日曜礼拝 2025年8月3日
説 明
教会にお集まりの皆さん、おはようございます。オンラインで配信を見ている方も、おはようございます。まもなく、10:30から礼拝が始まります。礼拝の最中は、携帯をマナーモードにしていただき、後から来た人も座れるように、席の譲り合いをお願いします。
礼拝の中で、立ち上がって賛美歌を歌うところや、立ち上がって祈りを合わせるところもありますが、体が不自由な方やお疲れの方は、座ったままで大丈夫です。賛美歌、聖書、交読文は、備え付けの籠からお使いください。それでは、もうしばらくお待ちください。
案 内
華陽教会では、讃美歌委員会と日本聖書協会の著作物使用許諾を得て、日曜日の礼拝を配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、神の招きにあずかりましょう。
前 奏
(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)
招 詞
言っておくが、いつか、東や西から大勢の人が来て、天の国でアブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席に着く。(マタイによる福音書8:11)
讃美歌
旧讃美歌519番「わが君イェスよ」を歌いましょう。最後のアーメンは、つけずに歌います。(差し支えない方はお立ちください)
お祈り
ご着席ください。共に祈りを合わせましょう。
◆愛と平和の源である神様。今日もまた、あなたによって守られて、日曜日の礼拝に集まることができ、感謝致します。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。
◆私たちの神様。今月で、第二次世界大戦が終わってから80周年を迎えます。8月6日に広島で、9日に長崎で落とされた原爆によって、多くの人が命を落とし、後遺症に苦しみました。どうか今、悲惨な戦争が二度と繰り返されないよう、私たちを導いてください。
◆私たちの神様。アフガニスタン、シリア、イラク、トルコ、リビア、イエメン、ウクリナをはじめとして、あちこちで続いている戦争や紛争が、一刻も早く停まりますように。どうか今、平和的な解決がもたらされ、これ以上の犠牲が広がらないよう守ってください。
◆私たちの神様。来週から、牧師の帰省・夏期休暇に入り、南山教会の大塚椋先生や、隠退教師の鈴木重正牧師がメッセージ奉仕を担われます。どうか今、牧師の留守中も、これらの交流が豊かに導かれ、信徒と会衆、牧師と伝道者が守られますように。
◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
聖 書
聖書の言葉を聞きましょう。ローマの信徒への手紙9:19〜28の新共同訳を朗読します。会衆席にある新約聖書287頁です。
同じく、ローマの信徒への手紙9:19〜28の聖書協会共同訳を朗読します。新しい翻訳の新約聖書281頁です。お持ちでない方は、新共同訳と読み比べながら、お聞きください。
|
*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。 |
交読文
詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編102:16〜23、新共同訳交読詩編の114頁です。
|
『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(また、Aのところは牧師が、Bのところは会衆がお読みください。ご着席のままで大丈夫です。) |
讃美歌
讃美歌21の206番「七日の旅路」を歌いましょう。最後のアーメンはつけずに歌います。(差し支えない方はお立ちください)

メッセージ
「神は御自分が憐れみたいと思う者を憐れみ、かたくなにしたいと思う者をかたくなにされる」……先ほど読んだ聖書の言葉、ローマの信徒への手紙9章19節〜28節の直前に、そんな言葉が出てきました。出エジプト記に出てくる、神の憐れみを受けたイスラエル人と、神によって心をかたくなにされたエジプトの王ファラオが思い出される言葉です。
実際、そのさらに少し前には、神様がイスラエルの指導者モーセに向かって、「わたしは自分が憐れもうと思う者を憐れみ、慈しもうと思う者を慈しむ」と言っていたことも書かれていました。そして、エジプトの奴隷だったイスラエル人が、神様によって救われたのは、イスラエル人の意志や努力の結果ではなく、神の憐れみによる結果であることが語られていました。
確かに、出エジプト記に出てくるイスラエルの民は、神様を信じて、神様に従ったとは言い難い存在でした。神に選ばれた指導者モーセの言うことをなかなか信じようとせず、ファラオとの交渉が難航すれば、すぐ不平不満を言いました。自分たちを解放するため、神様がエジプトに下した「十の災い」を目の当たりにした後でさえ、不平不満は続きます。
