ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『ここから先に行きなさい』 出エジプト記14:15〜22、マタイによる福音書28:1〜10

イースター礼拝 2024年3月31日


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説 明

教会にお集まりの皆さん、おはようございます。オンラインで配信を見ている方も、おはようございます。まもなく、10:30から礼拝が始まります。礼拝の最中は、携帯をマナーモードにしていただき、後から来た人も座れるように、席の譲り合いをお願いします。

 

礼拝の中で、立ち上がって賛美歌を歌うところや、立ち上がって祈りを合わせるところもありますが、体が不自由な方やお疲れの方は、座ったままで大丈夫です。賛美歌、聖書、交読文は、備え付けの籠からお使いください。それでは、もうしばらくお待ちください。

 

案 内

華陽教会では、賛美中のマスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、日曜日の礼拝も配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、神の招きにあずかりましょう。

 

前 奏

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)

 

招 詞

このように、あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考えなさい。(ローマの信徒への手紙6:11)

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌二編の130番「ひつじをまもる」を歌います。諸事情でマスクを着用できない方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。差し支えない方は、お立ちください。

 

お祈り

ご着席ください。共に祈りを合わせましょう。

◆復活と希望の主である私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、日曜日の礼拝に集まることができ、感謝致します。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。キリストの復活を記念するイースターを迎えました。世界中の教会が、あなたの恵みに感謝して、喜びを分かち合おうとしています。どうか今、この時を最初から最後まで導き、私たちの間に、豊かな希望をもたらしてください。

◆私たちの神様。今日は、礼拝の中で、新しく華陽教会につながった方の転入会式を行います。どうか今、新たな仲間として迎えられた兄弟に、あなたの祝福が豊かにあって、共に、信仰生活を支えていくことができますように。

◆私たちの神様。本日、岐阜地区の蘇原教会で洗礼を受ける方の上にも、あなたの導きが豊かにありますように。どうか今、全国の教会で信仰を告白する一人一人に、豊かな交流と発見がもたらされますように。

◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。出エジプト記14:15〜22、マタイによる福音書28:1〜10(新共同訳より抜粋)

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編149:1〜9(新共同訳交読詩編より抜粋)

『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(また、Aのところは牧師が、Bのところは会衆がお読みください。ご着席のままで大丈夫です。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌21の318 番「勝利の声を」を歌いましょう。最後の「アーメン」はつけずに歌います。(差し支えない方はお立ちください)

 

dozemodeによるPixabayからの画像

メッセージ

十字架にかけられたイエス様が、墓に葬られたとき、マグダラのマリアともう一人のマリアは、夕暮れ時にもかかわらず、墓の方を向いて座っていました。辺りはどんどん暗くなります。今のように、電気があるわけでもありません。日が落ちたら、家へ帰れるかも分からないほど、真っ暗になる世界です。
 
そこに、女性2人が残ったまま、墓の方を向いて座っている……きっと、怖かったはずです。ただでさえ、仲間の弟子たちはとっくに逃げ出し、何かあったとき、守ってくれる男性は一人もいない状況です。しかも、墓場の目の前です。本来は、一刻も早くそこから抜け出し、家へ帰るのが普通です。
 
けれども、マグダラのマリアともう一人のマリアは、直ちに墓場を離れることができません。もう、イエス様は死んでいるのに、遺体も納められたのに、そこを発つことができません。イエス様の死を受け入れることができなかったんでしょうか? このまま離れるのを耐え難く感じていたんでしょうか?
 
それとも、イエス様が墓から出てくるのを待っていたんでしょうか? イエス様はかねてより、自分が必ずエルサレムへ行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている……と言っていました。ある娘が死んだのを、甦らせたこともありました。
 
もしかしたら、今にも墓穴の中で起き上がって、外に出てくるんじゃないか? 墓の方を向いていたら、その姿を見られるんじゃないか? そのように期待したのかもしれません。しかし、その日のうちに、イエス様が出てくることはありませんでした。マグダラのマリアともう一人のマリアは、一旦あきらめ、自分たちの家へ帰っていきます。
 
その間、同じく、イエス様の言葉を思い出した祭司長たちとファリサイ派の人々は、イエス様の遺体がなくならないよう、墓に番兵をつけていました。イエス様の「三日後に復活する」という言葉が現実にならないよう、誰も墓に近づけないよう、見張りを立てて封印しました。
 
さて、イエス様が死んでから三日経ったとき、マグダラのマリアともう一人のマリアは再び墓を見に行きました。けれどもそれは、復活したイエス様と出会うためではありませんでした。2人は、十字架につけられて亡くなったイエス様が、墓に納められた遺体が、ちゃんとそこに残っているか、確かめに行ったんです。
 
