ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『神に正しく裁かれる?』 ローマの信徒への手紙6:15〜23

聖書研究祈祷会 2022年3月9日


www.youtube.com

 

案 内

華陽教会では、岐阜県の医療提供体制を踏まえて、会堂に集まる集会を休止し、配信等による在宅聖研を行っています。共に今、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

マスクをしたままで讃美歌21の440番「備えて祈れ」を歌いましょう。讃美歌21をお持ちでない方はそのままお聞きいただき、心で賛美をささげましょう。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

 

◆愛と平和の源である、私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、水曜日の在宅聖研祈祷会を始めることができ、感謝致します。どうか今、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を求めている人を導いてください。

◆私たちの神様。キエフで激化している砲撃が止み、市民の避難が進められ、停戦に向けて誠実な交渉が進められるよう、ロシアとウクライナ、世界各国を導いてください。どうか今、新たな犠牲が出ないようにしてください。

◆私たちの神様。身近な人たちが次々と新型コロナに感染し、未だ多くの人が自宅療養を余儀なくされています。特に、子どもたちや高齢者の感染が深刻です。どうか今、一人一人の回復と安全を導いてください。

◆私たちの神様。何とか教会に集まる礼拝を再開できないかと、みんなで真剣に考えましたが、私たちにはまだ、知恵と力が足りませんでした。引き続き、在宅礼拝を延長することになりましたが、ここに集まれない、あの人もこの人も助けてください。

◆私たちの隣に居られる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。ローマの信徒への手紙6:15〜23(新共同訳より抜粋)

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

www.bible.or.jp

f:id:bokushiblog:20220309092121j:plain

David MarkによるPixabayからの画像

メッセージ

かつて、宣教者パウロはローマの教会の人たちへこんな言葉を送りました。「あなたがたは、かつては罪の奴隷でしたが、今は伝えられた教えの規範を受け入れ、それに心から従うようになり、罪から解放され、義に仕えるようになりました」……この言葉に、どれくらいの人が頷いたのか、正直、私は疑問です。

 

キリスト教を信じる前は、法律に違反しなければ、良心の咎めることもやっていた……困っている人を無視したり、嫌われ者を排除したり、悪口や嘘もついていた……だけど、キリスト教を信じてからは、イエス様の教えを心から受け入れ、思いやりに満ちた、誠実な生き方になっている……そんなこと言える人は、あんまりいないと思います。

 

教会に来ている人は、神様を信じている人は、それまで犯してきた罪を赦され、新しい自分になって、善人として生きている……過ちを犯さないように、気をつけて暮らせている……罪を犯してしまう奴隷ではなく、神様に仕える清い存在になっている……そういう綺麗な状態じゃないことは、信仰生活を送っている、多くの人が感じています。

 

結局、洗礼を受けてからも、以前と変わらない過ちを犯したり、寛容になれなかったり、嘘や悪口を言ってしまう。仲良くできない人がたくさんいて、綺麗な生き方とは、ちょっと言えない日々を過ごしている。正しいことよりも保身のため、聖書の教えより周りの空気に従っている。そんな自分を思い出す中、パウロの言葉が刺さってくる。

 

「あなたがたは、かつては罪の奴隷でした」……いいえ、パウロさん。実は今も、罪の奴隷のままなんです。正しいとは言えない生き方をしているんです。「敵を愛せ」とか「七の七十倍までゆるせ」とか、イエス様の教え、けっこう受け入れられません……反抗しちゃうんです。心から神様に従って、義に仕えているなんて、私にはとても言えません。

 

ところが、パウロは容赦無く言葉を続けます。「あなたがたは、今は罪から解放されて神の奴隷となり、聖なる生活の実を結んでいます」……たぶん、よほどナルシストでなければ、自分が「聖なる生活の実を結んでいる」なんて、頷くことができないでしょう。「もうやめてください!」「そんな綺麗な生活していませんって!」と赤くなって叫ぶでしょう。

 

けれど、残酷な言葉はまだ続きます。聖なる生活の実を結んだ信仰者は、「永遠の命」に行き着くけれど、過ちを繰り返す罪の奴隷が行き着くところは、「死」にほかならない……人によっては冷ややかな響きを感じます。「大丈夫、あなたは聖なる者だから心配ない。まっ、罪に囚われたままだったら死んじゃうけど、別にそんなことないよね……?」と。

 

こんなふうに、聖書には繰り返し、神様を信じてイエス様に従う人と、信じることも従うこともできない人の行く末が描かれます。正しいもの、義に仕える人は「永遠の命」を受けるけれど、間違ったもの、罪に仕える人は「死」に引き渡される。あなたは今どっちにいるか……? 居心地の悪くなる問いかけが、何度も、何度も出てきます。

 

もし、神に正しく裁かれるなら、たぶん洗礼を受けていても、私は神の国には入れてもらえず、「死」に引き渡されてしまう……「永遠の命」を受ける資格を認められず、信じていない人、従っていない人と同じように、裁きを受けてしまう……そのように感じる方が自然だと思います。

