【LGBTって何?】
この記事では、キリスト教と性の話、特にLGBTsついて取り上げようと思います。記事タイトルでは、この話題について気になった人が、検索で見つけやすいように「キリスト教とLGBT」としていますが、LGBTに限らず、もう少し幅広い人たちについて、ザックリと(乱暴に)取り上げさせてもらいました。
LGBTとは、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーの頭文字をとった、セクシュアル・マイノリティー(性的少数者)を表す総称です。上記の枠組みに入らない人たちも含めて、LGBTQ、LGBTsと表記することもあります。また、セクシュアル・マイノリティーを縮めて「セクマイさん」と呼ぶこともあります。
この時点で、もう「何それ?」という単語にぶち当たった人もいるでしょう。あるいは、聞いたことがあるけどよく知らない、知っているつもりだけれど実はよく分かっていない……という人もいるでしょう。キリスト教とLGBTsの話をする前に、まずセクシュアル・マイノリティーって何なの? という話からしたいと思います。
【同性愛】
まず、最もよく耳にするのが、LGBTのLとG、レズビアンとゲイの方々「同性愛者」だと思います。同性愛とは、性的指向(恋愛や性的関心をもつ相手の性別)が同性に向かうことを指します。日本では、レズビアンと言えば女性の同性愛者、ゲイと言えば男性の同性愛者と理解されていますが、海外ではゲイと言った場合、同性愛者全般を指すことが多いです。
「ホモセクシュアル」も「ヘテロセクシュアル(異性愛)」に対する同性愛を意味する言葉です。ただし、「ホモ」と呼んだ場合、侮蔑的な言い方になってしまいます。また、レズビアンの方を「レズ」と呼ぶのも侮蔑的な言い方になるので、「ビアンさん」という言い方をすることもあります。
もしかしたら、男性の同性愛者は女性っぽい性格や振る舞いで、女性の同性愛者は男性っぽい性格や振る舞いだと思っている人がいるかもしれません。テレビでは、ゲイといえば「オネエ言葉」を話している……という印象が強いですし、漫画やアニメでもそんなふうに描かれることが多いです。
しかし、ゲイ男性の方は誰でもオネエ言葉を話すわけではありません。見た目も振る舞いも、他の男性と変わりない人もたくさんいます。私も何人かゲイ男性の方と出会っていますが、オネエ言葉を話している方と会ったのは一度だけです。その方以外は、本人から言われる前にゲイだと分かったことは一度もありません。
ビアンの方も、相手から言われる前に同性愛だと気づいたことは一度もありません。異性愛者と同様に、「女性的」に見える人もいれば、「男性的」に見える人もいます。性欲も、異性愛者と同じく強い人もいればそうでない人もいます。同性愛の人は見境なしに同性を求めているわけでも、同性なら誰でも恋愛対象になるわけでもありません。
男性というだけで、「女性なら誰でもいいんだ」という目で見られたら……
女性というだけで、「男好きなやつ」というふうに見られたら……
異性愛の人だって嫌ですよね。同性愛と聞いただけで「俺のこと襲わない?」「私そういう趣味ないから……」と返してしまう人もいますが、それはとても失礼で、高慢な態度でもあるんです。
ちなみに、、同性愛は1990年にWHO(世界保健機関)から「治療の対象ではない」と宣言されており、病気や障害ではなく、自然な性の一つです。
【バイセクシュアル】
次に、LGBTのB、バイセクシュアルは、好きになる対象が女性にも男性にも向く人のことです。もちろん、両性愛者だからと言って、異性愛者や同性愛者よりも性欲が強い……というわけではありません。誰でも自分の恋愛対象になるわけでもありません。これも異性愛者と同じく人それぞれです。
色んな人と交流する人もいれば、好きになった人に声をかけることさえできないほどシャイな人もいます。男女両方を好きになることがあるからと言って、常に何人もの人に情欲を抱いてアピールするわけではありません。
