ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『聖書における植物の比喩』マタイによる福音書13:10〜17

聖書研究祈祷会 2025年6月4日


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案 内

華陽教会では、讃美歌委員会と日本聖書協会の著作物使用許諾を得て、聖書研究祈祷会を配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

讃美歌21のの6番「つくりぬしを賛美します」を歌いしょう。最後の「アーメン」は、つけずに歌います。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

◆世界を創造し完成される神様。今日もまた、あなたによって守られて、聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝致します。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を求めている人に、祝福がありますように。

◆私たちの神様。先日の日曜日は、一週早く花の日こどもの日の礼拝を行うことができ感謝致します。教会学校では幼児子ども祝福式を、日曜礼拝では愛餐式を通して、あなたの祝福を分かち合うことができました。どうか、これからも皆で恵みを分け合えますように。

◆私たちの神様。来週の日曜日は、イエス様の弟子たちが天から聖霊を受けたことを記念するペンテコステの礼拝です。教会が世界中に作られていく、最初の出来事を振り返ります。どうか今、この時が豊かに用いられ、私たちも新しく出発することができますように。

◆私たちの神様。今度の日曜日は、礼拝の中で洗礼式も行われます。新しく、信徒の群れに加えられる姉妹の上に、あなたの聖霊が豊かに注がれますように。仲間を迎える私たちも、新しい風と力を受けて、一緒に変わっていくことができますように。

◆全ての者を新たにされる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。マタイによる福音書13:10〜17の新共同訳を朗読します。会衆席にある新約聖書24頁です。

 

同じく、マタイによる福音書13:10〜17の聖書協会共同訳を朗読します。新しい翻訳の新約聖書24頁です。お持ちでない方は、新共同訳と読み比べながらお聞きください。

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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Alfons LandsmannによるPixabayからの画像

メッセージ

 今年度の聖書研究祈祷会は「信仰継承を考える」という華陽教会の年間主題に沿って、「カルトの教えとキリスト教」というテーマで聖書を読むときの注意点について共有しています。今回は「聖書における植物の比喩」というトピックについて、たとえを用いる理由が出てくるマタイによる福音書13:10〜17に焦点を当てて話していこうと思います。

 聖書の中には、様々な比喩やたとえ話が出てきます。キリスト教系の破壊的カルトは、それらの記述を利用して、「聖書の秘密は比喩で隠され、封印されている」「比喩で封印された聖書の秘密を解く鍵は、特別な者だけに与えられている」「秘密の教えを知ることができるように、比喩の解き方を正しく教えられるのは、私たちの先生だけだ」と主張します。

 そして、一部の団体は「2千年前に、この世へ遣わされた神の子イエス・キリストが、旧約聖書の比喩やたとえの封印を解き、神の国の秘密を教えてくださった」「しかし、イエス様は3年半で十字架にかかって殺されたため、全ての秘密を人々に伝え切ることはできなかった」と言い、まだ語られてない秘密の教えを解くためには、新たに遣わされた存在である、自分たちの先生から話を聞かなければならない……と刷り込んでいきます。

 また、マタイによる福音書13章10節以下で、「なぜ、あの人たちにはたとえを用いてお話しなるのですか?」と弟子たちが聞いているように、イエス様も「神の国」「天の国」の秘密について、たとえを用いて語られました。一部のカルト団体では、この比喩やたとえを聞いて、その意味が悟れるか悟れないかで、救いに至るか、天国に行けるかどうかが決まってしまう……とも教えてきます。

 けれども、イエス様のたとえ話を聞いて、イエス様の弟子たちが、その意味を悟ることができたのかというと、ほとんど悟れていませんでした。最初に話された「種を蒔く人」のたとえ話や、その次に話された「毒麦」のたとえ話について、弟子たちが、イエス様の説明なしに、その意味を悟った様子はありません。

 マタイによる福音書13章36節には、群衆が帰ったあとで、弟子たちがそばに寄ってきて、「畑の毒麦のたとえを説明してください」とはっきりお願いしているため、イエス様を信じて従っていた弟子たちも、その意味を、自分では悟ることができなかったと分かります。

 だからと言って、たとえの意味を悟れなかった弟子たちが、救いにあずかれなかった、「神の国」「天の国」に入ることをゆるされなかったと考える人は、おそらくいないと思います。弟子たちは、たとえの意味が分からなかった群衆を代表し、「先生、さっきのたとえはどういう意味ですか?」「このたとえについて説明してください」と要求してきました。

