礼拝メッセージ 2019年1月20日
【期待を裏切った宣教師】
渋谷で伝道師をしていた頃、耳にタコができるほど聞かされた名前がありました。華陽教会と同じく、メソジスト教会の背景を持つ宣教師、バークレー・フォーエル・バックストンという先生です。日本では、横浜バンド・熊本バンド・札幌バンドというキリスト者のグループが有名ですが、バックストン先生は、松江バンドという小さなグループの中心となった人物でした。
彼の家は、イギリスにおける奴隷解放運動を展開した祖父の功績が認められ、準男爵「サー」の称号を与えられた貴族階級の家でした。また、彼の父親も、酒の醸造で成功を収めた優秀な実業家でした。バックストン先生自身、恵まれた環境で多くのことを吸収し、様々な学問で優秀な成績を修めていました。経済界、法曹界、神学界のどこへ進んでも、活躍すること間違いなしの、たいへん期待された人物でした。
彼はやがて、メソジスト教会の聖職者となることを決心し、神学校で勉学に励み、仲間たちと伝道集会に出かけては、重要な働きを担っていきました。友人からも、家族からも、教師や周りの大人からも、イギリスの青年伝道を担う若者として、大きな、大きな期待をかけられていました。順調に神学校を卒業し、メソジスト教会の執事、司祭となっていきます。
将来はこのまま、私たちの国で青年たちを引っぱってくれる頼もしいリーダーとなるに違いない。誰もが、そう疑いませんでした。ところが、思ってもみないことが起きました。彼はある伝道集会に行った後、故郷のイギリスではなく、遠く離れた日本にいる人たちのために、宣教しようと決心したのです。
友人も、家族も、彼を可愛がっていた教師や牧師たちも、ちょっと考え直すように言いました。彼は、イギリスの知識階級で育った、多くの若者にも通用する、素晴らしいメッセージを語ることができました。故郷を離れ、言葉も文化も知らない日本で伝道するのは、さすがにもったいないと感じたのです。
頼むから考え直さないか? 君がここで牧会を担えば、どれだけ多くの人に良い影響を与えられるか考えてみてほしい。だいたいどうして、ここ、イギリスじゃダメなんだ……しかし、バックストン先生の意志は硬く、1890年に来日し、翌年から島根県松江市での聖書講義をスタートし、日本の伝道者を育成していく働きに従事するようになりました。
【期待されていたイエス様】
彼が故郷で活躍することを願っていた身内は、最初のうちは、こう思ったかもしれません。「私の期待を返してくれ」と……ちょうど私に、この話を思い出させる出来事が、先ほどの聖書箇所に書かれていました。そう、人々から尊敬され、大いに期待されていたイエス様が、故郷のナザレでトンチンカンなことを言い、「私の期待を返せ!」とばかりに、憤慨されてしまった話です。
イエス様は、荒れ野で悪魔からの誘惑に打ち勝って以降、このときまでは、それなりに順調な歩みをしていました。「霊」の力に満ち溢れてガリラヤへ帰り、各地の会堂、ユダヤ教のシナゴークへ行っては、聖書を紐解き、教えを語り、人々から尊敬を受けていきます。その評判は、周りの地方一帯に広まり、あっという間に有名人となりました。
そして、もともとの生まれ故郷、ナザレの村へもやって来ます。イエス様は、他のところでもやっていたように、安息日に会堂へ入って、聖書を朗読しようとします。当時は、会堂の責任者から許可さえ得れば、ユダヤ人男性の誰もが聖書を朗読することが許されていました。
とはいえ、荒れ野にいたときから一ヶ月以上、地元の礼拝に顔を出さなかった人間が、フラッと帰って来てすぐ、礼拝で朗読することが許されるなんて、なかなか考えられません。おそらく、会堂の責任者も、ガリラヤ一帯に広まっていたイエス様の評判を聞きつけ、噂通り、自分たちが驚くような教えを語るのか、聞いてみたかったのだと思います。
そこで、イエス様に手渡されたのは、神学校卒業仕立ての牧師だったら、いきなり読まされるのはちょっと遠慮したい難しい書物、預言者イザヤの巻物でした。さあ、この難しい書物を我々に教えてみよ……地元の人から投げかけられた、ある種の挑戦だったのかもしれません。巻物を渡されたイエス様は、ためらうことなくそれを開き、何気なく目に留まった箇所を読み上げます。
