日曜礼拝 2025年7月27日
説 明
教会にお集まりの皆さん、おはようございます。オンラインで配信を見ている方も、おはようございます。まもなく、10:30から礼拝が始まります。礼拝の最中は、携帯をマナーモードにしていただき、後から来た人も座れるように、席の譲り合いをお願いします。
礼拝の中で、立ち上がって賛美歌を歌うところや、立ち上がって祈りを合わせるところもありますが、体が不自由な方やお疲れの方は、座ったままで大丈夫です。賛美歌、聖書、交読文は、備え付けの籠からお使いください。それでは、もうしばらくお待ちください。
案 内
華陽教会では、讃美歌委員会と日本聖書協会の著作物使用許諾を得て、日曜日の礼拝を配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、神の招きにあずかりましょう。
前 奏
(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)
招 詞
主の神殿、主の神殿、主の神殿という、むなしい言葉に依り頼んではならない。(エレミヤ書7:4)
讃美歌
旧讃美歌519番「わが君イェスよ」を歌いましょう。最後のアーメンは、つけずに歌います。(差し支えない方はお立ちください)
お祈り
ご着席ください。共に祈りを合わせましょう。
◆希望の源である神様。今日もまた、あなたによって守られて、日曜日の礼拝に集まることができ、感謝致します。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。
◆私たちの神様。この一週間も、あなたによって守られて、今日まで歩めたことを感謝致します。どうか今、あなたから受けた恵みと憐れみ、癒しと導きによる力を、私たちの隣人にも、分け合うことができますように。
◆私たちの神様。この一週間も、傷つき、悩み、苦しんできた人とあなたは共に居てくださいました。どうか今、私たち自身の叫びも、私たちの隣人の叫びも、あなたが全て受けとめて、共に悲しみ、共に憤り、共に立ち上がってくださる希望を強めてください。
◆私たちの神様。この一週間も、偽りや隠し事、後ろめたい態度を取ってきた私たちに、あなたは絶えず付き合い続けてくださいました。どうか今、あなたの赦しと力を受けて、私たちの生き方が新たにされ、あなたの栄光が現されていきますように。
◆信仰と希望と愛をもたらす、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
聖 書
聖書の言葉を聞きましょう。使徒言行録19:13〜20の新共同訳を朗読します。会衆席にある新約聖書251頁です。
同じく、使徒言行録19:13〜20の聖書協会共同訳を朗読します。新しい翻訳の新約聖書246頁です。お持ちでない方は、新共同訳と読み比べながら、お聞きください。
|
*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。 |
交読文
詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編119:105〜112、新共同訳交読詩編の141頁です。
|
『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(また、Aのところは牧師が、Bのところは会衆がお読みください。ご着席のままで大丈夫です。) |
讃美歌
讃美歌21の443番「冠も天の座も」を歌いましょう。最後のアーメンはつけずに歌います。(差し支えない方はお立ちください)