 イエス様はそれに対し、「悟れない者は救われない」などと言って、突き放すことはなさいません。群衆と同様、教えを聞いても理解せず、奇跡を見ても認めない姿は、弟子たちの中にもありましたが、イエス様は、彼らが「聞いて」理解するまで、「見て」認められるまで、遠くなった耳や、閉じてしまった目を開こうと、彼らに語り続けました。

 比喩やたとえの意味が分かるかどうかが、天国へ行けるかどうかの切符や鍵になっている……そう思わせる人たちもおりますが、大切なのは、「見ても見ず、聞いても聞かず、理解できない」弟子たちに、十字架にかかるまで付き合い続け、殺されたあとも甦り、「信じない者ではなく信じる者に」「見ないで信じる者となるように」導き続けてくださった、イエス様への信頼です。

 「テストに合格したら、救いを与えてくれる方」ではなく「救いが与えられるまで、どこまでも付き合い続けてくださる方」が、たとえを聞いても悟らない者たちに、教えを語り続けてくださった、イエス様なんです。そして、イエス様の語ったたとえ話は、何か、一つの正しい読み方が答えとして与えられているわけではありません。

 たとえば、ヨハネによる福音書15章では、イエス様がご自身を「ぶどうの木」にたとえて、「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である」「わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる」と語るシーンが出てきます。これを聞いて、神様を信じていても、成果を出せない、清い生活ができない者は、地獄の火に投げ込まれてしまう……と恐れる人がいるかもしれません。

 一方で、ルカによる福音書13章では、「実のならないいちじく」のたとえが語られており、3年もの間、実をつけなかったにもかかわらず、その木の周りを掘って、肥やしを埋めて、来年には実をつけるように、何とか畑から取り除かれないように奮闘する、園庭の話が出てきます。

 イエス様の弟子たちも、3年もの間、イエス様と一緒に居たにもかかわらず、イエス様の言うことが度々理解できず、「イエス様が十字架にかかって死に3日目に復活する」という予告を信じて受け入れることができず、イエス様が甦ってなお、疑う姿を見せていました。本来なら、実のならないいちじくの木に、実がついたかどうかを確かめる3年目に実をつけることができなかった、絶望的な姿を見せていました。

 しかし、イエス様は信じない弟子たちを切り捨てず、信じることができるように、自分の手足の傷跡を見せ、彼らのためにパンを裂き、食事をするところを見せました。実をつけない者が実をつけるまで、理解しない者が理解するまで、見て、聞いて、信じるように新しく出会い続けました。

 キリスト教系の破壊的カルトや、キリスト教の教えを一部取り込んだ宗教カルトは、神様やイエス様を知っていても、実をつけることができない、成果を出せない人間は、その木から取り除かれて、捨てられてしまうと強調し、実をつけることができるように、過密なスケジュールで勉強させたり、奉仕をさせたり、勧誘活動を行わせます。

 けれどもそれは、たとえの秘密を知っているからではありません。たとえを恣意的に解釈して、自分たちの組織に都合よく、信者をコントロールするための教えなんです。もちろん、たとえについての説明が、全て間違っているとは言いません。一般的にはキリスト教と認められてない団体でも、「なるほどな」という解釈をしていることは時折あります。

 しかし、自分たちの解釈こそ、比喩やたとえの捉え方こそ、最先端の一つの正しい答えであって、他の教会や牧師たちは、十分でない、間違った説明を行っている……という刷り込みは、幅広いメッセージを受け取ることができないように、巧妙に聖書の読み方をコントロールしているやり方で、誠実な教え方ではありません。

 そして、よく分からないたとえ話や比喩表現を、暗号を解くように、方程式を当てはめるように解説していくメッセージは、聞いていて気持ちが良いものかもしれませんが、聖書の秘密は、そんなに都合よく、明快な答えを与えてくれるものではありません。成功法則や成功哲学のように、「こうすれば全て解決する」「これに従えば大丈夫」というメソッドをインスタントに与えてくれるものではありません。

 有名な「種を蒔く人のたとえ」について、イエス様が解説するマタイによる福音書13章18節以下を見てみると、このたとえでは、「種を蒔く人」とは誰のことで、「蒔かれた種」とは何のことで、それぞれの「土地」が何を表しているか、明快な「答え」を知りたくなりますが、一つの答えで、すっきり説明できるものではないことが分かってきます。

 種を蒔く人が種蒔きに出ていくと、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまい、ある種は石だらけの土地に落ち、根がないために枯れてしまい、ある種は茨の中に落ち、茨にふさがれて伸びなくなり、他の種は良い土地に落ち、百倍、六十倍、三十倍の実を結んだ……これを聞いただけで、その意味を悟ることができた人はほとんどいないでしょう。

