ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

愛餐式(神の祝福を分かち合う食事)の式文

愛餐式 式文 2020年4月9日

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CouleurによるPixabayからの画像

 

聖餐式の休止にあたって

新型コロナウイルス感染症の拡大に伴って、多くの教会で感染リスクの高い聖餐式や礼拝そのものが休止されています。私たちの教会も徒歩10分圏内の所でクラスター感染が起きてしまい、初めは聖餐式、そして、会堂で集まって行う礼拝も、休止することを余儀なくされました。

 

現在、教会に集まって礼拝することができない人たちのために、華陽教会のYouTubeチャンネルで「聖書朗読・メッセージ・とりなし」の動画を毎週UPしていますが、しばらくの間、聖餐式は会衆の方々と一緒に行うことができません。

 

しかし、確かに聖餐式は無理ですが、「愛餐式」であれば、動画を見ながら各家庭で食事を分かち合うことができるんじゃないかと思いました。

 

【愛餐式とは】

愛餐式は、キリストが神の国のしるしとしてなされた5千人の給食を根拠にした「神の祝福を分かち合う食事」です。モラヴィア派の人々やメソジスト教会の各家庭で、かつては盛んに行われていたものでした。

 

教会の聖礼典である聖餐式と違い、洗礼を受けていない人もあずかることができるので、現在もカトリックとプロテスタントの教派を超えた礼拝や、未受洗者が多く集まる地区・教区の新年礼拝などで用いられています。

 

愛餐式では、水とパンの他にお茶とクッキーなどが用いられ、聖餐式と区別するため、ぶどう酒やぶどう液は使われません。今回の式文は、1990年の日本基督教団東京教区北支区ニューイヤーフェスティバルに使用されたオリジナルに、阿佐ヶ谷東教会の坂下道朗先生が手を加えたものを参照し、私個人が作成した式文です。

 

聖餐式の場合は、「画面越しのパンとぶどう酒をどう聖別するか」などの問題が出てきますが、もともと各家庭で行われていた私的な性格のある愛餐式であれば、それぞれの家でパンと水を用意し、動画をご覧になりながら、一緒に祝福を分かち合う食事ができるのではないかと思います。

 

用意するパンと水は特別なものではなく、普段、日常の食事に出てくるパンと飲み物で大丈夫です。日毎の糧と御言葉によって私たちを養われる神に感謝し、その祝福を分かち合いたいと思います。

 

【参照】

http://www004.upp.so-net.ne.jp/msaka/aisan.htm

http://www004.upp.so-net.ne.jp/msaka/aisan.htm

 

【愛餐式の様子】

 


【愛餐式】神の祝福を分かち合う食事

 

愛餐式

【賛美歌】

ただいまより、神の祝福を分かち合う食事、愛餐式を始めます。

最初に、讃美歌432番「重荷を負う者」を歌いましょう。

 

(動画では、作詞者・作曲者の権利に配慮して歌いませんが、『讃美歌21』をお持ちの方は、ぜひ、この賛美を味わいつつ、食事にあずかる準備をしましょう)

 

【招 き】

かつて、私たちの主イエス・キリストは、パンを求めて集まってきた群衆にこう言われました。「わたしは命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。(ヨハネ6:35)」「わたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。(ヨハネ6:57)」

 

また、主は水を求めてやって来たサマリアの女性に言われました。「わたしが与える水を飲む者は、決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。(ヨハネ4:14)」

 

主は、山上で少年から受け取ったわずかなパンを祝福し、空腹だった5千人以上の人々に分けられ、全ての者が食べて満腹になりました。この食卓は、キリストが神の国のしるしとしてなされた、あの「5千人の給食」のように、主の祝福による神の国のしるしです。

 

信仰を告白した者があずかる聖餐式ではありませんので、神の祝福を分かち合うため、集まっておられる人々は、共に食事にあずかりましょう。

 

*愛餐式単体で行う場合は、ここに「聖書朗読」と「メッセージ」が入る。礼拝の中で行う場合は、愛餐式を「聖書朗読」と「メッセージ」の後、感謝の応答の部分に配置する。

 

【感謝の祈り】

感謝の祈りをささげましょう。

 

恵みと祝福の源なる私たちの神様、あなたは私たちに「命のパン」「命の水」をお与えになります。足りないものを満たし、欠けている力を養います。あなたは私たちを死の恐れから解放するため、御子イエス・キリストを遣わされ、貧しい者、嫌われ者、負い目のある者たちと、共に食事にあずかりました。

 

様々なやましさや後ろめたさがある人も、悩みや葛藤がある人も、疑いや迷いがある人も、あなたは隔たりなく近づかれ、同じテーブルにつかれます。あなたが与えるパンと水は、信じない者を信じる者に、悲しむ者を喜ぶ者に、争う者をとりなす者に変えられます。

 

どうか今、あなたから受けた恵みと祝福を、私たちも互いに分け合う者とならせてください。あなたの愛と平和が豊かに現されますように。アーメン。

 

【分かち合い】

共に、パンと水を分け合いましょう。普段、聖餐を受けられない人も、このパンと水は「信仰を告白している」「していない」にかかわらず、一緒にいただくことができます。どうぞ、用意されたパンと水を受け取って、神の祝福にあずかりましょう。

 

主は言われます。

「わたしの父が天からまことのパンをお与えになる。(ヨハネ6:32)」

私たちもいただいたパンを食べましょう。

あなたの内側から、生きた力が溢れ出るように。

 

主は言われます。

「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。(ヨハネ7:37)」

私たちもいただいた水を飲みましょう。

あなたの内側から、生きた水が流れ出るように。

 

【献げ物】

感謝の応答として、共に祈りをささげましょう。

 

愛と平和の主である私たちの神様、今ここで、あなたの祝福を分かち合う食事にあずかれたことを感謝致します。日々、あなたがもたらされる日用の糧も、心を養う御言葉の糧も、必要なとき、必要な仕方で備えられてきました。

 

足りない者には与える者が、失くした者には見つける者が、一人の者にはつながる者がもたらされます。どうか今、私自身も、あなたからいただくつながり、発見、恵みの数々を、共に分け合う者として、送り出してください。

 

主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

 *愛餐式を礼拝の中で行う場合は、ここに「献金」が入る。

 

【讃美歌】

讃美歌419番「さあ、共に生きよう」を歌いましょう。

(こちらも、作詞者・作曲者の権利に配慮して歌いませんが、『讃美歌21』をお持ちの方は、ぜひ、賛美に込められた応答の思いに心を合わせましょう。