メッセージ
ミッションスクールのキリスト教概論で、聖書の話をしていると、毎年と言っていいほど送られてくる質問があります、その一つが「テレビやネットで放送されている悪魔祓いは本物ですか?」という質問です。華陽教会に来た人からも「もし、希望すれば、悪魔祓いをお願いすることはできますか?」と聞かれることが、しばしばあります。
先に言っておくと、多くの人がイメージするような「悪魔祓い」や「エクソシスト」のようなことは、私にはできません。「その人を苦しめているものが取り去られますように」「その人が囚われている悪いものから解放されますように」という祈りをささげることはありますが、悪魔や悪霊を目に見える形で追い出すことはできません。
もしかしたら、人間に取り憑いている悪魔の人格を引っ張り出し、悪魔の名前を聞き出して、聖水をかけたり、ラテン語の聖句を唱えたりして、悪魔を地獄へ追い返す儀式をやってもらえると期待するかもしれません。もしくは、体に手を置いて祈ってもらい、悪魔が自分から出ていったと宣言してもらえることを期待するかもしれません。
ですが、私には悪魔や悪霊が見えたことはありません。「その人に悪霊が憑いているか」「その人から悪霊が出ていったか」診断することはできません。悪魔に対抗するために、聖霊を呼び出して戦わせたり、天使の力を借りて攻撃したり、蝋燭や十字架を置いて結界を作ったりすることに、憧れるかもしれませんが、そういうことはやりません。
よく考えたら、聖書に出てくるイエス様も、イエス様の弟子たちも、そんなに派手で、ドラマティックな悪魔祓いはやっていませんよね? イエス様はたくさんの病気や障害のある人を癒やされましたが、「これは悪魔のせいだ」「悪霊を追い出さなければ」と殊更に強調することはありませんでした。
悪魔を追い出すシーンでも、面と向かって戦うというより、悪霊にものを言うことをお許しにならず、特別な奇跡も起こさないで、ただ、その人から出ていくように命じていました。その人に取り憑いた悪魔の名前を聞き出して、悪魔と対決することよりも、その人自身に名前を聞かれ、その人と対話することを求められました。
イエス様や弟子たちが悪霊を追放する話は、もっと脚色されてもいいはずなのに、どれもあっさりとしていて、ヒーローが活躍するようには描かれません。特別な力を持った者として、人から評価される絶好のチャンスなのに、イエス様は悪霊の追放を「信者集め」に利用せず、あっさりと次の目的地へ出発するか、人里離れたところへ退かれます。
悪霊を追い出し、病気を癒し、障害を治した出来事を、人々に宣伝したり、宣伝させたりするどころか、むしろ言い広めないよう命じました。助けてもらった人たちが、自分に従ってついてくることよりも、家に帰って、家族や村との関係性を回復するように求めました。イエス様の悪霊追放は「信者獲得」という意味での伝道には用いられません。
そもそも、悪魔や悪霊って何なんでしょう? 聖書に出てくる「悪霊」は「汚れた霊」と同じ意味で用いられ、病気や障害、悪行の要因としても描かれます。一方、「悪魔」は、マタイによる福音書4章3節で「誘惑する者」「試みる者」「試す者」として出てきます。いずれの場合も、人間が困難な目に遭ったり、誘惑を受けたりしたときも、最後まで神に忠実でいられるかどうかを「試して」くる、「テストして」くる存在です。
同様に、「悪霊を率いる統率者」と考えられるようになった「サタン」も、人間が、神に忠実でいられるどうかをとことん試し、「彼らはあなたの愛を受けるのにふさわしくありません」と、神に向かって人間を誹謗する、訴える存在です。「サタン」という名前自体に、「誹謗する者」「訴える者」という意味があります。
そして、聖書に出てくる「サタン」や「悪魔」や「汚れた霊」は、神様にもイエス様にも面と向かって逆らうことはなく、サタンがヨブを誘惑する際も、大勢の悪霊が豚の中へ逃げ込む際も、神様やイエス様に許可を取って行動する様子が描かれます。悪魔と言えば、「神を誹謗する者」「神に敵対する者」というイメージが強いかもしれませんが、どちらかというと、「神の憐れみを受けようとする人間を誹謗する者」なんです。
そもそも、ヨブ記を見れば分かるように、「悪霊を率いる統率者」と考えられてきたサタンも、もともとは、神に従って天の議会を構成する「神の使い」の一員として、人間が神の愛を受けるのにふさわしいかどうか、厳しく追求する存在でした。「神に敵対する者」というより、人間のような存在が、神様の愛を注がれることが許せなくなった存在でした。
乱暴なたとえですが、「神」という「推し」の「にわかファン」である人間が、神様からファンサービスを受けるのが許せない「厄介オタク」となってしまった……「神」という「推し」の「ファン」である他の信仰者を攻撃し、試し、誹謗するようになってしまった「反転アンチ」のような存在……と考えたら、若い人には分かりやすいかもしれません。
悪魔や悪霊に対しては、神の言葉である聖書の言葉を唱えたら、力を弱らせ、退散させることができる……と思っている人も多いですが、聖書に出てくる悪魔やサタンは、平気で神の言葉である聖句を引用します。ヨハネの黙示録など、ほんの一部の記述を除いて、悪魔や悪霊のほとんどは、おそらく、神に敵対しているつもりもありません。
ただただ、神に忠実でいられない、試されるとすぐ背いてしまう「人間」のことを許せなくて、これ以上、神からの愛を受けさせないように「人間に」敵対している存在なんです。その様子は、信仰者が他者に向かって「あなたは神の愛を受けるのにふさわしくない」と誹謗し、「神に忠実なら、私の言うとおりにできるはずだ」と相手の信仰を試そうとする態度にも重なっています。
もっと掘り下げるなら、他者に対してだけでなく、自分に対しても「私は神の愛を受けるのにふさわしくない」と誹謗し、「私の信仰が本物なら、この病を癒せるはずだ」「こんなに悪いことばかり続かないはずだ」と、自分の信仰を試す態度も、サタンや悪魔や汚れた霊と、重なっている態度なんです。
しかし、一部のキリスト教会では、病気や障害、悪いことの要因を「サタンのせいだ」「悪魔のせいだ」と強調し、信仰によって悪魔の力を封じるように、悪霊を追い払うように、悪魔祓いのやり方を指導しているところがあります。病気が治らないのは、トラブルが起こるのは、信仰や祈りが足りなくて、悪魔に負けているからだと、ひたすら「イエス・キリストの名によって命ずる」「悪魔よ、出ていけ」と繰り返させるところがあるんです。
そして、聖句を唱え、祈りをささげて、病気や問題が改善に向かうと「信仰深い者」「神の愛を受けるのにふさわしい者」と見なされますが、どんなに聖句を唱えても、どんなに祈りをささげても、病気や問題が改善に向かわないと、「信仰の薄い者」「神の愛を受けるのにふさわしくない者」と見なされて、扱いが悪くなっていきます。
何とか悪魔に打ち勝とうとして、自分の信仰を示すために、借金をしてでも献金をささげ、教会でもらった油や聖水を「異教の根城」である神社や仏閣に撒いてしまう信者も出ています。このように、神様ではなく人間が、他者の信仰を試そうとしたり、自分の信仰の力を試そうとする態度は、信仰者自ら「サタン」や「悪魔」の道に陥ります。
ちょうど、使徒言行録に出てきたユダヤ人の祈祷師たちも、試みに「パウロが宣べ伝えているイエスによって命じる」と言い、悪霊を追い出そうとしますが、悪霊からは「イエスのことは知っている。パウロのこともよく知っている。だが、いったいお前たちは何者だ」と言われて押さえつけられ、酷い目にあってしまいます。
祈祷師たちは、まさに、パウロの名前で、イエス・キリストの名前で、悪霊を追い出せるかどうか、その名前の力が本物かどうか、「試(こころ)みた者」「試(ため)した者」です。自分たちにも、その名前を使って悪魔を追い出す力があるか、奇跡を起こせる力があるか「試した」存在です。
悪霊たちは、自分たちを追い出そうとする祈祷師たちに「お前たちは何者だ」と言いますが、その言葉は、神の力を、自分の力を試そうとする祈祷師の方が、「7人の悪霊」として、追い出される側になったことを暗示してきます。実は、悪魔祓いって、「信仰を試す」「自分を試す」「他者を試す」悪魔の態度に陥りやすい、けっこう危険なものなんです。
そして、特別に、非日常的な儀式をしなくても、私たちは普段から、イエス・キリストの名によって祈り、悪いことから守られるよう、悪から離れられるよう、助けを求めることができます。イエス様の名前や聖書の言葉を「呪文」のように使うのではなく、素朴に助けを求める言葉として、祈りをささげたらいいんです。
私の言葉に力がなくても、イエス様が私たちの言葉を受けとめて、聖霊を送ってくださいます。周りの人から、信仰が足りないと見なされても、イエス様が「あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように」と一緒に願ってくださいます。
どうか今、主の言葉がますます広まり、力を増していきますように。足りないものを満たし、欠けているものが回復されますように。互いに試そうとする関係から解放されて、互いに愛し合い、支え合う関係へ至りますように。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
讃美歌
オンライン賛美歌19番「悲しみながら立ち去るとき」(©️柳本和良)を歌います。(差し支えない方はお立ちください)