実は、出エジプト記全体を通して、イスラエルの民が素直に神様に向かって助けを求めたことはほとんどなく、何か困難が起こると、頼るより先に文句を言いました。何度も神様に助けられ、何度も奇跡を見てきたのに「あの時のように私たちを助けてください」という祈りはささげられず、「私たちを死なせる気ですか」という皮肉ばかりが叫ばれます。
挙げ句の果てに、神の掟である律法をモーセが受け取りに行っている間、イスラエルの人々は金の子牛の像を作り、それを「自分たちの神」だと言って拝み始めてしまいました。もはやどう見ても「神を信じる意志」や「神に従う努力」があるとは言えません。にもかかわらず、神様はイスラエル人に慈しみと憐れみを示し、付き合い続けてこられました。
一方で、イスラエル人を奴隷として虐げていたエジプトの王は、神様によって「心をかたくなにされた」者として出てきます。王の周りにいる家臣たちは、エジプトに下される災いを見て、神の言葉を信じて畏れるようになり、自分の僕と家畜を避難させる者や、王に対して「イスラエルの民を解放し、神に仕えさせるように」進言する者もいました。
よく見ると、エジプト人の中にも、神様に従って救われようと、努力した者が出ていたことが分かります。一方で、イスラエルの民は、ファラオのように、神様によって心をかたくなにされていないにもかかわらず、自分たちの心をかたくなにし、神様に背く態度を見せていました。
イスラエル人は神様の言うことを信じて従ったから救われ、エジプト人は神様の言うことを信じないで背いていたから裁かれた……とは言えず、むしろ「自ら心をかたくなにして、神に背いた」という点では、イスラエルの方が罪深くさえ見えてきます。実は、神様がエジプトの王ファラオの心を「かたくなにした」という言葉は「自ら心をかたくなにした」イスラエルの人々に、より、自分たちの姿を顧みるよう、促す役割があるんです。
後に、神の子である救い主がイスラエルでお生まれになったとき、今度はイスラエルの王であるヘロデが心をかたくなにし、幼いイエス様を殺そうとしました。その時、救い主を守る避難先となったのは、あのエジプトの国でした。かつて「神に背いて裁かれた国」は「神の子を匿い、守る国」として、新しく変えられていきました。
しかし、イスラエルに住むユダヤ人にとって、また、外国で捕虜とされてきたユダヤ人にとって、自分たちの国を虐げ、奴隷にしていた異邦人が、神様の憐れみを受け、神様の慈しみを受けるようになるなんて、考え難いことでした。エジプトを脱出したあと、約束の地カナンに定着したイスラエル人は、大国に囲まれ、度々攻め込まれ、捕虜として連れて行かれていたからです。
やがて、母国はアッシリアとバビロニアに滅ぼされ、ペルシャの支配を経てローマ帝国の属国となり、イスラエルの民は長い間、虐げられる存在となりました。そんな中、かつて自分たちが「神に選ばれた民」であったこと、「神に守られた民」であったことを思い出した人々は、再び大国の支配から解放されるときが来る……と信じて待ち望むようになりました。
一方で、自分たちを奴隷にしていたエジプト人や、母国を滅ぼしたアッシリア、バビロニアのあった地域、新たに自分たちを属国にして、支配するようになったローマ帝国など外国の人々に対しては、再び神の裁きを受けるときが来る……というふうに信じ、異邦人を忌み嫌うようになりました。
異邦人は神の定めた掟を守らず、本当の神を礼拝せず、信じる意志も、従う努力も見せてないのに、神様の憐れみを受ける資格はない……と思われていました。しかし、神様は自分から憐れみを受けられない者が、憐れみを受けられるように、自分から愛されない者が、愛される者となるように、長い歴史を通して、働きかけてこられました。
ローマの信徒への手紙9章25節から26節で紹介される、預言者ホセアの残した言葉は、まさに、神様に従わないで、背き続けたイスラエル人が、ついに神様から「もはや、あなたたちはわたしの民ではない」と言われた後も、滅びゆくまま放置されなかったことを思い出させます。
「わたしは、自分の民でない者をわたしの民と呼び、愛されなかった者を愛された者と呼ぶ。『あなたたちは、わたしの民ではない』と言われたその場所で、彼らは生ける神の子らと呼ばれる」……それは、神に背いたイスラエル人が、心を入れ替えて、努力できたから言われた言葉ではありません。
自ら心をかたくなにした者たちへ、神様の方から、再び「自分の民」と呼ぶことを宣言し、私はあなたたちを愛し、付き合い続ける……と約束された言葉です。実は、神様から裁きを宣言された人々は、ただ裁かれて、放置されるわけではないんです。本来なら、そのまま「愛されない者」として滅びゆく人々に、神様は「愛された者」となるように、付き合い続ける方なんです。
宣教者パウロが手紙を送ったローマの教会には、ユダヤ人の信仰者も、異邦人の信仰者もいました。そこでは、「神に背いている」と見なされた異邦人への宣教を積極的に行うことに、反発するユダヤ人もいました。何なら、自分たちイスラエルの民を虐げ、苦しめてきた異邦人は、神の裁きを受ける者たちで、救いの対象としてとりなすべきではない、と言う人たちもいたでしょう。