大学のサークルやLGBTのコミュニティーの中でも、「その気になればマジョリティ(異性愛者)と同じになれるんでしょ」と立場が弱められていることがありますが、両性愛の方も同性愛者や異性愛者と同様に、人それぞれです。良い人も悪い人も、一途な人も奔放な人もいます。
【トランスジェンダー】
*この項目については、2022年6月22日に「trans101.jp」さんの記事を参考に、大幅に書き直させていただきました。
先に挙げた、「同性愛」の方々と混同されやすいのが、LGBTのT、「トランスジェンダー」の方々です。出生時に割り当てられた性別とは異なる「性自認」(自分はどのような性別である/ないという連続した自己認識のありよう)を持つ人を指します*1。
「トランスジェンダー」は、医療の枠組みによらず当事者が自らを指すための呼称で、「性同一性障害」は、その中に含まれる疾患名です。現在は、精神疾患ではなく性保険健康関連の病態(仮名)に分類され、「性別不合」(仮名)という名称に改められています(2022年時点)*2。
トランスジェンダーの中には、ホルモン療法や手術療法などの性別移行に関わる医療行為を受けるため、「性同一性障害」の診断を受ける人もいれば、そうでない人もいます。手術を必要とする人とそうでない人、全身ではなく一部の手術やホルモン療法のみでいい人、治療を受けたいけれど身体的な負担や金銭的な事情などで受けられない人もいます*3。
特に「トランスセクシュアル」と言った場合は、上記の中でも性別移行に関わる医療行為を希望する、必要とするような人たちを指していることが多いです。
一般的にトランスジェンダーには、出生時に男性とわりあてられ女性の性自認を持つ「トランス女性」、出生時に女性とわりあてられ男性の性自認を持つ「トランス男性」、男女いずれかいっぽうにあてはまらない性自認を持つ「Xジェンダー」(あるいは「ノンバイナリー」)のなどの人々が含まれます*4。
他に、
「FtM」…… “female to male” 自分の性を女性から男性へ移行した(する)人。
「MtF」…… “male to female” 自分の性を男性から女性へ移行した(する)人。
という呼び方もあります。
なお、「性自認」と「性的指向」は独立した別の事柄であるため、トランス男性の中にも女性が好きな人、男性が好きな人、男女共に恋愛対象になる人、または男女共に恋愛対象にならない人など様々おり、トランス女性の場合も同様です。私の知り合いにも、FtMで女性が好きになった人(性自認は男性で性的指向は異性に向く人)、MtFで女性が好きになった人(性自認は女性で性的指向は同性に向く人)がいます。
また、トランスジェンダーではない人のことを「シスジェンダー」と言います。出生時にわりあてられた性別の「〜らしく」に違和感を持つ場合でも、社会的あるいは法的にその性別集団に所属することを望む場合には、トランスジェンダーではなくシスジェンダーに含まれます*5。
ちなみに、国連が行なっている「Free&Equal」キャンペーンでは、トランスジェンダーの説明として「ジェンダー規範から外れる外見や特徴を持つ人たちをあらわすアンブレラターム」があげられ、その中に異性装をする人が含まれています。そのため、「性自認が男性である人もトランス女性だと国連は言っている」と誤解して広めている方がいますが、誤りです。同サイトではトランス女性について、出生時にわりあてられた性別が男性で性自認が女性である人とされています。*6。
また、「トランス女性には、性的興奮を得るために女装する男性も含まれる」と勘違いしている人もいますが、これも誤りです。性的興奮を得るために、男性の性自認の人が特定の衣服を身につけるのは「性嗜好」に関わる事柄で、「性自認」とは別の事柄です。トランス女性が自分の性自認に沿った服装をすることに「性的興奮を得るためだ」「だますためだ」などの偏見を持つことは、当事者の苦悩につながります*7。
性自認(ジェンダー・アイデンティティ)は、個人の重要なアイデンティティであり、単なる自称とは異なります。時間的・社会的な同一性、一貫性というニュアンスが表れる「性同一性」とも訳され、「自分の気分で性別を変えられる」という概念ではありません*8。