それは、イザヤ書61章の辺りに記された言葉でした。「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである」……もともとは、預言を語ったイザヤ自身を表す言葉でしたが、この時代には、やがて来たる救い主メシアの到来を預言する言葉にも聞こえました。
自分たちの目の前で、イエス様が読み始めた箇所がそこだった。もう一度言います……「霊」の力に満ちていた、評判が周りの地方一帯に広まっていた、諸会堂で教え、皆から尊敬を受けていた。そんな人物が、この箇所を読み始めたら……もしかして、あなたが救い主? と思いますよね。
「主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである」……ここまで読んで、イエス様は大胆にもこう言います。「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した。」
人々を解放し、回復し、自由にする救い主は、今日やって来た。あなたの目の前にいる、私がそうだ。こう言ったのとほぼ、変わりません。各地の噂を聞いて、期待に胸を膨らませていた会衆一同は、口々にイエス様を褒め、その口から出る恵み深い言葉に驚きます。しかし、もちろんイエス様の故郷、身内がいる土地ですから、地元の人たちはふと我に帰ります。
「この人はヨセフの子ではないか」……我々の知っている、あの大工の家でハイハイしていた坊主じゃないか。立派になって帰って来たが、本当に、神様から選ばれ、遣わされた救い主になったのだろうか? もしそうなら、故郷の私たちにも、何か特別なことを見せてくれるに違いない。
【ここでは何をしてくれる?】
イエス様は、その思いを感じ取ったかのように言われます。「きっと、あなたがたは……『カファルナウムでいろいろなことをしたと聞いたが、郷里のここでもしてくれ』と言うに違いない」と……イエス様が言うように、人々は皆思っていました。お前が救い主なら、当然、私たちを救ってくれるだろう? 何か奇跡を見せてくれるだろう? だって、地元の人間だし。
もしかすると、自分たち地元民より先に、カファルナウムで、病の癒しや悪霊の追放が行われたことに、故郷の人たちは、若干苛立ちを覚えていたのかもしれません。当時のカファルナウムは、非ユダヤ人、つまりは、イスラエルを占領する外国人や異教徒が、数多くいたと言われる地域です。何でそっちを、こっちより先に癒すのか……地元でも苦しんでいる人がたくさんいるのを、小さい頃から見てきたはずだろうに!
彼らの苛立ちは、この後に続くイエス様の言葉で限界に達します。かつて、イスラエルに遣わされた預言者も、故郷では歓迎されなかった。エリヤはイスラエルのやもめではなく、サレプタのやもめを助け、エリシャもイスラエルの病人ではなく、シリアの病人を癒した……ようするに、イエス様自身も、自分の故郷では誰も癒すことはないだろうと言い切ってしまったわけです。
そりゃ腹を立てて当然ですよ……小さい頃からお世話になってきた地元では、何一つ奇跡を行わず、外国人や異教徒の多いカファルナウムでは奇跡を行う……これまで受けてきた尊敬や評価が一気に崩れ去ります。会堂にいた人々は皆憤慨し、総立ちになってイエス様を連れ出しました。
イエス様の言葉は、ナザレの人々だけでなく、ユダヤ人全体の期待をぶち壊すものでした。それこそ、崖から突き落とそうとするほどに。なにせ、抑圧された人々を自由にする救い主の到来が宣言されたのに、その自由を与えられるのは、ユダヤ人ではなく外国人だと言われたからです。ついに、我々を救ってくれる者が地元から現れたと喜んだのに、「私の期待を返せ!」と言うところです。
イエス様も、何でわざわざこんなこと言ったのでしょう? 「私が遣わされたのは、捕らわれた者、見えない者、圧迫されている者を解放し、回復し、自由にするためだ」……そう言った後で、「まあ、あなたたちのことではないが……」なんて言い方、目一杯上げてから下に落とすやり方に等しい表現です。ちょっと意地悪く感じます。
でも本当に、イエス様の言葉から、人々が抱いた期待は正しかったのでしょうか? 実は、救い主の到来について、最初にイエス様が朗読した言葉は、私たちが思うよりも、もっと深い意味があったのではないでしょうか?
