ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『キリストがあなたに住む』エフェソの信徒への手紙3:14~21

日曜礼拝 2024年9月15日


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説 明

教会にお集まりの皆さん、おはようございます。オンラインで配信を見ている方も、おはようございます。まもなく、10:30から礼拝が始まります。礼拝の最中は、携帯をマナーモードにしていただき、後から来た人も座れるように、席の譲り合いをお願いします。

 

礼拝の中で、立ち上がって賛美歌を歌うところや、立ち上がって祈りを合わせるところもありますが、体が不自由な方やお疲れの方は、座ったままで大丈夫です。賛美歌、聖書、交読文は、備え付けの籠からお使いください。それでは、もうしばらくお待ちください。

 

案 内

華陽教会では、讃美歌委員会の著作物使用許諾を得て、日曜日の礼拝を、配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、神の招きにあずかりましょう。

 

前 奏

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)

 

招 詞

わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない。(ヨハネによる福音書10:28)

 

讃美歌

讃美歌二編の150番「あめなるよろこび」を歌いましょう。最後のアーメンはつけずに歌います。(差し支えない方はお立ちください)

 

お祈り

ご着席ください。共に祈りを合わせましょう。

◆希望の源である神様。今日もまた、あなたによって守られて、日曜日の礼拝に集まることができ、感謝致します。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。先週も、怪我や病気、事故や災害など、様々な困難から私たちを守り、支えてくださったことを感謝致します。どうか今、傷つき、苦しんでいる人たちへ、あなたの癒しと回復が、豊かにありますように。

◆私たちの神様。今週も、日曜日の朝を迎え、新しく出発するときがもたらされたことを感謝致します。どうか今、体を起こそうとしている人、顔を上げようとしている人、力を取り戻そうとしている人に、あなたの導きが、豊かにありますように。

◆私たちの神様。今日は、礼拝の中で、洗礼式が行われます。共に、信仰を告白し、聖餐式にもあずかります。どうか今、新しく迎えられる青年に、あなたの祝福が豊かにありますように。これからの進路、生活、将来全てに、あなたの助けがありますように。

◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。エフェソの信徒への手紙3:14~21(新共同訳より抜粋)

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編103:14~22(新共同訳交読詩編より抜粋)

『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(また、Aのところは牧師が、Bのところは会衆がお読みください。ご着席のままで大丈夫です。)

 

讃美歌

讃美歌21の68番「愛するイェスよ」を歌いましょう。最後のアーメンはつけて歌います。(差し支えない方はお立ちください)

 

Erick PalacioによるPixabayからの画像

メッセージ

 今日は、礼拝の中で洗礼式が行われます。洗礼式は「キリスト者になるための式」……いわゆる入信式のことです。別名「バプテスマ」とも言われます。文字通り、洗礼は全身を水に浸して、あるいは、頭から水をかけて、洗い清められる儀式です。水の中から起こされる、引き上げられることによって、キリストを知らなかった古い自分が死に、キリストと出会った新しい自分へ甦らされたことを現します。

 私が洗礼を受けたのは、中学一年生の頃です。父は牧師、母はオルガン奏者をしている家庭で、双子の弟が「僕も洗礼を受けたい」と言い出したのがきっかけでした。幼い頃から教会で過ごし、聖書の話を聞いてきたので、いつから信じるようになったかは分かりませんが、私も「神様を信じている」という気持ちはありました。

 しかし、弟のように「洗礼を受けたい」と言い出すつもりはありませんでした。むしろ弟が言い出さなければ、大きくなったら、教会へ行くのをやめるかも……くらいに思っていました。神様は信じているけれど、教会へ行き続けることは、礼拝に出続けることは、そんなに乗り気じゃなかったんです。

 なぜなら、教会は私にとって、良いことばかりじゃありませんでした。日曜日は礼拝があるので、ゆっくり朝寝坊することはできません。遊びに行きたくても、朝はとりあえず礼拝に出なくてはなりません。特に強制されているわけではありませんが、よく顔を合わせる教会の人たちに「今日はどうして来なかったの?」と後から心配されるのも嫌でした。