【DSDs(性分化疾患/インターセックス)】
*この項目については、2021年5月21日に「ネスクDSDジャパン」から丁寧なご指摘をいただき、一から書き直させていただきました。
DSDsとは、LGBTsとセットで語られやすい「体の性の様々な発達」のことで*9、「性分化疾患」や「インターセックス」という言葉で知られています。
外性器のサイズや形状、染色体や性腺、女性の膣・子宮の有無、性ホルモンの産生量など、「女性ならばこういう体のはず」「男性ならばこういう体のはず」という固定観念とは、生まれつき一部異なる発達をした体の状態を指します*10。
DSDsは、「両性具有」「男女以外の体/性別」「男女に分けられない」「男でも女でもない中性の人」……と誤解されやすいですが、「男女以外の性別」ではなく、「女性・男性の体のバリエーション」に過ぎません*11。
当事者の大多数は「女性」か「男性」という性自認で、自分をLGBTQ等のセクシュアル・マイノリティの一員とは捉えていません。「男性でも女性でもない」という言い方をすると、DSDsの人の心を深く傷つけてしまうこともあります。そのため、2つの性の間にあるようなイメージをもたらす「インターセックス」という呼び方も現在では推奨されません*12。
DSDsはあくまで「女性・男性の体の多様性」の話であり、「性的指向や性自認などの性の多様性」と同一視したり、混同して語ることは避ける必要があります。DSDsの方を指して「100%の(完全な)女性・男性ではない」と感じる言い方や、「DSDsの人がいるから男女の境界はない」という言い方は、「男女以外の性別」と見なされることを望まない人たちを傷つけ、時には自死に至らせてしまいます。
DSDsには、約30種類(大きく分けると8つほどのグループ)の体の状態があります。代表的なのは、アンドロゲン不応症(AIS)の女性です。子宮と膣がなく、染色体がXYで性腺が精巣ですが、体の細胞が男性に多いホルモンのテストステロンに反応せず、過剰なテストステロンはエストロゲンに変換され、女の子に生まれ育ちます。*13。
他にも、染色体はXXで、膣と子宮が生まれつき無いMRKH症候群の女性もいれば、染色体がXXY、XXYY、XYYの男性、染色体がX、XXXの女性もいます*14。男女の体も一般的に知られているより、たくさんのバリエーションがあるんです。
【アセクシュアル】
LGBTの他に、アセクシュアル、あるいはAセクシュアルと呼ばれるセクシュアリティーがあります。「無性愛」とも言われ、他者に対して恋愛感情や性的欲求を抱かない人のことです。
ノンセクシュアルと言った場合は、他者に対して恋愛感情は抱くけれど性的欲求は抱かない人を指すそうです(日本のみで使われている言葉だそうです)。
こちらの記事に詳しく書いてくれています。
この記事でしっくりくる説明が書かれていたので引用すると、
「異性愛者の人が同性を恋愛対象として見ない、同性愛者の人が異性を恋愛対象として見ないのと同じように、異性も同性も恋愛対象として見ない人のこと」
ということです。
誰も恋愛対象として見ないからと言って、決して冷たい人たちではありません。同性や異性が嫌いな人たちというわけでもありません。それぞれ、大切にしたい人がいて、尊敬する人がいて、ある人の考えや行動を好ましく思ったりします。多くの人と同じく愛情を持った人たちです。
【クエスチョニング】
クエスチョニングとは、自分のセクシュアリティを迷っている人、探している人、敢えて決めないで生きている人などを指します。
「今まで異性を好きになったことしかなかったのに、同性を好きになり始めた……」
「男でいたいのか女でいたいのかよく分からなくなった」
「男とも女とも見られたくない」
といった人たちです。
