聖書研究祈祷会 2019年10月30日
【分かってないんじゃ?】
毎日誰かに文句を言われ、対立する人たちを仲裁し、けれど誰にも感謝されず、ひたすら我慢しながら過ごしている。
色んな人の声を聞き、守るべきことは守るように、正すべきことは正すように、時間をかけて説得し、問題の解決を図っていく。そんな中、かえって自分を憎む人や、逆恨みする人が増えていく。
もう苦しくて耐えられない……そう思いかけたとき、ようやく、ある人がこう言ってくれる。
「私には分かるよ。あなたはよく頑張っている。あなたはとても我慢して、みんなのために苦労している」
ちょっと救われた気持ちになりますよね。自分の労苦を、忍耐を分かってくれる人がいる。自分に味方してくれる人がいる。
ところが次の瞬間、同じ人からグサッとくる言葉を突きつけられます。「でも、前より優しくなくなったよね」「最初の頃の思いやりを取り戻してほしい」
なんだ、結局私を非難するのか。本当は諭しに来ただけか。それなら、最初から分かったふりしないで、「お前はここがダメなんだ」と、みんなみたいに責めればいいのに。
思わず、上げて落とされたと、ため息が出るかもしれません。いじめの問題に対処する担任の教師やクラスメート、人事関係のトラブルに対応を追われる役員たち、カルト化した教会の健全化に向けて交渉を進める信徒や牧師……
「大丈夫、私はあなたの辛さ、あなたの苦労を分かっているよ」と言われたい人たちが、意気消沈してしまうやりとりです。
ヨハネの黙示録が書かれた当時も、教会は深刻な問題にいくつも対処しなければなりませんでした。
キリスト教はユダヤ教の分派というふうに捉えられ、誤った教えを広める新宗教として、シナゴーグで礼拝するユダヤ人から迫害されていました。また、ローマ帝国からは皇帝崇拝に従わない異端グループとして、常に敵視されている状態でした*1。
外部の迫害から教会を守りつつ、内部で起こる異端的な運動に対処していた信徒たち。方々から憎しみと敵意を向けられ、彼らの労苦と忍耐は相当なものだったでしょう。
そんな中、「右の手に七つの星を持つ方、七つの金の燭台の間を歩く方」と表現される神の御子イエス様から、エフェソにある教会に向けて、慰めと励ましが語られます。
「わたしは、あなたの行いと労苦と忍耐を知っている」「あなたはよく忍耐して、わたしの名のために我慢し、疲れ果てることがなかった」
ああ、イエス様は私たちの苦労を分かっている。私たちが一生懸命やってきたのを知っている。そう思ったのも束の間、次の言葉が続きます。
「しかし、あなたに言うべきことがある。あなたは初めのころの愛から離れてしまった」……まさに、さっきのパターンですよね。
ようやく自分のことを分かってくれる人が現れたと思ったら、「どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて初めのころの行いに立ち戻れ」と言われてしまう。
いやいや、本当に私の苦労を分かってますか? 分かった上で、そんなことおっしゃるんですか?
これ以上非難すべきは私ではなく、私が思いやりを持てなくなった兄弟姉妹ではないですか?
「落ちた」という言葉は、黙示録の中でキリスト教信仰から「脱落した」という意味で使われます*2。
今まで一生懸命、ローマ帝国とユダヤ人からの迫害、教会内部の異端に対処してきた人たちに、ずいぶん手厳しい言い方です。
エフェソの教会だけでなく、スミルナにある教会にも、似たようなことが言われています。おそらく、財産を没収されたり、職を追われたりして、苦労していた信者が集まっていた教会です。
そこで、彼らはこう言われます。「わたしは、あなたの苦難や貧しさを知っている」「だが、本当はあなたは豊かなのだ」
これを聞いて、人々が素直に「ああ、この方は我々のことをよく知っている」と思えたかどうかは疑問です。
むしろ、こんな貧しい自分たちに、よく「豊か」だと口にできるな……と腹を立てたかもしれません。
「物質的に貧しくても、心は豊か……」なんて言えるのは、少なくとも、投獄や処刑の危険に晒された状態ではないはずです。
ヨハネの黙示録が書かれたのは、厳しい迫害に晒されていた教会へ、励ましと慰めを与えるためだった、と言われています。
しかし、実際には、苦難の中で耐え忍んでた人たちに、けっこう厳しい言葉を語るんですよね……それは、この当時のキリスト教会に独特の背景があったからでしょう。
【偽使徒たちの脅威】
本来なら、当時の教会は、ローマ帝国とユダヤ教徒からの迫害に耐えるため、みんなで一致団結すべき状況でした。
しかし実際には、キリスト教内部でもかなりの分裂が起きていました。カリスマ的な指導者が次々と現れ、熱狂的に伝道が進められていく中、もともとイエス様が語った教えとは異なるものが教会に侵食していたからです。