 また、家が教会とつながっている牧師館なので、牧師をしている父の仕事もよく見えました。教会に来ている人たちも、他の人たちと同じように、良いところも悪いところもあって、色んなトラブルがあるのを見ていました。両親が悩んでいることの多くは、教会で起こったことが原因でした。ストレスで重い病気にもなりました。

 学校でも、教会について、キリスト教について、からかってきたり、嫌味を言ったりしてくる子たちがときどきいました。家が教会じゃなかったら、牧師じゃなくて、普通の信徒の家だったら……と考えることもありました。実は、洗礼を受ける前の私は、教会は自分のホームだけれど、大きくなったら出て行きたい場所でもありました。

 そして、一度離れたら、たぶん戻って来ないんだろう……と感じる場所になっていました。自分が育った大事な場所だけど、どうでもよくはないけれど、同時に、ここから出て行きたい、離れてしまいたい「家」でもある……だからこそ、神様を信じていても、洗礼を受けたいとは、なかなか言い出せなかったんです。

 けれども、弟が洗礼を受けるのに、自分が洗礼を受けないと言ったら、教会のみんなから「どうして受けないの?」「何が嫌なの?」と聞かれることになるだろうという予想がつきました。両親は自分の意思を尊重するだろうし、変わらず愛してくれるだろうけど、みんなから「何で洗礼受けないの」と気にされるのはしんどいなと思いました。

 私が洗礼を受けた理由は、褒められた理由ではありません。何か確信があって、喜びにあふれて、決心したわけではありません。むしろ、信仰的には空っぽと言える状態に近かったかもしれません。家が教会なのに、その「家」に、自分が住み続けることをイメージできない人間でした。

 そんな状態で洗礼を受けるのは、不謹慎かもしれません。信仰者の資格はないかもしれません。でも、さすがに両親や教会の人たちへ、そこまで正直に自分の気持ちを言うことはできませんでした。正直な私の気持ちを知っていたのは神様だけです。神様だけが、私の心の内にある「穴」を正面から見つめていました。

 さて、洗礼を受ける日がやってきました。私と弟が洗礼を受けるときも、一年かけて準備会が行われました。けれども、その間に、私の心が大きく変わることはありませんでした。信仰的に成長したり、特別な確信を得られたりした感覚は、ありませんでした。父が私の頭に水をかけ、手を置いて祈ってくれたときも、期待した変化は起こりません。

 もしかしたら、洗礼を受けた瞬間から、何か新しくなるんだろうか? 教会を自分が住み続ける「家」だと思えるんだろうか? それとも、やっぱり出て行きたい気持ちのまま変わらないんだろうか? そんなことを考えているうちに、洗礼式は終わってしまいました。次の週も、その次の週も、自分が大きく変わったようには思えませんでした。

 何か、変わっているんだろうか? 新しくなっているんだろうか? このまま何も変わらないまま、教会へ行かなくなるんだろうか? モヤモヤした感覚を抱いたまま、数年が経ちました。ある日、私の後ろの席へ、脳梗塞を患ったおばあちゃんがやって来ました。数人の人に手を引かれて、支えられて、ゆっくりゆっくりやって来ました。

 彼女はいつも、誰かの手を借りないと歩けませんでした。ゆっくりとしか進めませんでした。しかし、会堂へ入ると「サンキューベリーマッチ!」と言いながら、私たちへ挨拶して、「こんな幸せ者はいないよ」と呟いていました。たぶん、状況としては、幸せよりも困難な毎日を送っていたはずです。でも、彼女の言葉が全く嘘に聞こえませんでした。

