ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『相変わらずだな』 コリントの信徒への手紙一3:1〜9

日曜礼拝 2020年8月23日


『相変わらずだな』日曜礼拝 2020年8月23日

 

 

招 詞

神に近づきなさい。そうすれば、神は近づいてくださいます。罪人たち、手を清めなさい。心の定まらない者たち、心を清めなさい。(ヤコブの手紙4:8)

 

讃美歌

讃美歌21の348番を歌いましょう。前後左右の人と十分に距離を取って、マスクをしたまま歌います。マスクをしておられない方は、受付で使い捨てマスクをお受け取りください。諸事情でマスクを外しておられる方は、飛沫感染を避けるため歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を味わいましょう。

 

お祈り

共に祈りを合わせましょう。

 

◆愛と力の源である私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて日曜日の礼拝に集まれたことを感謝致します。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、職場で、施設で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様、先週の日曜日の午後、私たちの教会のすぐ近くで、新型コロナに感染した人が数人おられることが分かりました。どうか今、感染した方の回復が導かれ、そばにいる方の心身が守られるように支えてください。

◆私たちの神様、この教会も、また幼稚園も、いつ誰が感染するか分かりませんが、その都度、誠実な対応ができるように導いてください。どうか今、極端な不安にも、極端な楽観にも陥らないように働きかけてください。

◆私たちの神様、熱中症や日射病、重い病気や重度の障がいを負っている方々もおられます。心に重荷を抱える人もいます。どうか今、一人一人に必要な助けが備えられ、癒しと変化がもたらされますように。

◆私たちに現れたイエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。コリントの信徒への手紙一3:1〜9(新共同訳より抜粋)

*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。

www.bible.or.jp

 

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esudroffによるPixabayからの画像

メッセージ

相変わらず子ども?

初代教会の一つであるコリントの教会は、いつも問題が絶えないようでした。宣教者パウロが様々な教会へ送った手紙の中でも、彼らには特に手厳しい言葉が続きます。実際、この教会はいくつものグループに分裂し、なかなか和解に至ることができず、妬みや争いが繰り返されていました。

 

現在でも、教会にいる信徒にとって、またそこで働く牧師にとって「内部で分裂する」という出来事は、最も恐れていることの一つです。ある人は牧師につき、ある人は副牧師につき、ある人は有力な役員につく……想像しただけで、ドロドロした展開が見えてきます。でもまあ、さほど珍しくない光景ですよね。

 

どの教会も、だいたい一度は経験します。そして、多くの人が傷つきます。結果的に、自分の支えていた人が出て行ったり、自分自身が悪者になったり、あるいは仲の良かった人たちと溝ができる。いったいどうすれば良かったんだろう? 私に何ができただろう? そんなモヤモヤが溜まる中、こういう姿の教会に対し、パウロはグサリと言い放つ。

 

「お互いの間にねたみや争いが絶えない以上、あなたがたは肉の人であり、ただの人として歩んでいる」……いや、分かっていますよ。こういう状況が信仰者として良くないことは。相手が間違っていると非難し合って、いがみ合っているのは正しくないと。でも、ちょっと言い過ぎじゃないですか?

 

パウロの物言いは、こちらが馬鹿にされた気分になります。「兄弟たち、わたしはあなたがたには、霊の人に対するように語ることができず、肉の人、つまり、キリストとの関係では乳飲み子である人々に対するように語りました」……自分から見て、あなたたちは信仰的に未熟だった、乳飲み子だった、と言ってくる。しかもこう続けます。

 

「わたしはあなたがたに乳を飲ませて、固い食物は与えませんでした。まだ固い物を口にすることができなかったからです。いや、今でもできません。相変わらず肉の人だから」……「乳を飲ませて」という表現は「キリスト教の初歩を教えた」ということを意味します。それ以上の深い話は、あなたたちにはできなかった。

 

あなたたちには理解できないから、あなたたちには受け入れられないから……それは今も変わっていない。今も出会った頃と変わらない、相変わらず子どものような人たちですね、と言われている。明らかに煽っていますよね?

 

正しい人に従いたい

確かに、コリントの教会は妬みや争いが絶えず、お世辞にも「良いメンバー」とは言えませんでした。教会の中で、いくつもの派閥ができるという俗っぽい状況に陥っていた……しかしそれは、教会の一人一人が「正しくありたい」と思って行動していった結果です。

 

コリントの教会は、様々な文化が入ってくる、海に接した町でした。外国の宗教や新しい生活スタイルが次々と入り込み、価値観が揺れ動く場所でもありました。その中で、彼らはキリスト者として正しい態度、正しい生活は何なのか探し求め、誰に従えばいいのか迷っていました。

 

ある人は「わたしはパウロにつく」と言いました。この手紙を書いた著者、キリスト教を世界に広めた第一人者、彼に従えば間違いない! そう思うのも当然でした。パウロから洗礼を受けた人も少なくなかったでしょう。まさに、自分たちを最初にキリスト教へ導いた、信仰の種を植えた人です。

 

一方、ある人は「わたしはアポロにつく」と言いました。アポロはパウロがコリントを去った後、教会の人々を教育してきた指導者です。コリント教会の現状をよく知っていて、みんなの「先生」である以上、この人に従えば間違いない! と思うのも自然なことでした。まさに、洗礼を受けた自分たちに信仰の水を注いだ人です。

