ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『神が定めた律法なのに』 使徒言行録10:24〜33

聖書研究祈祷会 2023年1月11日


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案 内

華陽教会では、マスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、聖書研究祈祷会を配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

マスクをしたままで、讃美歌21の240番「主イェスは近いと」を歌います。諸事情でマスクを外している方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

◆全てのものを新しくする、私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝いたします。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を求めている人を導いてください。

◆私たちの神様。2023年に入って、最初の聖書研究祈祷会を迎えました。去年一年間、最初から最後まで、あなたがこの会を導いてくださったことを感謝致します。どうか今、新しくスタートした今年の聖書研究祈祷会も、最後まで共に導いてください。

◆私たちの神様。明日には、芽含幼稚園の餅つき大会が行われます。今年も、感染症対策のため、様々な工夫を凝らして、先生や保護者が安全に配慮しています。どうか今、こどもたちの健康を守り、豊かな経験と楽しさが得られるように導いてください。

◆私たちの神様。怪我をしたり、病気になったり、心と体の調子を崩した人たちを助けてください。特に、教会に来たくても来られない人、行きたいという気持ちさえ削がれている人たちを顧み、回復へと導いてください。

◆全てのものを癒される主、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。使徒言行録10:24〜33の新共同訳と聖書協会共同訳を朗読します。

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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succoによるPixabayからの画像

メッセージ

聖書には、神様から人々へ、ある掟が厳しく命じられる一方で、神ご自身が、その掟と相反するようなことを教えたり、矛盾するようなことを命じたりする場面が、度々見られます。その最たるものが、去年の最後に、この会で読んだところと、今回新しく読んだ続きの箇所に出てきました。

 

前回は、神ご自身が「食べるな」と命じていたはずの「汚れた物」を、神ご自身が「食べなさい」とペトロに向かって命じるシーン。今回は、神ご自身が「交際するな」と命じていたはずの人たちを、神ご自身がペトロと引き合わせるシーンです。いったいどんな人たちが、神様から交際するなと命じられていたか、当然誰もが気になります。

 

しかし、ペトロが異邦人のコルネリウスに語った言葉は、現代の私たちからすると、「神様がそんなこと命じたの?」と驚くような内容です。「ご承知のとおり、ユダヤ人が外国人と交際したり、訪問したりすることは、許されていません」……いわゆる外国人差別、民族主義的な態度として取られるような発言です。

 

しかし、それは神様が命じたものとして知られていました。どこにそんなこと書かれているのか、改めて確認してみると、旧約聖書のあちこちに出てくることが分かります。たとえば、出エジプト記34章12節では、神様がイスラエル人に対して次のように命じていました。

 

「よく注意して、あなたがこれから入って行く土地の住民と契約を結ばないようにしなさい。それがあなたの間で罠とならないためである」……ここで言う「罠」とは、イスラエル人が婚姻関係を結んだ異民族の宗教を信じてしまい、他の神々を拝むようになることです。

 

申命記7章でも、こう言われています。「彼らと協定を結んではならず、彼らを憐れんではならない」「彼らと縁組みをし、あなたの娘をその息子に嫁がせたり、娘をあなたの息子の嫁に迎えたりしてはならない」……ここでも、イスラエル人が異民族と関係を結ぶことで、人々が他の神々に仕えるようになることが警告されています。

 

さらに、エズラ記10章では、預言者から人々に向かって「今、先祖の神なる主の前で罪を告白し、主の御旨を行い、この地の民からも、異民族の嫁からも離れなさい」と命じられます。そして、実際に、この命令を受けたイズラエル人たちは、自分たちが娶った異民族の女性を離縁し、彼女たちから生まれた子どもと一緒に、追放してしまうんです。

 

いずれの場合も、異民族の方からイスラエル人へ強制的に婚姻を迫ったり、強制的に改宗を迫ったりする様子は描かれません。むしろ、異民族とイスラエル人の婚姻は自然に進み、あるとき、イスラエル人の方から一方的に婚姻関係を解消するという暴力的な側面が見えてきます。

 

離縁された女性や親から捨てられた子どもたちが保護を受けるなんて難しかった時代、どう見ても理不尽で身勝手な行為に感じます。エズラ記では、これらを実行した人が、神の言葉を忠実に守った人たちのように記されますが、本当にそれでいいのか、疑問に思わずにはいられません。

 

事実、預言者エズラの言葉を受けて、イスラエル人から離縁された女性たちと追放された子どもたちは、寡婦ではなかったのに寡婦となり、孤児ではなかったのに孤児とされ、社会的弱者の立場に追いやられてしまいます。一方で、これらの言葉が記される出エジプト記や申命記には、同じ神から与えられた掟として、このような言葉が記されています。