 本当に幸せなのが伝わっていたんです。満面の笑みで、今日も会えたことを喜んで、私の後ろに座って、細くて小さな声で賛美歌を歌っていました。今はもう、天に召されてしまいましたが、毎週、その人と会っているうちに、その人の姿を見ているうちに、私は自分が洗礼を受けたことを本当に喜べるようになっていました。

 教会はもう、出て行きたい場所ではなく、住み続ける場所になっていました。今思えば、彼女を通して、キリストがわたしの心の内に入ってくださったんだと思います。内側から新しくされていたんだと思います。それは、彼女をはじめとする、キリストの愛を知った会衆が、洗礼を受けた私のことを、新しく迎え続けてくれたからだと思います。

 もし、洗礼を受ける前、何かが欠けていて、何かが足りなくて、後ろ向きでいる自分がいたら、穴の空いている自分がいたら、周りの人たちを見回してください。私をはじめ、ここにいらっしゃる方々は、穴の空いた心にキリストが入って、住まわれるようになった人たちです。

 自分の手で、穴を塞ぐことができなくても、キリストはあなたの内におり、あなたを強めてくださいます。洗礼は、キリストが、あなたに住まわれたことを知っていくスタートです。あなたを迎えた私たちが、あなたにキリストを見せていく、新しい出発です。私たちは互いに誓約を交わし、互いに支え合う仲間となります。神の民の一員となります。

 神の家は、あなたを迎えて新しくなり、あなたもまた、新しい生き方に変えられていきます。今日はそのスタートです。共に、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さを味わいましょう。神様が、信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根差し、愛にしっかりと立つ者としてくださるように……アーメン。

 

讃美歌

オンライン賛美歌20番「すべてを売り払い」(©️柳本和良)を歌います。(差し支えない方はお立ちください)

洗礼式[1]

ご着席ください。ただ今より、洗礼式を行います。共に、洗礼の意味を確認しましょう。

 

序 詞

主イエス・キリストは、その全生涯、とりわけ死と復活によって人類の救いを成就され、この救いに、信じるすべての人をあずからせるために洗礼を制定されました。洗礼によって、神はわたしたちに聖霊の証印を押して、ご自分の民としてくださいます。また、死んでよみがえられたイエス・キリストに結び合わせ、罪と死から解放してくださいます。さらに、水と霊とによって新たに生まれ変わらせ、キリストのからだである教会の一員としてくださいます。こうして、わたしたちはキリストの宣教のみわざを受け継ぐ者とされるのです。洗礼を受ける者は、神と教会の前に信仰を告白し、教会の一員として誠実に生きることを約束します。また、先に洗礼を受けた者も、信仰の告白を新たにしましょう。

 

制定語

主イエス・キリストの制定の言葉を聞きましょう。

 

主は復活の後に弟子たちに命じて言われました。

「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ28:18〜20)

 

また、聖書で次のように言われています。

「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです。」(使徒言行録2:38〜39)

 

教会は、今、この御言葉にしたがい、神の招きを受けた方に洗礼を施します。役員の代表の方は、洗礼志願者の紹介をお願いします。

 

志願者の紹介

教会の役員会は、洗礼を願い出られた方について、そのこころざしを確かめ、この方に洗礼を授けることに何の妨げもないと判断いたしました。

 

誓 約

ただ今より、洗礼を執り行います。受洗志願者の方は、こちらへお進みください。

(*洗礼盤の前へ洗礼志願者を案内する)

 

あなたが洗礼を受けるに当たり、次の問いに答えてください。

 

<新生の約束>

司式者:あなたは、これまでの罪の道から離れ、洗礼を通して、この世を支配する悪の力を退けることを望みますか?

志願者:望みます。

司式者:あなたは、イエス・キリストを自分の主また救い主として受け入れ、その恵みと愛に依り頼むことを約束しますか?

志願者:約束します。

司式者:あなたは、キリストの忠実な弟子となって、その御言葉にしたがい、生涯キリストの愛の証人になることをこころざしますか?