 

パウロとアポロ本人は、「どっちが正しい」とか「どっちが間違っている」とかいう論争はしていなかったみたいですが、2人に教えられた人たちは、どちらをより正しいとするかで派閥を作っているようでした。前任牧師の言っていたことを前面に出してくる人と、後任牧師の言っていることを前面に出してくる人が言い争うようなものでしょう。

 

「パウロ先生はこう言っていた」「いやいや、アポロ先生はこう言っている」……そんな言葉が日常的にぶつかり合う。おそらく、どちらの言い分が正しいのか決着をつけたかったのでしょう。コリントの人々は偶像について、結婚について、いくつかの質問を先にパウロへ送っていました。

 

私たちの教団だって、彼らとよく似ています。聖餐について、贖罪について、聖書の解釈について、より正しいと思われる「先生」を探し、この人の言うことなら従っていて間違いないだろう……という「安全圏」を求めます。でも実は、真面目に言い合っているようで、本当に従うべきものから離れている。

 

見えないものに従う

パウロは、自分のことを「より正しい者」として「わたしはあなたにつく」と言ってくる人たちから先に質問を受け取りますが、逆にこう問い返します。「アポロとは何者か? また、パウロとは何者か?」

 

私と彼の間に優劣はなく、与えられた役割が違うに過ぎない。「より正しい人」とあなたが思っている相手、「従うべき人」とあなたが考えている相手より、大切な方がいるではないか?

 

それは、目に見えるパウロやアポロではありません。パウロが植え、アポロが水を注いだ彼らの信仰を、成長させてくださった方……2人を彼らに遣わした見えない神です。あなたたちは、安心して従うことのできる「正しい人」を求めているが、自分で考えることをやめていないか? 「正しい人」を見つけて、その言葉に従えばいいと思ってないか?

 

安易な服従を求める彼らに対し、パウロは敢えて「わたしはあなたにつく」と言いにくくなる言葉を向けます。「あなたがたは今でも固い物を口にすることができません」「相変わらず肉の人ですね」……私につこうがアポロにつこうが、あなたは自分を成長させてくださる方に目を向けない。私も彼も、この方のために力を合わせて働いているのに。

 

もしかしたら、牧師の中にも「私につくように」「こっちへつくように」と促す人がいるかもしれません。将来、私がそうなってしまったら、どうか注意してください。「一致のため」と言いながら、実は「成長させてくださる神」から離れた姿勢だからです。そして、この誘惑は私にも皆さんにも度々訪れます。

 

だからこそ、神様は様々な人を信徒に、役員に、牧師に遣わし、互いに種を蒔き、水を注ぎ、耕す役目を担わせます。意見がぶつかったり、食い違ったりすることを重ねながら「神様、どうすればいいんですか?」という問いや訴えを、一緒にしていく者へ変えられます。そうして、私たちは神の畑、神の建物として新しくなっていくんです。

 

まだまだ「相変わらず」かもしれませんが、私たちの間に働きかける方が、確かに今もおられます。共に力を合わせて働くとき、この方を見失わないように、安易な服従から抜け出しましょう。そして、本当に神に従う者となりましょう。

 

紹 介

本日、初めて教会に来られた方、久しぶりに来られた方で、紹介をご了承いただいた方のみ、受付の方と一緒にお立ちください。今日は( )名の方が来てくださいました。配信に乗らないようにお名前は後ほど紹介させていただきます。神様の平和が皆さんと共にありますように。

 

とりなし

共に、礼拝につながった者として、とりなしの務めを果たしましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

◆世界の国民と政府のために祈ります。主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

◆世界に広がる全ての教会のために祈ります。主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

◆教会員のために祈ります。主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

◆一緒に礼拝できなかった人のために祈ります。主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、一緒に礼拝できない人たちを、あなたが癒し回復してください。

◆身近な人のために祈ります。主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

◆幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

◆苦しんでいる人のために祈ります。主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

◆今も生きておられ、とりなしてくださる方、主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

主の祈り

共に、イエス・キリストが私たちに教えられた、最も基本的な祈りを祈りましょう。

主の祈り。

 

天にまします我らの父よ。

願わくは御名をあがめさせたまえ。

御国を来たらせたまえ。

みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を今日も与えたまえ。

我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。

我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。

国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。

アーメン。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。礼拝のライブ配信に参加されている方は、また後日、教会に来られたときにおささげください。

 

(*新来者が来られたとき)献金は神様の恵みに対する感謝の応答です。教会の維持や運営、地区や教区の働き、福祉や慈善活動への寄付に使われます。金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、受付で配られた袋をそのままお入れください。

 

讃美歌

オンライン讃美歌『あなたの内なる人を』(©柳本和良)を歌いましょう。先ほどと同じく、前後左右の人と十分に距離を取って、マスクをしたまま歌います。諸事情でマスクを外しておられる方は、飛沫感染を避けるため歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を味わいましょう。

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

平和のうちに、この世へと出て行きなさい。主なる神に仕え、隣人を愛し、主なる神を愛し、隣人に仕えなさい。

 

平和と、信仰を伴う愛が、父である神と主イエス・キリストから、兄弟(姉妹)たちにあるように。恵みが、変わらぬ愛をもってわたしたちの主イエス・キリストを愛する、すべての人と共にあるように。アーメン。(エフェソ6:23〜24)