2019年4月5日
【目次】
「破壊的カルト」または「カルト化している団体」に気づくことは、なかなか簡単ではありません。ある会社がブラック企業であることに、入社してから初めて気づけるように、破壊的な団体も最初は悪くないところに見えるからです。
特に、先日投稿した『教会がカルト化する運動と神学』という記事でもあげたように、最近問題になっている団体は、一見普通のことを教えているように見せながら、虐待的・支配的・排除的な教えを忍ばせて、巧妙に信者をコントロールしています。
健全な教会で信仰生活を送ってきた信徒でも、これらの団体と出会ったとき、その問題に気づくことは難しいと言わざるを得ません。
しかし、中には早い段階で「自分の関わっている団体が破壊的な集団だ」と気づくことのできる人たちがいます。
なぜ、カルトやカルト化した団体に気づくことができたのか? どうしたら、他の人も早期にトラブルを回避できるのか? これらのケースは全てに通用するものではありませんが、広く共有することで似たような状況にいる人の助けになると思います。
そこで今回、身近な人が破壊的な団体に入っていると気がついたAさん(仮名)のケースを紹介させていただくことにしました。
以下、Twitterに設置している質問箱への投稿をきっかけに始まった、私とAさんとのやりとりを許可を得た上で掲載します。なお、個人の特定や訴訟トラブルを防ぐため、一部伏せ字にしてあります。
【Aさんによる質問箱への投稿】
柳本牧師さま、こんにちは。興味深くブログを拝見させていただいております。
さっそくですが、キリスト教徒との恋愛について悩んでいます。私は特に強い信仰もなく、仏教と神道を両方自分の文化だと思っていますが、現在キリスト教が国教の国に在住しています。
好きになった人が現在は敬虔なクリスチャンです。(プロテスタントでもアドベンティストでもカトリックでもないそうです)
彼は友人として、一緒にご飯を食べに行ったり、映画を見たり、お泊まりをしたり(もちろん体の関係はありません)ただの友人だと思っていたのですが、最近自分の中に彼を愛しいと思う気持ちが湧き上がってきました。
この前、国際結婚ができるかどうか聞かれた時に、流れで「愛は人種や宗教を超えられる?」と聞いたら「超えられる。それが愛だ」と言われました。
それを聞いて安心したのですが、その後に「異教徒と結婚したい場合はどうなるの?」と聞いたら「それはありえないよ。僕はクリスチャンという前提じゃないと恋に落ちない」と言われました。
それを聞いて「あぁ……どんなに好きでも、一緒にいても、この人は私のことを選んではくれないんだな」と思ったらたいへん悲しくなりました。
彼はときどき聖書の話などをしてくれるのですが、LGBTに対する偏見や異教徒を認めない姿勢など(結婚などについても)正直傲慢だなと思うこともあります。
でも、それでも好きです。教会に誘われたりもしますし、「クリスチャンになりなよ」と言われたりもします。
私は盲目的な信者にはなりたくないので、「まずはどの宗教も知ることから初めて、自分に合ったものを選ぼう」とは思うのですが、改宗する覚悟もないのに「彼のことが好きだから」という理由で教会に行ったり、無理やり信仰しようとするのは間違っている気がします。
それと、キリスト教徒はキリスト教徒同士での結婚が推奨されると聞きましたが、なぜ異教徒は一緒になってはいけないのでしょうか? 結局は信仰を持つ者とそうでない者はお互いに上手くいかないのでしょうか? この恋は諦めて距離を置くべきでしょうか?