志願者:神の助けによってこころざします。

 

<信仰告白と教会員としての約束>

司式者:あなたは、日本基督教団信仰告白を告白しますか?

志願者:告白します。

司式者:あなたは、聖餐を重んじて誠実にこれにあずかり、日本基督教団の教憲・教規にしたがい、この教会の会員として忠実にその責務を果たすことを約束しますか?

志願者:約束します。

 

<日本基督教団信仰告白>

一同で『日本基督教団信仰告白』を告白しましょう。オンライン賛美歌の後ろの方の2頁をご覧ください。差し支えない方は、お立ちください。

 

 我らは信じかつ告白す。

 旧新約聖書は、神の霊感によりて成り、キリストを証し、福音の真理を示し、教会の依るべき唯一の聖典なり。されば聖書は聖霊によりて、神につき、救ひにつきて、全き知識を我らに与ふる神の言にして、信仰と生活との誤りなき規範なり。

 主イエス・キリストによりて啓示せられ、聖書において証せらるる唯一の神は、父・子・聖霊なる、三位一体の神にていましたまふ。御子は我ら罪人の救ひのために人と成り、十字架にかかり、ひとたび己を全き犠牲として神にささげ、我らの贖ひとなりたまへり。

 神は恵みをもて我らを選び、ただキリストを信じる信仰により、我らの罪を赦して義としたまふ。この変らざる恵みのうちに、聖霊は我らを潔めて義の実を結ばしめ、その御業を成就したまふ。

 教会は主キリストの体にして、恵みにより召されたる者の集ひなり。教会は公の礼拝を守り、福音を正しく宣べ伝へ、バプテスマと主の晩餐との聖礼典を執り行ひ、愛のわざに励みつつ、主の再び来たりたまふを待ち望む。

 我らはかく信じ、代々の聖徒と共に、使徒信条を告白す。

 

<使徒信条>

 我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり、かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体のよみがへり、永遠の生命を信ず。アーメン。

 

感謝聖別祷

ご着席ください。共に祈りを合わせましょう。

 

天地の造り主、全能の神よ。創造の初めに、あなたの霊は水のおもてを覆い、混沌の中から命と秩序を生み出してくださいました。ノアの時には、あなたは水によって悪を滅ぼし、水を経て救われた人々に、新しい始まりをもたらしてくださいました。イスラエルを奴隷の地から解放された時も、あなたはイスラエルを水の中を通して、約束の地へ導き出してくださいました。これらの出来事は洗礼の恵みをあらわすしるしでした。あなたの力ある働きを賛美いたします。

 

また、主イエスはヨルダン川の水で、ヨハネから洗礼を受け、あなたの霊の注ぎをお受けになりました。さらに主はご自身の死と復活という洗礼によって、罪と死からわたしたちを解き放ち、永遠の命の道を開いてくださいました。

 

神よ、今ここに洗礼の水を備えてくださったことを感謝いたします。この水の中で、洗礼を受ける者がキリストと共に死に、キリストと共に葬られ、この水の中から起き上がって、キリストと共によみがえりますように。

 

この洗礼の水の上にあなたの霊を送ってください。聖霊の力によって、この水が受洗者の救いと再生のみなもととなりますように。この水によって清められるすべての者に、罪の赦しを与えてください。そして、新しい命によみがえらせ、キリストのからだに結び合わせてください。ただひとりの神、父と子と聖霊に、賛美と誉れと栄光が今もとこしえまでもありますように。

 

一 同:アーメン。

 

洗 礼

受洗志願者の方は、ここへひざまずいてください。

 

わたしは、

父と(水を注ぐ)

子と(水を注ぐ)

聖霊の(水を注ぐ)御名によって、あなたに洗礼を授けます。

 

按 手

済美高校と華陽教会から、一緒に手を置いていただける方は、前へお越しください。

 

(受洗者の頭に手を置く)

主よ、この兄弟に聖霊を満たし、知恵と識別、思慮と勇気、神を知り、畏れ敬う心をお与えください。今もとこしえまでも。(イザヤ11:2〜3)

 

会衆の参与

司式者:教会員の皆さんは、お立ちください。会衆の皆さんにも「約束しますか?」と尋ねるので、「約束します」と答えてください。

司式者:今、この(兄弟)は、洗礼を受けて、わたしたちの群れに加えられました。あなたがたはこの(兄弟)を、祈りによって支え、愛をもってその信仰の成長を助けることを約束しますか?

