ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『永遠の命が分からない』 ヨハネによる福音書5:21〜29

聖書研究祈祷会 2021年11月10日


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案 内

華陽教会では、マスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、聖書研究祈祷会も、配信と並行して開いています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

マスクをしたままで、讃美歌21の572番「主をあがめよ」を歌いましょう。諸事情でマスクを外している方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

 

◆全ての人の救い主である私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて聖書研究祈祷会を開くことができ、感謝致します。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を探している人を導いてください。

◆私たちの神様。日曜日には、召天者記念礼拝と、希望者の納骨式を無事に行うことができ、本当に感謝致します。どうか今、教会に集まれなかった遺族の方や友人たちも、あなたの希望と励ましを受け取ることができますように。

◆私たちの神様。今月末には、収穫感謝日を迎えます。あなたからいただいた多くの恵みに感謝して、今年も賛美をささげます。どうか今、食べ物や日常品に困っている人たちへ恵みがあまねく行き届くように、私たちの手を用いてください。

◆私たちの神様。だんだんと、クリスマスの準備をするアドヴェントも近づいています。感染症対策のため、幼稚園や学校も慎重に工夫しながら、子どもたちや学生と歩んでいます。どうか今、あなたを覚える全ての行事が、誠実に、安全に、進められますように。

◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。ヨハネによる福音書5:21〜29(新共同訳より抜粋)

*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。

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Blanka ŠejdováによるPixabayからの画像

メッセージ

今月の聖書研究は「永遠の命」と「死と復活」がテーマです。先週は「『信じる者は永遠の命を与えられる』と言われているけど、信じない者はどうなるの?」という疑問について触れてみました。今週は、「そもそも、神様が約束された『永遠の命』っていったい何なの?」ということに触れてみたいと思います。

 

永遠の命……映画やSFの世界では珍しくもない概念ですが、なかなか、この世界で、この体で、永遠に生き続けるって考えたら現実味がありません。何かしらの宗教を信じている場合、「永遠の命」という言葉を聞いたとき、ただ、この世で生き続けることをイメージする人は、ほとんどいないと思います。

 

最も想像しやすいのは、現実ではなく別の世界、「天国」や「神の国」と言われるところで、死んだあと魂が迎えられ、そこで永遠に生き続ける……というイメージだと思います。いわゆる「死後の世界で平和に暮らす」イメージですね。キリスト教を信じれば、死後の世界で滅ぼされずに、神の国で永遠に生き続けられる。

 

そう思って、教会の門を叩く人たちもいるでしょう。神様を信じる意味、イエス様を信じる意味は、死後の世界で、自分がどうなるか心配だから……という人が、圧倒的多数だと思います。この場合、「永遠の命」って、この世では関係ない話、死んだあと関わってくる話に聞こえます。

 

でも本来、キリスト教でいう「永遠の命が与えられる」って「死んだあと」の話ではないんです。「えっ!……じゃあ、この世で永遠に生き続けることを意味するの?」と言われたら、それも違いますが、神様が約束された永遠の命は、信じたその時から、死んで天国に行く前から、この世で生きているときから、もう与えられているものなんです。

 

そう、「永遠の命を受ける」というのは、単に「どこかで生き続けること」を意味するのではありません。これまでの生き方が変えられて、新しい生き方になって、神の国に入っていくことを意味します。新しい生き方というのは「死」という終わりに向かってではなく、「死」で決着のつかない変化と回復を期待できる生き方です。

 

ヨハネによる福音書では、イエス様がこのように言われています。「わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている」……まだ死んでいないのに、「死から命へ移っている」って変な言い方ですよね? 天国で言われるならともかく、イエス様が言ったのは地上です。

 

でも、放っておけば、私たちは死に向かって歩んでいきます。イエス様を見捨てた弟子たちも、イエス様を知らないと言ったペトロも、ずっと、イエス様の言うことに従えず、理解できず、信じられない生き方をし、取り返しのつかない失敗をして、ついに、やり直せないところへ行き着きます。自分が見捨てたイエス様の死です。

 

十字架にかけられたイエス様との関係は、もう回復できません。もう築き直すことはできません。本人に謝ることも、赦してもらうこともできません。挽回しようがなくなって、あとは、神様に裁かれるだけです。「うちの子を見捨てたな」「最後までついていかなかったな」と責められて、手遅れとされ、滅ぼされる。

 

ところが、神様はイエス様を復活させて、再び弟子たちに会わせます。死んで決着を迎えた関係に、新しい展開をもたらします。もう、何をやっても手遅れだった弟子たちに、もう一度、「あなたはわたしを愛しているか」「わたしに従いなさい」と語るんです。死ぬ前も、弟子たちが従えなかった呼びかけを、生き返ってからも繰り返すんです。