 イエス様の説明では、最初に、「だれでも御国の言葉を聞いて悟らなければ、悪い者が来て、心の中に蒔かれたものを奪い取る」と語られるので、「蒔かれた種」とは「神の言葉」「聖書の言葉」で、種を蒔かれるそれぞれの土地が、御言葉を受け取る人間を指していると捉えられます。

 ところが、「石だらけの所に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて、すぐ喜んで受け入れるが、自分には根がないので、しばらくは続いても、御言葉のために艱難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう人である」という説明が続くため、今度は「種」が「御言葉」ではなく「御言葉を受け取る人間」を指すように見えてきます。

 種を御言葉として受け取るべきか、御言葉を受け取る自分たちのことと受け取るべきか、それぞれの土地は御言葉を受けとめる自分たちとして捉えるべきか、自分たちが遣わされ伝道する相手と捉えるべきか、たとえの説明を聞いても、明確な一つの答えは出てきません。むしろ、聞く人の背景や状況によって、色んなメッセージが与えられるようになっていることが分かります。

 宗教カルトやカルト化した教会では、「このたとえの意味はこうである」「この比喩は○○を表している」と単純明快に「正しい読み方」「正しい答え」を与えてくれるため、思い悩まず聞くことができますが、イエス様の説明を改めて聞くと、弟子たちのように「どういう意味ですか?」「説明してください」と何度も尋ね求めずにはいられません。

 神の国の秘密が、たとえで語られている意味の一つは、見ても見ず、聞いても聞かず、理解できない私たちを、安易な答えに飛びつかせるためではなく、自分たちを絶対視しないで、神様に信頼して「どういうことですか?」「何を伝えようとしていますか?」と問い続けられる関係を築くところにあると思います。

 たとえを悟れず、成果を出せず、霊的に成長していないと感じながら、自分が神様に切り捨てられてしまうのではないか……そのように恐れている者は、どうか安心してください。イエス様はあなたを切り捨てるどころか、あなたの土地を耕して、実をつけるまで導いてくれます。あなたが枯れてしまわないように、鳥を追い払い、石を取り除き、茨を刈ってくださいます。

 これをしなければ、あれをしなければ、救われない!と焦る必要はありません。疑問を持つことは、戸惑うことは、霊的な成長を止めるものではありません。弟子たちがイエス様を信頼して、繰り返し分からないことを尋ねたように、つまずく態度を見せたように、「イエス様、分かりません」と呟いてもらってかまわないんです。今すぐ信じられなくても、何か成果を出せなくても、あなたは見捨てられません。霊的な成長は止まりません。

 どうか、あなたに蒔かれている種が、百倍、六十倍、三十倍になる日まで、イエス様との新しい出会いを、大切にすることができますように。どこまでも付き合い続けてくださる神様に、信頼することができますように。奪う者、つまずかせる者、覆いふさぐ者から守られ、良い知らせを分かち合うことができますように。

 私たちの主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている大阪府大阪市の大阪生野教会のために、子どもたちのために、若者のために、壮年のために、祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆大阪府大阪市の大阪生野教会のために祈ります。教会の代務を行っている牧師に、あなたの支えがありますように。専従の牧師が与えられ、隣接する聖浄保育園と一緒に、地域に開かれた教会として歩むことができますように。

◆子どもたちのために祈ります。花の日こどもの日の礼拝に来てくれた子どもたちや生徒、学生にあなたの祝福がありますように。幼稚園の子どもたちにも、あなたの恵みが豊かにあって、これからも成長が導かれますように。

◆若者のために祈ります。済美学院、金城学院をはじめ、地域の青年や若者たちに、あなたの祝福がありますように。悩んでいることや困っていることに、解決の道が備えられ、共に頼り合う仲間が得られますように。

◆壮年のために祈ります。期待やプレッシャーに押しつぶされそうな人、孤独や孤立に喘いでいる人、人間関係で身動きが取れなくなっている人に、あなたの憐れみがありますように。一つ一つの事柄に変化と回復がもたらされるよう、助けが与えられますように。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

オンライン賛美歌20番「すべてを売り払い」(©️柳本和良)を歌います。

主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の4頁にも掲載しています。主の祈り……

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して、聖書研究祈祷会にご参加くださり、ありがとうございます。配信終了後、時間のある方は午後2時半まで、聖研の質問や感想、キリスト教について気になっていることなど自由に聞ける第二部「分かち合い」の時を開きます。

 

よかったらぜひ、ご参加ください。来週の水曜日は、『聖書における生活の比喩』と題して、ルカによる福音書9:10〜17のお話しをします。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。