乱文かつ長文でごめんなさい。お返事いただけると幸いです。
【質問に対する私からの返事】
こちらこそ、いつもブログをご覧になってくださり、ありがとうございます。
なるほど……好きな人だけに悩みますよね。その恋を諦めて距離を置くべきかは、やっぱりご自身で判断するしかないと思います。
ただ、「盲目的な信者にはなりたくない」「まずはどの宗教も知ることから初めて、自分に合ったものを選びたい」「無理矢理信仰しようとするのは間違っている気がする」というのは、僕も同感です。自然で誠実な考え方だと思います。
だからこそ、相手がその思いを大事にしてくれるかどうかが、その人と健全な関係を築けるかどうかの指標になると思います。
もし、「とにかく同じ宗教を信仰しない限りは付き合えない」と言うのなら、信仰に入る誠実な過程を蔑ろにする付き合い方なので、おすすめできません。
信仰を持つ者とそうでない者が上手くいかないのではなく、相手の価値観と人格を蔑ろにする関係が上手くいかないのだと思います。
お連れ合いの信仰に導かれて、数十年後に信仰に入った方もおられます。カトリックとプロテスタント、キリスト教と仏教をそれぞれ信仰するパートナー、カップルもいます。
聖書の中に出てくるルツという女性も、もともとは異教徒でありながら、イスラエルから来た男性と結婚した人でした。彼女は姑との関係を通して神様を信じるようになり、イエス・キリストの系図に記される人となりました。
僕は、「異教徒との結婚」「信者でない人とパートナーになる」ことがありえないとは思いません。
あと、気になるのは、相手の方が「プロテスタント、カトリック、アドベンティストではないクリスチャンだ」と言っているものの、どこの教会かを明かしていない点です。
もしも、正教会や聖公会(英国国教会)でもないのであれば、名前を明かさないキリスト教系グループの正体が気になってしまいます。 これらを除いた「キリスト教会」というのは、ほとんど聞くことがないからです。
一度、どこの教派・グループの教会なのかを聞いてみて、はっきりと正体を答えてくれないのであれば、注意した方がいいと思います。
破壊的な傾向の強い団体は、正体を隠して信頼関係を築き、離れ難くなってから入信を勧めることが多いからです。
明かされたグループが聞いたことのないもので不安であれば、捨て垢でもDMを送ってくだされば調べてお答えできると思います。
信仰に対するあなたの考え方、相手を思う気持ち、理解しようとする意志はたいへん誠実です。その誠実さを踏みにじったり蔑ろにする「暴力」を犯させないように、相手とどのように距離を持つか、考えてもらえたらいいなと思います。
お二人の行動が誠実に導かれますように、お祈りしています。
【TwitterのDMによるやりとり①】
以下は、この後のTwitterのDMによるAさんとのやりとりです。Aさん(緑字)、私(青字)で掲載しています。
[Aさん]
柳本牧師さま、こんばんわ。
日本は早朝の時間にメッセージを送ることを何卒ご了承ください。私は先日、「クリスチャンとの恋に悩んでいる」と質問したAと申します。
質問にお答えいただきありがとうございました。回答を読んでいてなんだか泣けてしまいました。そして彼の通っている教会について、現在わかることをお伝えしたく捨てアカでのDMを送らせていただきます。
彼が通っているのは、********(団体のURL)という教会です。
以前彼に「首都のどこに教会があるの?」と聞き教えてもらった地域で検索したところ、googleの口コミを彼が投稿していたため比較的容易に見つかりました。
調べてみたところ、世界各地に教会があり一番偉い牧師様は○○○におられるようです。カルトではなさそうですが、以前彼の家で牧師様の講演のビデオを見せてもらった時に牧師様をはじめみんな叫んでいて、怖かったのを覚えています。
(私の中で祈りや説教というものは穏やかな環境で行うと思っていたため)恥ずかしながら、私はあまりキリスト教について詳しくないので、柳本牧師さまのお力をお貸しいただければ幸いです。乱文かつ長文をお許しください。
