ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

うちの教会も破壊的カルトの要素があるかもしれない?

お題「最近気になったニュース」 2018年7月18日

 

前回、破壊的カルトの記事を挙げてから10日ほど後に、オウム真理教の教祖および幹部7名の死刑が執行されたニュースを見て非常に驚きました。

 

あれからたくさん気になるニュースを見聞きしましたが、今回は、私が属しているキリスト教会もカルト化しないために気をつけたいことをいくつか書いていこうと思います。

 

 

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異端とカルトは違います

あのニュースの後、色んなところから「こんなカルトもあるから気をつけよう」というTweetや記事を見かけるようになり、改めて、自分の知らない破壊的要素の強い集団がまだまだたくさんあるんだな……ということに気づかされました。

 

一方で、自分たちの信じる「正統的」な教義に逸脱したことを語る人たちを、まとめて「カルト」と呼んでいる人が多いのも目にしました。

 

本来、それは特定の宗教グループから見た「異端」であって、社会的被害を出した集団と同じような範疇で「カルト」と呼ぶべきではありません。

 

私の属するキリスト教会も、もともとはユダヤ教の「異端」として見られていた宗教です。キリスト教会の中で分かれていったプロテスタントの各教派も、最初はみんな「異端」と呼ばれる集団でした。

 

こう言うと、気を悪くされる方もいるかもしれませんが、「異端」は時代の移り変わりと共に「正統」な集団として認められる可能性があるわけです。

 

つまり、ある集団が「異端かどうか」と「社会的な被害をもたらす集団かどうか」は別の話で、分けて考えなければいけません。

 

そして、社会的な被害をもたらす「破壊的カルト」は「正統」な教義を語っている集団でも当てはまる可能性があります。

 

「あれは異端だ」「カルトだ」と言っている自分の属する集団こそ、実は破壊的要素をけっこう持っている集団かもしれないのです。

 

以前、「あなたはカルトを見分けられる?」という記事にリンクを貼らせていただいた日本脱カルト協会(JSCPR)の集団健康度チェックを見ると、114もの項目があります。

 

集団健康度チェック

 

bokushiblog.hatenablog.com

 

これが「全て当てはまらないよ!」という教会は、ほとんどないと思います。

 

教会に限らず、自分の会社、部活、サークルなどでも、ある程度の項目にチェックが入るはずです。

 

破壊的要素はあらゆる集団が抱えており、その傾向が強くならないよう常にチェックしていなければ、いくら「正統」な教えを語っていても、将来「カルト化」してしまう危険があるのです。

 

以下に、集団健康度チェックの中で、日本のキリスト教会が引っかかりやすそうだなと思った項目をいくつか挙げさせてもらいました。

 

左に添えた数字は、チェック表に記載されている項目の番号です。気になった方はご確認ください。

 

注意したい破壊的要素(1)

【不安や恐怖を煽る】

3. 解決困難な因縁・呪い・危機などで不安や恐怖をあおって献金や奉仕・労働をさせたり、勧誘させたりする。

 

この項目から多くの人が思い浮かべるのは、占い師などが「あなたは前世の因縁が……」「先祖の祟りが……」などと不安を煽って、金品を騙し取る手法だと思います。

 

キリスト教会では、先祖の祟りや呪いといった話はしませんが、聖書に出てくる「神の裁き」や「最後の審判」のイメージを強調し過ぎる時があります。

 

それをやり過ぎると「終末が来たとき、自分や自分の家族が救われなかったらどうしよう!」という不安を煽ってしまうことになります。

 

さらに、献金と奉仕が推奨されることで、自分の「罪」を清算しようと、なるべくたくさんの献金や奉仕をするよう無意識に促される人たちが出てきます。

 

献金や奉仕はあくまで、「神の恵みに対する応答」であって、「救いの条件」ではありません。そのことを日頃からきちんと伝えていないと、不安や恐怖を煽った要求になりかねません。

 

また、「洗礼*1を受けなければ天国に行けない」というメッセージを語って、死後の事柄について恐怖を抱かせてしまうこともあります。それが、家族や友人への過度な勧誘に繋がったりします。

 

本来、「救いは人間の善い行いによって獲得される」という思想は、キリスト教の中でも異端とされた考えです*2……礼拝のメッセージで直接語られていなくても、聞いている人がそのように受け取りやすい話を説教者がしている場合もあります。

 

「裁き」や「罪」といった解決困難な問題について語る際は、不安や恐怖を煽るだけのメッセージにならないよう、牧師である私自身も注意する必要があります。

 

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【大切なものを捨てさせる】

7. 個人的に大切にしていたものを捨てさせたり、大切にしていた対人関係の縁を切らせる。

 

キリスト教では、自分の人生をささげて神様に仕えることを「献身」と言います。「神様に喜ばれる生き方をする」という意味で、信徒と聖職者どちらにも使われる言葉です。

 