もちろん、これまで挙げてきたセクシュアリティーに当てはまらない人もいます。固定化された規範(男は○○である、女は○○である、同性愛は○○である……)に対して「奇妙さ」を持つ人たちもいます。そういった「奇妙さ」を持つ当事者の間に、それぞれ差異があることを認めつつ、連帯することができる呼び方として「クィア」という言葉も使われるようになりました。
一方、セクシュアル・マイノリティーの方々に対する異性愛者のことを「ストレート」と表現したり、「ヘテロ」「ヘテロセクシュアル」と呼んだります。「ノンケ」は少し砕けた言い方です。
【「性」は先天的? 後天的?】
さて、ここからキリスト教の話に移りたいところですが、その前に一つ考えておきたいことがあります。おそらく、多くの方がキリスト教は同性愛(あるいは、異性愛の基準や規範に合わない人たち)に対して否定的だという印象が強いと思います。
実際、同性愛者を断罪し、会話療法や電気ショック療法を用いて「矯正」しようとする試みが、かつても(今も)行われてきました。その根底にあるのは、「性は男女の2つのみであり、異性愛以外の性のあり方は後天的な混乱」という意識でしょう。これを含めて「性自認や性的指向は先天的か後天的か?」という問題には、大きく以下の3つの立場を挙げることができます。
1)性に伴う意識は混乱することがあり、それは生後に起きるという立場。
2)性に伴う意識は生来のもの、変更はできないという立場。
3)性は生涯一つに固定されたものではなく、変化することがあるという立場。
【LGBTは治療できる?】
1)の「性に伴う意識は混乱することがあり、それは生後に起きるという立場」では、先に述べたように、性は男女の2つのみであり、異性愛以外の性のあり方は後天的な混乱と考えます。
つまり、LGBTは治療の対象で、「治療可能」ということになります。キリスト教会の一部は、この立場に基づいて、コンバージョンセラピーという「治療」を行ってきました。
コンバージョンセラピーは、トランプ政権の時期副大統領が支持したことでも有名ですが、会話療法や電気ショック療法など、幾つもの手法を組み合わせて行われます。その代表的なものが、嫌悪療法です。
ようするに、不快な感情を連想させることで問題行動を抑える治療法で、「同性に性的興奮を覚える度に電気を流す」「苦手な画像を繰り返し見させられる」といったことを繰り返します。
簡単に言えば、「条件反射で同性愛に嫌悪を抱かせ、生来の異性愛に戻そう」という試みです。
かつて、ある男性に赤い靴を見せた後、女性の裸の写真を見せるという行為を繰り返す実験が行われました。その実験の結果、男性は女性の写真を見なくても、赤い靴を見ただけで性的興奮を示すようになりました。いわゆるフェティシズムの人工的な創造です。
これを、同性愛者の「治療」に転用したわけです。ただし、実験の内容からも分かるように、これは「人間を生来の性質に戻す」方法ではなく、「後天的に性質を後付けする」方法です。「治療」法自体が、その人が本来持っている性質を回復させる方法ではないのです。
さらに、現在ではこれらの治療法が有効である科学的根拠は全くないことが明らかにされています。むしろ、LGBTs当事者が自身のアイデンティティに憎しみを抱く結果となり、深刻な後遺症や被害が出てきました。このような「治療」を今も行うことは、虐待や暴力と変わりません。
なお、コンバージョンセラピーの危険と問題について詳しく知りたい方は、こちらの記事に書かれています。
【LGBTは先天的で治療はない?】
2)の「性に伴う意識は生来のもの、変更はできないという立場」では、LGBTを受け入れるべき有りのままの姿と受けとめます。
「以前は異性を好きだったのに、同性を好きになるようになった」という人についても、性が変更されたとは考えません。成人してから性的指向(性的な欲求・感情・行為がどういう対象に向かうかを指す)が変わったと思うのは、「もともと持っていた意識に後から気づいた」と考えるからです。
この場合、LGBTsは治療の対象ではなく(トランスジェンダーの性適合手術は「性自認に適合した体になる」ため治療の対象)、「矯正」する対象でもありません。むしろ、異性愛と同じく、生来の自然なセクシュアリティーという捉え方をします。