(ps:現在彼とはいつも通りに連絡を続けています。普段は宗教とは違う話をお互いに楽しんでいます。また、以前「私はどの宗教も共通の目的を持っていると思う」と言ったら「うん。ただ神様が違うだけだね。」とも言っていたので、ますます混乱してしまいます。)
[柳本]
Aさん、メールありがとうございます。
質問箱への質問も、このDMを送ることも、たいへん勇気のいることだったと思います。一歩踏み出して行動されたこと、本当に尊敬しています。
さっそく、********について僕も調べてみました。添付してくださったホームページや他に挙がっている記事を見ると、確かに世界中で急成長を続ける勢いのあるキリスト教会のようです。 一見、伝道熱心な福音派・ペンテコステ派と呼ばれる普通の教会のように感じます。
しかし、△△年以降、この団体が何度か名称を変更していること、複数の不祥事、金銭トラブル、女性トラブルを抱えているところを見ると、破壊的カルトの要素をいくつか有している団体だと考えられます。
たとえば、○○年に教会から外国銀行に××××万ドルを送金したマネーロンダリング疑惑が起き、裁判になっています。この裁判は棄却されていますが、◻︎◻︎◻︎◻︎◻︎の裁判所はお金次第なところがあると言われており、疑惑が解消されたとは言い難いです。
××年には、代表の○○○○○○○が牧師でもある妻から離婚訴訟を起こされています。不倫や女性トラブルが原因のようです。テレビ局との揉め事も記事になっていました。
また、********は、アメリカ、ヨーロッパ、アフリカでカルト対策を行なっている専門家が警鐘を鳴らす「繁栄の福音」や「ワード・オブ・フェイス」といった神学を推奨する団体でもあるようです。
繁栄の福音とは、「献金すればするほど富と健康が与えられる」といった考え方で、教会や牧師個人に莫大な資産をもたらします。一方で、たくさん献金できない信者は蔑まれ、精神的にも経済的にも深刻な被害を多くの人にもたらしてきました。
ワード・オブ・フェイスは、乱暴に言うと「自分が強く願って、強く信じれば、望み通りの結果が得られる」という考え方で、ニューエイジの思想から強く影響を受けています。
望み通りの結果が得られない信者は、「信仰が足りない」「祈りが足りない」と責められ、薬や医療による治療を拒否して祈りだけで病気を治すよう強制されることもあります。
私は英語を読むことが非常に苦手なので、Google Chromeの翻訳機能を使って********の被害者や脱会者の記事を読んでみましたが、もし、Aさんの方で英語の記事をお読みになるなら、ちょっと検索すればかなりの記事が挙がってきます。(URL① や URL② など)
********側からの発信と、被害者や脱会者側からの発信を両方見た上で判断していただくことになりますが、今の時点では、この教会へ行くことをおすすめはできません。
トップダウンで個人の人権や意思を尊重しないやり方が散見される団体だからです。 心苦しい返答になってしまいますが、彼の背景にある団体は、僕の目から見て健全であるとは言い難く、彼と付き合うためにこの教会へ所属することは、Aさんを健全な生活から遠ざけることになるでしょう。
また、Aさんを********のメンバーにすることで、彼自身もこの教会の支配下から逃れられなくなり、その影響をより強く受けることになるでしょう。
今、僕からお答えできるのはここまでです。よかったら、一度********についてご自分で検索し、色んな人の体験を読んでみてください。Aさんと似たような体験をした方もいるかもしれません。
【TwitterのDMによるやりとり②】
[Aさん]
柳本牧師さま、こんばんわ。早速のご回答ありがとうございました。信仰に馴染みのない私でもわかりやすい説明で大変助かりました。
牧師様に送っていただいた********に関するURLや検索した記事をいくつか読んでみました。
書かれていることすべてを理解できたわけではありませんが、脱会した元信者と、現在も信者であると思われる人が書く批判や「お金」を誠実さの物差しにしようとする思考、同じ教会に属するもの同士の結婚しか認めないこと、牧師のスキャンダル等々たくさんの事がわかりました。
