ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『そこに入っていきますか』 受難日礼拝

受難日礼拝 2024年3月29日


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案 内

本日は、イエス様が十字架にかけられた日を記念する聖金曜日、受難日礼拝を行います。イエス様がエルサレムに入ってから、十字架につけられるまでの一週間、その心と体に受けられた、痛みと苦しみを想起します。

 

第一日から第七日まで、順番に聖書朗読と、祈りを合わせる賛美をします。賛美歌は讃美歌21の32番「キリエ・エレイソン」を繰り返して歌い、光と命の象徴である蝋燭の火を一本ずつ消していきます。

 

間に短い沈黙を挟みながら、私たちが抱えている思いを神様に差し出し、あなた自身が悩み、恐れ、迷っているとき、イエス様も共に痛み、苦しみ、とりなしてくださっていることを思い出しましょう。

 

前 奏

*前奏の間に、7本の蝋燭に火をつける。

 

第一日目(日曜日) ヨハネによる福音書12:12〜19

その翌日、祭りに来ていた大勢の群衆は、イエスがエルサレムに来られると聞き、なつめやしの枝を持って迎えに出た。そして、叫び続けた。「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように、イスラエルの王に。」イエスはろばの子を見つけて、お乗りになった。次のように書いてあるとおりである。「シオンの娘よ、恐れるな。見よ、お前の王がおいでになる、ろばの子に乗って。」弟子たちは最初これらのことが分からなかったが、イエスが栄光を受けられたとき、それがイエスについて書かれたものであり、人々がそのとおりにイエスにしたということを思い出した。イエスがラザロを墓から呼び出して、死者の中からよみがえらせたとき一緒にいた群衆は、その証しをしていた。群衆がイエスを出迎えたのも、イエスがこのようなしるしをなさったと聞いていたからである。そこで、ファリサイ派の人々は互いに言った。「見よ、何をしても無駄だ。世をあげてあの男について行ったではないか。」

 

エルサレムに迎えられる

受難週の日曜日、イエス様は、イスラエルの王として迎えられました。軍を率いて、敵を滅ぼすことが期待される一方、戦争で活躍できない子ろばに乗って、エルサレムに入城しました。敵との間に、和解と平和を求められない群衆の中で、武器を持たない「平和の王」として、人々の中へ入っていきました。

 

沈 黙

1本目の蝋燭を消して、短い沈黙(30秒)

 

讃美歌

讃美歌21の32番「キリエ・エレイソン」(1番も2番も少し強く)

 

第二日目(月曜日) ヨハネによる福音書2:13〜22

ユダヤ人の過越祭が近づいたので、イエスはエルサレムへ上って行かれた。そして、神殿の境内で牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを御覧になった。イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、鳩を売る者たちに言われた。「このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」弟子たちは、「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」と書いてあるのを思い出した。ユダヤ人たちはイエスに、「あなたは、こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見せるつもりか」と言った。イエスは答えて言われた。「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」それでユダヤ人たちは、「この神殿は建てるのに四十六年もかかったのに、あなたは三日で建て直すのか」と言った。イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは、イエスがこう言われたのを思い出し、聖書とイエスの語られた言葉とを信じた。

 

神殿から商人を追い出す

受難週の月曜日、イエス様は、子どもや女性や異邦人を追いやる、商売人や両替人を神殿の境内から追い出しました。献げ物を買えない者、献金を用意できない者の痛みに、自分も憤って怒りました。黙らされた者の声に、耳を傾けない群衆の中で、声を挙げる者として、人々の中へ入っていきました。

 

沈 黙

2本目の蝋燭を消して、短い沈黙(30秒)

 

讃美歌

讃美歌21の32番「キリエ・エレイソン」(1番は少し強く、2番から徐々に遅く)

 

第三日目(火曜日)  ヨハネによる福音書12:36b〜43

イエスはこれらのことを話してから、立ち去って彼らから身を隠された。このように多くのしるしを彼らの目の前で行われたが、彼らはイエスを信じなかった。預言者イザヤの言葉が実現するためであった。彼はこう言っている。「主よ、だれがわたしたちの知らせを信じましたか。主の御腕は、だれに示されましたか。」彼らが信じることができなかった理由を、イザヤはまた次のように言っている。「神は彼らの目を見えなくし、その心をかたくなにされた。こうして、彼らは目で見ることなく、心で悟らず、立ち帰らない。わたしは彼らをいやさない。」イザヤは、イエスの栄光を見たので、このように言い、イエスについて語ったのである。とはいえ、議員の中にもイエスを信じる者は多かった。ただ、会堂から追放されるのを恐れ、ファリサイ派の人々をはばかって公に言い表さなかった。彼らは、神からの誉れよりも、人間からの誉れの方を好んだのである。

 

人々に受け入れられない

受難週の火曜日、イエス様は、人々の前から立ち去って、その身を隠しました。病の癒しや死者の復活を、信者の獲得に使わないで、自分で考えて信じることを促しました。そして、見ても信じない者には信じる者となるように、信仰を告白できない者には告白する者となるように、繰り返し現れては、人々の中へ入っていきました。