 

だって、手紙のあちこちに出てくる教えや戒め、ほとんど守れていませんし、そのとおりにできる人なんて、それこそ聖人クラスです。イエス様の最も近くにいた12使徒さえ、言われたことを素直に受け入れ、従えていたとは言えません。そもそも、弟子たちや教会の人たちが、「聖なる生活の実を結んでいる」「罪から解放されている」と言われること自体、正しいことなのか疑われます。

 

正しくないですよね? 実態は違いますよね? 「あなたたちはもう罪の奴隷じゃない」って言われているけど、今も嫉妬や憎しみや嫌悪に囚われ、色々まずいことをやっちゃっています。それなのに、明らかに「言い過ぎです!」と叫びたくなる表現で、私たちのことを呼んできます。過大評価に思える言葉をかけてきます。

 

それは、神様が信じ切っているからです。イエス様が疑っていないからです。弟子たちが、教会が、聖なる生活の実を結ぶことを。罪から解放されることを。もう既に、そういう歩みが始まっていることを。「神様を信じたい」「イエス様に従いたい」と思っても、行ったり来たりし続けて、揺れ動いている私たちを、誰よりも信頼しているからです。

 

あなたはもう聖なる者、神の家族で、キリストの友で、必ず神の国に迎えられる。だから、その自覚を持ちなさい。あなたは正しく裁かれる。罪の奴隷から解放され、神に仕える者となり、色んなことに気づかされ、新しい自分へ変わっていく。あなたは正しく裁かれて、正しく神の民となり、卑下する必要のない者となる。

 

こんな夢みたいなことを宣言しているのが、今読んでいる言葉なんです。「神の裁き」って聞くと恐ろしく感じますが、「神に正しく裁かれる」って、私たちが神の国へ入るのに、永遠の命を受けるのに、必要なことを全て済まされるということなんです。あなたの悪さに目をつぶるとか、そんな次元じゃないんです。

 

あなたから非の打ちどころを無くされるのが神様です。そんなこと無理だろ……って言いたくなることをやってのけるのが、死を超えて復活された、死者を甦らせたイエス様なんです。私たちが期待さえしていない、新しい自分をもたらして、迎えてくださるのがこの方なんです……だから、あなたも自分を見捨てずに、神に仕える者となりなさい。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(静岡県熱海市の熱海教会)のために、ウクライナのために、のために、難民のために、オーバーステイの方々のために、祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆静岡県熱海市の熱海教会のために祈ります。伊豆山土砂災害で亡くなられた教会員とご家族の上に、あなたの憐れみがありますように。残された人たちに慰めがもたらされ、被災地の復興と新しい希望が広がっていきますように。

◆ウクライナのために祈ります。停戦への取り組みが何とか身を結びますように。ウクライナにも、ロシアにも、これ以上犠牲が出ませんように。特に、身を守る術を持たない人たちにあなたのお守りがありますように。

◆難民のために祈ります。イラク、パキスタン、アフガニスタン、シリア、ミャンマー、南スーダンなど、様々なところから避難してきた人たちに、あなたの慈しみがありますように。難民申請が適切に承認されますように。

◆オーバーステイの方々のために祈ります。様々な事情で在留期限が切れてしまった人たちに、あなたのお支えがありますように。一人一人の事情と背景が考慮され、必要なサポートが受けられますように。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをしたままで、オンライン賛美歌16番「苦難のはざまから」(©️柳本和良)を歌いましょう。

 

f:id:bokushiblog:20220302094006p:plain

 

主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。主の祈り。

 

主の祈り93-5A

天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。


日本聖公会/ローマ・カトリック教会共通口語訳

天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。アーメン。

 

報 告

本日も、配信を通して聖書研究祈祷会にご参加くださり、ありがとうございます。先週の在宅聖研祈祷会は、配信奉仕者3名、同時に視聴された4名、計7名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

教会に集まる集会の再開は、先日の役員会にて、みんなで検討した結果、引き続き21日まで延期することになりました。この後、教会員への連絡網と文書の郵送、ホームページや各種SNSにてアナウンスをさせていただきます。

 

医療提供体制がひっ迫しているこの期間、何とか集まる方法はないかと、アンケートやコメントを通して知恵を絞ってくださった方、色々な情報を集めて、検討してくださった役員、教会会計を心配して献金を届けてくださった皆さん、本当にありがとうございます。

 

賛美歌の制限や人数の分散、時間の短縮など、今できる様々な方法を検討しましたが、4千人以上の自宅療養者がいる現状や、幼稚園、学校、施設における感染動向を再確認し、会衆とその家族、幼稚園や近隣の安全を確保するのが極めて難しいという判断になりました。

 

もうしばらく、配信等による在宅礼拝が続きますが、随時、再開できる方法はないか検討していきます。少しでも早くその日が来るように、どうか一緒に、お祈りいただけると嬉しいです。また日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。