ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『とりなしなんてできません!』 ヨナ書3:1〜4:4

聖書研究祈祷会 2022年2月23日


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案 内

華陽教会では、岐阜県の医療提供体制を踏まえて、会堂に集まる集会を休止し、配信等による在宅聖研を行っています。共に今、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

マスクをしたままで讃美歌21の160番「深き悩みより」1、3、4、5節を歌いましょう。讃美歌21をお持ちでない方はそのままお聞きいただき、心で賛美をささげましょう。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

 

◆愛と平和の源である、私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、水曜日の聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝致します。どうか今、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を求めている人を導いてください。

◆私たちの神様。全国の教会で、礼拝に集まることができない人たちに、あなたの慈しみがありますように。どうか今、離れている人も、近くにいる人も、共に、あなたの言葉を受け取ることができるように、私たちを互いに用いてください。

◆私たちの神様。ミャンマー、香港、台湾、ウクライナ、ウイグル自治区、他にも様々なところで、弾圧や迫害、紛争や混乱が続いています。どうか今、全ての命と自由が守られて、平和的な解決がもたらされますように導いてください。

◆私たちの神様。岐阜県では、相変わらず、新規感染者数が1000人を超える日が出ています。どうか今、感染された方とその家族、保健所や病院の医療従事者が守られ、癒やされ、支えられるように、私たちを助け合わせてください。

◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。ヨナ書3:1〜4:4(新共同訳より抜粋)

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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Sasin TipchaiによるPixabayからの画像

メッセージ

華陽教会の礼拝では、メッセージの後、新来者を紹介してから「とりなし」という祈りを会衆一同で行います。初めて、うちの礼拝プログラムを見た人から、よく「この『とりなし』って何ですか?」と質問されます。とりなしというのは、一言でいうと「誰かのために、神様へ祈る」という行為です。

 

困っている人が助けてもらえますように、苦しんでいる人が癒されますように、過ちを犯した人が赦されて、新しい生き方ができますように……そういった、誰かの赦しや回復を願う祈りを「とりなし」と言います。華陽教会では、聖書の言葉を聞いて、メッセージを受け取った後、神様の恵みに対する感謝の応答として、これを行っています。

 

「誰かのために祈る」というのは、イエス様から信仰者に託された、大切な使命です。主君から憐れみを受け、借金を帳消しにされた家来が、自分も金を貸した仲間に、憐れみをかけることが求められるように、私たちも憐れみを受けた者として、周りの者をとりなすことが求められます。

 

でも、「この人のために祈りたくはないな」「この人が赦されるように願うことはできないな」ということが、往々にしてあると思います。たとえば、華陽教会で行っているとりなしの祈りには、「世界の国民と政府のために」という一文が出てきます。ここでは「世界の国民」と祈っていますが、具体的な国民の名が挙げられていたらどうでしょう?

 

韓国、中国、北朝鮮……どこの国でも、隣の国と仲良くするのは難しいですが、私たちの国でも、隣の国の人たちに良い感情を持てないことが多々あります。もちろん、その国の人たちみんなが悪いとは思ってないけれど、その国の名前を挙げて祈ることは、ちょっと抵抗がある……という人も、私の周りに少なくありません。

 

また、国民のためには祈れても、政府のために祈ることは、かなり抵抗のある人が多いんじゃないでしょうか? 汚職や不正、改ざんや弾圧、それらのニュースを毎日見ながら政治家のため、官僚のために祈ることは、私にも正直難しいです。彼らの良心や勇気が強められることよりも、相応の罰や報いを受けるように求めたくなってしまいます。

 

身近な人のために祈るときもそうです。どこかの知らない国の貧しい子どものためなら祈れるけれど、関係にヒビの入った家族のために、絶賛喧嘩中の友のために、トラブルを引き起こした隣人のために祈ることは、うんと難しくなります。教会の中でさえ、隣の人のために祈ることが難しいことも珍しくありません。

 

それは、聖書の中に出てくる特別な使命を与えられた人、使徒や預言者も同じでした。彼らは、罪を繰り返す人々が、悔い改めて赦されるように、滅びを免れるように、神様から遣わされ、とりなす使命を与えられます。神様の言葉を伝え、みんなが新しい生き方へ変わっていくように、救われるように、促すことが求められます。

 

ところが、預言者の一人であったヨナは、その命令を拒否します。なぜなら、神様が遣わそうとしていたのは、イスラエル人のヨナにとって天敵である、ニネベの街の住人だったからです。ニネベというのは、北王国イスラエルを滅ぼしたアッシリアの都市で、まさに忌むべき外国人、天罰が降ってほしい敵の民でした。

 

その街のために、悔い改めを促す、神様の言葉を伝える、救いを求めて行動するって、ヨナには耐え難いことでした。神様の命令に反して、真逆の方向であるタルシシュへ逃げようとします。ところが、神様は嵐を起こしてヨナの乗っている船を止め、彼を大きな魚に飲み込ませて三日三晩閉じ込めます。