もしかしたら、番兵たちと同じく、誰かがイエス様の遺体を盗み出し、持ち去っていないか不安になって、墓を見に行ったのかもしれません。けれども、2人が墓に到着すると、いきなり大きな地震が起こります。それは、主の天使が天から降って、墓穴の石をわきへ転がし、遺体の置いてあった場所を見られるようにしたためでした。
 
番兵たちは突然の出来事に震え上がり、顔面蒼白となって、死人のようになりました。一方、マグダラのマリアともう一人のマリアは、天使からこう言われます。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。」
 
天使の言葉は、彼女たちが「今日イエス様は復活する」と思っていなかったことを裏付けます。そう、2人が探していたのは、約束どおり、三日後に復活したイエス様ではありません。十字架につけられて動かないままの、遺体のイエス様です。どこにいるのかはっきりしている、ここに来れば会えると分かっている、急に姿を消さないイエス様です。
 
たとえ動かなくなった遺体でも、ここに来れば会える……ここで、あの方を思い出せる……そんな慰めが欲しくてやって来ました。だからこそ、誰かが遺体を持ち去っていないか不安に思って、朝早く、明け方に、墓を見に行ったのかもしれません。ところが、天使は2人に、イエス様が姿を消したと知らせます。
 
「さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい」……そこには確かに、イエス様の遺体が置いてあるはずでした。しかし、納められたはずの遺体はなくなって、空っぽの墓が見えていました。多くの病人を癒し、奇跡を起こしては、急に人前からいなくなったイエス様が、ここでも姿を消されます。
 
マグダラのマリアともう一人のマリアは、もう、どこへ行ったらいいか分かりません。自分を慰めてくれるはずの、大切な方のお墓はなくなり、立ち止まる場所を見失います。もし、ここにイエス様の遺体があったら、2人は立ち止まったままだったでしょう。慰めを得ることに精一杯で、先へ進むことはなかったでしょう。
 
けれども、イエス様の遺体はなくなりました。復活して、どこかへ行ってしまいました。私たちも墓を後にし、イエス様を探しに、先へ行かなければなりません。そこで、天使は続けます。「急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』」
 
2人は、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去って、弟子たちへ知らせに行きました。その途中、復活したイエス様本人が行く手に現れ、彼女たちに声をかけます。「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」
 
もし、この言葉がなかったら、弟子たちは2人の話を聞いても、ガリラヤへ行けなかったかもしれません……たとえ、約束どおり、イエス様が復活していても、自分たちは、そのイエス様を見捨てて逃げた人間です。約束の三日目が来ても、家の中に閉じこもって、墓を見に行くこともなかった人間です。もはや「弟子」とは言えません。
 
ところが、イエス様はそんな彼らを、今も「わたしの兄弟たち」と言われます。最初に彼らと出会った、ガリラヤで会おうと言われます。墓の前から動けない者、家の中から出られない者に「ここから先に行きなさい」と、出発する力を与え、新しい目的地を示します。「そこでわたしに会うことになる」と。
 
かつて、エジプトの軍に追いかけられ、目の前を海に阻まれて、先へ進むことができなくなった、イスラエルの民のように、マグダラのマリアや弟子たちも、イエス様の死を前に、先へ行けなくなっていました。この先へ行けるという希望を、イエス様に会えるという約束を、信じられなくなっていました。
 
しかし、神様は、立ち止まった者たちのため、海の中に道を開き、信じられない者たちのため、空っぽの墓を見せられます。単なる慰めに終わらず、「ここから先に行きなさい」「わたしについてきなさい」と、新たな使命と希望をもたらします。自分を疑う者にさえイエス様は新しく出会われます。
 
今日はこの後、新たに華陽教会に迎えられた方の「転入会式」を行います。さらにその後、みんなでパンと水をいただき、神の祝福を分かち合う「愛餐式」を行います。これらは今も、「わたしについてきなさい」「わたしの兄弟たち」と呼びかける、イエス様との出会いの場です。神の国の食卓へ、招いておられるしるしです。
 
もし、自分が受け入れられるか、自信が持てないなら……神の祝福を受け取っていいか、確信が持てないなら……「恐れることはない」と言われた、イエス様の言葉を思い出しなさい。あの日、ガリラヤへ行くよう命じられたイエス様は、先にここへ来ていました。先にあなたを待っていました。だから、安心して食卓に着き、パンと水を受け取りなさい。