私も見れているのはほんの1角であることは重々承知しておりますが正直な事を申し上げますと、とても残念な気持ちでいっぱいです。この気持ちをどこに落ち着かせればいいのかもまだわかりません。
記事を読んでいる間もいつも通りに彼からメッセージが届きます。
純粋に好きでいたい気持ちと、破壊的な思考に対する恐怖、そして盲目的に信仰してしまっている彼もある意味被害者の1人なのかもしれない、仲良くしてくれるのは純粋に彼が信者を増やすための活動の一環なのかもしれないなどという考えが頭の中をぐるぐると回っております。
こんなことが起きても好きという気持ちはおそらくまだ残っており、「距離を取るとしたら早いうちに取った方が自分の傷も浅いだろうしどのように距離を取るのか」や「友人として気持ちは隠してこの事には触れないでおこう」と思ったりもして、まだ決断を下すには時間がかかりそうです。
ニーバの祈りのように変えられるものとそうじゃないものを見分ける力があればいいのにと強く思います。 彼の信じるものが変わらない限り残念ですが、彼と私は結ばれることはありません。
どんなに私が好きだとしても、私は彼と同じ信仰(信仰と呼んで良いものなのかはわかりませんが)を持つ事ができません。
なぜなら、私の中で信仰は富の有無に関わらず神の名の元に平等に扱われるべきかつ、互いに助け合うことで心の平和をもたらすものだと思うからです。そして私が帰国すればきっとお互いに忘れていくのだと思います。
しかし、傲慢ではありますが本音を言えば彼がいつか自身の目をきちんと開いて「ついていくべきなのは、誰なのか。信仰とはなにか」という事を自分の力で考える事ができたり、教会への事実を見つけてほしいと思います。
人を変えることはできないし、それをしようとするのは傲慢極まりないことだとは思いますが、彼も私も健全な信仰を見つけられる日が来ることを願ってやみません。
牧師さまの助けがなければそのまま突っ走って、私自身の健全な生活が脅かされていたかもしれません。そうなると、私だけでなく日本で応援してくれている家族や友人を悲しませる事になるので立ち止まることができて本当に感謝しています。
長々と乱文になってしまいましたが、ご多忙な中最後までお読みいただきまことにありがとうございました。先述した通り、自分でもどうしたいかわかりませんが誠実に向き合った結果なら後悔はない気がします。
改めまして、ありがとうございました。日本は春の兆しが訪れていることだとは思いますが体調など崩しませんようにどうかご自愛ください。
PS:もしまた牧師さまのアドバイスが必要な時はメッセージを送っても良いでしょうか?
[柳本]
Aさん
正直、僕も今日一日自分が同じ立場だったらどうするべきなのか考えていると、本当にやるせない気持ちになりました。どんなに苦しいことかと思います。
それでも、自分で調べられることを調べ、頼れるところに頼り、考えるべきことを考えてきたAさんの向き合い方は、相手に対しても自身に対しても、本当に誠実だと思います。
今後、彼とどのように距離を持つか、接していくかは、そう簡単に決められないと思いますが、まさにニーバーの祈りのとおり、変えられるものとそうじゃないものを見分ける力が与えられるように願っています。
そして、彼に対するAさんの願いは、確かに傲慢と言われるかもしれませんが、僕も同じ気持ちです。 あなたの出会った大切な人、あなたに素敵な時間を与えてくれた人が、自ら考え、自ら調べ、自ら行動する力が与えられるように、遠くからですが、一緒にお祈りしています。
そして、Aさんの心が癒され、平安がもたらされますように。あなたの誠実な行動は、僕にとっても気づきと勇気を与えられるものとなりました。 僕に聞きたいことがあれば、どうぞまたメッセージを送ってください。
Aさんも、心身共に健康が守られますように。
【カルトに気づくためのポイント】
今回、Aさんが身近に迫っていた団体の危険にいち早く気づけたのは、彼女のとった誠実な行動と姿勢にポイントがあります。
1)すぐに相談先を探したこと
破壊的な集団の多くは、まず離れがたい関係を築いてから、相手に入団や入信を勧めてきます。Aさんの場合も、親友となった離れがたい思いを抱いている相手から、彼の教会に来ることや洗礼(クリスチャンになること)を勧められていました。