【自由にされるのは?】
捕らわれた人、目の見えない人、圧迫されている人……ここで救うと宣言されたのは、今まで外国に支配され、占領され、抑圧されてきた自分たちのことだ。そこにいたユダヤ人みんなが思いました。実際、今ここで聖書を読んでいる私たちも、「自由にする」「解放する」と言われているのは、もしかして私たちのこと? と期待しますよね。
人間関係に束縛され、不安で前が見えなくなり、周りの評価に圧迫されている自分……自由にされるべき、救われるべき人間は、この社会で疲れきった私のことだと、思いますよね? でもこれって、私たちが自分のコミュニティーから、排除した人たちのことでもあるのです。ユダヤ人で言えば、人々が集まっていた会堂に、シナゴーグに、入ることができなかった人たちですよ。
捕らわれているということは、誰かに裁かれ、罪人として扱われた状態。目が見えないということは、人々から汚れているとされ、礼拝堂から排除された状態。圧迫されているということは、奴隷であるか貧しさのために、安息日の規定を破って、働かなければならかった状態……これだけ聞くと、心の狭い、頭の固いユダヤ人から追いやられた「かわいそうな」人たちと思うかもしれません。が、私たちの言葉で言い換えてみましょう。
薬物乱用で、取り締まりを受けてしまった人。奇声をあげたり、パニックを起こしたり、礼拝中、静かにできない人。日雇いの仕事や、空き缶を漁って、毎日の生計を立てている人……今だって、礼拝堂から排除しているでしょう? 来て欲しくないと思っているでしょう?……たぶん、それなりの人たちが。
イエス様はこの人たちを解放して、救いを告げると言ったのです。いつも礼拝に来ている私たちでなく、礼拝中に地べたを這い、奇声を挙げ、仕事を優先して何年も顔を見せていない人たちに! 「ああ、救いはとうとう我々に訪れるのですね!」と期待に胸を膨らませたら、「救われるのは礼拝堂で姿の見えない、あの人たちだ」と言われたのです。
そりゃ怒りますよ……腹立てちゃいますよ……それが私たち人間ですから。でも、こうやって改めて聞くと、この怒りが、どんなに愚かなことか分かりますよね。みんなと一緒に救いを待つこともできない。その人たちを、まず慰めなきゃならない。神様なら、そう考えるに決まっています。全ての人の創り主、私たちの親ですから。
一人ポツンっと離れちゃったところにいる子どもを置いといて、席についている子どもたちだけに「さあ、ご飯だよ」なんて言えません。「お母さんまだ? 僕らいい子にしているよ。もうご飯くれたっていいでしょう?」スプンとフォークをカチカチ鳴らしながら、私たちは訴えます。
でも、神様は困った顔で答えます。「末っ子があんな遠くで拗ねているじゃない。喧嘩でもしたの? 私があの子を慰めて泣き止むまで、ご飯を食べ始められる子は、誰もいないのよ……」会堂に集まった私たちが、恵みを与えられる前に、会堂から排除された人たちが、まず慰めを受ける……実は、とても自然で、当たり前のことでした。
【どうしてそこへ?】
最初に松江のバックストン先生のことを話しましたが、日本に訪れた宣教師って、もともと故郷で、母国での活躍を期待されていた、たいへん優秀な人たちですよ。横浜のバラ先生、熊本のジェーンズ先生、札幌のクラーク先生……みんな、どうしてうちじゃなくて、日本へ行くの? と惜しまれた、そんな宣教師たちでした。
私たちは、会堂に集まれなかったとき、イエス様を知りもしなかったとき、あるいは、知っていて信じられなかったとき、会堂の中にみんなを置いて、探しに来てくれたイエス様と出会いました。宣教師たちも、そんなイエス様に倣って、「どうしてそんなところへ!」惜しまれながら、私たちのために100年以上前、この地に遣わされた人たちでした。
だから、私たちも、今この会堂に集まっているとき、ここに集まれない人のところへ、イエス様が訪れることを祈るべきです。「何でうちじゃなくて、そっちへ行くのですか!」と憤慨するのではなく、「イエス様、私もその人のところへ遣わしてくれますか?」そう問いかけることを期待されています。
私たちの間を通り抜け、立ち去られたイエス様……その向かった先は、かつて私たちが居た場所でもあったのです。今、私たちも、出て行きましょう。イエス様を自分の会堂へ引き止める者ではなく、一緒に誰かのところへ、遣わされていく者として……共に、祈りを合わせましょう。