 

讃美歌

(会堂の窓を開放しましょう)マスクをお付けいただき、オンライン賛美歌16番「苦難のはざまから」(©️柳本和良)を歌います。差し支えない方は、お立ちください。

 

 

転入会式

ただいまより、転入会式を始めます。入会志願者の方は、私の前へお越しください。

 

序 詞

私たちは今、●●●●教会の会員である●●さんを、新たにこの教会へ迎えようとしています。●●さんは、●●●●教会において洗礼を受け、●●●●教会で信仰生活を送ってきましたが、このたび日本基督教団 華陽教会に入会することを申し出られました。役員会は正規の手続きを経て、この兄弟の入会を承認いたしました。そこで、私は今ここに、●●さんの転入会式を行います。

 

志願者の誓約

入会志願者の方に尋ねます。私が「約束しますか?」と尋ねたら、「約束します」と答えてください。

 

司会者:今、わたしは神と日本基督教団の名において、あなたに尋ねます。あなたは、日本基督教団の信仰告白を告白し、この教会の会員としてふさわしい生活を送り、主の栄光を現すことを約束しますか?

志願者:約束します。

 

教会員の誓約

教会員の皆さんに尋ねます。私が「約束しますか?」と尋ねたら、「約束します」と答えてください。

 

司会者:あなたがたは、今この教会に入会する●●さんを、主にある信仰と愛によって受け入れ、共に主の栄光を現すことを約束しますか?

教会員:約束します。

 

信仰告白

共に、日本基督教団信仰告白・使徒信条を告白しましょう。オンライン賛美歌の後ろの方の2頁をご覧ください。配信を見ている方は、画面に映し出すのでそちらをご覧ください。日本基督教団信仰告白。

 

我らは信じかつ告白す。旧新約聖書は、神の霊感によりて成り、キリストを証し、福音の真理を示し、教会の依るべき唯一の聖典なり。されば聖書は聖霊によりて、神につき、救ひにつきて、全き知識を我らに与ふる神の言にして、信仰と生活との誤りなき規範なり。主イエス・キリストによりて啓示せられ、聖書において証せらるる唯一の神は、父・子・聖霊なる、三位一体の神にていましたまふ。御子は我ら罪人の救ひのために人と成り、十字架にかかり、ひとたび己を全き犠牲として神にささげ、我らの贖ひとなりたまへり。神は恵みをもて我らを選び、ただキリストを信じる信仰により、我らの罪を赦して義としたまふ。この変らざる恵みのうちに、聖霊は我らを潔めて義の実を結ばしめ、その御業を成就したまふ。教会は主キリストの体にして、恵みにより召されたる者の集ひなり。教会は公の礼拝を守り、福音を正しく宣べ伝へ、バプテスマと主の晩餐との聖礼典を執り行ひ、愛のわざに励みつつ、主の再び来たりたまふを待ち望む。我らはかく信じ、代々の聖徒と共に、使徒信条を告白す。

 

使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり、かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体のよみがへり、永遠の生命を信ず。アーメン。(*着席のジェスチャー)

 

紹 介

どうぞ、会衆の方をお向きください。新しく、私たちの教会に転入する●●さんです。これから共に信仰生活を支え合う仲間として歓迎致します。●●さんの信仰生活が、これからも神様に支えられ、導かれるよう、会衆一同で祈りを合わせたいと思います。

 

転入会者のために、肩に手を置いてくださる方は、前へお越しください。共に、祈りを合わせましょう。

 

祈 祷

主なる神、●●さんを、私たちの教会に加えてくださったことを感謝します。どうか、兄弟の上に、恵みと祝福を与え、この教会の一員として、信仰から信仰へと歩ませてください。そして、わたしたちがこの兄弟と共に、御子イエス・キリストのからだである教会を、いよいよ豊かに造り上げていくことができるように、お導きください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

 

以上で、転入会式を終わります。どうぞ、席にお戻りください。新しく加わった、信仰の証人と共に、皆さんで主イエス・キリストが与えられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン賛美歌の後ろの方の1頁をご覧ください。

 

とりなし

 

主の祈り

イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。オンライン讃美歌の後ろの方の4頁をご覧ください。差し支えない方は、お立ちください。

 

 

愛 餐

本日は、共に礼拝をささげる全ての人と神の祝福を分かち合う愛餐式を行います。配信を見ながら礼拝をささげている方も、お家にあるパンと水を用意して、一緒にこの食事にあずかれます。用意するパンと水は特別なものではなく、普段の食卓に出てくるもので大丈夫です。共に、神様が備えてくださった見えない食卓にあずかりましょう。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌21の81番「主の食卓を囲み」1節を歌いましょう。御着席のままで大丈夫です。