ちょうど、ガザやヨルダン川西域で、家を奪われ、土地を奪われ、命を奪われているパレスチナ人のために支援することは、イスラエル人に敵対し、神に背くことである……と考える人たちがいるように……けれども、神様が「自分の民」と呼び、「愛された者」と呼びかけた者には、イスラエルと対立してきた、彼らも含まれているんです。
ユダヤ人も、キリスト教徒も、自分たちは神に愛されるけど、彼らは神に愛されないと敵のために祈ることを度々拒絶してきました。彼らが救われるようにではなく、裁かれるように求め続け、神様が敵を愛すること、慈しむことを繰り返し拒否してしまいました。今なお、その歴史は続いています。
しかし、神様は全ての者に、「わたしは自分の民でない者をわたしの民と呼び、愛されなかった者を愛された者と呼ぶ」と語りかけます。「『あなたたちは、わたしの民ではない』と言われたその場所で、彼らは生ける神の子らと呼ばれる」と約束されます。平和聖日を迎えた今日、改めて、その言葉を心に留めて、対立している者と隣人になる日が来るように、速やかに訪れるように、祈りを合わせたいと思います。
「どうか、平和の主御自身が、いついかなるっ場合にも、あなたがたに平和をお与えくださるように。主があなたがた一同と共におられるように。」(テサロニケの信徒への手紙二3:16)アーメン。
讃美歌
オンライン賛美歌22番「神よ諦めない心」(©️柳本和良)を歌います。(差し支えない方はお立ちください)

使徒信条
教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の2頁をご覧ください。

紹 介
本日も、初めて礼拝に来られた方、初めて配信を見られた方、久しぶりに参加された方と一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。
とりなし
共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろの方の1頁をご覧ください。

主の祈り
イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。オンライン讃美歌の後ろの方の4頁をご覧ください。差し支えない方は、お立ちください。

聖 餐[1]
御着席ください。ただいまより、聖餐式を始めます。パンとグラスを取る際は、自分の手で触れたものだけを手に取って、他の人の分は触らないようにお願いします。
讃美歌
最初に、讃美歌21の81番「主の食卓を囲み」1節を歌いましょう。(ご着席いただいたままで大丈夫です)
主の食卓への招き
ようこそいらっしゃいました。今から神の民の祝宴が開かれます。主は言われました。「やがて人々は東から西から、北から南から来て、神の国で共に食卓に着く」
また、食事の席で、主は約束されました。「前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは間もなく聖霊によるバプテスマを授けられる」
主は、弱っている者を励まし、閉じこもっている者を力づけ、ご自分が用意された祝宴にあずからせてくださいます。この方を信じ、その信仰を公に告白した方は、進んでこの食事にあずかりましょう。また、信仰を告白していない者、共に集った兄弟姉妹も、キリストのとりなしと祝福を受けましょう。
感謝と聖別の祈り
世界の創造者、また統治者である神よ、あなたはご自分にかたどって私たちを造り、あなたを愛し、あなたに仕え、全被造物と平和のうちに生きるために、この世界に住まわせられました。私たちがあなたに逆らい、信頼と服従を拒んだ時にも、あなたは私たちをお見捨てにならず、ご自分のものと呼んでくださいました。あなたは私たちを、ご自分の道に立ち返らせるため、御子イエス・キリストを世に遣わしてくださいました。
主イエスは、罪人と共に食事をし、その生き方を新たにし、信じない者を信じる者に、滅ぶべき者が永遠の命にあずかるために、十字架にかかってくださいました。そして、死という絶対的な隔たりを超えて、ご自分を見捨てた者たちに現れ、「あなたがたに平和があるように」と宣言してくださいました。
私たちの神よ、どうか、今ここにあるパンと杯を受け入れ、御言葉と聖霊によって、聖なるものとしてください。そして、これによって、御子イエス・キリストの尊い体と血にあずからせてください。これにあずかる者たちが、皆キリストの体と一つになり、永遠の命を受け継ぐことができますように。アーメン。
陪 餐
ただいまより、パンとぶどう液を配ります。誰でも洗礼を受けて信仰を告白し、この食事にあずかることができます。洗礼式はキリスト者になるための式で、この聖餐式はキリスト者であり続けるための式です。ですから、この食事には洗礼を受け、信仰を告白してからあずかることをお勧めします。
まだ、洗礼を受けておらず、信仰を告白していない方は、恐れ入りますが、しばらくお待ちください。皆さんの信仰の自由と、その決断とを尊重させていただきます。なお、洗礼を受けて信仰を告白した方は、進んでこの聖餐にあずかり、パンと杯を受けない方へ、神様の祝福と平和を祈りましょう。(*配餐者は手指の消毒をしてパンと杯を配る)
