ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『ハロウィンvs宗教改革』 ヨハネによる福音書1:35〜51

聖書研究祈祷会 2018年10月31日

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【ハロウィンと宗教改革】

 「ハロウィンvs宗教改革」……週報でお知らせしていた今日の聖書研究祈祷会は、あまり穏やかじゃないタイトルでした。「ハロウィンなんて祝ってはいけません。あれは異教的習慣から始まったもので、キリスト教に相反する祭りです!」そんな話をされるかと思って、身構えた人もいるかもしれません。

 

 そう、今日は10月31日、あちこちでカボチャやお化けの飾り付け、コウモリや魔女の格好をした人々が見られるハロウィンです。ハロウィンとは、もともと古代ケルト人が秋の収穫を祝い、悪霊などを追い出す祭りだったと言われています。日本で言う「お盆」に似た行事で、この日に死者の霊が家族を訪ねてくると信じられていました。

 

 仮面を被ったり、くり抜いたカボチャの中に蝋燭を立てて、火を灯したりするのは、時期を同じくして出てくる、悪霊や魔女から身を守るためであったと言われています。現在では、アメリカを中心に民間行事として定着し、日本でもコスプレをした子どもや若者で溢れかえる日となりました。

 

 最近では、キリスト教会の中でも、子どもたちが仮装して信徒の家を回ったり、大人たちも一緒に仮装して、バザーを開いたりするところも出てきました。とはいえ、もともとはキリスト教と関係ない宗教的祭りが起源であるため、容認派と否定派で大きく分かれるところです。むしろこの日は、プロテスタント教会にとって「宗教改革記念日」でもあるため、そちらを全面に押し出そうとする教会もあります。

 

 私が面白いなと思ったのは、ドイツにあるプロテスタント教会で、ハロウィンに「ルターボンボン」という飴を子どもたちに配っている話です。ルターと言えば、免罪符、正しくは贖宥状に関する『95箇条の質問状』をヴィッテンベルク城教会の門に貼り出し、本格的な宗教改革を巻き起こすきっかけになったと言われる人物です。

 

 ハロウィンに仮装して、お菓子をもらいに来た子どもたちに、「ハロウィンなんて祝っちゃいけません!」と追い出すのではなく、「今日は宗教改革記念日でもあるから、覚えて帰ってね」とルターの顔が描かれたキャンディーをあげる……そんなユニークなやり方もあるのだなと思いました。ただし、おじさんの顔が描いてある飴を口の中に入れるのはちょっと勇気がいりますが……。

 

 

【どうして10月31日?】

 ちなみに、ハロウィンはプロテスタントの「宗教改革記念日」だけでなく、カトリックにおける「諸聖人の日」とも重なっています。厳密には、11月1日が諸聖人の日なのですが、教会の暦では、日没から次の日の日没までを1日と数えるため、10月31日の夜は11月1日の始まりでもあるからです。

 

 そもそも、英語の「ハロウィン」は「諸聖人の日の夜」“All-hallow Evening”の短縮系が語源となっています。そのせいか、ハロウィンはキリスト教の祭日だと思われがちなのですが、実際には、もともと5月13日に祝っていた諸聖人の日を、ケルトの収穫祭に合わせて、教会が後から設定し直したと言われています。

 

 カトリック教会が10月31日の夜から11月1日の日没まで祝っている「諸聖人の日」とは、名前のとおり、聖人や殉教した人々を覚えて記念する日です。カトリックの信徒の中には、この日に先祖の御墓参りをする人たちもいます。

 

 私たちの教会が属している日本基督教団も、11月の第1日曜日を「召天者記念日」としており、多くの教会で、午前中の礼拝が終わった後、墓前礼拝が行われます。これは、諸聖人の日の翌日、11月2日に定められた「死者の日」が元になっている記念日です。宗教改革によって、聖人への崇敬が廃止された後も、全ての死者を覚えて祈りをささげるこの日については、プロテスタントでも残されることになりました。

 

