祝福を受けましょう。
派 遣
なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。(ルカによる福音書24:6より)
祝 福
神がわたしたちを憐れみ、祝福し、御顔の輝きを、わたしたちに向けてくださいますように。あなたの道をこの地が知り、御救いをすべての民が知るために。(詩編67:2〜3)
報 告
本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった26名、同時に視聴された7名、計33名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝いたします。
本来は、配信終了後に、受洗された方を囲んで愛餐会を行いますが、感染症対策のため、昼ご飯ではなく、ささやかなティータイムを持ちたいと思います。2階集会室では密集してしまうので、こちらの礼拝堂へテーブルを持ってきて、お茶を飲めるようにします。
初めて来られた方も、よかったらぜひ、お茶とお菓子をいただいてお帰りください。また、復活祭の記念に、イースターエッグも用意しています。こちらもどうぞ、お持ち帰りください。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。
[1] 以下、「洗礼式」の式文は、日本基督教団信仰職制委員会 編『日本基督教団 式文(試用版Ⅱ)』日本キリスト教団出版局、2009、2015を参照し、一部手を加えて載せています。
[2] 以下、「聖餐式」の式文は、日本基督教団信仰職制委員会 編『日本基督教団 式文(試用版Ⅰ)』日本キリスト教団出版局、2006、2010を参照し、大きく手を加えたものを載せています。