 

そう、イエス様は、自分の言葉を聞いた者に、信じるまで呼びかけ続け、変化と回復を得るまで付き合い続けます。イエス様の復活を見て、もう手遅れだったはずの弟子たちは、そこから、イエス様に従う者、イエス様の教えを守る者へ、行ったり来たりしながら変えられていきます。

 

永遠の命とは、あなたが傷ついたまま、あなたが苦しいまま、あなたが不完全なまま、終わらせることを善としない、神様の与える「始まり」です。新しい生き方の「始まり」です。どうせ、自分は変われない、理解できない、従えない……という弟子たちを、変えてしまった力です。

 

この教会のルーツである、メソジスト教会の創始者であったジョン・ウェスレーは、神様が不可能なことを、実現できないことを、私たちに命じるはずがない!……という信頼のもと、「キリスト者の完全」という姿勢を教えました。完全な人間なんて、私たちがなれるはずはない。だけど、神様は私たちを完全な姿へ導き続け、付き合い続ける方なんだ!

 

自分には修復できない誰かの傷も、その人が癒えるように、神様は私に付き合ってくれる。もはや手遅れになった誰かとの関係も、神様は終わったままになさらない。死んでなお、生き返って弟子たちと再会された神の子は、死によって隔てられた私たちの関係さえ変えてしまうことができる。間に立ってとりなされる。

 

生きている私たちに、残された私たちに、「あなたは手遅れだ」という終わりではなく、「神の国は近づいた」と宣言される。終わりだと思っていた、変えられないと思っていた結末が、これから先、まだまだ新しくなると宣言される。自分自身で生き方を、考え方を、歩み方を、変えることのできないあなたの命を、神様が付き添って、新しく変えられると宣言する。

 

その声は、イエス様のことを聞く前に亡くなった、死んだ人にさえ届きます。「はっきり言っておく。死んだ者が神の子の声を聞く時が来る。今やその時である。その声を聞いた者は生きる」……その声を聞いた者は、自ら応えるようになるまで、イエス様に語られ続けます。どんな人も、この方の言葉を聞いて、変えられて、命を受けます。

 

永遠の命とは、この世の人生に期待できない人たちが、死後の世界に期待するだけの物語ではないんです。あなた自身が変えられない、回復できないと思っている生き方を、今この時から、神様が新しく変えてくださる力なんです。死ぬまで多くの挫折や失敗をしながらも、イエス様の弟子たちが変えられ続けていったように、私たちも新しく変えられ続けていくんです。あなたが期待さえしてない姿に、あなた自身が変えられるまで。

 

もう一度、イエス様の語る言葉に耳を済ませましょう。あなたに言われた良い知らせを思い出しましょう。「はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている」

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(愛知県岡崎市の在日大韓基督教会岡崎教会)のために、死が迫っている人のために、近しい者を亡くした人のために、孤独を抱える人のために、祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆愛知県岡崎市の在日大韓基督教会岡崎教会のために祈ります。教会の近所への宣教が誠実に導かれ、教会員一人一人のつながりが豊かにされますように。コロナ禍で苦しんでいる人たちや、信徒の健康と信仰生活が守られますように。

◆死が迫っている人のために祈ります。老いや病によって、間もなく天へ召されようとしている人に、新しい命の希望と平安が与えられますように。一緒に居る人、残される人たちにも慰めと励ましがありますように。

◆近しい者を亡くした人のために祈ります。家族や友人、恩師や生徒を見送り、後悔や喪失感に苦しむ人へ、あなたの慈しみがありますように。神の国で、新しく再会する希望とその日まで生きていく喜びが、少しずつ、その人を満たしますように。

◆孤独を抱える人のために祈ります。自分自身や身内のことで、痛みや悲しみを共有することができない人に、あなたのお支えがありますように。怒りも、不安も、恐怖も、悲しみも、全て受けとめてきたあなたから、隣人となる人が遣わされますように。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをしたままで、オンライン賛美歌16番「苦難のはざまから」(©️柳本和良)を歌いましょう。

 

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主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。主の祈り。

天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。

 

報 告

本日も教会に集まって、配信を通して、聖書研究祈祷会にご参加くださり、ありがとうございます。先週の聖書研究祈祷会は、出席3名、配信2名、計5名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

配信はここまでですが、この後2時半まで、希望する参加者が質問したり、祈ってほしいことを分かち合える時間を持ちたいと思います。時間のある方はぜひ、ご参加ください。また日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。