 

食卓への招き

かつて、私たちの主イエス・キリストは、パンを求めて集まってきた群衆に言われました。「わたしは命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。わたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。(ヨハネ 6:35、57より)」

 

また、主は水を求めてやって来たサマリアの女性に言われました。「わたしが与える水を飲む者は、決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。(ヨハネ 4:14)」

 

主は、少年から受け取ったわずかなパンを祝福し、空腹だった5千人以上の人に分けられ、全ての者が食べて満腹になりました。この食卓は、キリストが神の国のしるしとしてなされた、あの「5千人の給食」のように、主の祝福による神の国のしるしです。

 

信仰を告白した人があずかる聖餐式ではありませんので、神の祝福を分かち合いたい方は誰でも、パンと水を手に取って、共に食事を味わいましょう。

 

感謝の祈り

感謝の祈りをささげます。

 

恵みと祝福の源なる私たちの神様、あなたは私たちに「命のパン」「命の水」をお与えになります。足りないものを満たし、欠けている力を養います。あなたは私たちを死の恐れから解放するため、御子イエス・キリストを遣わされ、貧しい者、嫌われ者、負い目のある者たちと、共に食事にあずかりました。

 

様々なやましさや後ろめたさがある人も、悩みや葛藤がある人も、疑い迷いがある人も、あなたは隔たりなく近づかれ、同じテーブルにつかれます。あなたが与えるパンと水は、信じない者を信じる者に、悲しむ者を喜ぶ者に、争う者をとりなす者に変えられます。どうか今、あなたから受けた恵みと祝福を、私たちも互いに分け合う者とならせてください。あなたの愛と平和が豊かに現されますように。アーメン。

 

配 餐

共に、パンと水を分け合いましょう。普段、聖餐を受けられない人も、初めて来た方も、このパンと水は信仰を「告白している」「していない」にかかわらず、一緒にいただくことができます。

 

本日、礼拝に来られているお子さんや学生も、一緒に受け取っていただけます。どうぞ、用意しているパンと水を手に取って、神の祝福にあずかりましょう。係の方は、前へお越しください。(パンと水を配る)

 

分かち合い

ケースの蓋をお取りください。共に、神の恵みを味わいましょう。

 

主は言われます。「わたしの父が天からまことのパンをお与えになる。(ヨハネ6:32)」私たちもいただいたパンを食べましょう。あなたの内側から、生きた力が溢れ出るように。

 

主は言われます。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。(ヨハネ7:37)」私たちもいただいた水を飲みましょう。あなたの内側から、生きた水が流れ出るように。

 

感謝の祈り

感謝の祈りをささげましょう。

 

愛と平和の源である私たちの神様、今ここで、あなたの祝福を分かち合う食事にあずかれたことを感謝致します。日々、あなたがもたらされる日用の糧も、心を養う御言葉の糧も、必要なとき、必要な仕方で備えられてきました。

 

足りない者には与える者が、失くした者には見つける者が、一人の者にはつながる者が与えられます。どうか今、私自身も、あなたからいただくつながり、発見、恵みの数々を、共に分け合う者として、送り出してください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌21の81番「主の食卓を囲み」2、3節を歌いましょう。御着席いただいたままで大丈夫です。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。献金に、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください。

 

献金の祈り(例)

変化と回復をもたらす私たちの神様、あなたから受ける言葉によって、私たちは新しく生かされます。今から後、私自身の生き方が変えられていくしるしとして、ここにささげた供え物を受け入れてください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」1節を歌いましょう。

 

讃美歌

讃美歌21の28番「み栄えあれや」を歌いましょう。差し支えない方はお立ちください。

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

イエスは言われた。「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」(マタイによる福音書28:10)

 

祝 福

神がわたしたちを憐れみ、祝福し/御顔の輝きを/わたしたちに向けてくださいますように/あなたの道をこの地が知り/御救いをすべての民が知るために。(詩編67:2〜3)

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった21名、同時に視聴された4名、計25名が参加されました。後から動画や原稿を通して祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

来週の日曜日は『ゆるされないまま?』と題して、ヨハネによる福音書20:19〜31のお話をします。なお、例年、イースター礼拝の後に行っている墓前礼拝は、来週、上加納墓地で行います。

 

また、本日は礼拝後、イースターを記念して、転入会者歓迎の愛餐会を2階集会室で行います。こちらもぜひ、時間のある方はご一緒ください。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。