 

沈 黙

3本目の蝋燭を消して、短い沈黙(30秒)

 

讃美歌

讃美歌21の32番「キリエ・エレイソン」(1番も2番も強く低く、徐々に遅く)

 

第四日目(水曜日) ヨハネによる福音書12:1〜8

過越祭の六日前に、イエスはベタニアに行かれた。そこには、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロがいた。イエスのためにそこで夕食が用意され、マルタは給仕をしていた。ラザロは、イエスと共に食事の席に着いた人々の中にいた。そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。弟子の一人で、後にイエスを裏切るイスカリオテのユダが言った。「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではない。彼は盗人であって、金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたからである。イエスは言われた。「この人のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから。貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。」

 

ベタニアで香油を注がれる

受難週の水曜日、イエス様は、ベタニアの家で、足に香油を塗られました。非常に高価なナルドの香油を、女性の髪で拭かれました。彼女の行為を破廉恥で、無駄遣いとしか考えられない人たちの中で、彼女の行為を誇りに思い、感謝を示す者として、人々の中へ入っていきました。

 

沈 黙

4本目の蝋燭を消して、短い沈黙(30秒)

 

讃美歌

讃美歌21の32番「キリエ・エレイソン」(1番は少し強く、2番は少し弱く遅く)

 

第五日目(木曜日) ヨハネによる福音書13:1〜7

さて、過越祭の前のことである。イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。夕食のときであった。既に悪魔は、イスカリオテのシモンの子ユダに、イエスを裏切る考えを抱かせていた。イエスは、父がすべてを御自分の手にゆだねられたこと、また、御自分が神のもとから来て、神のもとに帰ろうとしていることを悟り、食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。シモン・ペトロのところに来ると、ペトロは、「主よ、あなたがわたしの足を洗ってくださるのですか」と言った。イエスは答えて、「わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる」と言われた。

 

もう一箇所、ヨハネによる福音書18:1〜11

こう話し終えると、イエスは弟子たちと一緒に、キドロンの谷の向こうへ出て行かれた。そこには園があり、イエスは弟子たちとその中に入られた。イエスを裏切ろうとしていたユダも、その場所を知っていた。イエスは、弟子たちと共に度々ここに集まっておられたからである。それでユダは、一隊の兵士と、祭司長たちやファリサイ派の人々の遣わした下役たちを引き連れて、そこにやって来た。松明やともし火や武器を手にしていた。イエスは御自分の身に起こることを何もかも知っておられ、進み出て、「だれを捜しているのか」と言われた。彼らが「ナザレのイエスだ」と答えると、イエスは「わたしである」と言われた。イエスを裏切ろうとしていたユダも彼らと一緒にいた。イエスが「わたしである」と言われたとき、彼らは後ずさりして、地に倒れた。そこで、イエスが「だれを捜しているのか」と重ねてお尋ねになると、彼らは「ナザレのイエスだ」と言った。すると、イエスは言われた。「『わたしである』と言ったではないか。わたしを捜しているのなら、この人々は去らせなさい。」それは、「あなたが与えてくださった人を、わたしは一人も失いませんでした」と言われたイエスの言葉が実現するためであった。

 

過越の食事をする

受難週の木曜日、イエス様は、弟子たちの足を洗い、最後まで愛し抜かれました。これから自分を裏切る者、自分を見捨てて逃げる者にも、惜しみなく愛を注がれて、神の国の食卓の、先取りである晩餐に、全ての弟子を招かれました。そして、自分を処刑しに捕まえにきた者にまで、真摯に仕える者として、人々の中へ入っていきました。

 

沈 黙

5本目の蝋燭を消して、短い沈黙(30秒)

 

讃美歌

讃美歌21の32番「キリエ・エレイソン」(1番は少し弱く遅く、2番はさらに弱く遅く)

 

第六日目(金曜日) ヨハネによる福音書19:16b〜22

そこで、ピラトは、十字架につけるために、イエスを彼らに引き渡した。こうして、彼らはイエスを引き取った。イエスは、自ら十字架を背負い、いわゆる「されこうべの場所」、すなわちヘブライ語でゴルゴタという所へ向かわれた。そこで、彼らはイエスを十字架につけた。また、イエスと一緒にほかの二人をも、イエスを真ん中にして両側に、十字架につけた。ピラトは罪状書きを書いて、十字架の上に掛けた。それには、「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と書いてあった。イエスが十字架につけられた場所は都に近かったので、多くのユダヤ人がその罪状書きを読んだ。それは、ヘブライ語、ラテン語、ギリシア語で書かれていた。ユダヤ人の祭司長たちがピラトに、「『ユダヤ人の王』と書かず、『この男は「ユダヤ人の王」と自称した』と書いてください」と言った。しかし、ピラトは、「わたしが書いたものは、書いたままにしておけ」と答えた。

 