ただし、この立場は「LGBTsは先天的だからあっても良い、許される」という論理に偏いてしまうこともあります。逆に言うと、後天的なら許されないのか、自然でないのか? 後天的なら戻せるのか、変更できるのか? といった問題も出てきます。
【人の性は揺れ動く?】
3)の「性は生涯一つに固定されたものではなく、変化することがあるという立場」は、私自身がとっている考え方です。
たとえば、
・現在、異性愛者である人も、将来、同性愛者に変わる可能性がある。
・現在、同性愛者である人も、将来、異性愛者に変わる可能性がある。
・その変化は本人の意志でコントロールできるようなものではない。
という話です。
私たちの多くは、自分の性は生涯にわたって「変わらない」「固定されている」と思っています。私自身も、将来、自分が異性ではなく同性を好きになる……あるいは、誰に対しても恋愛感情を抱かなくなる……なんて予定はありませんし、願ってるわけでもありません。しかし、そういう日が、私にも来るかもしれないんです。
また、生涯変わらない保証がないのは、性的指向や性自認の話に限りません。私たちの体も、事故に遭ったり、病気になったりして、子宮や性腺を摘出されることがあります。誰もがDSDsの当事者にも成り得るんです。その人が望む望まないにかかわらず……
今後も、私が私の意志で「ヘテロ男性であること」「一般的な男性であること」は保証されないでしょう。「人は自分の性をコントロールできる」というのは、ある意味、とても高慢な態度なのかもしれません。
いずれにせよ、性自認や性的指向は、自分の意志で決定したり、変更したりすることはできません。体の性の発達も、自分の意志でコントロールはできません。先天的か、後天的かにかかわらず、その人の在り方を安易に否定したり、攻撃することは暴力的で愚かだと思うんです。
【聖書とLGBT】
でも神様は、人を「男と女に創造された」と書かれている*15。それ以外の性は自然なものとは呼べないはずだ……! 一部の方からそう言われるかもしれません。実際、ある意味ではそのとおりです。聖書には「神様が同性愛の人を造った」とは書かれていません。
ただし、私たちは本当に、「聖書に書いてないから」「聖書に書いてあるから」という理由だけで、異性愛に当てはまらない人たちを断罪して良いのでしょうか? 創世記に書かれている生物だけを自然な存在と認めるなら、ちょっとおかしな話も出てきます。
たとえば、神様は「鳥は地の上、天の大空の面を飛べ*16」と言われました。ところが、南極にいるペンギンという鳥は水の中を泳いでいます。彼らは聖書に書かれていない在り方をとる、不自然な、神様の言うことを聞かなかった存在でしょうか?鳥として、あってはならない生き方で、地上や空で過ごすように矯正するべき対象でしょうか?
そうではありませんよね。注意しなければならないのは、聖書はもともと、事実や歴史を網羅的に、余すところなく書こうとした書物ではないということです。聖書に「書いてない」ことを理由に、ある人たちを不自然な存在とするのは、明らかに乱暴なことなのです。
でも、神様は同性愛の行為をはっきり禁じているじゃないか……そう言われるかもしれません。これもある意味そのとおりです。実際、旧約聖書に「女と寝るように男と寝てはならない*17」と書いてあります。
しかし、「聖書に書いてあるから」という理由で断罪するべきだとしたら、婚約者のいる女性が町の中でレイプされた場合も、聖書の記述に従って、彼女を死刑にしなければなりません。「その娘は町の中で助けを求めず、男は隣人の妻を辱めたからである*18」……そう書いてあるからです。
実際は、女性でも男性でも、襲ってきた相手から「叫べば殺す」と脅されたら、怖くて助けを呼べないでしょう。私たちは倫理的に考えて、この聖句のとおり、助けを呼べずにレイプされた女性を死刑にすべきだとは思いません。しかし、同性愛者に対しては「聖句のとおり」処刑にすべきと言ってしまう……果たしてそれでいいのでしょうか?