 

反省し、嵐から救われたヨナは、今度は命令に従って、ニネベの人々へ、神様の言葉を伝えます。「あと四十日すれば、ニネベの都は滅びる」……すると、住人たちは、あっさり彼の言葉を信じ、神様が思い直して怒りを静め、滅ぼさないでくれるように、断食して、悔い改めの姿勢を見せます。

 

歴史上、人々に悔い改めを促す預言者の言葉が、ここまで行き渡り、人々の行動を変化させたのは初めてのことでした。しかも、神様はそれを見て、本当に災いを思い直し、ニネベの人たちを赦します。神様の言葉を伝えて、人々を悔い改めさせ、滅びを免れるようにとりなしていく……という預言者の使命を、ヨナは見事に果たします。

 

ところが、彼はこの結果に不服です。神様に向かって「わたしには、こうなることが分かっていました。あなたは、恵みと憐れみの神であり、忍耐深く、慈しみに富み、災いをくだそうとしても思い直される方です。主よどうか今、わたしの命を取ってください。生きているよりも死ぬ方がましです」と訴えます。

 

忍耐深く、慈しみに富み、災いをくだそうとしても思い直される……って、本来はありがたいことですよね? イスラエルの人たちも、神様の恵みと憐れみを常に求めてきました。ところが、いざそれが、自分たちの憎んでいる相手に示されると、皮肉たっぷりに「こんな結果は見たくなかった」と言うんです。

 

自分も、神様の言葉に反して真逆の方向へ逃げ出していたのに、そこから嵐の海へ投げ出され、魚に呑み込まれて救われたのに、同じように過ちを犯した人々が救われることを喜べない、滅びを免れるように願えない……誰かのために「とりなす」って、預言者にも難しいことでした。

 

でも、不思議なことに、ヨナは自分でも望んでいなかったのに、ニネベの人たちを悔い改めさせ、救いをもたらすとりなしの業に寄与します。心から、彼らのためを思っていたとは言えません。聖人のような清い心で、人々をとりなしたわけではありません。むしろ嫌々ながら、神様に文句を言いながら、ニネベの人たちに語りました。

 

非常に格好悪い姿ですが、実は、預言者の中で唯一、人々を悪の道から離れさせ、滅びを免れさせるという使命を、完璧に果たした人物です。意外ですよね? 人格者とは言い難い、人間臭い預言者が、しぶしぶ行動していた人物が、ちゃんと、神様に与えられた使命を果たしている。

 

皆さんも、心からその人のために祈れなければ、とりなしとは言えないと感じているかもしれません。嫌悪している相手、憎んでいる相手、付き合いたくない相手のために、心から祈ることは、私にもできません。それでも、私たちの不完全なとりなしは、神様によって完成されます。私たちが願える限界を超えて、神様は現実に働きかけます。

 

この人のために心から祈れない……あの人のために本気でとりなせない……そんな私たちを、神様は切り捨てる方はではありません。憐れみを取り上げる方でもありません。私たちを追いかけて、助けて、とりなしに加わらせ、共に救いへあずからせます。互いにとりなす仲間として、神様の業に参加しましょう。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(山梨県甲府市の山梨教会)のために、病気の人のために、障がい者の人のために、介護者のために、祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆山梨県甲府市の山梨教会のために祈ります。高齢の信徒や礼拝に出席できなくなった人たちに、あなたの恵みがありますように。それぞれの信仰生活が支えられ、新たに良い知らせを受け取る人が広がっていきますように。

◆病気の人のために祈ります。治療が思うように進まない人、リハビリがなかなかできない人、痛みに苦しんでいる人に、あなたの助けがありますように。それぞれに必要な癒しと回復が導かれ、新しい日常を手に入れることができますように。

◆障がい者の人のために祈ります。身体障がい者も、精神障がい者も、発達障がい者も、生きやすい世の中が実現しますように。適切な理解とサポートが広がって、あなたの祝福をみんなが受け取れますように。

◆介護者のために祈ります。家族や身内、職場の利用者のために、日々、ケアや介助をしている人たちに、あなたの慈しみがありますように。困っている人と同様に、手を差し伸べる人も、心と体が守られて、必要なケアを受けられますように。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをしたままで、オンライン賛美歌11番「どうか平和の主が」(©️柳本和良)を歌いましょう。

 

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主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。主の祈り。

 

主の祈り93-5A

天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。

 

日本聖公会/ローマ・カトリック教会共通口語訳

天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。アーメン。

 

報 告

本日も、配信を通して聖書研究祈祷会にご参加くださり、ありがとうございます。先週の在宅聖研祈祷会は、配信奉仕者2名、同時に視聴された4名、計6名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

来週の水曜日も配信等による在宅聖研を行います。教会に集まる集会の再開は「まん延防止等重点措置」の解除を目安に、2週間毎に検討し、教会員への連絡網とホームページ等でお知らせします。また日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。