ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『パウロのクリスマス?』 使徒言行録22:6〜11

聖書研究祈祷会 2024年1月10日


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案 内

華陽教会では、賛美中のマスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、聖書研究祈祷会を配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌21の276番「あかつきの空の美しい星よ」を歌います。諸事情でマスクの着用ができない方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

◆全ての関係を新たにされる神様。今日もまた、あなたによって守られて聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝致します。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を求めている人を導いてください。

◆私たちの神様。新しい年を迎え、こうして再び、祈りと学びのときを与えてくださり、感謝致します。どうか今、去年分からなかったこと、今も疑問に思うことを、新しく聞いていくことができるように、この一年も導いてください。

◆私たちの神様。能登半島の地震から一週間が経ちました。懸命な救助によって、多くの人が助けられたことを感謝致します。どうか今、孤立している地域や、助けを待ち続けている人たちに、一刻も早く、救いの手が届くよう、導いてください。

◆私たちの神様。新学期が始まった、芽含幼稚園の子どもたちと保護者、先生、スタッフの上に、あなたの祝福がありますように。どうか今、様々な変化と改革が、誠実に進められるよう、私たちの思いと行動を導いてください。

◆信仰と希望と愛をもたらす、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。使徒言行録22:6〜11の新共同訳と聖書協会共同訳を朗読します。

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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ゆうによるPixabayからの画像

メッセージ

本日の聖書研究祈祷会のタイトルを聞いて、不思議に思った方もいるでしょう。「パウロのクリスマス」って、そんなエピソードあったっけ? キリストの誕生を記念する、クリスマスの出来事に、パウロは登場しただろうか? そもそも、1月10日にクリスマスの話をするのは、さすがに時期ハズレじゃないか? 色々と突っ込みたくなるでしょう。
 
キリスト教では、東から来た占星術の学者たちが、救い主の赤ちゃんを初めて礼拝したことを記念する「公現日」1月6日までクリスマスをお祝いしていますが、そこからさらに4日経っています。聖書箇所も、イエス様の誕生を記したマタイによる福音書やルカによる福音書の冒頭ではなく、死んで、復活し、昇天した後、だいぶ経ってからの話です。
 
一見、クリスマスと関係ないように思えます。実際、クリスマスの時期に使徒言行録が読まれることは、まずありません。今回、聖書研究祈祷会で、ここを読むのもたまたまです。たまたまですが、よく見ると、復活したイエス様の幻と、パウロが出会った日の出来事は、救い主が誕生した日の出来事と、重なるようになっています。
 
パウロは、自分がイエス様と出会ったときの様子を、このように話しました。「旅を続けてダマスコに近づいたときのこと、真昼ごろ、突然、天から強い光がわたしの周りを照らしました」……天から強い光に照らされて、その場に立ちすくむ様子は、救い主の誕生を知らされた、羊飼いたちを思い出させます。
 
「その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた」(ルカ2:8、9)昼と夜の違いはありますが、パウロはこのとき受けた強い光で、目が見えなくなってしまったので、真夜中に天使の声を聞いた羊飼いたちのように、彼も、暗闇で声を聞きます。
 
地面に倒れたパウロは、同胞のユダヤ人から呼ばれる名前で問われます。「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」……天からの声に問いかけられ、彼は、一気に恐ろしくなったでしょう。天使が近づいたとき、非常に恐れた羊飼いにも負けないくらい、パウロは震えながら応えます。
 
「主よ、あなたはどなたですか?」……すると、声の主は言いました。「わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスである」……あの日、ダビデの町ベツレヘムで、救い主の赤ちゃんが生まれたことを告げられたように、その日、ナザレで育ったイエス・キリストがパウロへ会いにきたことを告げられます。
 
さらに、イエス様の声は、パウロに向かって命じます。「立ち上がってダマスコへ行け。しなければならないことは、すべてそこで知らされる」……そこで、彼は、一緒にいた人たちに手を引かれて、ダマスコに向かって出発しました。ちょうど、天使の言葉を聞いてベツレヘムにいるイエス様を拝みにいった羊飼いのように。
 
救い主が生まれた日、羊飼いたちは、飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当て、この幼子について、天使が話してくれたことを人々に知らせました。パウロもまた、ダマスコへ行って、アナニアというイエス様の弟子に手を置いて祈られ、目が見えるようにされた後、自分に出会ってくださった救い主のことを、人々に知らせて回ります。
 
奇しくも、自分のために祈ってくれたアナニアから、パウロはこう言われています。「あなたは、見聞きしたことについて、すべての人に対してその方の証人となる」……それは「見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った」(ルカ2:20)羊飼いたちの役割を、新たに引き継ぐ役目でした。
 