そして多くの場合、破壊的集団のメンバーが仲良くなるのは、周りに相談できる人がいないときです。Aさんの場合は海外在住で、家族にもキリスト教徒がいなかったため、身近にこのことを相談できる人がいませんでした。
しかし、彼女は重要な決断をする前に、すぐに相談できる人を探しました。現在はSNSが普及し、匿名で牧師や神父に相談できる機会が増えてきています。彼女のように、海外から日本の牧師へ相談することも可能です。
とはいえ、いきなり会ったこともない牧師にコンタクトをとるのはなかなか難しいでしょう。彼女が勇気を出して相談に踏み切ったことを本当に尊敬します。
また、Aさんが相談する牧師のブログや記事を事前に見ていたことも重要です。場合によっては、相談しようとする相手も独裁的な牧師だったり、破壊的な教会の指導者かもしれないからです。
「あわてず」「あせらず」「あきらめない」……人間関係においても、破壊的カルトにおいても、この態度をもって誰かに相談する姿勢が、危険を避けて問題を解決するために必要不可欠と言えるでしょう。
2)すぐにその団体を調べたこと
二つ目にポイントとなるのは、Aさんが親友の誘う団体について、相談後すぐに調べ始めたことです。
仲良くなった人を否定されると、自分を否定される以上に辛く感じるものですが、その人の背景にある団体の批判や問題に目を通すことが、破壊的な集団に気づく一番の近道です。
違和感を感じた団体、集団、運動について、「被害」「危険」「評判」「カルト」などのキーワードと一緒に検索することで、自分の身近な団体で何が起きているのかをザッと調べることができます。
Aさんは、親友の属している団体の主張と、その団体の脱会者・批判者の主張を両方見た上で「彼の入っている団体に関わるべきじゃない」と判断しました。非常に苦痛を覚える現実と誠実に向き合われたと思います。
破壊的カルトやカルト化した集団、その疑いがある団体と向き合う上で、本人が自分の目で「調べること」は避けて通れません。仲良くなった人の背景をこそこそ調べているようで罪悪感を感じるかもしれませんが、目の前の現実と向き合わなければ、被害が拡大していくだけなのです。
3)すぐに否定しなかったこと
三つ目にポイントとなるのは、Aさんが親友のことも、彼の属する団体のことも、すぐに否定せず冷静に見つめたことです。
見慣れない礼拝スタイルを見て、すぐに「カルトだ!」と判断せず、客観的な情報から最終的な判断を行いました。
また、彼の団体について批判的な意見を目にしたときも「そんなはずはない!」と頭ごなしに否定したり、「彼はひどい人だ!」と人格攻撃へ移ることもなく、自分に仲良くしてくれた行動の意味、彼がコントロールされているかもしれない状況について冷静に分析しています。
身近な団体が破壊的カルトかもしれないと疑うとき、私たちはどうしても「良い」か「悪い」かという二元論で考えやすくなりますが、それはまさにカルトの思考です。
思考停止に陥らず、最後まで自分の身に迫っている問題と向き合ったことが、破壊的な団体に気づく結果となったのです。
おそらく、相談したのが私でなくとも、Aさんは遅かれ早かれこの団体の問題に気づき、同じ判断をすることができたでしょう。それは、頼れるところに頼り、調べられることを調べ、考えるべきことを考える彼女の姿勢があるからです。
現在、Aさんはこの教会に行くことを断って、親友と一定の距離を置きながら接しています。
中には、関係者と完全に連絡を切らなければ取り込まれてしまう団体もありますが、今回は距離を置いている限り、そこまでの危険はない団体でした。
今も、Aさんの気持ちをどこに置くかの戦いは続いていますが、自分と同じような経験をする人のために、この教会について調べ続け、資料を提供してくれています。
最後に、このやりとりを記事に載せることを承諾してくれたAさんの言葉を紹介して、終わりたいと思います。
「ブログの件……1人でも悩んでいる人の力になれれば幸いです。また、誰かを愛おしく思う純粋な気持ちが暴力に侵されないことを願うばかりです……」
*下記の記事も、破壊的カルトに気づくきっかけになると思います。ぜひご覧ください。