政府の弾圧と大衆の迫害に苦しみながら、自分たちの中でも、カリスマ的独裁的指導者によるカルト化や、分裂が起きているアジア・アフリカの現状と、ちょっと似ているかもしれません。
2章、3章に出てくる7つの都市には、いずれもローマの裁判所があり、キリスト者が危険分子として告発されうる場所でした*3。加えて、外国の宗教や慣習の影響を受けやすいところでもありました。
そんな中、ニコライ派、バラム、イゼベルと表現されるグループは、キリスト者に周りの文化との適応を勧め、異教の祭りの食事にも参加するよう説いていきます*4。
周りに合わせ、周りと変わらないアピールをすることで、より一層、信者を増やす狙いがあったのかもしれません。なるべくキリスト教の色をなくして、大衆に受け入れられるよう、模索した結果だったのかもしれません。
しかしそれは、「神の子が私たちのために十字架にかかって死なれた」というショッキングな教え、キリスト教の最も重要な教えまで覆い隠そうとする運動でした。
また、エフェソの教会は、自らを「使徒」と自認するキリスト教指導者の訪問も受けていました。
ここで言う「使徒」は、ペトロやヨハネなどの「12使徒」ではなく、教会全体に対して、自らを権威ある使者、宣教者、教師であると理解していた人たちのことです*5。
彼らの教えは、黙示録の著者と相反しており、自らに過剰な権威と力を集めていました。
現在も、「新使徒的改革」や「新使徒運動」という名前で、一教会指導者に、かつての使徒と並ぶような権威・権力を持たせようとする動きがあります*6。
カリスマ的な指導のもと、爆発的に信者を増やす一方で、リーダーの独裁主義や拝金主義が増していく、危険な要素を持っています。
1世紀末の教会も、こういった緊張が外にも内にもあったんでしょう。必死に苦しみと困難に耐えている人たちへ、「道を外れるな」「主に立ち返れ」としつこいほどに繰り返すのは、そういった背景があったからと思われます。
【吟味し続けること】
そんな中、エフェソの教会はよくがんばりました。イエス様は、「あなたが悪者どもに我慢できず、自ら使徒と称して実はそうでない者どもを調べ、彼らのうそを見抜いたことも知っている」と言われます。
会衆が、指導者の主張をよく吟味し、何が本当のキリストの教えなのか考え続け、退けるべき教えを退けたんです*7。
それはちょうど、明日10月31日に迎える「宗教改革記念日」のことを思い出させます。500年前、ルターをはじめとする改革者たちは、聖書にないことを会衆に教え、贖宥状で富を吸い上げる教会や聖職者の姿勢を批判しました。
そして、「聖書のみ」「信仰のみ」「恵みのみ」「キリストのみ」の教えに立ち返って、自分たちのあり方を正していきました。
この改革は、カトリックに対するプロテスタントの戦いと受け取られることが多いでしょうが、実際はプロテスタント内部でも、過激な改革を進めるグループに対処したり、熱狂的になった運動を鎮めたり、多くのいざこざがありました。
中には、そうした問題に対処するため、改革派の掟に従わない人たちを処刑してしまう事件もありました。
改革とは何だったのか、本来のキリスト教とは何なのかを、繰り返し吟味し、説い続ける中で、今の教会は形成されてきました。
批判者に対して「本当に私のことが分かってる?」と言いたくなるとき、キリストは「あなたこそ、自分自身が分かっているか?」と問いかけてきます。
かつて、自分の間違いを示されて、180度変わった人生を歩んでいったパウロをはじめ、どの信仰者も、どの聖職者も、改革は一度きりではありませんでした。何度も何度も、神様にその姿勢を問われ、変革し続けられた人生でした。
私たちも、神様に改革され続ける存在です。今、吟味すべき自分の姿勢を、もう一度問い直したいと思います。
*1:M.E・ボーリング著、入 順子訳『現代聖書注解 ヨハネの黙示録』日本基督教団出版局、1994年、151頁1行〜5行参照。
*2:笠原義久「ヨハネの黙示録」『新共同訳 新約聖書略解』日本基督教団出版局、2008年、734頁上段2〜4行参照。
*3:M.E・ボーリング著、入 順子訳『現代聖書注解 ヨハネの黙示録』日本基督教団出版局、1994年、144頁17行〜145頁3行参照。
*4:M.E・ボーリング著、入 順子訳『現代聖書注解 ヨハネの黙示録』日本基督教団出版局、1994年、152頁10行〜153頁16行参照。
*5:M.E・ボーリング著、入 順子訳『現代聖書注解 ヨハネの黙示録』日本基督教団出版局、1994年、151頁15行〜152頁2行参照。
*6:教会がカルト化する運動と神学(1)「新使徒的改革(NAR/新使徒運動)」より
*7:M.E・ボーリング著、入 順子訳『現代聖書注解 ヨハネの黙示録』日本基督教団出版局、1994年、152頁3行〜4行参照。