また、かつてドイツでは、キリストが十字架につけられたことについて、「その血の責任は、我々と子孫にある」とユダヤ人が答えたことを理由に多くのユダヤ人が迫害され、殺されました……
聖書に書いてあるから……
本当に、「聖書に書いてあるから」という理由だけで、私たちは人を断罪し、処罰し、その在り方を変えさせるのでしょうか? むしろ、自分たちにとって不快な存在、嫌悪する対象、理解できない異質なものを排除するために、聖書の言葉を無批判に利用していないでしょうか?
マタイによる福音書では、悪魔が聖書の言葉を引用してキリストを誘惑する話が出てきます*19。キリスト者個人も、教会という共同体も、自分の都合や思いを補強するために聖書の一部を根拠にしてしまうことが何度もありましたし、今もやっているでしょう。
誰かを裁く、否定する際、聖書を根拠としているときこそ、自分が何を理由に断罪しているか、真摯に問い直す必要があると思うのです。
長くなりましたが、キリスト教会がLGBTについてどう考えてきたのかは、また後日詳しく書きたいと思います。ぜひ、この機会に「聖書に書いてないから」という理由で誰かの在り方を否定し、「聖書に書いてあるから」という理由で誰かを断罪する態度を、慎重に省みていただければと思います。自戒をこめて。
*続きを読みたい方は下記のリンクへどうぞ。
*1:FAQ|トランスジェンダーとはそもそも編 – はじめてのトランスジェンダー trans101.jp参照。
*2:FAQ|トランスジェンダーとはそもそも編 – はじめてのトランスジェンダー trans101.jp参照。
*3:性別適合手術を受けた場合、安定した生活が得られるようになるまで、予後を含めた身体的な措置だけで約一ヶ月は必要になります。術後の痛みも強く、女性器を作る場合は、体の中に空けた穴が塞がらないよう、さらに何ヶ月も異物を体内に入れ続ける必要があります。
*4:FAQ|トランスジェンダーとはそもそも編 – はじめてのトランスジェンダー trans101.jp参照。
*5:用語集 – はじめてのトランスジェンダー trans101.jp参照。
*6:FAQ|トランスジェンダーとはそもそも編 – はじめてのトランスジェンダー trans101.jp参照。
*7:FAQ|トランスジェンダーとはそもそも編 – はじめてのトランスジェンダー trans101.jp参照。
*8:男性の外見のまま女湯に? トランスジェンダーめぐる言説を当事者や専門家が批判「バッシング、看過できない」参照。
*9:DSDs:体の性の様々な発達(性分化疾患/インターセックス)の新・基礎知識Q&A - wezzy|ウェジー参照。
*10:ネスクDSDジャパン🌱【男女以外じゃないDSDs:男女にある様々な体の性のカタチ】2021.4.30モーメントより参照。
*11:ネスクDSDジャパン🌱【男女以外じゃないDSDs:男女にある様々な体の性のカタチ】2021.5.1モーメントより参照。
*12:ネスクDSDジャパン🌱【男女以外じゃないDSDs:男女にある様々な体の性のカタチ】2021.4.30モーメントより参照。
*13:DSDs:体の性の様々な発達(性分化疾患/インターセックス)の新・基礎知識Q&A - wezzy|ウェジー参照。
*14:DSDs:体の性の様々な発達(性分化疾患/インターセックス)の新・基礎知識Q&A - wezzy|ウェジー参照。
*15:創世記1:27。
*16:創世記1:20
*17:レビ記18:22
*18:申命記22:24
*19:マタイによる福音書4:1〜11