一見、パウロがイエス様と出会った話は、信じていなかった者が、敵だった者が、罰を受け、反省させられ、悔い改めたから仲間にされた……という教訓的な話に見えますが、実際はもっと奥深く、彼が見えなくされたのは、暗闇の中、天使の光に照らされた、星の光に導かれた、良い知らせを受けた者たちの一人であることを示しているんです。
 
既に、クリスマスから2週間が経ちました。新年を迎えて10日目の水曜日、皆さんはどんな思いで新しい年を歩んでいるでしょうか? 元旦から震災に遭い、泊まる家を失った人……怪我をして、心を病んで、手を引かれなければ、歩くこともできなった人……誰かの助けを求め、とりなしを願って、さまよっている人……。
 
今、あなたが歩んでいる道は、救い主と初めて出会った羊飼いや、イエス様の幻に初めて呼びかけられたパウロが歩んだ道のりと、同じ道のりです。後ろめたいこと、やましいこと、悔やんでも悔やみきれないことがあったとしても、あなたと出会った救い主は、あなたを暗闇の中で、進めないまま放置することはありません。
 
手を引いてくれる者、見えるように祈ってくれる者、敵だったけれど受け入れてくれる者……イエス様自身が間に立って、彼らと出会わせてくださいます。そして、あなた自身が、新たな隣人として遣わされます。はたから見たら、野宿している貧しい者、見えなくなった力なき者、罰当たりな罪人でも、立派な証人として神様に選ばれています。
 
もし、クリスマスの夜に、みんなと同じような良い知らせを受け取れなかった……喜びにも希望にも満たされなかった……今も、暗闇の中を手探りでさまよっている……と感じるなら、改めて、思い起こしましょう。パウロもクリスマスの夜に、救い主が生まれた当日に、「救いにあずかった」とは思っていませんでした。彼は暗闇の中にいました。
 
しかし、そんな彼にも、救い主の訪れは、良い知らせは、もたらされます。時を越え、場所を越え、死を越えて、救い主は出会いに来ます。あなたに光を届かせます。肝心なときに、決定的なタイミングに、喜びを感じられなかった、良い知らせをみんなと分かち合えなかった全ての人に、キリストは新しい光をもたらします。
 
自分だけ、復活したイエス様を見てなくて信じられなかったトマスにも、イエス様のことを3回「知らない」と否定してしまったペトロのことも、キリスト教徒を迫害し、捕まえて回ったパウロのことも、この方は新しく弟子にするため、「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」「わたしに従いなさい」「わたしの証人になりなさい」と告げました。
 
震災による被害を受けて、教会の再建を信じられなくなった人たちにも、大切な人を失って、神様に怒りをぶつける人たちも、様々な事件にショックを受けて、礼拝へ行けなくなった人たちも、聖書を開くことさえできなくなった人たちにも、救い主の訪れは、あらゆる時を、場所を、壁を超えて、希望と回復をもたらします。今、この時から……
 
傷つき、疲れ、祈れなくなった全ての人に、私たちのとりなしが届きますように。私たちが見えないとき、歩けないとき、支えてくださった方の手が、今、必要とする全ての人へ、伸ばされますように。ここにいる私自身も、キリストの証人として、良い知らせを伝える者の足として、新たに出発できますように。アーメン。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(東京都豊島区の東長崎ウェスレー教会)のために、体調を壊している人のために、心が弱っている人のために、疲弊している人のために、祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆東京都豊島区の東長崎ウェスレー教会のために祈ります。この教会がイエス・キリストの働きを生き生きと再現する場所に用いられ、信徒一人一人が、東長崎の人々と共に、歩み続けることができますように。

◆体調を壊している人のために祈ります。自分自身の身体や、大切な人の健康を心配している人たちに、あなたの慈しみがありますように。適切なケアと治療がもたらされ、療養するための環境が整えられますように。

◆心が弱っている人のために祈ります。涙が出てくる人、涙も出てこない人、悲しみに暮れる人、悲しみさえ感じない人、それぞれに、あなたの癒しがもたらされ、力と希望が湧いてきますように。

◆疲弊している人のために祈ります。安心して過ごせる場所、休める時間が乏しい人に、あなたの憐れみがありますように。特に、被災地で困窮している一人一人に、あなたの助けがありますように。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、オンライン賛美歌13番「恐れ惑うこの身に」(©️柳本和良)を歌います。

 

 

主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の4頁にも掲載しています。主の祈り……

 

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して、聖書研究祈祷会にご参加くださり、感謝致します。配信終了後、時間のある方は14:30まで、聖研の質問や感想、キリスト教について気になっていることなど自由に聞ける第二部「分かち合い」の時を開きます。

 

人前でお祈りするのを遠慮したい方は、飛ばしてもらうこともできます。よかったらぜひご参加ください。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。