教会員:約束します。

 

司式者:あなたがたも、自分自身の洗礼の恵みを思い起こし、このとき言い表した信仰とこころざしを新たにしてください。キリストにおいて、あなたがたが共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなりますように。(エフェソ2:22)

一 同:アーメン。

 

紹 介

どうぞ、会衆の方をお向きください。新しく、華陽教会に迎えられた○○さんです。これから共に信仰生活を支え合う仲間として歓迎致します。○○さんの信仰生活が、これからも神に支えられ、導かれるよう、会衆一同で祈りを合わせ、共に聖餐にあずかりましょう。どうぞ、席へお戻りください。

 

主の祈り

イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。オンライン讃美歌の後ろの方の4頁をご覧ください。差し支えない方は、お立ちください。

献 金

感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。献金に、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください。

 

献金の祈り(例)

神様、今日も、みんなで御言葉を分かち合えたことに感謝して、献金をおささげします。どうか今、あなたの求めることに使えるよう、私たちを導いてください。私たちの隣に、前に、後ろにおられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

献金の讃美歌512番「主よ、献げます」2節を歌いましょう。

 

聖 餐[2]

御着席ください。ただいまより、聖餐式を始めます。パンとグラスを取る際は、必ず自分の手で触れたものだけを手に取って、他の人の分は触らないようにお願い致します。

 

讃美歌

最初に、讃美歌21の81番「主の食卓を囲み」1節を歌いましょう。(ご着席いただいたままで大丈夫です)

 
主の食卓への招き

兄弟姉妹、今から神の民の祝宴が開かれます。主は言われました。「やがて人々は東から西から、北から南から来て、神の国で共に食卓に着く」

 

また、食事の席で、主は約束されました。「前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは間もなく聖霊によるバプテスマを授けられる」

 

主は、弱っている者を励まし、閉じこもっている者を力づけ、ご自分が用意された祝宴にあずからせてくださいます。この方を信じ、その信仰を公に告白した方は、進んでこの食事にあずかりましょう。また、信仰を告白していない者、共に集った兄弟姉妹も、キリストのとりなしと祝福を受けましょう。

 

感謝と聖別の祈り

世界の創造者、また統治者である神よ、あなたはご自分にかたどって私たちを造り、あなたを愛し、あなたに仕え、全被造物と平和のうちに生きるために、この世界に住まわせられました。私たちがあなたに逆らい、信頼と服従を拒んだ時にも、あなたは私たちをお見捨てにならず、ご自分のものと呼んでくださいました。あなたは私たちを、ご自分の道に立ち返らせるため、御子イエス・キリストを世に遣わしてくださいました。

 

主イエスは、罪人と共に食事をし、その生き方を新たにし、信じない者を信じる者に、滅ぶべき者が永遠の命にあずかるために、十字架にかかってくださいました。そして、死という絶対的な隔たりを超えて、ご自分を見捨てた者たちに現れ、「あなたがたに平和があるように」と宣言してくださいました。

 

私たちの神よ、どうか、今ここにあるパンと杯を受け入れ、御言葉と聖霊によって、聖なるものとしてください。そして、これによって、御子イエス・キリストの尊い体と血にあずからせてください。これにあずかる者たちが、皆キリストの体と一つになり、永遠の命を受け継ぐことができますように。

 