使徒信条
教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の2頁をご覧ください。

紹 介
本日も、初めて礼拝に来られた方、初めて配信を見られた方、久しぶりに参加された方と一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。
とりなし
共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろの方の1頁をご覧ください。

主の祈り
イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。オンライン讃美歌の後ろの方の4頁をご覧ください。差し支えない方は、お立ちください。

聖句と主題
御着席ください。今年度の年間聖句を心に留めて、今週も新しく遣わされましょう。
年間聖句
「子どもたちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである」
年間主題
華陽教会では、「信仰継承を考える」というテーマで、マルコによる福音書10:14を今年度の年間聖句にしています。
今週は、夏休みに教会へ訪れる子どもたちや、地区のサマーキャンプに参加する子どもたち、一人ひとりを迎えながら、私たちの思いと言葉と振る舞いを通して、神様の愛と平和を伝えていきましょう。
献 金
感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。献金に、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください。
献金の祈り(例)
変化と回復をもたらす私たちの神様、あなたから受ける言葉によって、私たちは新しく生かされます。今から後、私自身の生き方が変えられていくしるしとして、ここにささげた供え物を受け入れてください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
讃美歌
献金の讃美歌512番「主よ、献げます」3節を歌いましょう。
讃美歌
オンライン賛美歌10番「祝福」を歌います。(A)のところは牧師が、(B)のところは会衆が、(全員)のところは全員で歌います。(差し支えない方は、お立ちください)

祝 福
共に、神様の祝福を受けましょう。
派 遣
偽預言者を警戒しなさい。彼らは羊の皮を身にまとってあなたがたのところに来るが、その内側は貪欲な狼である。(マタイによる福音書7:15)
祝 福
主がすべての災いを遠ざけて/あなたを見守り/あなたの魂を見守ってくださるように。あなたの出で立つのも帰るのも/主が見守ってくださるように。今も、そしてとこしえに。(詩編121:7〜8)
報 告
本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった18名、同時に視聴された9名、計27名が参加されました。後から動画や原稿を通して祈りを合わせてくださった方も感謝致します。
来週の日曜日は、「平和聖日」の礼拝です。『神に愛されなかった者?』と題して、ローマの信徒への手紙9:19〜28のお話をして、聖餐式をする予定です。ぜひ、次週も祈りを合わせてご参加ください。
それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。