 ただし、宗教改革を行ったルターは、「死者の日」の習慣も、聖書に根拠がない伝統として、廃止しようとしていました。もともと死者の日は、煉獄で清めの期間を経なければ天国へ行くことのできない魂が、生きている人間の祈りとミサによって、清めの期間が短くなる……という発想に基づいて、煉獄の死者のために祈る日という性格がありました。

 

 当時の教会はこのように、人々が生きている間に犯してしまった罪は、その罰を「煉獄」という場所で、死後に支払わなければならないと教えていました。代わりに、教会や修道院に献金したり、贖宥状を購入したりすれば、教会の行うミサや、聖人たちの余りある功績の中から、その罰が代わりに支払われ、免れることができるとされていました。

 

 そのうちに、贖宥状を販売していた修道士の中から「賽銭箱の中で小銭がチャリンと鳴るやいなや、誰かの魂は煉獄の炎からポンと飛び上がる」と言い出す人まで現れるようになりました。それは、サン・ピエトロ大聖堂の改築のため、財政難に陥っていた教会にとって、たいへん都合の良い考え方でした。

 

 しかし、もちろんそんな話は聖書に根拠のあることではありません。そのため、ルターは贖宥状の効果、煉獄という世界観、聖人の余りある功績という考え方を全て否定したのです。プロテスタント教会でも、教派によっては聖人を記念して礼拝するところもありますが、聖人そのものに救いを求めたり、願ったりすることはありません。

 

 私たちにとって、聖人は、自らの努力によって神様に救われた人ではなく、神様からの一方的な恵みによって、驚くべき御業に用いられ、模範的姿に変えられていった人々だからです。事実、聖人と呼ばれる人たちの人生は、決して完全無欠なものではなく、それぞれに、神様からのありえない変化がもたらされることによって、新しく生かされてきた人生でした。

 

【何を求めているのか?】

 最初に読んだ聖書箇所には、まさに聖人たちを代表する12使徒の何人かが、イエス様に従っていく様子が記されていました。しかし、後に聖人と呼ばれることになった彼らは、必ずしも、現在私たちがイメージする「清く、正しく、美しい」人物像の持ち主ではありません。むしろ、どうしてイエス様から特別に選ばれたのか、よく分からない人たちでした。

 

 ヨハネによる福音書で、イエス様に最初に従おうとしたアンデレは、イエス様についていく途中で振り返られ、こう尋ねられます。「何を求めているのか?」……自分が弟子になろうとする人物と、初めて交わす貴重なやりとりです。答えによっては、この先も弟子として認めてもらえないかもしれません。そんな重要な場面ですが、彼はこの問いに正面から答えることができませんでした。

 

 「弟子にしてください」「あなたの教えを授けてください」……ただそれだけのことさえ言えません。代わりに、「先生はどこに泊まっておられるのですか?」と話をそらす質問しかできませんでした。アンデレともう一人の弟子は、2人ともイエス様に「何を求めているのか」尋ねられ、すぐには答えられない人物でした。

 

 いざ、聞かれてみれば、自分が何を求めてついていこうとしているのか分からない。弟子としてスタート地点にも立てていない、そんな人物だったのかもしれません。あるいは、「この人についていけば偉くなれるかもしれない」「何かおこぼれがもらえるかもしれない」というよこしまな気持ちがあって、正直に答えられなかったのかもしれません。

 

 「何を求めているのか?」……似たような質問を、イエス様は他の場面でも度々おっしゃっていました。マルコによる福音書10章51節では、目の見えない盲人バルティマイが「わたしを憐れんでください!」と叫ぶのに対し、イエス様は「何をしてほしいのか?」と尋ねます。どう考えても、目を治してほしいに決まっているのに、わざわざそう尋ねるのです。

 

 しかし、バルティマイは素直に「先生、目が見えるようになりたいのです」と告白します。彼は、「行きなさい、あなたの信仰があなたを救った」と言われて、すぐ目が見えるようになり、そのままイエス様のあとに従っていきました。美しい話です。ホッとするハッピーエンドです。しかし、その直前で同じく「何をしてほしいのか?」と尋ねられた聖人ヤコブとヨハネの記事を読むと、ちょっと考えさせられるものがあります。