陪 餐

ただいまより、パンとぶどう液を配ります。誰でも洗礼を受けて信仰を告白し、この食事にあずかることができます。洗礼式はキリスト者になるための式で、この聖餐式はキリスト者であり続けるための式です。ですから、この食事には洗礼を受け、信仰を告白してからあずかることをお勧めします。

 

まだ、洗礼を受けておらず、信仰を告白していない方は、恐れ入りますが、しばらくお待ちください。皆さんの信仰の自由と、その決断とを尊重させていただきます。なお、洗礼を受けて信仰を告白した方は、進んでこの聖餐にあずかり、パンと杯を受けない方へ、神様の祝福と平和を祈りましょう。(*配餐者は手指の消毒をしてパンと杯を配る)

 

オンライン賛美歌の後ろをめくった「陪餐」のところをご覧ください。パンと杯を共に受けつつ、この場にいる人のために、神の祝福を祈りましょう。

 

(パンを手に取る)

これは、あなたがたのために与えられた主イエス・キリストの体です。あなたのために主が命を捨てられたことを覚え、感謝をもってこれを受け、御子イエス・キリストとの交わりにあずかりましょう。

 

パンを手にしている方は、パンを受け取っていない方へ、神様の祝福を祈りましょう。

 「あなたの手が、キリストの愛と平和で満たされますように」

 「アーメン」

食べなさない。あなたがキリストから受けて、あなたから分けられるように。

 

(杯を手に取る)

これは、あなたがたのために流された主イエス・キリストの血潮です。あなたのために主が血を流されたことを覚え、感謝をもってこれを受け、御子イエス・キリストとの交わりにあずかりましょう。

 

杯を手にしている方は、杯を受け取っていない方へ、神様の祝福を祈りましょう。

 「あなたの手が、キリストの愛と祝福で満たされますように」

 「アーメン」

飲みなさい。あなたがキリストから受けて、あなたから溢れ出るように。

 

陪餐後の感謝

共に、感謝の祈りをささげましょう。

 

愛と憐れみの主である全能の神よ、今日この場に、若者も年長者も、信仰を告白した者も告白していない者も、共にあなたが招いてくださったことを感謝致します。あなたは今、御子イエス・キリストの尊い体と血によって、私たちを養い、この食事を見ている全ての者を結び合わせてくださいました。

 

あなたはこれによって、私たちに対する愛と恵みを示し、私たちが御子の体の手足であること、御国を受け継ぐ者であることを確かにしてくださいました。今、イエス・キリストを通して、自分の体を生きた聖なる供え物として献げます。どうか聖霊を注いで、私たちをこの世に遣わし、あなたが求めていることを行わせてください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

ご着席のまま、讃美歌81番の2節、3節を歌いましょう。

 

讃美歌

讃美歌21の24番「たたえよ、主の民」を歌いましょう。差し支えない方はお立ちください。

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

平和のうちに、この世へと出て行きなさい。主なる神に仕え、隣人を愛し、主なる神を愛し、隣人に仕えなさい。(讃美歌21の93-6-6)

 

祝 福

父である神とわたしたちの主キリスト・イエスからの恵み、憐れみ、そして平和があるように。(テモテへの手紙二1:2より)

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。また、洗礼式、聖餐式へ共にあずかれたことも感謝致します。礼拝後、洗礼を受けた方の歓迎会を2階集会室で行うので、お時間のある方はぜひ、ご参加ください。

 

来週の日曜日は、『今も理解しきれない』と題して、箴言3:13〜20とローマの信徒への手紙11:33~36のお話をします。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。

 

 

[1] 以下、「洗礼式」の式文は、日本基督教団信仰職制委員会 編『日本基督教団 式文(試用版Ⅱ)』日本キリスト教団出版局、2009、2015を参照し、一部手を加えて載せています。

 

[2] 以下、「聖餐式」の式文は、日本基督教団信仰職制委員会 編『日本基督教団 式文(試用版Ⅰ)』日本キリスト教団出版局、2006、2010を参照し、大きく手を加えたものを載せています。