 

「寡婦や孤児はすべて苦しめてはならない」「町の中にいる寄留者、孤児、寡婦がそれを食べて満ち足りることができるようにしなさい」「寄留者や孤児の権利をゆがめてはならない」「畑で穀物を刈り入れるとき、一束畑に忘れても、取りに戻ってはならない。それは寄留者、孤児、寡婦のものとしなさい」

 

矛盾していますよね? よく考えたら、預言者の言葉どおり、異民族の血が混じった人を全員排除するなら、モアブ人のルツとイスラエル人のボアズの家系に生まれてきたイエス・キリストも、イスラエルから追放されます。神の言葉に従うつもりで、神の子を追放するのと同じ態度を、人々は簡単に取れてしまうんです。

 

これを見るだけでも、聖書に書かれていることを、聖書で言われていることを、そのまま守ればいい、そのまま実行すればいい……というものではないことが、よく分かると思います。しかし、それぞれの記述から自分に都合の良いものを切り出して、「神が定めた掟だから」「神の命令だから」と力を振りかざす人もいます。

 

しかし、神様が望んでいるのは、書かれていること、言われていることを、何も考えず実行することではないようです。ペトロは、神が定めた律法なのに、その律法をただ文字通り守るだけでは、神様の意志から離れてしまうことを示されます。「神はわたしに、どんな人をも清くない者とか、汚れている者とか言ってはならないと、お示しになりました」

 

彼の言葉は、聖書に書かれていることを、神から与えられた掟を、迷わず、悩まず、葛藤せず、守るだけでは、受け取ることのできないメッセージでした。神様は、自分の命じたことをロボットのように実行するよう、私たちに求めているのではありません。どうして? 何で? 本当に? と迷いながら、新しい生き方に至ることを求めています。

 

新しい年も、たくさんの教えとぶつかりながら、神の言葉に悩みながら、友として、母として、子として、父として、私たちに接してくださる神様のメッセージに、触れていきたいと思います。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(群馬県吾妻郡の吾妻教会)のために、病気のある人のために、障害のある人のために、依存症のある人のために、祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆群馬県吾妻郡の吾妻教会のために祈ります。この数年で、つながりの薄れてきた地域の人と交流の機会が与えられますように。教会員一人一人が、豊かな希望と励ましを受け、神様の愛を伝えていくことができますように。

◆病気のある人のために祈ります。新型コロナをはじめとする感染症やその後遺症、慢性的な病気と付き合っている人たちに、あなたの慰めがありますように。それぞれの心と体と魂に、あなたの力が注がれて、癒しと回復が導かれますように。

◆障害のある人のために祈ります。先天的な障害や事故や病気による後遺症によって、苦しんでいる人たちに、あなたの慈しみがありますように。本人と周りに適切な理解と環境がもたらされ、生きやすさと楽しみが得られますように。

◆依存症のある人のために祈ります。薬物依存、アルコール依存、性依存など、様々な依存症を抱えている人たちに、あなたの支えがありますように。一緒に向き合う仲間と出会い、少しずつ自分を回復し、新しい生活を得られますように。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをしたままで、オンライン賛美歌9番「たくさん悩んでみたけれど」(©️柳本和良)を歌います。

 

 

主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の4頁にも掲載しています。主の祈り……

 

 

報 告

本日も、教会に集まって、また配信を通して、聖書研究祈祷会にご参加くださり、ありがとうございます。12月21日から葬儀や牧師休暇のため、しばらくお休みしていましたが、今日から聖書研究祈祷会を再開しています。

 

配信終了後、時間のある方は14:30まで、聖研の質問や感想、キリスト教について気になっていることなど自由に聞ける第二部「分かち合い」の時を開きます。人前でお祈りするのを遠慮したい方は、飛ばしてもらうこともできます。よかったらぜひご参加ください。

 

なお、華陽教会では、水曜日13時半からの聖書研究祈祷会と、日曜日9時15分からの教会学校こども礼拝は、平均5名前後の出席であるため、感染症対策をした上で、誰でも集まれるようにしています。

 

日曜日10時半からの主日礼拝は、奉仕者6〜7名、教会員3〜4名、新来者1〜4名に調整して、10名前後で集まれるようにしています。普段、華陽教会に来ている信徒、客員、求道者の方は、2月までの出席希望日をお伝えいただき、牧師が調整しています。

 

初めて礼拝に来る方や、2ヶ月以上出席できなかった方は、問い合わせなしで参加できるようにしています。配信も続けて行っているので、今年も皆さん、どうぞよろしくお願いします。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。