オンライン賛美歌の後ろをめくった「陪餐」のところをご覧ください。パンと杯を共に受けつつ、ここへ招かれた人のために、神の祝福を祈りましょう。
(パンを手に取る)
これは、あなたがたのために与えられた主イエス・キリストの体です。あなたのために主が命をささげられたことを覚え、感謝をもってこれを受け、御子イエス・キリストとの交わりにあずかりましょう。
パンを手にしている方は、パンを受け取っていない方へ、神様の祝福を祈りましょう。
「あなたの手が、キリストの愛と平和で満たされますように」
「アーメン」
食べなさない。あなたがキリストから受けて、あなたから分けられるように。
(杯を手に取る)
これは、あなたがたのために流された主イエス・キリストの血潮です。あなたのために主が血を流されたことを覚え、感謝をもってこれを受け、御子イエス・キリストとの交わりにあずかりましょう。
杯を手にしている方は、杯を受け取っていない方へ、神様の祝福を祈りましょう。
「あなたの手が、キリストの愛と祝福で満たされますように」
「アーメン」
飲みなさい。あなたがキリストから受けて、あなたから溢れ出るように。
陪餐後の感謝
共に、感謝の祈りをささげましょう。
愛と憐れみの主である全能の神よ、今日この場に、若者も年長者も、信仰を告白した者も告白していない者も、共にあなたが招いてくださったことを感謝致します。あなたは今、御子イエス・キリストの尊い体と血によって、私たちを養い、この場に連なる全ての者を結び合わせてくださいました。
あなたはこれによって、私たちに対する愛と恵みを示し、私たちがキリストの体の手足であること、神の国を受け継ぐ者であることを確かにしてくださいました。今、イエス・キリストを通して、自分の体を生きた聖なる供え物として献げます。どうか聖霊を注いで、私たちをこの世に遣わし、あなたが求めていることを行わせてください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
讃美歌
ご着席のまま、讃美歌81番の2節、3節を歌いましょう。
以上で、聖餐式を終わります。
献 金
感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。献金に、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください。
献金の祈り(例)
命の源である神様。あなたの愛に感謝して、私自身をあなたにささげます。今、ささげた献金を感謝のしるしとして受け取ってください。このお祈りをイエス様のお名前によっておささげします。アーメン。
讃美歌
献金の讃美歌512番「主よ、献げます」4節を歌いましょう。
讃美歌
オンライン賛美歌10番「祝福」を歌います。(A)のところは牧師が、(B)のところは会衆が、(全員)のところは全員で歌います。(差し支えない方は、お立ちください)

祝 福
共に、神様の祝福を受けましょう。
派 遣
わたしは彼女を地に蒔き/ロ・ルハマ(憐れまれぬ者)を憐れみ/ロ・アンミ(わが民でない者)に向かって/「あなたはアンミ(わが民)」と言う。彼は、「わが神よ」とこたえる。(ホセア書2:25)
祝 福
平和の源である神があなたがた一同と共におられるように、アーメン。(ローマの信徒への手紙15:33)
報 告
本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった17名、同時に視聴された13名、計30名が参加されました。後から動画や原稿を通して祈りを合わせてくださった方も感謝致します。
来週の日曜礼拝は、南山教会と名古屋東教会で信徒伝道者をしておられる大塚椋先生にお越しいただき、「弱い時にこそ強い」という題で、コリントの信徒への手紙二12:1〜10のお話をしていただきます。
来週の配信は、教会員のみの限定公開なので、華陽教会ホームページの「教会員・教会関係者のページ」からパスワードを入力して視聴できます。当日、配信を見るつもりで、パスワードを忘れてしまった教会員は、牧師までお問い合わせください。
翌週の17日の礼拝は、隠退教師の鈴木重正先生が「外国で聞いた日本の戦争」と題してマタイによる福音書24:32〜35のお話をしてくださいます。柳本牧師は、6日から17日まで、帰省・夏期休暇の予定です。
8月の聖書研究祈祷会、夜間聖研祈祷会、キリスト教ABC講座は、牧師の帰省、研修、地区の行事と重なっているためお休みです。9月から通常どおり再開します。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。
[1] 以下、「聖餐式」の式文は、日本基督教団信仰職制委員会 編『日本基督教団 式文(試用版Ⅰ)』日本キリスト教団出版局、2006、2010を参照し、大きく手を加えたものを載せています。