もう一箇所、ヨハネによる福音書19:25〜34

イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。この後、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、「渇く」と言われた。こうして、聖書の言葉が実現した。そこには、酸いぶどう酒を満たした器が置いてあった。人々は、このぶどう酒をいっぱい含ませた海綿をヒソプに付け、イエスの口もとに差し出した。イエスは、このぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。その日は準備の日で、翌日は特別の安息日であったので、ユダヤ人たちは、安息日に遺体を十字架の上に残しておかないために、足を折って取り降ろすように、ピラトに願い出た。そこで、兵士たちが来て、イエスと一緒に十字架につけられた最初の男と、もう一人の男との足を折った。イエスのところに来てみると、既に死んでおられたので、その足は折らなかった。しかし、兵士の一人が槍でイエスのわき腹を刺した。すると、すぐ血と水とが流れ出た。

 

十字架につけられる

受難週の金曜日、イエス様は「ユダヤ人の王」と書かれた十字架に釘付けられました。敵を滅ぼす王ではなく、民衆のために傷つけられ、裸にされた王として、人々の前に晒されました。そして、全ての人に見放され、陰府の国で、飼い主のいない羊のように彷徨っている罪人にも、救いをもたらす王として、人々の中へ入っていきました。

                          

沈 黙

6本目の蝋燭を消して、短い沈黙(30秒)

 

讃美歌

讃美歌21の32番「キリエ・エレイソン」(1番は弱く遅く、2番は少し弱く遅く)

 

第七日目(土曜日) ヨハネによる福音書19:38〜42

その後、イエスの弟子でありながら、ユダヤ人たちを恐れて、そのことを隠していたアリマタヤ出身のヨセフが、イエスの遺体を取り降ろしたいと、ピラトに願い出た。ピラトが許したので、ヨセフは行って遺体を取り降ろした。そこへ、かつてある夜、イエスのもとに来たことのあるニコデモも、没薬と沈香を混ぜた物を百リトラばかり持って来た。彼らはイエスの遺体を受け取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従い、香料を添えて亜麻布で包んだ。イエスが十字架につけられた所には園があり、そこには、だれもまだ葬られたことのない新しい墓があった。その日はユダヤ人の準備の日であり、この墓が近かったので、そこにイエスを納めた。

 

墓に葬られる

受難週の土曜日、イエス様は、アリマタヤのヨセフに引き取られ、墓へ埋葬されました。会堂から追放されるのを恐れ、信仰を公に言い表せなかった人たちに、葬りの準備を委ねました。恐れと不安に支配され、言いたいことを言葉にできない人たちにも、自分の体を預けてくださる身内として、人々の中へ入っていきました。

 

沈 黙

全ての蝋燭を倒して、短い沈黙(30秒)

 

讃美歌

讃美歌21の32番「キリエ・エレイソン」(1番は弱く遅く、2番はさらに弱く)

 

congerdesignによるPixabayからの画像

ショートメッセージ

イエス様は、あらゆる人々の中へ入っていきました。敵との間に和解と平和を求められない群衆の中へ、黙らされた者の声に耳を傾けない人々の中へ、信じない者や信仰を告白できない者たちの中へ、繰り返し入っていきました。

 

さらに、自分のためにしてくれたことを一緒に喜べない人たちの中へ、自分を処刑しに捕まえにきた人々の中へも、入っていきました。最後には十字架にかかって、自分を罵る犯罪者の中へ、陰府の国で彷徨っている罪人の中へ、入っていきました。

 

それは、紛れもなく、私たちの中へ入ってきたことを意味します。誰かと仲直りすることよりも相手に罰を望んでしまう私の中へ、厄介ごとを避けたくて見て見ぬふりする私の中へ、信じていても信仰の話はできないでいる私の中へ、イエス様は入ってきました。

 

裏切り者のユダがたどり着いた陰府の国にも、神様を信じられずに死んでしまった者たちの中へも、この方は入っていきました。そして、自分を見捨てて逃げた者、自分の復活を信じられなかった者たちの中へ、再び入っていかれます。

 

この方が、入ってこない場所はありません。誰かを一人にしたまま、滅んでいくまま、放置することはありません。全ての者が、神の国に入れないまま、罪人のまま消えていくことがないように、キリストは十字架にかかられました。

 

しばらくの間、沈黙の時を持ちましょう。それぞれ、まとまらない思い、言葉にならない願い、名前がつけられない感情を、ゆっくり神様に差し出しましょう。あなたから溢れていくもの、流れ出ていくものを整える、聖霊に委ねて祈りなさい。(約5分間)

 

讃美歌

沈黙の間、溢れてきた思いを賛美に乗せて、共に祈りを合わせましょう。讃美歌21の32番「キリエ・エレイソン」(1番は少し強く、2番は強く)

 

主の祈り

共に、イエス様が教えられた主の祈りを祈りましょう。

 

 

後 奏

 

報 告

以上で、聖金曜日の受難日礼拝を終わります。今度の日曜日は、いよいよイースターです。子ども向けの教会学校イースター礼拝は9時15分から、一般向けのイースター礼拝は10時半から行っています。

 

教会学校こども礼拝では、礼拝後に、子どもたちとエッグハント(卵探しゲーム)も予定しています。どなたでも参加できるので、初めての方も、久しぶりの方も、ぜひお待ちしています。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。