しかし、どちらかと言えば「聖職者になること」を指して言われる場合が多いです。

 

この献身の際に、「その人が今まで大切にしていた趣味や物を捨てさせる」ことが、神様への「服従」の証として行われることがあります。

 

それは、キリストから「わたしに従いなさい」と言われた弟子たちが、すぐに自分の仕事や持ち物を「捨てて」従ったからだとされています。

 

美談として語られやすい話ですが、単純に「大切なものを捨てる」=「神様に従う」というような構図ができてしまうと、二項対立に陥ってしまい、カルト化する危険も高まります……

 

大切なものを捨てさせる、対人関係を切らせるといった「目に見える事柄」を神様への服従の証と見るのは、なるべく避けた方がいいと思います。

 

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【組織への迫害を正統性の根拠にする】

15. 自分たちの組織は外部から迫害されていると教えられている。

 

新約聖書が書かれたのは、まだまだキリスト教徒が激しい迫害に遭っている時期でした。その中で信仰を貫き通すために、信徒たちを力強く励ます言葉が必要とされました。

 

そのため、「私たちは迫害されていますが、それこそが、この世に流されない真の正しさの証拠なのです」というメッセージが、キリスト教の聖典には繰り返し何度も出てきます。

 

これを、現在のキリスト教が受け入れてもらえない状況と短絡的につなげてしまうと、反社会的な行動を容認しかねない話になってきます。

 

しかし、福音書に記されるキリストは、自分と対立する社会や行政機関に対し、暴力的な反撃はしませんでした。むしろ、対話を重視した姿が伝えられています。

 

聖書の教えとこの世の動きが対立するとき、誠実に戦うための力は、武器や暴力の行使ではなく、対話と祈りであることが、繰り返し思い出されなければいけません。

 

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【正体や目的を隠して勧誘する】

16. 最初のうち、組織や代表者の名称あるいは接近した真の目的を隠して勧誘する。

 

これは、破壊的カルトの代表的な特徴ですが、キリスト教会でも時々やっていることがあります。

 

たとえば、「教会の集会だ」とは言わずに「英語の講座だ」と言って学生を誘ったり、「青年会のみんなと遊びに行こう」と誘いながら、実際は「聖書研究の集まり」に連れていったり、活動の目的や正体を隠した勧誘がされています。

 

私の知り合いもこれをされて、たいへん傷ついたことがありました。そして、組織全体でこれを容認していると、あれよあれよという間に破壊的傾向が増していきます。

 

礼拝や集会に人を誘う際は、キリスト教会であることを隠すのではなく、自分たちが誠実に集会をやっていることを示す方が、はるかに健全な伝道となるでしょう。

 

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【危機を煽った受洗の勧め】

18. 無力感や切迫した恐怖感などの危機的状況を煽った上で入会の意思決定を求める。

 

これは、最初に挙げた3の「不安や恐怖を煽る」のところでも少し挙げましたが、「洗礼を受けなければ天国へ行けない」「永遠の命を受けられない」と言って恐怖を煽り、今すぐに洗礼を受けるよう勧めてしまう人がいます。

 

前の項目で挙げた16の「正体や目的を隠して勧誘する」という行動も、「洗礼を受けずに地獄へ落ちるくらいなら、騙してでも救いへ導こう」というような思考が働いていたりします。

 

しかし、これらの不安や恐怖感を煽る方法は、キリスト教の真髄であるはずの「イエス・キリストの十字架と復活によって、あなたの罪は赦された」というメッセージが、心の底から信じられなくなる弊害も出てきます。

 

罰や裁きを恐れて入会するために、最後まで「自分は赦された」という確信が得られない、救いを信じられないという皮肉な結果ができてしまうのです……

 

本当に心から聖書のメッセージを信じてほしいなら、いたずらに危機感を煽って受洗*3を勧めるのではなく、丁寧に時間をかけてメッセージを伝えるべきだと思います。

 

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以上、今回は集団健康度チェックの中で気になった項目を5つだけ取り上げてみました。

 

取り上げたい項目はまだたくさんあるので、また後日、続きを少しずつアップしていきたいと思います。

 

なお、他の関連記事も読んでみたい方はこちらです ↓

bokushiblog.hatenablog.com

*1:キリスト教の入信式

*2:「ペラギウス主義」ペラギウスは、人間の道徳的責任の必要性を強調し、救いは善い行いによって獲得されるという「功績による救い」を主張しました。アウグスティヌスはこれに反対し、救いの源は神にのみにあって、救いの過程を始めるのは人間ではないという「恵みによる救い」を主張しました。418年のカルタゴ会議は、アウグスティヌスの恵みと罪の理解を採用し、ペラギウス主義を断罪しました。

*3:洗礼を受けること