 

 35節から45節に記されているのは、ヤコブとヨハネが、イエス様にある交渉をした話です。「先生、お願いすることをかなえていただきたいのですが」……もったいぶる2人に、イエス様は盲人に尋ねたのと同じように、正面から問われます。「何をしてほしいのか?」すると彼らはこう答えます。「栄光をお受けになるとき、わたしどもの一人をあなたの右に、もう一人を左に座らせてください。」

 

 ようするに、イエス様が王様になるときには、自分たちを他の人より偉い地位に取り立ててくださいとお願いしたわけです。聖人とは言うには不純な動機、よこしまな気持ちでイエス様に従っていたことが露わにされてしまいます。二人の直後に、同じ問いを受けた盲人バルティマイが、純粋な気持ちと感謝でイエス様に従っていく話が続くことで、ますますその対比が鮮明になります。

 

 イエス様は、12使徒を特別に選ぶとき、純粋な気持ちを持つ者も、不純な動機を持つ者も、実は関係なく選んでいたことが分かります。彼らが選ばれたのは、彼らの性格や功績が評価されたからではありません。彼らの努力でイエス様の弟子となったのではなく、イエス様の一方的な選びによって、恵みのうちに弟子とされたのです。

 

【すぐ信じない弟子】

 もちろん教会において、12使徒はカトリックでもプロテスタントでも、見習うべき重要な弟子として捉えられています。その模範的姿勢の一つとして、「イエス様にすぐ従った」という点がよく挙げられます。実際、マルコによる福音書では「わたしについてきなさい」と言われて、ペトロとアンデレがすぐ従ったことや、ヤコブとヨハネがその場で従ったことが書かれています。

 

 しかし、福音書全体を通して見てみると、イエス様は何の疑いもなく、すぐ従った者ばかりを弟子にしたわけではないと分かります。ヨハネによる福音書に戻って、1章45節以下を見てみると、「わたしに従いなさい」とイエス様に言われ、すぐ弟子になったフィリポに対し、彼からイエス様のことを聞いても「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と疑ったナタニエルのことが出てきます。

 

 ナタニエルは、その後実際にイエス様と出会い、自分のことを言い当てるのを見て、ようやく、「あなたは神の子です」と告白し、信じるようになりました。その姿は、20章24節以下で、復活したイエス様をその目で見るまで信じなかった、トマスの姿と重なっています。

 

 私たちが、聖人として耳にし、記念する人たちも皆、本来は聖人になりえない者たちでした。彼らは、他ならぬ神様からの呼びかけと支えがあって、初めて聖人として歩めたのでした。彼らに起きたありえない変化、神様によって歩まされた力強い道のりを思い出すことは、プロテスタント教会に属する私たちにとっても大切なことです。同時に、宗教改革以降、私たちは全ての信徒を「聖徒」として覚えることになりました。

 

 先週、24日の水曜日に、私たちの教会につらなる者、その兄弟姉妹の中から2人の者が天へ召されていきました。実は、以前私がお世話になっていた教会でも、同じ日に親しかった方が亡くなりました。彼らもまた、自分一人では歩めなかった道のりを、神様と共に歩んできました。その全生涯を通して、残された私たちに、神様と出会う道を用意し、示してくれました。

 

 来週、11月4日は、召天者記念日として、先に召された方々を覚えながら、神様に礼拝をささげます。ハロウィンと、諸聖人の日と、宗教改革記念日が重なった今日、その日に向けて、心を整えたいと思います。一見、異教の習慣や、カトリックとプロテスタントとの対立を思い出す日に見えるかもしれませんが、今日はむしろ、亡くなった方々の人生を通して、キリスト者が神様の方を向いて、一つになれる日です。

 

 既に亡くなった方々が、神様のもとで平安を与えられていること、死後も、故人の生涯を通して、私たちに神様と共に歩む道が示されていることを覚え、感謝の祈りをささげていきたいと思います。